01
きっかけ。
父が死んだ。それが始まりだったのかもしれないけれど、関係なかったのかもしれない。
母を殺した。弟を殺した。祖父母を殺した。叔父叔母を殺した。把握している血の繋がりがある人間はとにかく殺して山に埋めた。くだらない理由かもしれない。ただ一人になりたかった。悲しいとは思わない。心苦しいとは思わない。思ったより、気楽なもんだ。
そう、すっきりした。
そういえば昔、祖父母が育った家がまだ残っていると聞いた。そこに住もう。貯金をすべて引き出して。
幸い畑があるみたいだし、家庭菜園ができる。近所にまだ数世帯残ってるみたいだし、丁度良い。
一人で暮らしていこう。
───4ヶ月前。父が死んだ日。俺は実家に帰った。
母が玄関で迎えてくれた。俺はそこで、
「死因は?」
別になんでもいいが、一応聞いておこうと思ったから聞いた。
「それが…自殺みたい…」
何故『みたい』なんだ?知らないのか?どこで見つかって、どんな状況だったのか?聞いても母はごめんなさい、と言うばかり。別に責めてるわけではないのになぜ謝るのか。
玄関で二人、しばらく沈黙が続いた。母が切り出した。
「遺書が…遺書が見つかってね…さっき…。」
気まずそうに母は切り出した。
「何が書いてあったの?」
家族に向けたメッセージなのだろうか、それとも自身の人生の評価?どちらにせよ早く式を終わらせ──
「遺産は陽太に譲る…って…。」
は?俺に?
「見せてくれ、その遺書。」
思わず靴を乱暴に脱ぎ捨てて俺は居間へ向かう。
部屋の中心にあるテーブルの上は散らかっていたが、ある封筒の周りは整理整頓がされていた。一目でそれが遺書だと分かった。
封筒を開けると二枚の紙が入っていた。一つの紙には家族への感謝の手紙。もう一つは、
「遠野陽太に遺産を引き渡す…か…」
何故俺に、としか思わなかった。思えなかった。母だってまだ生きてる。弟は俺よりも優秀で、この家系を存続させるのに重要になる人間だというのに。
比べて俺は幼い頃から何も出来ない。学生時代にも目立った功績は残しておらず、特別頭が良いやら、運動が万能なんてことももちろんなかった。特技なんてない。何も出来ない劣等生だった。就職してからも何の成果も挙げれない、社会的にも下位に存在する人間だと思っていた。
「陽太が良ければ、お母さんとか…真とかに譲っても良いのよ…?」
母はそう言った。父は何故俺に遺産を引き渡そうと思った?母ではなく、弟の真ではなく、父の兄弟などでなく、何故俺だったのか。考えれば考えるほど理由がわからない。
ただ、俺にはその答えがすでに分かっていたのかもしれない。
母が遺産を譲って欲しい理由とは何なのか。自分の趣味に使うお金が欲しいからなのか。そう思うと、どうせ真に権利を譲っても母の手に渡ることになるのだろう。もし真に権利が渡ったとしたら、自分の趣味、欲を満たすために使い勝手の良いお金ができたと荒く金を使い果たしてしまうのか。
俺は知ってる。母や弟はそんな人間なのだと。
そうだ。思い出した。実家を離れることで忘れていたのに。忘れていたかったのに。
父は頑固で、頭の固い人間だった。たくさんの教育をしてもらい、中には信用できる人間を見分ける方法を教えてくれたりと、生きる上で大切なことを学ばせて貰ったりもした。
だが母や弟はその基準から大きく外れていて、信用とはかけ離れた場所にいる人間だった。
そんな父だからこそ俺に遺産を引き渡すと書き残したのだろう。
「陽太?どうしたの?考える必要なんてないわよ?」
嫌な予感がした。
何かしらの感情が向けられているような。ここで何か決断しなければいけないような。そんな考えが俺の頭をよぎった。
母の不意を突いたように突然振り返る。
「…母さん?」
母は俺に刃渡り20センチほどの包丁を向けていた。
「違うのよ、これは、その、料理の途中で、」
料理なんてしていなかった。第一食べ物の匂いがしない。
苦笑いしかできない俺に、母は包丁を近づけた。
「ね?わかるでしょう…?」
同情の余地なんてない。防衛しないと、少なくとも一度は刺される。
諭す?こんな場面で?無理やり包丁を取り上げる?向こうが本気ならば必ずどちらかには刺さるはず。考えてる暇はない。ないはずなのに考えるしかない。
ふと気付く。散らかったテーブルの上には一升瓶が置いてあったはず。母は酒を飲まない。大方の飲みかけだろう。幸い右手の近くにそれはあった。左手側から振り返った俺の右手は母には見えないはず。
「後悔…してない?」
この問いの答えで、分かる。瓶を振るべきか、そうではないか。
かすかに震える包丁。さらに唇を震わせ母は、
「…してるわよ」
瞬間俺の両手の平から手汗がどっと出る。右手の力を弛め始めた。
「あの人と結婚したこと自体が間違い───」
一升瓶は母のこめかみ目掛けて打ち当たる。手汗で滑って手の平か小指球に瓶の蓋が食い込む。
瓶の中には残り半分ほどの酒が入っていた。十分な重さの瓶は気付けば重さが感じられなくなっていた。
「……」
床には血と酒に塗れた母が仰向けで倒れていた。
この年だ。60代手前だが母は小柄だ。もう長くはもたないはず。苦しそうな表情は見たくない。俺は軽くなった瓶を順手持ちから逆手に持ち替えた。
気絶しているのか、起きる気力を失っているのか分からないが、母の横に片膝をつけた。
「…俺は、俺も、後悔してないよ。」
母の顔が判別出来ないほどに、誰なのかも分からなくなるように、俺は無心になって割れた瓶で顔を刺し続けた。
そんな俺の手を止めたのは家のインターホンだった。
そうだ。まだいた。弟だ。
週一の投稿をしたい。