はじまり
執筆中小説の中に埋もれていたものをサルベージ。
何を思ったか、年下ヒーローに初めて挑戦しています。が、精神的には年上っぽくなってしまった気がひしひしと。
「──一体、何がどうしてこうなったのかしら?」
その日。左右両大臣の姫を差し置いて、中宮の座につくことが決まった貴子──内大臣家の長女であり、麗景殿の女御と称される彼女は、ただただ不思議そうに首を傾げるのだった。
ことの起こりは五年前。当時十九歳の貴子が、十七歳になったばかりの帝の後宮へ入内が決まったことに始まる。
当時の京では、左大臣派と右大臣派、それぞれの勢力が宮中を二分していた。
言うまでもなく、彼らはそれはもう仲の悪い間柄であり、ほんのささいなきっかけが大喧嘩に発展することも珍しくなく、内裏どころか京中の空気がギスギスときしむ音までも聞こえそうなほどである。
そのギスギスは若き帝の後宮にも及んでおり、左大臣の姫で、帝と同い年の従妹──母后を父の妹に持つ藤壺の女御と、やはり従妹にあたる一歳年下の右大臣の姫、承香殿の女御──こちらは、先帝の妹が降嫁して産んだ娘である──の二人しかいないそこでは、女の情念渦巻くどろどろの争いが日課のごとく繰り広げられており、第三者にはとてつもなく居心地の悪い空気が充満していた。
それはもう、肝心の帝でさえもが、すっかり遠巻きに眺めるようになってしまう程度には。
如何に年若き身だとて、年齢を遥かに上回って聡明である帝のこと。自らの後見である伯父の姫と、その対抗馬である右大臣の姫のどちらも、蔑ろにしていいものではないと頭では分かっている。
けれども、いざどちらかの女御を訪ねれば、宿敵である他方の、それとなくもあからさまな悪口をあれこれと聞かされたり、訪れが間遠なことをさりげなくねちねちと責められる。そんな日々が続けば、均衡を保とうとする気力さえも萎え、帝の身とあれば義務である夜のお召しも、頻度が減るのは自然であろう。
これは困ったと慌てたのは、言わずと知れた左右の大臣。
左大臣家は二代続いての、右大臣家には悲願となる、次代の帝の外戚たる立場。それを得るためにこそ、年回り良く生まれてくれた美しい娘を入内させたというのに、このままではいずれの願いも叶いはしない。
ではどうすれば良いかと考えた結果──これまでは許さずにいた第三の妃を入内させ、後宮内の空気の改善を図るという結論に達したのだった。
とは言うものの、三人目の妃に求められる条件は厳しい。
まず大前提として、藤壺と承香殿の二人の女御に潰されるような気性や立場では話にならない。反対に、その二人と同程度以上に自己主張が激しいのでは、更に争いが激化する。
そして出しゃばりではなくとも、既存の二人よりも際立って寵愛を受けてしまっては元も子もない。
そういうわけで、出自に遜色がない内大臣家の姫であり、中立派という名の日和見を通す父とよく似た性格の貴子に白羽の矢が立った。加えて、帝よりも年上で適齢期が過ぎつつありながら、良くも悪くも噂にならない、つまり際立つところがほとんどない存在という点も大きかったのだろうと、貴子は自己分析していたりする。
かくして、妙な注目をされながらも、自身と周囲は常と変わらずのんびりした心境のまま──何せ『寵愛を期待されない妃』という、特殊極まる立場であるから──、夫となる帝と相まみえた貴子であったが。
「……まあ。これは……」
「──『これは』、何なのだ?」
「ああ、いえ。失礼をいたしました。畏れ多くも想像しておりましたお姿よりも、とても大人びた素敵な御方だと存じましたところで」
「……それは、こちらも同じだ」
「はい?」
「いや、何でもない」
ふいっと顔を背ける様子は年相応で、思わずくすりと笑ってしまった。
実際、目の前の帝は五尺の几帳を頭一つ越すほどに背が高く、この上なく高貴な雰囲気を纏いつつも、繊細ながら凛々しい顔立ちをした、大層な美貌の貴公子である。
前もって年齢を把握していなければ、貴子と同じか年上にも見える容姿に、問題の発端となった女御二人が日々の争いを繰り広げるのももっともだと、貴子は心から納得してしまった。
そんな帝と、今宵は寝所を共にするわけだが……
「……あ、あの。主上?」
「何だ」
「ええと……わたくしは、いわゆる『名ばかりの妃』になるはずでは?」
──それなのにどうして、こんな風に組み敷かれるばかりか、素肌に手を這わされたり口付けられたりしているのでしょう……?
困惑しきりの貴子に、その耳元から首筋を唇でたどっていた帝は顔を上げ、至近距離でしれっと衝撃的なことを言い放つ。
「誰がそのようなことを言ったのか知らぬが、私にそのつもりはない」
「は……!? で、ですが、左大臣様や右大臣様のご意向は──」
「誤解が大いにあるようだな。そもそも私が、左右の大臣の言いなりにならざるを得ぬ程度の帝であれば、そなたの入内など最初から実現することはなかったと思わぬか?」
「……た、確かに……」
単に両大臣の顔色を窺うだけならば、女御たちが不仲だろうが後宮が魔境と化していようが、不満を抱きつつも藤壺か承香殿のどちらかに御子を授ける選択肢しか、帝にはなかったはずである。
だが現実には、貴子の入内という別の選択肢が取られた。ということはつまり、目の前の青年は、百戦錬磨の狸か狐かという大臣たちの思い通りにしかならないような、ただ頼りないだけの帝などでは絶対にないというわけで──
混乱の中、それでもぐるぐると思考を巡らせる貴子に、帝はそれはそれは不敵かつ妖艶な笑みを浮かべてみせる。
「理解できたな? ならば続きをするとしようか」
「え、あのっ、し、しばしお待ちを! わ、わたくしはその、まだ覚悟が……!」
「そんなものはいらぬ。そなたはただ、私に身を委ねてさえくれれば良い」
「───っ!!」
目の毒とさえ言える艶めいた微笑と、脳髄へと直接注ぎ込まれるがごとき甘いささやきに、赤く色づいた貴子の全身から否応なく力が抜けた。
──ほ、本当にこの御方、わたくしよりも年下なの……!?
そんな心からの疑問を最後に、その夜の貴子は夫の手により、まともな思考を抱けなくなるほどに翻弄されることとなったのだった。
この日と同じような夜が、それから長きに渡って変わることなく続いた結果。
立て続けに皇子を三人も授かり、めでたく后の位を得て国母となる未来が待っていることを、この時の貴子はまだ知るよしもない。
「さて、内大臣。今まで私に貴子のことを、一言も話さずにいた理由は教えてもらえような?」
「何もそのように勘繰られることではございません。我が内大臣家は代々の日和見ゆえ、娘を后や国母の座に就けるなどという高望みはしない、ただそれだけの話にございます。もし此度の入内の話がなければ、貴子の婿は頭中将とするつもりでおりましたので」
「父の左大臣や異母弟妹と不仲の妾腹の長男と、か。かの中将と右大臣の嫡男はどちらも、そなたの嫡男とは気が合っていると記憶しているが?」
「同じく日和見の我が息子ゆえ、表面上はどなたともそれなりに上手くやれていると存じます」
「どの口がぬけぬけと言うのやら。左大臣の息子であれば当然、私と近しい従兄でもあると理解していように。……まあ良い。今すぐにとは言わぬが、そなたら内大臣家にはいずれ、その日和見の上っ面を剥がしてもらわねばならぬことは承知しておいてもらおう」
「御意に」
「ああ、それと……我がもとに貴子を寄越してくれたことについては、素直に礼を言っておく」
「我が娘をお気に召していただけたようで何よりです。それでは、御前失礼を」
「うむ」
お読みいただきありがとうございます。
きっと皆様、総突っ込みなさったことでしょう。「食われるの早いよ!」と。
まあ、貴子はどうやっても逃げられる状況じゃないですし、帝は帝で一目惚れだったらしいので、どうかご容赦のほどを。
……最後の不穏な会話?
真性の日和見なら、こんなややこしい情勢で、容姿レベルが無駄に高い娘を後宮に入れたりはしませんよね。ということで。