02
週一はやっぱり難しいかも・・・
母を刺す手が止まる。このまま真を家に入れてみるか。
「今行く。」
玄関まで聞こえるように大きな声で言う。玄関の方から気の抜けた返事が返ってきた。
今のうちに、血と酒で濡れた服を着替える。時間は掛けられない。濃紺のジーパンを履いていたからズボンは履き替えなくていいだろう。
玄関に向かい歩き始める。この間に何か案を出さないと…
「今開ける。」
正直に言うのはどうだろうか、いや、それともここで家に帰すか…
案は決まらないまま、扉をゆっくり開けた。
「やあ、久しぶりだね。兄さん。」
仕事帰りと思われるスーツを着た弟の顔はまるで、営業スマイルですという張り紙がされているのではないかと疑うほどに張り付いた笑顔だった。この顔をわざとしているのなら大したものだ。みんなだまされるだろう。この優等生に。
「ああ、それと少し話したいことがある。」
玄関に弟を迎え入れ、扉を閉める。
ここで話してみようと、後先を考えない俺の良くない癖が出てしまった。
「うん、いいけどどうしたの?母さんと喧嘩でもしたの?」
こいつ、俺を年下のように扱っているのか?純粋な心配なんてありえないはず。
「ああ、そうなんだ。実はな、遺産のことで少し揉めてな───」
間違えてはいない。嘘は言っていない。だが普段通りの喋り方ではなかったのだろう。
弟はすぐに気が付いた。
「嘘だね。兄さんと母さんが揉めるなんて。」
───揉め事なんてめんどくさくってやってらんないでしょ、と。
先ほどの張り付いた笑顔は剥がれ、大きく見開いた目が、俺の目を覗き込む。
恐らく、喋りすぎてしまったのだろう。それと内容が良くなかった。言い訳がわざとらしかった。
「…ああ、じゃあ家に入れ。それとこれはお前に相談しないといけないって思ってな。」
何が起きていようと驚かない、そんな顔をした弟を先導しリビングへ戻る。廊下にはアルコールの匂いが充満している。顔は見れないが笑顔ではないだろう。
廊下からリビングへ入る直前に言う。
「母さんを殺した。」
そう俺は言い、弟と共にリビングへ入る。
弟は入口で立ち止まり、その場にカバンを落とした。
「まじか…」
俺は入口から見て左手側にあるソファへ座る。弟は入口から見て右手側にあるキッチンとテーブルの間に倒れた母の足を見ていた。
「やってくれたんだ。あいつを。」
思わず顔を上げ、弟の方を見る。
やってくれた、今確かにそう言った。こいつは母を殺したかったのか。気が触れたわけでもないらしい。見るからに冷静だ。
「…どういうことだ。どういう意味で言っている。」
弟に問いてみたが俺への返答はない。
「アルコールの匂いが強くて、酒でもぶちまけたのかと思ったけどね、その足とガラスの破片を見たら分かったよ。一升瓶で殴ったんだろ?」
こんな状況にもかかわらず、弟は冷静に推理していた。さすがに異質だ。間違いない、こいつが家族の中で一番異常なんだ。
弟は俺に向かってくる。
「兄さん、となり座るよ。」
弟が俺の右に座る。正直びびっている。俺がいうのもおかしな話だが、目の前で人が、それも母が死んでいるというのに冷静な推理まで見せやがるなんてどうかしている。まるで俺を咎める気がない。
「…ふふ、ひひひ。」
笑っている。
もはや俺に余裕なんてなかった。恐る恐る弟の顔を見る。まるで、笑ってはいけないような場面で笑いを必死で抑えているような顔だ。
こんな一面を今まで隠していたんだ。こいつは。
スーツの左内ポケットに手を入れる。何かを取り出すつもりだ。
「ひひ、これさぁ、今日使おうと思ってさぁ。」
笑い声を漏らしながら、刃にカバーのついたナイフを取り出した。刃渡り15センチはあるのではないかと思う。こんなものを忍ばせていたのか。それに使うだなんて。
「ああ、兄さんを殺そうとしたんじゃないよ。ひひ。もちろん母さんを、だよ。」
刃のカバーを外し、弟は刃を眺めている。俺はここを動くべきか迷っている。
「このナイフ、使い道なくなっちゃったかなぁ。あ、そうだ。ばらばらにするときに使えばいいじゃんか、ふひひ。」
弟は自分が座っているソファの右の座面にナイフを突き刺した。大きい柄の部分を肘置きにしているように見える。
「怒らないのか。怖がらないのか。」
立ち上がりながら俺は聞く。弟の前に立った。
口角を手で覆うように隠す弟。面白がっているのか。それとも俺を…。
「勘違いしてると思うよ、僕のこと。ひひ。怖いとか思ってないよ。助かったんだ。あいつらが死んでさ。」
母を顎で指す。
「もうちょい金が要るんだよねぇ。そのためにはどっちも殺さないと。」
金目当てか。まあそうだろうな。こんな奴だ、メリットがないと殺さないだろう。
弟も立ち上がる。
「ありがとう兄さん。なんだか兄弟でよかったって久々に思えたよ。」
弟は右手を俺に差し出す。
「……」
俺は黙って握り返す。しっかりと固い握手を交わす。
今しかない。俺は右肩でタックルし、ソファに刺してあるナイフを左手で逆手持ちする。これで利き手なんて関係なくなる。ソファに二人で倒れこむ。弟は焦って右手を使おうとするがもう遅い。握った手はもう離さない。
「ひひっ。ま、まあ待ってよ、金でしょ、兄さんもっ。分けようっ、山分けしようよ」
交渉のつもりだろう。これで逃れれると思ったのだろう。
「金なんて要らない。」
必死に暴れる弟だが、馬乗り状態になったいま、主導権は俺のものだ。
「いっ、要らないなんてっ。じゃあなんで殺したんだよっ、気持ち悪いよぉぉ」
あんまり長く叫ばれると厄介だ。
俺はナイフを、向かって左側の首の付け根から胸に刃を向け、上から刺した。
「い゛っ、ひとごろ───」
頭を振りかぶり、叫ぶ口目掛けて頭突きを飛ばした。
「もうしゃべるな。」
刺したナイフを抜き、次は向かって右胸、鎖骨の5センチほど下へ思い切り突き刺した。
「…っ!」
喋ることすらできなくなったらしい。弟は白目を向く。力がどんどん抜けていくのがわかる。心臓には刺さっていないはず。恐らく気絶だろう。
「……」
俺も力が抜けナイフから手を放す。俺は弟の横に仰向けに転がった。
「…はあ…疲れた。」
あれだけ力を入れて動いたにも関わらず、手には汗をかいてはいなかった。
家族編はこれで終わりかも