小説投稿サイトの闇と小さな説の行く末
インタビューを行っている態で話を展開していますが、フェイク・ドキュメンタリーです。飽くまで、”小説の役割を問いかける”という問題提起の為の設定であり、特定の個人や団体を批判する目的で作ったものではありません。
小さな説と書いて小説。
これは“個人的な説”といったような意味だ。つまりは大雑把に言ってしまうなら、本来小説とは何かしら社会的価値のあるテーマを持った物語である訳だ。
だがしかし、現在はこの定義は既に成り立っていない。何のテーマも持たない物語が小説として扱われている。こういった傾向は他の数多の文化にも観られる。演劇も絵画も音楽も、全て本来は政治や統治とは切り離せない宗教と渾然一体となったものだった。それが文化の発展と共に分化し、「別のもの」として扱われるようになっていったのである。
つまり、文化とは“分化”である訳だ。
ただし、だからといって“テーマを訴える”というそれら文化の重要性まで失われてしまった訳ではない。そしてその重要性を理解し、小説を選別する役割は“ある程度は”出版社が担って来たと言えるだろう。
ところが、ネット文化が普及するようになった事でこれが変わった。ネット上に公開された出版社が選別をする前の小説が一般の読者の注目を集め、商業作品として出版されるようにまでなったのだ。
ただし、それは単なる“人気投票”のような平和なものではない。仲間と協力して自作品のポイントを上げる相互評価クラスタや複数アカウントによって自作品のポイントを上げる不正行為が横行しているのだ。しかもそこに盗作疑惑や、グループ同士の確執、出版社との繋がりなどの黒い噂が加わる。
実は最近になり、この社会問題(と、そう表現するべきだろう)は、俄かに注目を集めるようになった。その切っ掛けは、ランキング不正行為や、盗作疑惑のあるプロ作家X(仮称)の作品がアニメ化された事だった。
アンチはこのアニメ化に「ランキング不正で出版化できた盗作作品がアニメ化までされるのか?」と激しく叩き、比較的公平に評価している者も「ここまで盗作疑惑のある作品をアニメ化してしまって良いのか?」と疑問の声を上げた。
当然ながら、そこには「何故、出版社はアニメ化に踏み切ったのか?」という謎や、ネットの投稿サイトからデビューする作家の一筋縄ではいかない様々な事情が垣間見える。
私は今回、この騒動を切っ掛けとして、この業界に対して取材を行う機会を得た。一応断っておくと、これは特定の個人を攻撃する目的で行ったものではない。それによって“ネット小説”という文化が、どのような状況にあり、そしてそれが“小さな説”であるはずの小説、及びに社会に対してどのような影響を与えているのかを浮彫にし、ささやかならがらも問題提起をしてみたかったのだ。
では、始めたいと思う。
私がまず取材を申し入れたのは、小説投稿サイトに小説を投稿し続けているM(仮称)という男だった。
彼は不正ランキング操作など一切行ってはいない。ランキングの上位に入るような有名な作家でもない。では何故、今回彼に取材を行いたいと思ったのかといえば、彼が投稿している小説やエッセイの量が尋常ではなく、しかも“小さな説”としての小説を書く志のある少数派の人間であるからだ。
Mの矜持は、昨今のネット小説家達とは相反するものだろう。だからこそ、Mを取材することで、その対比として、他のネット小説家達がどのような存在なのかより明確になるのではないかと考えたのだ。
「――物凄い作品数ですね」
私がそう話し始めると、彼ははにかんだような笑顔を浮かべた。会う前に予想していたよりも随分と若い印象を受ける。特徴的な、まるで子供のような高い声をしている。
「いえ、数を書いているだけですよ」
そう彼は謙遜したが、“数を書いているだけ”という表現は適切ではないだろう。あまりに彼は小説やエッセイを多く書き過ぎているからだ。現段階で、実に800作品以上の作品を彼はネット上に投稿しているのだ。
これだけの量を書いている人間は、プロでも滅多にいない。
「“病的”とも言えるかもしれませんね」
と、それから彼は続けた。私の表情から、何を考えているかを見抜いたのかもしれない。
「“天才とは、何よりも量である”なんて言葉もあるみたいですが」
そう私が言ってみると、自嘲気味に彼は軽く笑った。そして、「“天才と狂人は紙一重”とも言いますけどね」と続けた。
私はどう返そうかと少し迷ってから、「どうして、これだけの数の作品を書いているのですか?」と尋ねてみた。彼のこの反応は、記事にする上では面白いと思ったが、あまり踏み込み過ぎてもこれからインタビューがし辛くなると判断して、ちょうどいいラインを狙ってみたつもりだった。
その私の質問に、彼は表情を緩めた。
「いえ、実は大した理由でもないんです。毎週、ショートショートを一品書くようにしているってだけで。その積み重ねが、これだけの数になったんです」
「毎週一品?」
「はい。初めは訓練とか実験のつもりで始めたのですが、そのうちただの習慣に……、今は“ゲーム”ですかね?」
「ゲーム?」
これは意外な単語が出て来た。
「ええ。毎週と言いましたが、実はほとんど月曜日に書いているんです。朝の出勤途中からショートショートの内容を考え始めて、仕事をしてから終わるまでの間にまとめて、家に帰ってなんとか月曜日中に書き終える。それができるかどうかのゲームです。仕事が忙しい時などは次の日に持ち越したりするのですが、そういう時は“負けたな”って気分になります。逆に、ギリギリなんとか書き終えた時なんかはそれが嬉しい。作品の出来よりも、そっちの方に喜んじゃったりして……」
「なるほど。この作品数の多さは、そのゲームの結果だと?」
「ええ。まぁ、実はそうなんです。すいません。つまらない話で。
もっとも、それでもできる限りメッセージ性を重視した作品を書きたいと思ってもいるのですがね。世間に向けて発表する訳ですし、少ないアクセス数とはいえ」
私はその返答に軽く首を傾げてみせた。もちろん、意図的なものだ。彼にアピールしたかったのだ。
「でも、それだけじゃないでしょう? 週一ペースだとしたら、投稿数が多過ぎる」
私のジェスチャーで、次の私の言葉を察ししていたのか、彼は軽く笑った。それはまるで観念したかのような表情に私には思えた。
「そうですね。休日には、もっと腰を据えて小説やエッセイを書いています。軽いノリで書いたものもたくさんありますが、確りと考えて書いたものも多い」
「――そして、小説投稿サイトが主催したコンテストの受賞を逃した、あのSF小説もそんなうちの一つだった?」
彼はそれに軽く頷いた。
実は私が彼を知る切っ掛けになったのは、とある小説投稿サイトが主催したコンテストで、物凄い数の小説を投稿し続けている素人作家が、評価ポイントが高かったにもかかわらず、受賞を逃したという話からだったのだ。
「あの小説は、受賞をするとあなたは思っていたのじゃありませんか?」
「アハハハ。まぁ、正直に言うのなら、期待はしていましたね。応募した作品の中でもポイントはトップクラスでしたから。
それに……、」
そこまでを言って彼は言葉を切った。「それに?」と私が促すと、やや迷ったような表情で続ける。
「それに、あのコンテストって、言わば人気が少ないジャンルの小説を書く人達に光を当てようっていうような意図の企画でしょう?
あの投稿サイトは、一部のジャンルに偏り過ぎていますから、その状況を少しでも緩和しようとしたのだと、少なくとも僕はそう解釈しました。なら、僕みたいに人気のないジャンルの作品を大量に書いているタイプの作家は、当に企画の狙い通りじゃありませんか。だったら……」
彼の言う理屈も分からないではない。
小説投稿サイトにとって、小説を投稿してくれるユーザーの存在は貴重だ。彼のように大量に小説を投稿しくれているヘビーユーザーには少しくらいの“恩返し”があっても良いのかもしれない。
また、彼のように努力している作者を受賞させれば、“努力は報われる”という運営からユーザーへのメッセージにもなるだろう。
ただ規模の大きい投稿サイトにとってみれば、多少投稿数が多くても、それほど重要なユーザーとは言えないかもしれないが。
「まぁ、もっとも、“たくさん投稿しているからその御褒美に受賞させてくれ”なんてのも変な理屈ですがね」
表情から私の言おうとしている事を察したのか、彼はそう続けた。
「努力して書いた作品だったのですか?」
「あのコンテストの為に努力した訳じゃないですけどね。僕は常に何か小説を書く努力をしているので。あの作品を書いた時期が、偶々、あのコンテストの時期と重なっていただけです。
……ただ、それでも世の中に広く訴えるべき内容にしたつもりではありました」
「テーマは確かAIでしたか?」
「そうです。これからの世の中はどう足掻いても、AIを受け入れなくてはならないでしょう。拒絶したくてもこの流れはもう止まらない。そんな時代を迎えるにあたっての問題提起…… と言うか、事前準備になるような小説を書いたつもりでいます。
断っておきますが、未来予測のような小説ではありません。飽くまで、AIの性質を知るという意味で価値のある作品を書いたつもりでいます」
「勉強もした?」
「多分、トータルで十冊以上はAI関連の本を読んでいると思います。もっとも、あの小説の為だけに読んだ訳じゃありませんがね」
私は少し悩んだが、彼を刺激するつもりでこう言ってみた。
「つまり、あなたは、あなたが受賞を逃したのは、審査員のミスだと思っているのですか?」
それを聞くと彼は困ったような顔を見せた。
「ミスとかそういう問題ではないと思います。だって、そもそも小説のコンテストなんて審査基準が分からない訳でしょう? 主催者側は、短距離走のつもりでコンテストを開いたのに、僕は障害物競争だと勘違いしてコンテストに臨んでしまったのかもしれない」
「あのコンテストの審査基準では、自分の作品は価値が低かったのかもしれないって話ですね?」
「そうです。だから、それについては文句を言いようもないです。
……まぁ、もしかしたら、僕を受賞させて注目が集まったら、“こんなにたくさん小説を投稿しても、プロになれないんだ”って他のユーザーに思われてしまうと考え、落選させたのかもしれませんがね。
……断っておきますが、もちろん、これは冗談ですよ?」
「はい。分かっていますよ。
でも、数を書いてもそれほどプロになる為には重要ではないとは言えそうですよね?」
「どうでしょう? 僕は数を書かないとどうにもならないと思いますが」
「いえ、私が言いたいのは、そういう事ではなく……」
そう言ってから、私はどう表現しようかしばらく悩んだ。できれば察して欲しかったのだが、今回は彼は私の心中を見抜いてはくれそうになかった。だからこう言ってみた。
「あの投稿サイトで人気のあるジャンルや作風に寄せるというのは考えないのか?という話です」
それを聞くと彼は「ああ、なるほど」とそう言った。彼の中では、有り得ない話だったのかもしれない。
「今でも、多少は寄せているつもりなんですがね。ファンタジーですけど、メッセージはちゃんと込めていて伝わるようにしてある。うん、ま、本当に伝わっているかどうかは分かりませんがね」
「いえ、そういった意味のジャンルではなく、何と言うか、主人公に都合の良い事ばかり起こって、異性にモテてっていうような…… 願望充足型の…」
「ああ、」と彼は言った。多少、馬鹿にしたような表情になった気がしたが、気の所為かもしれない。
「僕が小説を書いているのは、人気が欲しいからじゃなくて、それ自体が楽しくて、“世の中に良い影響を与えられれば”と思っているからですよ。そんな願望充足型の小説を書いても楽しくないし、良い影響だって与えられないでしょう」
「仮にプロになれても、そんな作品では意味なんかないと?」
「そもそもそんな作品を書いて、プロになれるものなんですか?」
「それでたくさんポイントを貰って、小説家になれている人も大勢いるみたいですが」
その言葉を聞くと、彼は目を軽く細めた。身体のどこかに走った痛みを我慢しているかのようだ。
「……でも、それって分母が巨大なんじゃないんですか? なら、そんなジャンルを書いてもプロになれる可能性は低いですよ」
恐らく、認めたくないのだろう。そんな小説を書くべきだという話を。
もっとも、彼の言うのは恐らく正しい。例え彼が投稿サイトで人気のジャンルに寄せた内容の小説を書いたとしても、プロにはなれないだろう。
だが、それでも敢えて私はそれからこう言ってみた。
「小説投稿サイトで、ポイントを貰う為のハウツー的な動画がありますよ。ポイントを貰う為には、こんな内容にすれば良いと解説してある」
「へぇ」と彼は関心なさそうに返した。
信頼してはいないようだ。
まぁ、そういう人物でなければ、己が道を進むように人気のないジャンルの小説を長年書き続けられはしないだろう。
それに、こういった類の“何故、ヒットしたか?”的な解説は、実は間違っているケースが大半なのだ。いや、仮に正しかったとしても、その正しい方法を皆が行い始めれば、途端に有効な方略ではなくなってしまうはずだ。
皆がそれをやれば、自ずから、条件は皆同じになってしまうのだからこれは自明だ。
ゲーム理論や複雑系科学などの分野で、有効な方略を求める研究がし続けられているが、それが非常に困難である事は既に充分に知られている。当然、社会学の側からも確かめられており、それを示す研究成果も出ているのだ。
――世の中には高く評価されている芸術作品がたくさんある。
芸術家や評論家などがどうしてそれら作品に人気があるのか数々の解説をしているが、その信頼性は低いと言わざるを得ない。
例えば、“モナ・リザ”。レオナルド・ダヴィンチによって描かれたこのあまりにも有名な絵画は、間違いなく美術史を代表する名画の一つだろう。その存在自体が、数々の模倣やパロディなどを含めた芸術の対象となってきた。そして、もちろん、数多くの美術評論家達が、モナ・リザの価値を様々な理由で高く評価している。
ところが、このモナ・リザは、20世紀になって盗難の被害に遭って注目をされるまでは、実はまったく無名の作品だったのだ。
(参考文献:「偶然の科学 ダンカン・ワッツ 早川書房」62ページ辺りから)
もし、モナ・リザ自体に、それほどの価値があったのなら、どうしてそのような事が起こったのだろう?
また、こんな事件もある。
ルーマニア生まれの伝説的ピアニストに、リパッティという音楽家がいる。リパッティの死後、彼の作品としてショパンのピアノ協奏曲が発売された。音楽評論家達は、こぞってこの作品を絶賛しロングセラーとなったのだが、発売から十年以上が経ってその作品がチェルニー=ステファンスカという知名度の低い女流ピアニストのものである事が判明してしまった。
(参考文献:「脳には妙なクセがある 池谷裕二 扶桑社」76ページ辺りから)
つまり、そういった批評は“もっともらしい理由”が付されただけで、その作品が評価された正当な理由であるとは言い難いのだ。
実際、「何故、こんなに人気なのか?」と首を傾げたくなるような商品は巷にたくさん溢れている。そして、そういった大ヒット商品が生まれる秘密は、その商品自体よりも社会…… 人々のネットワークに注目した方がより適切ではないかという主張が存在する。
インターネットが発達してから、それまでは不可能だった実験が可能になって来ている。そのうちの一つに“社会的ラボ(実験室)”というものがある。ネット上の小規模なコミュニティを“小社会”とし、そこで実験を行うのだ。無名の音楽バンドがどれほど人気になるのか、複数のラボに対して行った実験では、順位には何ら法則性が見出せなかった。別のラボでは一位だった楽曲が、他のラボでは四十位になったりしたのだ。
(参考文献:「偶然の科学 ダンカン・ワッツ 早川書房」86ページ辺りから)
断っておくが、クオリティも順位に影響を与えてはいた。ただ、クオリティの影響は社会的影響によって随分と乱されてしまうものであるらしい。つまりは、他の人間達がどんな作品を選んでいて、どう評価しているかに大きく左右されてしまうのだ。
社会性動物である人間の性質と言えるのかもしれない。
グラノヴェッターの暴動モデルという理論がある。これは群集が暴動を起こすかどうかを“ドミノ倒し的”な現象であると理解するものだ。
倒れるドミノの近くに、容易に倒れるドミノが多数あったのなら、ドミノ倒しは全体に波及をしていくだろう。だが、倒れたドミノの周りにドミノがまったくないか、倒れ難いドミノばかりであったなら、ただドミノが一つ倒れるだけで終わってしまう。
当然ながら、全体に波及をするケースが暴動が発生する事を意味する。
これは暴動の発生モデルだが、似たような事は他の数多の人間社会の流行現象に当て嵌められる。
投稿された小説を“面白い”と主張する人間の周りに、それに同調して“面白い”と主張する人間がたくさんいたなら、その影響が全体に波及するが、少人数なら小規模の連鎖で終わる。
例えば、そんなイメージだ。
これが事実であったのなら、小説のクオリティに流行を起こす力がある訳ではない事になる。“大人気のあの小説”は、タイミングさえ違っていたなら、まったくの無名作品で終わっていたのかもしれないし、あなたの投稿した無名作品は、タイミングさえ違っていたなら、とても有名な作品になっていたのかもしれない。
ただし、ここで一点、充分に注意しなくてはいけない事がある。
“小説が評価される”と言っても、そのタイプは一種類ではないのだ。先ほどの続きだが、素人作家のMは、インタビューの最中にこんな事を言った。
「仮に人気のある作品…… つまり、他にいくらでも似たような作品がある、そんな内容の小説を書いて作家としてデビューできたとして、それで本当に作家としての地位が確立するものなのでしょうか?」
――そう。
偶然、人気を得たその“作品”がその作家にしか書けないスタイルのものであったのなら、その作家は次回作も期待される可能性が高いのかもしれない。京極夏彦や村上春樹のような作品は模倣が難しい。だからこそ、次回作に期待が集まる。
が、誰にでも書ける作品であったなら、別の誰かの似たような作品が注目をされるだけで終わってしまうのではないだろうか?
ネット小説からデビューした作家に特有の扱いと言うべきかどうかまでは分からない。が、しかし、実際にそのような立場の作家は存在する。
ネット小説家のA(仮称)は、投稿サイトで人気になり、一般書籍化の夢を果たした。が、それで“デビューできた”と言ってしまって良いのかは分からない。
何故なら、彼が書籍化を果たしたのは、それ一作だけで、それ以降は商業作品として作品を発表できていないからだ。
断っておくが、彼の出した小説はシリーズ累計で20万部以上は売れている。出版不況に喘ぐ業界にとっては、充分な売り上げだ。だが、そんな実績を出した彼の次の作品を出版社は出版しようとはしなかったのだ。
「……次回作の構想を編集者に話したら、“では、またその作品で、ランキング上位を取ってください”と言われましたよ」
どことなくスポーツマンを思わせる外見の作家Aは、あっさりとした口調で私に向ってそう告白をした。これは想像に過ぎないが、彼は既に失望を乗り越えて諦観のようなものを得ていたのかもしれない。
「あなたにとっては、それは想定外でしたか?」
「はい。想定外ですね。デビューして、実績もあるのなら、当然次もあるだろうって普通は思いますよ。
ただ、今はそれは“驕り”だったと反省していますが」
私はその言葉に“どうして?”とは尋ねなかった。その理由を既に知っていたからだ。彼は出版社に出版を断られた自分の作品を小説投稿サイトに投稿をしたのだが、前作とは比べ物にならないくらいの低評価だったのだ。いや、この表現には語弊がある。彼の作品はそもそも“評価されなかった”のだ。ポイントも付かなかったし、アクセス数も低かったが、それは読まれた上での結果ではない。
「皆は“俺の作品”を読んでいた訳じゃなかったのですね。匿名性の高い、“顔のない誰か”の作品を読んでいたんだ」
彼のデビュー作のファンですら、彼の新作を読まなかったのだ。
「同じ様なフォーマットの似たような作品であれば、あなたの作品でなくても良かったという事ですね?」
彼は私の言葉に力なく頷いた。
「はい。そうなのでしょう。ほら、アメコミ作品って、作者が複数いるって言うじゃありませんか。同じヒーローを、まったく別の作家が描いていくスタイル。キャラクターが共有物になっているんですね。クトゥルフ神話とかもそうなるのかな?
詳しくは知らないのですが、ヒーローや、邪神のファンで、それさえ出てくれば、どんな作家のものでも構わないってのが読者の意見なら、作家はただの道具に過ぎませんよ。
それとまったく同じって訳じゃありませんが、あるいはネットのテンプレ小説も似たような感じなのかもしれません。テンプレは多くの作家の共有物で、そのテンプレ作品の中から、偶然、注目されたものが売りに出される…… 読者にとっては、それが誰の作品であっても構わない。似たような作品であるのなら、受け入れる」
「つまり、ネット小説の多くは作家性は重要じゃないと」
「そうですね」
彼の表情からは、微妙に悔しそうにしている雰囲気が感じ取れた。
「プライドを、傷つけられましたか?」
「それって、読者にって事ですか? それなら違いますね。むしろ驕っていた自分を恥ずかしく思います。“宝くじに当たった”ようなものだったのに、自分の実力だと勘違いをしてしまっていたのだから」
彼の言い方が私には気になった。
「読者以外になら、“プライドを傷つけられた”って顔をしていますね」
Aはその言葉に一瞬、顔を怯ませた。だが、それから息を漏らすように「そうですね。傷つけられました」とそう素直に告白をした。
「書籍化してから、印税の相場ってのを調べてみたんですよ。そうしたら5~10%らしいって分かりました。ですが、僕に出版社が提示して来た印税は3%だったんです。
まぁ、プロとしての実績が何もない素人ですからね。そんなものかと思って、それでOKしたんですが。今にして思えば、最初から俺は下に見られていたようにも思います。“所詮、ネット作家だろう?”って」
「真っ当な作家とは思われていなかった?ってことですか?」
「そうだと思います。多分、これは俺以外の作家も同じなのじゃないですかね? 他の人の話を聞いてみた訳じゃないんですが……」
そう言うと、Aは何か訴えかけるような目で私を見た。それで言いたいことをなんとなく察した。
かつてネット上でヘイトスピーチを行っていたことが明るみになり、炎上事件にまで発展してしまったネット小説からデビューした作家がいるのだが、その時、出版社はあっさりとその作家の連載を止めてしまったのだ。
また、自分の小説のイラストを描いてくれていたイラストレーターに対して誹謗中傷を行った、やはりネット小説からデビューした作家も同様に切られてしまった。
そういった出版社の対応に対し、ネット上では「出版社はもっと作家を大切にしろ」といった声も上がったが、出版社にとってみればネット小説からデビューした作家にそれほどの価値を見出してはいなかったのかもしれない。
いや、“ネット小説”と表現すると語弊がある。ネットからデビューしても大切にされ、それ以降も映画原作を任されている作家もいるのだから。
つまりは、ネット小説にありがちなテンプレートに頼る小説家を軽んじているという事なのかもしれない。
「価値があるのは、テンプレートの方で、仮に書いているのがAIであっても別に構わない…… って感じですかね?」
私がそう訊いてみると、彼は力なく頷いた。そこに自分という個性は必要ないのだと、そう思っているのかもしれない。
「……いや、まぁ、そういった連中を庇う訳じゃないんですがね。多分、“分からなくなっちまった”のじゃないかと思うんですよ」
また、別の相手だ。
ある出版社に勤めるY(仮称)という男。
彼は私の質問を受けると、大きく頭を掻きながらそう言った。
大雑把な印象があっておどけているが、油断できない雰囲気を持っている。彼は快く私の取材を受けてくれた。ラノベは彼の所属部署の担当ではなかったのだが、それでも仲間について語るのだ。何故、取材を受けてくれたのか私は不思議に思っていたのだが、どうやら“代弁をする為”であったらしい。
「出版社に入って、小説を出す部署に望んで入ったのなら、誰でも“自分が見出した作家を育てて成功させたい”って願望は持っていると思いますよ。
多くの読者に読ませたいと思うような良い小説を書く人間を探し当てて、それで実際にそれがヒットしたなら、嬉しくて仕方ないのじゃありませんかね? が、それが分からなくなったのですよ」
そうYは語った。
「“分からなくなった”とは?」
私がそう尋ねると、彼は妙な表情を浮かべた。
「そうだな。なんと言うべきか。うーん。難しいな。ま、ちょっと誤解を招く言い方になりますがね、“どんな小説が売れるのかが分からなくなった”って感じかな?」
私は少し考えると、こうその言葉を解釈した。
「それはつまり、ネット小説が人気の理由が分からないってことですかね?」
「それが一番妥当かな? 私もね、一応、少しくらいは読んでみた事があるんですよ。ネット小説。あれだけ話題になっていて、最近じゃアニメ化されている作品も多いじゃないですか。何か魅力があるのだろうと思いましてね」
そう言って、Yはまた頭を掻いた。それから手をバタバタと何かを払うような動作をしながらこう続ける。
「が、いやー、これがまったくさっぱり“良さ”が分からんのですわ。
もし仮に持ち込み原稿であんなのが来たら“プロの小説を百冊読んでから出直して来い!”って追い返しますよ。私なら」
「普通は売れるとは思わないってことですか?」
「普通はね」
「しかし、売れている」
「そう。売れている。だから、分からなくなった。
まぁ、売れていると言っても、大ヒットって訳じゃないですが。ただ、今の出版業界はけっこーなピンチですからね、それでも大いに助かるんですよ。しかも、そういった連中は印税を低くしても“出版させてくれ”って言いますからね。出版社にとってみれば、都合が良いんですわ」
「だから、ネット小説の出版を歓迎している、と?」
その私の質問を聞くと、彼は困ったような顔になった。
「歓迎…… か。そう言われると、違う気もしますけどね。何と言うか、プライドを傷つけられたと言うか、でも、売れるんだから仕方ない、みたいな」
そこまでを語るとYはまた頭を大きく掻いた。どうやらこの動作はこの男の癖であるらしい。
その“プライド”という言葉を聞いて、私は先のネット小説家のAが「出版社にプライドを傷つけられた」と言っていたのを思い出していた。Yの話を聞く限りでは、彼を傷つけた出版社の態度の裏にも、一筋縄ではいかない事情があるようだ。
「出版社に勤めている連中ってのはね、若い頃は文筆業を志していたような連中もいるのですよ。そうじゃなくても、“こういう本を出したい”みたいな理想を持っていたりする。
が、小説投稿サイトで上位に入っているから売れと言われたネット小説は、少なくとも我々の基準からすれば、“売れてはいけない”くらいの酷い品質なんですよ。自分が果たせなかった“小説家になる”という夢を、そんな小説を書いている奴が果たしているんです。快く思っていなくても無理はない」
「それでプライドですか…… ネット小説でデビューした作家を出版社が見捨てるなんて話も聞きますね」
「ええ、聞きますね。
……でも、それも仕方ないかと私なんかは思ってしまう。
そんな小説を書いている作家が、何かしら社会的な問題を起こしたとしたら“庇ってやろう”なんて気持ちにはならないでしょう?
しかも、似たような作品を書いている代わりの作家は他にいくらでもいるんですよ?」
「なるほど。だから、“見捨ててしまう”と」
「そうですよ。元々、出版社の人間達はネット小説を内心では評価していない訳です。ま、これは想像なんですがね。多分、連中はネット小説自体に価値があるのじゃなくて、“宣伝が成功したこと”に価値があると思っているのじゃないかな?
小説投稿サイトで上位に入る事で、宣伝にだけは成功している訳でしょう?」
「だから、次回作を出版するのなら、また上位にランクインして、“宣伝を成功させろ”と言うのですね?」
「そんな感じです」
私はそこで少し考えた。
「ですが、盗作疑惑を抱かれているにも拘らず、未だに出版社から見捨てられていない作家もいますよね?」
もちろん、それは冒頭に上げた盗作疑惑のある作家のZである。彼の作品はアニメ化までされてしまったのだ。
「ふんっ」とそれを聞くと、Yはニヒルな顔で笑った。私を馬鹿にしたつもりではないのだろうが、私はなんだか自分が馬鹿にされたかのような気持ちになってしまった。
「なら、そいつの宣伝力を高く評価しているのでしょうよ」
「宣伝力?」
「例えば、“上位にランクインさせろ”と言ったら、本当に自分の作品を上位にランクインさせてしまった、とかね」
私は逡巡したが、それからこう言った。
「それなりに売り上げを出したネット小説家が、投稿サイトで上位にランクインさせるのは“宝くじに当たったようなものだ”なんて言っていましたよ。それくらい運が良くないと無理だと。なら、或いは、本当に実力のある作家なのでは?」
すると、Yは肩を竦めて、「ランキングなんてものはいくらでも操作できるでしょうよ」とそう応えるのだった。
私はその言葉で確信をした。恐らく、彼は相互クラスタや複数アカウントによるポイントの不正加算を疑っているのだろう。
“相互クラスタ”とは、互いの作品にポイントを入れ合うグループの事で、そのような事をすれば、当然ながらそのクラスタに参加している作家の作品のランキングはアップする。そしてランキングの上位に入れば、目立つようになり、他のユーザーからのポイントも得られやすくなる。小説投稿サイトの多くは、マイナスポイントを入れる機能がないのが普通で、平均ポイントによる順位も採用してはいないからだ。その為、もしそれを読んだ読者が、その作品に反感を抱き、最低得点を入れたとしても、投稿者にとってはダメージになるどころか、むしろプラスになってしまうのだ。
結果として、悪評によって有名になった作品が上位にランクインし、そのまま書籍化されてしまうような現象も起こり得るのだが。
仮にその相互クラスタの構成員がたったの10人だとしても、複数アカウントを併用すれば凄まじい効果を発揮する。計算し易く複数アカウントを10持っているとしよう。10人いれば、10×10で100人分。最大ポイントが10だとすれば、これだけで1000ポイントも稼げてしまう。
もっとも、複数アカウントによる不正はほぼ確実に行われているが、この相互クラスタは、一応は“疑惑”であることになっている。しかし、多くの人がこの存在を確信しているかのように語っている。その理由は実にシンプルだと思う。
とんでもない低レベルの作品が、上位にランクインしてしまっているからだ。
一応断っておく。上位にランクインしている作品の全てが、そのように質の低い作品という訳ではない。仮にYならば、それら作品全てに低評価を下すかもしれないが、価値観も評価基準も人によって様々だ。私にはそのように断じるつもりはない。
がしかし、上位にランクインし、書籍化まで決まった作品の中には、少なくとも私の基準では、“小説の態を為していない”としか思えない作品が存在する。
文体がまるで箇条書きのようで、表現も貧弱。いや、そもそも文章量が少なすぎる。記述が圧倒的に足りないのだ。
一応断っておくが、書けば良いというものではない。“書かない事”も重要だ。省略というのは、小説においては高度な技法で、敢えて“書かない事”は、読者の想像力を刺激する手段にもなり得る。姿形の描写は最低限にとどめ、会話や登場人物達の人間関係でキャラクターを、それぞれの読者にイメージさせるのだ。小説は、読者の想像力を活かす事によって、時に漫画や映像作品以上の魅力を引き出す事が可能な表現手段なのだ。
(もっとも、だからこそ、読者の読解力や想像力が必要とされるのだが)
が、私が読んだその上位の作品のそれは省略というレベルではなかった。悪魔のような存在が出て来るのだが、姿形どころかそれがどんな大きさなのかも書かれていない。戦闘している場所の説明も一切ない。技名や台詞が非常に間抜けで、コメディなのかと思ったが、ツッコミがなく、作者自身が作成したタグにもそれらしい表記はなかった。
正直、私には作者がどんな内容の小説を書こうと思ってそのようにしたのかすら分からなかった。
それで、小説投稿サイトの読者達は本当にこれを評価しているのかと訝しみ、コメント欄を見てみたのだが、ほとんどが批判的な内容ばかりだった。
もし仮に、小説投稿サイトにマイナスポイントを点ける機能があったのなら、間違いなくランクを大きく下げるだろう。
それを読んだ時、私はいくら上位に入っているとはいえ、その作品の出版を決めた出版社の正気を疑った。ただ、しばらく後に冷静になり、出版社にはこの小説を売る気はなく、コミカライズの方に期待しているのではないかと思い直したが。“悪い噂”の宣伝力は実は非常に高い。これだけ目立っていれば、漫画がそれなりに売れる可能性は高いだろう。もちろん、漫画家の技量にもよるが。
……こう考えてみると、やはり、Yの言った通り、小説投稿サイトの作品に出版社が期待しているのは、“宣伝力”なのかもしれない。優良な作家を発掘する事ではなく。
とにかく、私にはそのような作品が正当な手段で上位に入るとはとても思えなかった。この作品は、悪評が話題になって上位に入るようなタイプでもない。高得点を獲得していなければ、ほとんどの読者が数行読んで読むのを止めてしまうような作品だ。
何かしら不正ランキング操作を行っているのではないか? と、つい思いたくなってしまう。
(もっとも、“事実は小説よりも奇なり”という。何かが偶然して、そのような作品に注目が集まった可能性もあるにはある)
「あなたは相互評価クラスタによる不正ランキング操作は、実際に行われていると思っていますか?」
ネット小説家のAへのインタビューに話を戻そう。
今のところ、1シリーズしか出版に成功していない彼は、必ずしも質が評価されておらず、盗作疑惑まである作家の作品が、何作も出版できている現状に対して、何を思っているのか。
それを知りたかった私は、そう尋ねてみた。
複雑な表情を見せた後で、彼は吐き出すようにこう言った。
「……あるのじゃないかな? とは思っていますね」
「それは、想像? それとも何かしら証拠がある?」
「想像です。いや、ま、証拠と言えるかどうかは分かりませんが、ちょっと信じられないような作品が上位にランクインしていたりしますからね。あれを見る限り、やっぱり不正は行われているのじゃないかな? と」
それを聞くと、私は少し考えてから今度はこう尋ねた。
「もし仮に、そんな相互評価クラスタが本当に在って、参加できるとしたなら、あなたは入りたいと思いますか?」
誠実な性格なのか、彼はその私の少し意地悪な質問に表情を歪ませた。
「正直に言ってしまうと、かなり惹かれはします。かなり惹かれはしますが、でもやっぱり参加はしないと思います」
「それは何故?」
「だって、はっきり言ってしまえば、それって詐欺行為じゃないですか。真っ当に小説を書いて勝負をしている人達がたくさんいるのに、自分だけそんなズルはできないですよ」
私はそれに頷いた。
道徳的には彼が正しい。好感が持てる。が、まるでそれを否定するようにそれから私はこう続けてみた。
「詐欺かもしれないですが、ただ恐らく不正が明るみになっても、刑事事件にはなりません。規約には、そういった行為は違反だと書かれていますが、飽くまで民間企業が定めた規約ですからね。
仮に罪に問われる可能性があるとするのなら、小説投稿サイトの運営が裁判を起こして勝利した場合くらいですが、流石にユーザーに対してそんな裁判を起こしはしないでしょう。大きなマイナスのイメージが付きますからね。
つまり、不正ランキング操作を犯罪と呼ぶのなら、完全犯罪です。でも、しない?」
「しませんね。と言うか、できませんよ。罰せられるかどうかの問題じゃない」
私は再び頷いた。今度は大きく。
こんな主張を耳にした事がある。
――小説投稿サイトのランキングは信頼できない。だから宝物がどこに埋もれているのか自分で探す必要がある。
良作を効率良く読めるからこそ、ランキングには意味があるのだろう。が、それが機能しないのであれば読者は不便を被ってしまう。
民間企業が運営しているとはいえ、小説投稿サイトはほぼ公の場となっている。公の場となっているのなら、それ相応の機能を果たすべきで、運営にはその責任もある。それが社会通念だ。その意味で不正ランキング操作にも、それを放置する事にも、社会的な問題があると言える。
理想論を言うのであれば、小説投稿サイトのランキングは、社会的に広く読ませる価値のある作品が上位にランクインし、それに触発された別の書き手が似たような目的を持つ作品を書き始めるような環境が良いのだろう。
ただし、“言うは易く行うは難し”だ。
そのようなランキングは、果たしてどうやったなら実現できるのだろう? それを考える為には、まずはどうしてそのような不正ランキング操作が横行してしまうのかを考える必要がある。
――ここで、話を少しばかり変えよう。
古来より、人間社会の支配者層には不正を平気で行うような人間が多く集まる傾向にある。何故、そのような事になるのか、疑問を持たれる場合もあるが、それには実にシンプルな説明が存在する。
“不道徳な人間の方が、権力や富を手にしやすい”
からだ。
真面目でルールを守っている人間よりも、ルールを破り、卑怯な手段を執る人間の方が、権力や富を多く手に入れられてしまうのだ。残念ながら。
つまり、“悪が栄える”だ。
もちろん、ルールを破る事にはリスクもあり、その所為で全てを失う人間も多いが、それで全ての“不道徳な人間”が排除される訳ではない。そして、そういった人間は当然ながら欲が強い傾向にある訳だ。だから富を独り占めにしようとする。つまり、一部の権力者達に富が集中するという人間社会の歴史で数多く観られてきた現象が起こってしまう。
これを防ぐ為に、人間社会は“三権分立”や“選挙制度”を考え出した。三権分立は、一部に権力が集中し過ぎないようにする為の工夫で、選挙制度は権力者が私利私欲の為に政治を行い始めた場合に、国民がルールを作る者…… つまり、政治家を投票によって他の者に変えられるようにする制度だ。
もちろん、選挙制度は国民が充分に政治に関心を持たなければ効果が薄くなってしまうのだが、とにかく、この制度の本質は“負のフィードバックによる抑制”にある。
権力者達が暴走をし始めた時、国民からの“負のフィードバック”によって、それを抑えるのだ。そして、これは“社会”が、自律的に秩序を保っていると表現できる。支配者側がそのようにコントロールしているのではなく(“トップダウン”ではなく)、社会に暮らす人々の自発的な活動が社会の秩序を創り出している(“ボトムアップ”によって、秩序を創り出している)。
小説投稿サイトの場合もこれに似ている。
不正な行為を平気で行える人間の方が目立ちやすく、それで上位にランクインしやすくなる。小説投稿サイトは、システム的に“不正を行う者がポイントを得やすい”構造になっているのである。「不正を行う者が勝つ状態に自己組織化される」と言い換えても良い。
これを抑えるには、トップダウンからのアプローチでは無理がある。要するに、運営側が力業で抑えようとしてもできないのだ。参加するユーザー達が、自然と秩序を保てるようなボトムアップ的なシステムに変えなくては。
これに関して、冒頭でインタビューした素人作家のMはこのような話をした。
「普通、掲示板って巨大になれば、くだらない記事が増えていくものでしょう? 荒らしとかスパムの類が増えていく。
ところが、それを自律的に抑えることに成功した掲示板があるんですよ」
私はそれに「ほお」と返した。
「興味深いですね。そんな掲示板があるのですか?」
その質問に彼は「ええ」と返すと、こう教えてくれた。
「アメリカ、ミシガン州のホランドって場所で誕生した“スラッシュドッド”という名の掲示板です。
この掲示板は、秩序を保つ為にとても面白いシステムを採用したのですよ。
まず、掲示板に掲載された記事に点数を付けられるようにした。利用者達は、点数の高い記事だけをフィルタリングすれば、荒らしやスパムなどに悩まされることはなくなるわけですね。
ただ、問題は、“その点数を誰が付けるか”でした。運営側の限られた人間では、とてもじゃありませんが、そんな事は不可能です。そこで、それを解決する為に、この掲示板ではユーザーを採点者にするシステムを創り出しました。ただし、ユーザー全員ではない。採点者の権限は優良な点数を得た人間にしか与えられないのです。また、期間は限られています。しばらくしたら、点数を入れらる権限はなくなるのですね。そして、点数を入れられる回数にも限界があり、点数を入れられなくなったら、他の優良な点数を獲得した誰かに交代するです」
(その掲示板のエピソードは、『創発 蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク スティーブン・ジョンソン ソフトバンク パブリッシング』という本で紹介されていたもので、165ページ辺りから載っているらしい。もっと詳しく知りたいという方はその書籍を当たって欲しい)
私はその説明に軽く頷くとこう言った。
「なるほど。優良なユーザーなら、荒らしやスパムなどにはちゃんと低い点数をつけるでしょうね。交代制にすれば、独裁的な体制にもならない」
彼がどうしてそのような事を言ったのかは簡単に理解できた。
小説投稿サイトでも、似たような発想で同様の事ができるのではないかと考えているのだろう。
例えば、データマイニングによって、比較的公平に点数を付けてくれているユーザーを抽出し、そのユーザー達にこれまでとは違ったタイプの特別な点数を付ける権限を与える。そして、その特別な点数だけのランキングを今までのランキングとは別に設け、その特別ランキングを上位に位置付ける…… すると、注目が集まるのは、その特別ランキングの方になり、不正ランキング操作をしてもあまり意味がなくなる。
しかし、私は少し考えるとこう言った。
「ですが、小説投稿サイトで同様のことをやるのは無理がありますよね? 小説は掲示板の記事に比べてとても長いし、数だって掲示板の記事よりも遥かに多い。選ばれた特別な採点者達が、全ての小説の内容を評価できるとは思えない。人気のないジャンルは、一切点数が付かない状態になるかもしれない」
それにMは頷く。
「そうでしょうね。それに、文句を言うユーザーもいるでしょう。だからそのままの案を採用するのは無理です。ですが、それでも発想自体は使えると僕は思うのです」
「例えば?」
「例えば、一部の投稿者の作品にしか点数をつけないユーザーによって点数が付けられている作品なのか、それとも幅広いユーザーが点数をつけている作品なのか判別できるようにして、幅広い層から得点を得ている作品だけのランキングを新たに設ける、とか。
“幅広い読者層から人気のある作品ランキング”とでもすれば、違和感もないでしょう」
彼の狙いは直ぐに理解できた。
複数アカウントや、相互評価クラスタのユーザー達は、特定の投稿者の作品にしか点数をつけない。それを利用して、不正ランキング操作によって上位にランクインする作品を排除しようというのだ。
ただ、やはりそれにも問題点がある。
「それだと、何ら不正を行っていない投稿者の作品も除外されてしまう可能性がありますよね? 特定の投稿者のみのファンという人もいるだろうし。それに、基準を決めるのが難しそうだ。膨大な計算が必要だから、サーバーの負荷も高くなる」
因みに、SQLの集計関数を使えば、そのような作品を求めるプログラミングを作成するのはそれほど難しくなさそうではある。
Mは私の指摘を素直に認めた。
「そうかもしれません。
ならば、一番、シンプルで効果がありそうなのは、やはり“マイナスポイント”を付ける機能を設ける事ですかね?」
私はその案に驚いた。
「マイナスポイント? 確かに、マイナスポイントを入れられれば、不正ランキング操作で上位に入ったレベルが低すぎる作品は、直ぐに上位から消えるようになる可能性が高いでしょうが、別の問題も生じるでしょう?
嫌がらせでマイナスポイントを入れるようなユーザーもいるだろうし、ユーザー間で喧嘩も起こるのじゃないですか?」
マイナスポイントを入れられるようにしてしまったなら、ほぼ間違いなく小説投稿サイトは荒れてしまうだろう。
が、それに彼はこう返すのだった。
「マイナスポイントの評価を受け付けるかどうか、投稿者に選ばせる機能を付ければ良いのですよ。
そして、今まで通りのランキングと、マイナスポイントを認めた投稿者のランキングを分ける…… いえ、マイナスポイントを認めた投稿者の作品は、どちらのランキングにも載るけれど、マイナスポイントを拒絶した投稿者の作品は今まで通りのランキングにしか載らないようにした方がいいかな?
もちろん、サイト上で目立たせるのは、マイナスポイント有の方のランキングです」
「マイナスポイントを認める分だけ、メリットを与えるという事ですか…… しかし、それだけでは荒れるのは防げないようにも思うのですが」
「では、思い切って、マイナスポイント自体にもメリットを与えますか」
「と言うと?」
「新たに賛否両論ランキングも設けるのですよ。プラスポイントもマイナスポイントも加算して計算した結果のランキングですね。マイナスポイントを付けられると、プラスポイントのランキングでは、順位を下げてしまいますが、賛否両論ランキングの順位は上がるのです。
いえ、いっそのこと、マイナスポイントのランキングを作るのも面白いかもしれない。個人的には、どんな作品が一位になるのか非常に興味があります。
“マイナスポイントを入れられるという事は、それだけインパクトがあるという事でもあります。そういった作品の中にこそ、或いは凄まじい作品が埋まっているのかもしれません”
といった説明文を添えれば、そのマイナスポイントのランキングの悪印象も和らげられるでしょう。宣伝効果という意味では、通常のランキングよりも上かもしれない」
それを聞くと私は少し笑った。
「ハハハ。なるほど、確かにマイナスポイントのランキングがどんなものになるのか見てみたくもありますね。
ただ、やっぱり、それでも荒れてしまうのじゃないかと思いますが……」
私はそう言い終えると、しばらく考えてからこう提案してみた。
「そうだ。マイナスポイントという表記ではなく、“尖った作品ポイント”といったような名前にするのはどうでしょう?
計算方法は同じですが、そうすると印象は随分と柔らかくなる」
「でも、それだと不正ランキング操作された作品が上位に入るのは防げないですよね?」
「そうですね。ただ、その代わり、“尖った作品ポイント”のランキングは、ある程度は信頼のおけるものになるでしょう。ですから、“不正ランキング操作”の悪影響を抑える効果を得られはする。真面目にがんばっている人達にもチャンスができるのだから」
「なるほど。まぁ、真っ当に投稿している人達は、“尖った作品”を書かなくてはならないという制約ができちゃいますが、確かにそれでも良さそうですね」
そう言ったMは笑顔を見せていたが、その顔はどことなく疲れているように見えなくもなかった。
Mは真面目に小説を書いている。それは小説を書くのが好きで、同時に世に“考え”を訴える手段でもあると本気で思っているからだろう。
が、不正をしていると噂されている作品には、そういった点が見られない。少なくとも、私の主観ではそう思える。恐らく、Mもそう思っているはずだ。
書籍化によって手に入れられる金銭だけに興味があり、だから、小説はどんなものでも構わない。他の作品の真似でも、盗作でも。結果、似たような作品ばかりになってしまうのではないだろうか? つまり、彼らには新しいタイプの話を考える意味も意欲もないのだ。
少しでも真っ当なランキングになって欲しいというのは、真面目に小説を書いているMの真摯な願いなのだろう。だから、その為の案を考え出し、それが採用される事を願った。
ただ、仮に運営側がそれを知り、彼の提案を受け入れれば不正ランキング操作の影響を低く抑えられると評価したとしても、その通りにするとは限らない。
何故なら、当の運営側がそれを望んでいないという可能性もあるからだ。
前もって断っておく。これは単なる黒い噂に過ぎず、想像の域を出ないものだ。だから、あまり信頼しないで欲しいのだが、このような事を主張している人達が存在するのだ。
「出版社は、不正ランキング操作を、作品の宣伝に利用しているんだよ」
小説投稿サイトから書籍化された作品が、コミカライズやアニメ化などで、社会的な影響力が増してくる過程で、その一部の作品に対する“ツッコミ”が一つの分野として確立されるようになった。
小説投稿サイトで有名になった作品を“ボケ”として、それに対してツッコミを入れていくことで“笑い”を成立させているのだ。
レビューや、作品紹介の体裁を執ってはいるが、その本質はツッコミだろう。もっとも、ツッコミだけが魅力なのではなく、確りと分析を行っているものも多いのだが。
これは、小説投稿サイトで有名になった作品の品質が低いと判断する人間達がある一定割合存在する事を意味している。だからこそ、その質の低さにツッコミを入れる事が“笑い”として受け入られるのだ。
ただし、そういった“ツッコミ”の中には、“不信の停止”を理解していない…… 或いは、理解していながら無視しているものも多いようだ。
“不信の停止”とは、人が創作された話を鑑賞する際に、多少の矛盾点やおかしな点を無視できるようになる事を言う。
名作として評価されているような文学作品や漫画でも、非現実的でおかしな点を見つけるのは実は容易だ。例えば、シェイクスピアの“ロミオとジュリエット”で、ジュリエットは仮死の薬を飲むが、「そんな薬ねーよ!」とツッコミを入れられるし、悲恋を成就させる為のその杜撰な計画を笑う事も出来るだろう。
(ただし、実はロミオとジュリエットは、喜劇として創作されたものでもあったのだが)
名作と言われる漫画のドラゴンボールでは、エネルギー保存の法則を無視して、個人が惑星をも破壊できてしまう。これも「いや、ないから」とツッコミを入れられる。
つまり、設定の荒唐無稽さや矛盾点は、必ずしも作品の大きな欠点になるとは限らないのだ。“不信の停止”により、そのような非現実的な点も我々は受け入れられるようにできている。だから、そのようなツッコミの全てが作品を貶す意味で適切とは言い難い。
実際、明らかにコメディとして作られた小説投稿サイトの作品に対し、ツッコミを入れている動画もあった。これは予想に過ぎないが、製作者はそれを分かった上で、笑いにする為に敢えてツッコミを入れているのではないだろうか?
ただし、それでも少なくとも私の感覚では、シリアスな話で、RPGのような“ステータス”を観る能力が登場人物にあったり、キャラクターにレベルがあるという世界観は受け入れられなかった。コメディとしてなら分からないでもないが、どうしても違和感が生じてしまう。
“不信の停止”にも限界がある。リアリティを感じることが重要な作品で、非現実的な設定があるのは致命的に思える。
もっとも、それでもそういった作品を受け入られている人がいるのも事実だ。ならば、これは別の問題(?)として捉えるべきものなのかもしれない。
テレビゲームが流行り始めた頃、「ゲームのやり過ぎでゲームの世界と現実の区別がつかない人間が育ってしまうのでは?」などという懸念の声が上がった。それを我々は「杞憂だ」と笑ったものだが、或いは、ゲームの映像技術が進歩する過程で、いつの間にかその懸念が本当になってしまったのかもしれない。
現実をゲームの世界の一つとして捉えているからこそ、シリアスな物語で、非現実的なRPGのようなシステムが登場しても違和感がない……
いや、もちろん、分からないのだが。
私がそういった作品に慣れていないだけで、読み続ければ、次第に違和感を感じなくなっていくのかもしれない。もしそうなら、それは適切な評価とは言えないだろう。
ただ、こういった“ツッコミ”系の分野で本当に問題にするべきなのは、そんな点ではない。恐らく、そういった小説投稿サイトの作品に対するツッコミが人気を得られる背景には、“作家が不正を働いている”という疑惑が存在するのだ。
先に少しだけ触れたが、自作品のイラストを描いてくれているイラストレーターを誹謗中傷し、出版社から切られてしまった作家がいるのだが、その作家はSNSに複数アカウントを持っており、あたかも複数人がイラストレーターを攻撃しているかのように見せかけていたらしい(本当かどうかは分からないが、少なくともそんな噂がされていた)。
「そのような手段を執る作家ならば、不正ランキング操作を行っていたとしても不思議ではない」
そんな考えを述べている者がいた。
そのような認識が作家に対する敵意に繋がり、ツッコミをより面白くさせているといった要因も恐らくあるだろう。
そして、
「“不正を行っている”のは、作家だけとは限らない」
そう思っている人間達も、少なからず存在しているようなのだ。
インターネット上の仮想店舗には、商品のレビューをする機能が付いているのが一般的だ。ただ、現在、そのようなレビューの内容を素直に信じる人間は減って来ている。
ゲームのレビュー動画を観ていると、時折、「このレビュー点を見る限り、このゲーム会社は不正を行っていないようですね」といったような、ゲーム会社の誠実さを評価するコメントが添えられる場合がある。
つまり、ゲーム会社が何らかの不正工作を行い、レビュー評価をかさ上げしているのが既にそれほど珍しくなくなってしまっているのだ。だから、真っ当なレビュー点数を見ると、そのような感想が出て来る。
出版社でも同様の事が行われていると考えるのは至極自然な話だろう。そしてそれによって消費者はレビュー点が信頼ならないという不利益を被る事になるのだ。もちろん、騙されて買ってしまうという被害もあるはずだ(そもそも、それを狙ったレビュー点不正加算である訳だが)。
その出版社の不正工作がどれほどの規模なのかは分からないが、「1000人規模で行われている」という指摘をしている人物もいた。もちろん、実際に1000人も雇っている訳ではなく、アカウントを複数作成しているのだろうが、仮にその1000という数字が本当で、小説投稿サイトで同様の事を行っているとするのなら、実に一万ポイントも入る事になる。これだけで充分に日間ランキング上位に入る事ができる数値だ。
これは計測しようもないのだが、「小説投稿サイトで上位に入る」事の宣伝効果は、仮想店舗のレビューよりも上なのではないだろうか? 普通、宣伝には多額の費用がかかるものである。ところが、これが正しいとするのなら、小説投稿サイトを利用すれば、その宣伝が低コストで行う事ができてしまえるのだ。
これは、出版社側にとってみれば、実においしい話である。
つまり、
「予め低い印税率で契約しておいた作家の作品を、不正ランキング操作によって上位にランクインさせて宣伝に利用する」
といった事が行えるのだ。
早い話が、巷で言われている強力な相互評価クラスタの正体の一つは、或いは出版社なのかもしれない、ということだ。
もっとも、不正を疑われるリスクを低くするのなら、どんな作家でも良いという訳ではないだろう。既に小説投稿サイトで上位にランクインした実績のある作家の方が、適しているはずである。
――しかし、仮にこの話が本当だとして、一体どうやったなら、出版社からそのような作家に選ばれるのだろう?
ネット小説家のAは、インタビューの途中に気になるこんな発言をした。
「詳しくは知らないのですがね、同時期に出版に成功した他の作家の中には、編集者に対して贈り物をしている連中もいたみたいですよ」
「贈り物? つまり、賄賂ってことですか?」
「そんな外連味のあるものじゃないと思いますが、何と言うか、“人間関係”を重視していたって事じゃないですかね?
出版社に気に入られなくちゃいけないって分かっていたのじゃないかな?」
彼がどんなつもりでそんな発言をしたのかは不明だ。だが、私はそれを聞いてこんな話を思い出した。
それなりに売れている小説家が、本を出せなくなる場合があるらしい。その原因は、会社の戦略など関係なく、なんと「今まで自分を担当していた編集者が、他の会社に移動してしまった」というとても局所的な人間関係の喪失にあるのだという。
ネット小説が普及する前から、“小説家が本を出せるかどうか”は、個人的な人間関係が意外に重要だった。村上春樹や京極夏彦のような例外的なケースもあるが、作家クラブや小説教室でのコネクションから出版社の人間と懇意になり、デビューできるケースは多いらしいのだ(例えば、太宰治は、“人たらし”と言われるほど人を惹きつける能力に秀でていたし、宮部みゆきは受賞前から小説教室に通っていて、プロの作家などとも交流があった)。
作家というのは、個人で完結する仕事だと思われがちだが、実は非常に人間関係が重要な職業なのだ。よほど売れていなければ、人間関係を疎かにすれば直ぐに干されてしまう。
もし仮にAの言う事が本当だったとしたなら、編集者と密に繋がった一部のネット小説家が、出版社のバックアップを受けて小説投稿サイトで上位にランクインし、何冊も出版するというパターンもあるのかもしれない。他の作家よりも、低い印税率で契約しているのならば、出版社にとってもメリットがある。
そして、バックアップが受けられるという前提ならば、プロ作家Xが行っているという複数の他の作品から盗用するという心理にも納得ができなくもない(一応断っておくが、私には無理だ。良心の呵責を覚えるし、著作権違反の不安にも耐えられそうにない)。
ネット小説が普及する前から、作家の盗作疑惑、または盗作はあった。あまりに有名な太宰治の“生まれてすみません”という言葉は実は盗用だと分かっているし、“斜陽”、“女生徒”も盗作だと言われている。
ただ、ネット小説の盗作疑惑がこれまでの盗作疑惑と異なるのは、必ずしも“作品の質が良い”と評価されていない事にある。
つまり、「どうせ不正ランキング操作で上位にランクインできるのだから、作品の質など関係ない」という作家の態度が透けて見えるのだ。単に楽をする為の盗用である。読者からどれだけ批判されても、出版社の力で(複数アカウントや、その他の相互評価クラスタも使っているかもしれないが)、上位にランクインできてしまえるので、特に気にしていないように思える。
もちろん、これは邪推に過ぎない。
ただ、もしこれが本当だったなら、不正ランキング操作の効果を減らすような採点方式の変更を妨害する為、出版社から小説投稿サイトに何らかの圧力があったとしても不思議ではない。
「不正ランキング操作をし難くさせるような変更はするな」
という。
再三、断るが、これは邪推に過ぎない。
「……正直言って、分かりません。そこまで内部事情に詳しくないのでね」
出版社に勤めるYへのインタビューで、場が温まり、なんとなく彼の人となりを把握した気になった私は、“これならいけそうだ”と判断すると、この点について尋ねてみた。が、そのような返答しか得られなかった。
隙があるように思えて、なかなか脇は堅い人物なのかもしれない。
諦めきれなかった私は、続けてこんな問いかけをしてしまった。
「そんな事は絶対にあり得ない、と?」
すると彼は頭を大きく掻きつつ、「あんた、ずるいな」と言ってからこう続けた。
「“絶対にあり得ないか?”って言われれば、そりゃ、“あり得る”と答えるしかないよ。ただね、その質問ははっきり言って詐術と同じだ。この返答で“関係者はその可能性を否定しなかった”とか、思わせぶりな記事は書かないでくださいよ。
こっちは“知らない”って言ってるんだからさ」
どうやら私は、彼を少し怒らせてしまったようだった。私はそれに「すいませんでした。ちょっと失礼な質問だった」と素直に謝罪をした。すると、その真摯な態度に当てられたのか、彼はちょっと迷ったような表情を見せた後で、言い難そうにしながらこう言った。
「一応、言っておきますが、もし仮にうちの社員がそんな事をやっていたとしても、それは上の命令に従っただけに過ぎないってのは分かってくださいよ。更に言っておくと、上の連中にしたって、ここ最近の出版不況の所為でやりたくもないそんな事をやっているんだ」
まるで、出版社が不正ランキング操作を行っているかのように擁護しているが、恐らくそんな意図で言ったものではない。“もし、やっていたら”と不安を覚えたのだろう。彼は仲間を庇いたかったのだ……
私は今のネット小説の現状は、社会問題だと考えている。
単純にビジネスとしても、こんな状況は放っておくべきではない。ライトノベルの質の劣化は、日本のサブカルチャー文化の衰退すらも招きかねない。アニメや漫画といった産業にも既に悪影響を及ぼしているだろう。
「あの……」
少しの間の後、私は口を開いた。
「小説とは、本来、何かを訴える為に書くものでしょう? メッセージを物語の中に込めて世の中に訴えるんです。
ネット小説は、そんな本来の小説足り得るものになれるでしょうか? いや、違うな。なるべきだと思いますか? 仮にそうだとしたなら、どうすれば良いでしょう?」
その私の質問に彼は困ったような顔を浮かべた。
「いや、難しい事を訊かんでくださいよ。そんなのは分かるはずもない。
……でも、そうだな。やっぱり“目立った者勝ち”みたいな体制にしちゃいけないんだと私は思いますね。
私も少し調べたんだが、今のネット小説っていうのは、客目を引くタイトルでいかに目立つかが重要なんでしょう? まるでスポーツ新聞みたいだが」
私はそれに「はい」と返してから、こう続けた。
「ある素人のネット小説家は、マイナスポイントを設ければ良いと言っていましたよ」
「ああ、なるほど。目立つとマイナスポイントを入れられる可能性も高くなるから、“目立った者勝ち”じゃなくなるって話か。質が低い作品は、それで除外される。でも、それって、サイトが荒れるんじゃないですかね? 嫌がらせで、マイナスポイントを入れる奴らとか現れそうだ」
「はい。だから、今までのランキングとは分ける形でそのランキングを作って、マイナスポイントをつけられた側にも何かしらメリットを与えるべきだとも言っていました」
それに「ふーん」と彼は返す。
「それも良い。
だが、そうだな。やっぱりちゃんと目を持った人間が、小説の内容を評価して、それで出版する作品を決めるって企画を立ち上げるべきじゃないかって私は思うね。
全部の作品を読むなんてのは無理だろうから、どうしたって不公平な評価になってしまうが、短編集にすれば、該当作品の数は増やせるからチャンスを多くできる」
そう語っているYは、心なしか自分のアイデアに興奮しているように私には思えた。
「印税もなし、原稿料もなし、作家としてデビューできる保証もなし。ただ、出版できるだけ。つまり、“訴えたい事”を世の中に主張できるというメリットがあるだけ。
こうすれば、金目的の奴らは参加しないでしょう。本当に熱意のある奴らだけが作品を投稿する。
そして、その作品とランキングで上位に入って出版した連中の作品を比べるんですわ。どっちの方が良い作品だと思いますか?ってね。それで恥ずかしくなる奴もいるだろうし、それで目を覚ます読者もいるのじゃないですかね?」
そう語るYの目は、やはり何処か楽しそうだった。それを見て私は思った。彼はきっと出版社が作品を選別していた時代を懐かしんでいるのだ、と。
彼は、プライドを持って、出版社に勤めているのだろう。今でもその高い理想を持ち続けている。
かつては、三島由紀夫のような大物作家でも、作品を発表できなかった事があったらしい。
“売れるか、売れないか”ではなく、本当に価値のある作品を出版したいというプライドを出版社が持っていたのだ。ランキング上位に入ったからと、酷い品質のネット小説の出版を決めてしまう今の出版社には、その頃のプライドは残っていないだろう。
今のネット小説界隈の現状を考えると、私はどうしても“衆愚政治”という言葉を思い出してしまう。“哲人政治”の有効性など幻に過ぎなかったが、それでも私にはその発想がネット小説の現状を変える手段として魅力的に映ってしまう。
適切に作品の質を見抜く評論家達の力を信じ、読者が読むべき作品を選ぶ。
ただ、それが可能なほどのカリスマ的な評論家の存在など、作ろうと思って作れるはずもないし、もし仮にそんな存在が作れたとしても、その存在に力が集まる事によって哲人政治さながらの問題点も出て来るだろう。
その評論家は、本を売る為に、出版社に利用されてしまうのではないだろうか?
最も適切な解決方法は、やはり“マイナスポイント”なのかもしれない。いかに現状を破壊せずに、それをシステム内に組み込むかを考える……
ただ、それすらも、運営側にやる気がなくては実現しないだろう。
もっとも、いずれ運営側がそれをやらなくてはいけない状況に追い込まれる可能性はあるのではないかと私は考えている。
何故なら、小説投稿サイトから出版された作品が、コミカライズやアニメ化などでメディア展開されていく過程で、その質の低さが問われ、盗作疑惑や不正ランキング操作問題が話題に上る事が、小説投稿サイトのユーザー以外の人間の間でも増えて来ているからだ。
テレビやネットのワイドショー番組や、週刊誌などが、これを取り上げれば、もっと広く注目を集め、小説投稿サイトは対応を迫られる事になるのかもしれない。もちろん、その時は不正を行っていたと疑われている作者は、これまで以上に批判されるだろう(中には濡れ衣というケースもあるはずだ)。
しかし、仮にそんな事が起こったとしても、小説が小説としての役割を取り戻せるとは限らないのだが。
小説が小説としての役割を取り戻す為には、一体、どうすれば良いのだろう? そして、小説の役割を失した社会は、これから一体どうなってしまうのだろう?
或いは、「何も変わらない」という人間もいるかもしれない。
しかし、そう主張する人間は、今の世の中がどれだけ狂っているのかを恐らく理解していないのではないかと思う。
そして、それが何故なのかと言えば、“小説が小説としての役割を果たしていないから”なのだ。
少なくとも私は、小説としての役割を小説に求め続けるし、そんな小説が広く読まれるべきだとこれからも訴え続ける。例え、愚かなドン・キホーテと言われても。
ネット小説出身の作家が軽視されている件に関して参考にしたのは、↓です。
https://www.youtube.com/watch?v=trQPgytvZkI&t=210s
人間関係が作家にとって重要という件で参考にしたのは↓。
https://www.youtube.com/watch?v=uTW3xkmkIhs&t=2s
ただ、この二つとも裏は取っていません。
また、「小説教室」のステマである可能性も僕は疑っています。
ツッコミ系の動画については、様々な動画を参考にさせていただきました。
ごめんなさい。
雑多過ぎるので、URLは載せません。