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第三話 「Fighting the world」①

変身ヒロイン百合アクション、第三話です。



 夕方のビジネス街で、サフィールは一人のブライドを追いかけていた。逃げているブライドは足の速さだけでなく、驚異的な運動神経でビルの壁を垂直に駆け上がっては障害物を跳び越え、時に潜り抜けてビルからビルへと飛び移っている。超人とはいえとても人間とは思えない動きだ。追うサフィールも同様にビルの上を駆けていくが、相手の方が身体能力が高いらしく、ぎりぎりのところでどうしても追いつけない。

 「プル、あの子は何のブライド!?」

 《プリマ・ヘリオール。武器はブーメラン、でもあんな運動神経してるなんて知らないプル!》

 「こっちもだいぶ動けると思ってたけど、あっちの方が上みたいだね。OK、その分はあたし自身が頑張る!」

 どこかの企業のビル屋上に着地し、フェンスを跳び越えると相手のブライド、ヘリオールの背中を見つけてすぐに走り出す。間隔を開けて設置された空調施設から上空に向けて吹き上げる強烈な風が、跳び越えるたびにサフィールのポニーテールをはためかせる。膝の高さまである配水管は踏み台にして、大きくジャンプして距離を稼ぐ。が、逃げるヘリオールは身軽に配水管から配水管、さらに給水タンクへと跳び、躊躇なく隣のビルへと跳んだ。サフィールも追って、給水タンクに跳び乗ると隣のビルに向かって大きくジャンプする。

 だが先に跳んだヘリオールが、突然空中で前転し、その手から後方のサフィールに向けて何かを放った。その瞬間にヘリオールのジュエルが見えた。黒い濁りはジュエルの中に確かにあるが、アンベリアやスピルナスのそれと違ってやや量が少ないように見える。投げられた物体は、回転しながらカーブを描いて飛来し、夕日の光を反射してオレンジ色に輝いた。物体の形はひらがなの「く」に似ている…プルが先ほど言ったブーメランだ。サフィールは空中で無理やり体をひねり、直撃を何とか避ける。その間にヘリオールはビルの屋上に危なげなく着地した。続いてサフィールはカエルのように屋上のへりにへばりついて、壁を蹴り前方転回の要領で屋上に上がり、フェンスに開いた穴をくぐると引き続きヘリオールを追いかける。その直後、プルが叫んだ。

 《アキラ、うしろ!》

 「何…どわぁっ!!」

 背後から戻ってきたブーメランが、サフィールの肩甲骨の下あたりを直撃する。ジャケットで防がれたことで大きな傷にはならないものの、一瞬動きを止めるには十分な痛みと衝撃だった…ヘリオールはそこまでは読んでブーメランを投げたのだろう。だが、サフィールの頑丈さは彼女の予想外であったに違いない。一瞬前のめりになったものの、サフィールは一歩も止まらずにヘリオールを追い続けた。振り返ったヘリオールが驚きに目を見開く。

 「あぁーもう、ついてくんな!」

 「話があるの! 逃げないで聞いて!」

 「お前から逃げてんじゃねえよ!」

 「え…じゃあ誰から」

 問いただそうとした次の瞬間、サフィールの耳が弦楽器のような音を、目が飛来する銀色の光を捉えた。その光が容赦なくサフィールの左肩を貫く。




 ジュエル・デュエル・ブライド:

 第三話「Fighting the world」




 意識を取り戻すと、何度かまばたきして周囲を見回した。左肩に激痛を感じてからの記憶が無い。強烈な痛みで気を失っていたようだ。そして、目を覚まして改めて痛みに気付いた。突き刺さったらしい物体は引き抜かれたのか残っていないが、頑丈なはずのサフィールの体を、しかも肩当てごと貫いた痕跡があった。血は止まっていた。続いてサフィールが今横たえられているエアコンの室外機の向こうから、二人分の声が聞こえた。渡せ、断る、というやりとりだ。一人はヘリオール。もう一人の声には聞き覚えがなかった。こっそり顔を出し、声の主の横顔を確かめる。

 そこには、ヘリオールと向き合ってもう一人の『デュエルブライド』がいた。夏の若草を思わせる鮮やかな緑色の髪を編んで背中に流し、ジャケットは同じ緑でもより深みのある色合い。肩当て・膝当て・手甲など防具の形はサフィールらと似ているが、キュロットスカートではなくホットパンツを、スニーカーではなくブーツを履いている。大人びて整った顔立ちや立ち姿から、少し年上だとわかった。左手には頑丈そうな弓を持っている。

 「…プル、あの緑の人は?」

 《確かプリマ・エメルディだプル》

 「一度に二人か…」

 片やヘリオールは獣じみた運動神経をもち、ブーメランのコントロールは抜群。片やエメルディはといえば、武術の素人であるサフィールが見ても立ち姿に隙が無い。

 ふと、サフィールは今の自分の状況を改めて確認した。ヘリオールとエメルディの視界から隠れるような位置にいるのは、両者から見て脅威にならないか構っている暇は無いと見られたか、あるいはどちらかが善意でここに隠してくれたか。

 二人の様子をよく見てみると、エメルディがヘリオールのオレンジ色のジュエルを指して渡せと要求し、ヘリオールはそれを拒否しているようだ。ヘリオールは獣の爪のように両手を構えて今にも飛び掛からんとしているが、エメルディは話し方も表情も極めて冷静で、今の時点ではジュエルの譲渡を交渉だけで済ませようとしている。そこだけを見ればアンベリアやスピルナスのような影響は特に受けていないように見えた。

 ヘリオールはひたすら警戒し、逃げる余裕すらもなさそうだ。すると、自分をここに座らせたのはエメルディか。善意かどうかは判らないが、少なくともヘリオールとの交渉…場合によっては戦闘になる可能性もある…に巻き込む気は無いようだ。しかし当のエメルディは交渉を諦めたのか、わかりやすく構えてこそいないものの急に剣呑な雰囲気になる。力づくで奪う気だ、とサフィールにも分かった。対峙する両者を息をのんで見守る。

 直後、エメルディが素早く、そして屋上が振動するほどの力強さで踏み出した。ヘリオールの目でも捉えきれぬほどだったのか、獣のような構えが一瞬硬直した。サフィールは本能的に飛び出し、大きくジャンプして両者の間に着地すると、右フックを出したエメルディの右腕にガントレットを上から叩きつけ、力を入れて押さえ込む。至近距離での格闘戦に特化した能力を持つサフィールの動体視力と運動神経でなければ、恐らく反応はできなかっただろう。だがエメルディの腕力はサフィールより強く、拮抗した状態から少しずつ押し始めている。

 「あなた…邪魔を…! せっかく巻き込まないようにしたのに」

 「悪いけど、あたしもこの子に話がある。感謝はするけど譲らないよ!」

 口では強気に言うが、今のサフィールには左肩の痛みが大きなハンデとなっている。早めにエメルディを退け、ヘリオールを保護することが先決だ。

 エメルディの腕を弾きローキックを出すが、蹴りは膝で止められ、逆に左肩の傷を掌打で打たれた。激痛にサフィールの動きが一瞬止まる。そのみぞおちにエメルディの重い右足の横蹴りがめり込み、続けて顎を左の肘で強かに打たれた。頭蓋骨の中で脳が揺れ、強烈なめまいで後方に倒れかかるが、半ば無意識にその脚が踏みとどまった。顔面に迫る左の上段回し蹴りをガントレットで防ぎ、脳震盪で視界がブレかかる中で踏み込んで右肩から当たる。

 しかし同時にエメルディも踏み込みつつ体をひねり、体当たりを避けながら右腕でサフィールの首を抱え込むと、回転しながら持ち上げて屋上にたたきつけた。先ほどの踏み込みよりも強烈な震動。

 「がはァ……!!」

 痛む左肩と背中から落下し、硬い屋上に激突したサフィールの体がわずかにバウンドする。サフィールは意識を失いかけた。激烈な痛みで起き上がれないサフィールをエメルディは放置して走り出す。ヘリオールは既に幅の広い道路を挟んで向かいの大きなビルに跳び移り、垂直の壁を両手両足で獣のように駆け上がっている所だった。既にかなりの高度に達している。どうにか痛みをこらえてサフィールは起き上がると、ヘリオールとエメルディを追う。エメルディは屋上のフェンスに飛び乗り、踏み台にするとすさまじい脚力で大きく跳躍した。あっという間にヘリオールの上空に到達。そして何も持たない右手に銀色の矢を突然出現させると、弓につがえて引き絞る。ヘリオールの顔が恐怖にゆがんだ。殺されるか、そうでないにしても矢が当たれば逃げるのは困難になり、この高さから落下すれば超人と言えどただでは済まない。

 放たれた矢は腹這いの姿勢になっているヘリオールの胸のジュエルを直撃し、ジャケットから切り離した。落下していくジュエルを追い、エメルディ自身も垂直の壁を駆けおりる。

 「うっそだろ…!! あ…」

 ほぼ同時にヘリオールの変身が解け、制服を着た女子高校生の姿になった。当然壁を駆け上がるほどの腕力も身体能力もあるわけがなく、そのまま垂直に落下していく。その光景はサフィールの目にも見えた。エメルディは彼女を助ける気があるのか無いのか、ジュエルを手に入れる方が優先らしく、すぐに助けようとはしなかった。サフィールは落下していく少女を救うべく、屋上のへりから砲弾のような勢いで水平に跳んだ。

 「―――間に合えぇぇぇぇぇっ!!」

 言葉にならない絶叫を上げて落ちていく少女と、飛び出したサフィールの体が交差し、直後にビルの外壁に激突。爆音とともに壁を貫通し、様々な破片をまき散らしながら二人はビルの中に飛び込んだ。サフィールの両腕に抱えられた少女は恐怖に震えているものの、激突での負傷は特に無かった。ビルの廊下は冷たく静まり返り、非常口を案内する誘導灯の緑色の光に薄暗く照らされている。人の気配は無かった。どうやら閉鎖されて久しい古いホテルらしく、錆びた鍵穴のある各部屋のドアには封鎖のためであろうビニールテープが無造作に張られ、粘着力を失って剥がれかかっている。

 「いっ……たぁ…………たたた…」

 「お、おい…」

 激痛をこらえてサフィールが起き上がると、今しがたジュエルを奪われた少女が声をかけてきた。サフィールは少女の無事に安堵し、肩を押さえながら起き上がる。

 「怪我、無い?」

 「あ、ああ…無いけどよ」

 「良かった。…ごめん、ジュエルは持っていかれちゃった」

 エメルディが追ってくる気配は無かった。どうやら少しの間、休憩ができそうだ。壁を破壊した穴からは夕焼けの空が見えるが、太陽と反対方向のため光はほとんど差し込んでこない。相手の顔がうっすらと見え―――その複雑な表情に、サフィールは首を傾げた。それを相手も悟ったか、面倒くさそうに、あるいは拗ねたような口調で答える。

 「別に…いらねえよ。あんなもの」

 「いらない?」

 「何か黒いモヤモヤのせいで時々急にケンカしたくなるし、かと思えば今みたいにお前らに追っかけられるし。それにあの宝石、願いがどうとか言ってたけど…別にそんなもん無いしさ」

 願い事無しでの契約。自分以外では初めて聞くことだった。

 そしてサフィールは彼女の行動を思い返し、発見してから先ほどブーメランを投げられる以外に一度も彼女からの攻撃が無かったことを思い出す。それとてサフィールの気を逸らすためだろう、とは思う。サフィール相手だけでなく、エメルディにも攻撃を仕掛けるどころか、ただひたすら逃げていた。過去の例からすると、少なくともどちらかには挑んでくる可能性の方が大きいのだが。願いが無い、モチベーションに欠けることで彼女には身体能力強化以上の効果が無いのだろうか。相談によっては戦闘無しで浄化させてくれる可能性はあっただろう。

 だがそれでいいのか、とサフィールは思いとどまった。彼女の話し方は、まるでほしい物が手に入れられないのを諦め、それを強がっている子供のようだった―――()()()()()()()()()()()。どこかでジュエルを欲しがっているのではないか。仮に手放すとしても、せめて浄化したジュエルが本当に不要か、現物を見てから判断した方がいいのではないか。そう思ったサフィールは、プルを一度胸の宝石から出し、変身を解除してアキラの姿に戻った。薄明りの中、ヘリオールの少女はサフィールの正体が自分と同じく学生服をまとった少女であることに驚愕した。

 「なに今の!? え、お前ジョシコーセーなの? マジ!?」

 「うん。他にも何人か、同じような子達がいるよ。―――ねえ、やっぱりジュエルは取り返す方がいいよ」

 「…いらねえって言って」

 「一回あたしの話もきちんと聞いて。…あたし、葵 晃(あおい あきら)っていうの」

 アキラは自己紹介したが、相手の少女はそれに答えなかった。

 名前を聞くのは一旦諦め、アキラは薄明りの中で自分のジュエルを見せた。誘導灯の光があたったそれを、少女は興味深げに観察する。

 「あれ、…モヤモヤがない…綺麗だ」

 「多分あなたのジュエルも、緑の人のも本当はこんな感じだと思う。ジュエルを手放すならそれでもいいけど、あたしの話も聞いてほしい…全部のことを知ってるわけじゃないけど。時間があれば明日にでも話すから。手放すかどうか、決めるのはそれからでも遅くない」

 アキラは相手の手を握り、真剣な目でじっと見た。薄暗い中でもその視線の強さを感じたか、ヘリオールの少女は目を逸らし、承諾も断りもせずに黙り込む。迷っているのだとアキラには判った。持っていれば危険な目に遭うかもしれない、しかし自身を危険な目に巻き込もうとする宝石の真実はできるだけ知りたい、という葛藤。知らないまま平和に暮らした方が、本当はそれでいいのかもしれない。アキラ自身、自分が首を突っ込んでしまった事態に対して今後の不安が山のようにある。中途半端な知識で説明して巻き込むより、むしろ断られることを期待していた。

 ヘリオールの少女は、逸らしていた目をアキラに向けた。

 「…明日の放課後聞かせろ」

 「判った! じゃ、どこで待ち合わせようか」

 「それより先にここ出ようぜ。子供二人でこんなところにいたら変に思われるし」

 それもそうだと納得し、二人は階下に降りて出口を探した。幸運にも鍵がかかっていない非常口を発見した。恐らく今後、解体工事の業者らが出入りするために解放されているのだろう。路地裏から表通りに出た。出たところで、ヘリオールの少女は血にまみれたアキラの左手と額に気付いた。左手の方は何かに貫かれて一度ふさがったはずの肩の傷が、エメルディとの戦闘と先ほどの外壁への激突で開いたものだろう。額の方は頭からの激突でできた傷だ。頑丈ではあるものの、先日のスピルナスの鎖を受けた手といい、表皮は意外とそうでもないらしい。

 「おまっ…血まみれじゃねえか」

 「ああ、だいじょぶだいじょぶ。明日には良くなるから」

 「良くなるからじゃない! 肩なんか緑の奴の矢が刺さって貫通までしたんだからな。ちゃんと病院に行けよ」

 少女はアキラの血を吹き、額の傷に絆創膏を、左肩の傷には制服を脱がせて止血のための清潔なハンカチを巻いた。意外な手際の良さにアキラは目を丸くするが、すぐに彼女の優しさを理解し、微笑む。

 「ありがとう。ハンカチは洗って帰すね。…優しいんだね、あなた」

 「ばっ、おま、ちょ、そういうこと、そ、それは、別に、いいんだよ!」

 照れる彼女の姿が大変ほほえましいのだが、ここで話を続けると帰りが遅くなってまた家族を心配させてしまうため、アキラは少女と明日の待ち合わせ時間と場所を決めて別れた。痛む額と左肩をこらえつつ、近くのコインロッカーからヘリオール発見時に急いで詰め込んだバッグを取り出し、駐輪場に停めた自転車に乗…ろうとしたが、肩が痛むために腕が動かせず左手はハンドルを掴めないため、やむなく右手で押して帰宅した。

 帰宅し、絆創膏を貼った額とぶら下げてロクに動かせない左腕を心配する両親をどうにかごまかし、自室に戻るとベッドに横たわった。と、すぐに枕元にプルが降り立ち、アキラの左肩に手を当てながら尋ねる。

 「アキラ、何であの子の名前聞かなかったプル?」

 プルの手とアキラの左肩がが淡い色で青く光り始めると、痛みが徐々に引いて行った。少しずつ傷が治癒していっているようだ。

 プルが問うているのはヘリオールの少女の事だった。

 「無理に聞くのもどうかって思ってさ。もし名前があたしに知れたら、ジュエルを持っていることまであたしが他のブライドに伝える…って考えたのかも」

 「アンベリアとスピルナスの子はすぐに教えてくれたプル」

 「んー…でも黄川田さんの方は殆どパニックになってた時だったからなあ。今後どうしたいのか、ちゃんと聞いておかなくちゃ」

 心情だけで言えば、確かに友達が増えたことだけはうれしい。だが、『デュエルブライド』のアキラと友達になり、しかもジュエルとブライドのことを知った上でとなると、ブライド同士の闘いが飛び火する可能性は大きい。甚大な被害に遭う前に遠ざけた方が良いのかもしれない。

 ちなみにスピルナスの少女の名前と連絡先は、彼女と別れた後日に向こうから伝えられた。曰く『何だったら脚色込みで全部記録に残してやるわ』とのことで、どうやらジュエルとブライドのことには最後まで関わる気らしい。肝の据わった子だとアキラもプルも関心した一方、アキラはそれにどこか後ろめたさを感じていた。

 ふむー、とプルは考え込むように息を吐く。

 「アキラ。多分これから何人も、ブライドと闘わなくちゃいけないプル」

 「それは判ってるけど。どうかした?」

 「この先、一人で続ける気プル?」

 アキラはその質問の意味に気付いた。仲間が必要ではないか、ということだ。今後のことを考えれば、一人で続けるよりはずっと効率的だ。だが巻き込まれた者たちを、周りで支えてもらうならともかく、直接の戦闘の場にまで引きずり込むことなど、アキラには到底できない。だが、治療中の傷の痛みがその考えを揺るがせる。答えられず、それこそ廃ホテルでのヘリオールの少女と同じように目を逸らしながら、本心とも虚勢とも言い難い答えが口をついて出た。

 「まだ、いらない…一人で何とかできるって思ううちは」

 「そうプル…」

 3割ほど肩の傷の治癒を終え、プルは手を離した。プルは擦り傷程度なら治癒できるが、どうも変身時に移動した異世界ほど能力を発揮できないらしく、いまいる世界では一日にせいぜい3割程度しかできない。プルは手を放し、枕の横に寝そべった。

 「でも毎回こんなケガしてたら、いつか死んじゃうプル」

 「そっかー…まだ死にたくはないなあ」

 アキラの脳裏に緋李(あかり)の姿がよぎる。最低でも彼女に出会って好きと伝えない限り、まだ死ぬことはできない…他人事のような言い方だがその表情が真剣なことは、プルにもわかっている。だが現実として、絶対に避けられない問題がある。アキラは自分の左肩を改めて見た。

 「…こんなケガしてもかまわないっていうくらい、肝の据わった人でないとできないよ」

 今目の前で見せつけられたばかりのような、普通なら入院するような怪我をしてもかまわない人間など、普通はいない…そしてアキラが負傷と激痛で意識を失ったことは、プルもよく知っている。それを他の人間にやれというのか、という言外のアキラの拒否だ。

 「とりあえず明日、あの子にはジュエルのことを話す。…と、病院行く。さすがにこの腕じゃごはん食べるのもつらい」

 「それがいいプル」

 階下から母が呼ぶ声が聞こえた。夕食ができたようだ。左肩がまだ滅茶苦茶痛むのでどうにかプルに手伝ってもらいつつアキラは着替え、部屋を出て一階に降りた。母、仕事を終えた父、中学生の弟のカオルが揃っている。アキラも席に着き、いただきます、と手を合わせてから食べ始めた。若干行儀が悪いが、肩が痛くてあまり動かせない左手はテーブルに置いたまま茶碗を持っている。

 もぐもぐと口を動かしながら、カオルがアキラに問いかけた。

 「姉ちゃんさ、最近何かやってんの?」

 「何かって?」

 「部屋から声聞こえるんだけど。誰かと電話とか、何かオンラインでゲームでもやってんのかなって」

 ブライド以外の物には精霊の姿が見えないだけでなく、声も聞こえないらしい。結果として独り言のようになったのだ。姿が見えないのなら思い当たって当然なのだが、すっかり失念していた。

 「あ、あー……ちょっとね、電話をね。うん」

 「…もしかして付き合ってる人?」

 「違うよ!」

 勘違いされたのはありがたいのだが、話を逸らすのが面倒な勘違いの仕方だ。さすが中学生、食いつき方があまりにも中学生だ。と思ったが、その表情はどこか浮かれた中学生のそれではない、何かしっくり来ていないかのような違和感があった。アキラは目ざとく気づいたが、父も母も全く気付かないらしく、便乗するように食いついてきた。

 「何だアキラ、父さんと母さんに内緒でお付き合いか? お付き合い始めたのか?」

 「いや、違うって!」

 「照れなくていいわよ。あーそうか、アキラも好きな人ができたか…お母さんウッキウキだわぁ」

 好きな人ができたこと自体は間違いではないのだが、いかに説明すべきか…浮かれだした両親と、対してどこか理解できていないような表情の弟を前に悩む。その時、父の問いがアキラの思考をストップさせた。

 「で、どこの誰くんだ?」

 「誰って―――え」

 「アキラの学校って共学よね。じゃあクラスの誰か? それとも別の学校の子? イケメンなの?」

 「え?」

 (あれ?)

 違和感の正体にはすぐに気づいた。アキラの意中の相手は堂本 緋李という少女…それも美しい少女だ。一方父も母も、男子相手という前提で話している。周辺の人々にしろマンガやドラマのようなお話の中にしろそれは当然で、加えて二人は高校生の頃に会ってから大恋愛の末に大学卒業後すぐ結婚、その数年後にアキラが生まれたという。同級生が同じように夫婦になった話も散々聞かされた。アキラにも同じことを期待しているのだろう。だが。

 (…あたしは、当たり前じゃないことをしてるの?)

 急速に頭の中が冷えていった。緋李への気持ちは何の違和感もなく胸の内に生まれたのに、両親はまるでその可能性を無視しているような、あるいは頭から数に入れていないような言い方をしている。思い返せば、以前から両親はこの手の話になるとそんな言い方をしてきた。この感覚は、疎外感とも少し違う。まるで最初からすべてを否定されているような…

 ひまりに話した時と似たような、しかし全く別の不安が生まれる。

 この二人に自分の恋の相手の話をして、果たして通じるだろうか(・・・・・・・)? まともに聞いてくれるのだろうか。

 「―――アキラ?」

 「え、何」

 「さっきから訊いてるじゃない。何かボーッとしてない?」

 「あ……うん。ちょっと」

 自分のことを愛情をもって育ててくれたはずの両親に、羞恥心ではなく、むしろ不信感からアキラは答えを渋った。その間、自分を見るカオルがわずかに理解を示したように、あるいは得心したように「ふうん」とつぶやいたことに、アキラは気づかなかった。

 直後、父がカオルの方に話を振った。

 「そういうカオルはどうなんだ。もう中学生だろ、好きな女の子とかいるんじゃないのか?」

 「いないよ」

 即答した。それもごまかすような早口でも無く、嫌がるようなそぶりも見せず、感情が一切こもらない事務的な答え方だった。鼻白んだような表情で、それでも父は話を続ける。

 「何だ、クラスに好みのタイプの子とか…」

 「だから、いないよ。別にそういうの興味ないし」

 「…まだ、早いかな?」


 父がそう言ってその話は終わったが、どうもカオルにとっては好みのタイプとか時期とかいう話ではなさそうだ。結局別の話題で家族は話を再開し、夕食が終わるまで元の話題に戻ることは無かった。

 弟も弟で何か考えるところがあるのではないか。アキラにとって、年齢と同じくらい一緒の時間を過ごした家族の新しい面を見られた瞬間だった。


―――〔続く〕―――


開幕超人パルクール。ちょっと中途半端かも。

弟君の好きな人云々についてはヒマがあれば書きます。

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