第二話「Chain breaker」③
変身ヒロイン百合アクション、第二話の続きです。
病院で診断されたところ、本人が気に病むほどの重傷ではなく、軽く捻っただけといわれた。手当てを受けて自転車はサイクルショップに預けて家に帰り、アキラは自室のベッドに横たわった。怪我はともかく、自転車の修理代の方は相当高くつくであろう。母にも一部を濁しながら状況を説明し、全額出すと言われた料金はあくまで立て替えてだけ頼んで、自分の不注意が招いた事態として来月以降の小遣いから少しずつ出すことにしてもらった。明らかに人為的な破壊の痕跡から警察にも連絡はしたものの、現地に何か証拠が残っているとは考えにくい。ブライドの身体能力があれば、一般人はまず使わないような武器で自転車を破壊し、ビルからビルへと跳んで地上に足跡を残さず逃げおおせることも可能なのだ。
テーピングで固定した右の手足を放り出し、天井を見上げながら考える。
―――相手の死を厭わないブライドが…つまり、そんな人間が現実にいる。そして自分は狙われた。自動車が来るタイミングに合わせてのことだとしたら、警告などという生易しいものではない。一人の人間にそこまでさせるのは何なのか。
「ねえプル。『デュエルブライド』って、みんな何かお願い事があるのかな」
「うん、多分…どうしたプル?」
「さっき絵本の話したじゃない、お姫様が願い事をかなえてもらいに神様のお嫁になりに行く、っていう。そのお姫様の願い事は『世界中を平和にすること』なんだけどさ。そういうお願いでも、お姫様は他の人から宝石を奪い取ってしまうんだよ」
「……どういうことプル?」
アキラはゆっくり、枕元に座るプルの方に顔を向ける。
「願い事っていうのは…そんな風に分別をなくして、人を悪魔にするような宝石まで手に取らせて、人殺しまでさせるほどの物なのかな。それともそこまでさせる何か、何かに追い詰められてたりするのかな…」
「…難しいプルね」
「うん。もし今度の相手がそういう願いを持っていたとして…そこまでするのって多分、すごく必死な…願いをかなえるのに手段を選ぶ余裕も無い人だと思うけど…」
そこまで言うと口をつぐみ、アキラはプルから視線を逸らした。口にするのがためらわれる言葉を、どうにかして尋ねようとしているのだろう。プルは次の言葉を待ち、アキラをじっと見つめた。
アキラは再び口を開く。
「神様がそれを叶えてくれるか判らない、なんて言って…そういう人は納得してくれるんだろうか」
「うーん……ボクには判らないプル。アキラがジュエルを浄化しても、結局本人の意識そのものが変わるわけじゃないから」
「だよね。黄川田さんは何も言わなかったけど、本当はどうだったのかな…あたしのせいで願いが叶わなくなったりしたのかな」
プリマ・サフィールの浄化の光、「ピュリファイア・フラッシュ」は、あくまでもブライドを悪鬼と化す濁りを消し去るだけだ。相手の将来まで好転させるような都合のいい技ではない。願い事を叶えるには、あくまでも本人の意思でなければならないのだ。プルはアキラが初めて変身した後、神と願い事に対しての考えは聞いている。アキラとしては神の欺瞞や悪意から目の前の相手を解放したいという思いはあるのだが。
「あたしは正しいことだと思ってやってる。でもこれって、願い事に縋りつくしかない人の、心のよりどころまで壊してしまうんじゃないかな」
「不安プル?」
「………」
アキラは無言でうなずいた。動かしづらい右の手を軽く握ったり開いたりしてみる。今回は手足をひねる程度で済んだが、アキラの自転車を破壊した相手は確かな殺意を持っていた可能性もあるのだ。もし、人殺しも構わないような…邪悪と化しても構わないというほどの強い願いを持つ人物だったら。それに縋るしかないほど追い詰められた人物だったら。宝石を浄化するということは、そんな人間たちが溺れながら縋りついた藁を奪い取り引きちぎってしまう行為ではないのか。藁に縋りついたが故に助かったかもしれない人間を、また水の中に蹴落とすような行為ではないか。だとして、自分などに償いきれるのか。大した願いも無い自分に許されることなのか。
無我夢中だった最初の浄化の時と違って、アキラの心には暗い不安が生まれつつあるようだ。
その顔を見るのが辛くなり、プルは慰めるようにアキラの額にもふもふと頬ずりした。
「プル?」
「アキラは不思議な子だプル。こういう時、普通の子なら自分の安全が一番、ってブライドをやめちゃうと思うプル」
「…そうなの?」
アキラは痛みのない左手でプルの背中を撫でた。プルがうなずく。
「アキラ。やっぱり、ボクはアキラが正しいことをしてると思うプルよ」
「プル…」
「アンベリアの子は元の良い子にきちんと戻ったプル。黒いモヤモヤを消さなかったら、関係ない人にまでケガさせてたかもしれないプル…」
「うん…ありがと」
だが、アキラの表情に明るさは戻らない。慰めが無駄に終わったことを悟り、プルもまた落ち込んだ表情でアキラにすがりついた。
その日の夜、アキラは不思議な夢を見た。
ベッドに横たわる自分の頭を、枕元に座る美しい女性が優しくなでている夢だった。波打つ黄金の髪、ゆったりした真っ白なローブ。その表情は慈愛に満ちている。見たことも無い人物だった。彼女はもう片方の手で、己の膝にうずくまるプルの背も撫でていた。見知らぬ人物の膝にいながら、プルはまるで母に抱かれた仔犬のように穏やかな顔で眠そうにしている。アキラ自身も同じだった。何もせず、その暖かく心地よい手に身を任せ続ける。
女性は何も言わず、ただ優しく撫でてくれているだけだ。だが、アキラは心の中の不安が少しずつ薄らいでいくような気がした。先日プルが女神様がどうこうと言っていたような記憶があるが、多分この人こそが女神様なのだろう、とアキラはぼんやりと思った。
その時女性の両目から一筋の涙がこぼれた。そして、ごめんなさい、あなたに苦労をかけて…という彼女の声が伝わる。唇は動いていないが、声としてたしかに聞こえた。
何を謝っているの…と尋ねようとしたが、そのうちに意識が本当の眠りへと落ちていく。気付いたらフッとすべての景色が消えた。
明くる日目を覚ますと、右手と右足の痛みがすっかり消えていた。軽くて脚を動かし、あるいは体重をかけたりしてみたが、痛みも曲げづらさも全く無い。どうやら一晩で治ってしまったらしい。医師の治療が効いたとしてもずいぶん早いものだ。この日は日曜日、一日安静にしていれば大方治ると医師に言われたのでそのつもりでいたのだが。
「……いたくない」
「むにゃ…どしたプル?」
アキラが起きる気配を感じてか、プルも目を覚ました。
「おはよ。見てよ、一晩で治っちゃった。すごいね」
「え、もうなおったプル?」
「あれ…プルがやってくれたんじゃないの?」
「ちがうプル。できなくはないけど、ボクがやったらもっと時間がかかるプル…うーん、何だろう」
アキラが手首と足首を軽く振って見せると、プルは包帯を巻かれた手首に顔を寄せて匂いをかいだ。一旦顔を離して首を傾げ、もう一度くんくんと匂いをかぐ。2度目でもまた首を傾げた。やや犬っぽい仕草だ。
「お薬のにおいがすごいプル」
「まあ病院でもらったテープだからね」
「でも、なんだかあったかい匂いも混ざってるプル」
「あったかい?」
プルの表情はどこか懐かしげでもあった。その表情にアキラは昨夜の夢を思い出す。女神様のような美しい人の膝で安らぐプルの姿。プルも同じ夢を見たのだろうか。自分とパートナーの精霊で、心で思うことが何となく通じる時がある。
とりあえず両親にも見せてみると、もう一度昨日の病院で見てもらった方が良いと言われた。やはりあまりにも完治が早すぎると怪しいものだ。病院からも様子がおかしかったらもう一度来るようには言われている。おかしいと言えなくも無いので、アキラは朝食後に病院に行くことにした。
バスに乗り、昨日のこともあるので周辺の客はなるべく注意深く観察する。今のところ服の内ポケットに入れたジュエルは特に熱を帯びていない。まだ警戒する必要はなさそうだ。
(…プル、バスの中ににブライドっぽい気配とか無い?)
《今のところは無いプル…》
(っていうことは、昨日のブライドは街の方にいるのかな)
《そうかもしれない。そうでなくても人がいっぱいいる中で騒ぎを起こすのは良くないプル。こっちにも、あっちのブライドにも》
何故、と一瞬思ったがすぐに納得した。変身すれば『デュエルブライド』という超人ではあるが、恐らく普段はこのバスの中のように、ごく普通の生活を送っているのだ。それを破るということはおのれの立場を危うくする、すなわちブライドとしての活動に支障が出る可能性がある。数日前のアンベリアとルビアにしても、人出の多い通りでの戦闘はしていなかった。
(わかった。降りてから気を付けないとね)
病院近くのバス停で降り、なるべく警戒していないふりをしながら街中を歩く。軽く足を引きずるような動きも忘れない。恐らく手足を挫いて動きが鈍ったところを狙う算段なのだろうが、それが既に治っていることを知られればどんな行動に出られるか判らない。アキラは用心しながら病院の入り口をくぐった。幸い、待合室ではほとんどの患者が椅子に座っているので状況が良く見える。特に不穏な気配は無い。
ふと、端の座席に座る一人の人物と目が合った。アキラと同じくらいの年齢に見える少女だ。彼女の姿はどことなく記憶にあるが、どこで会ったのか…そもそも面と向かって会ったのか、思い出せない。ただ、ジュエルの発熱こそ無いものの、どこか不穏な気配がよぎる。診察券を出し、彼女から距離を取りつつ視界に納められる席に座って名前を呼ばれるまで待った。
そして診断の結果はと言えば、今朝から思っていた通り手も足も完治していた。短距離走でも長距離走でも自転車を漕いでも大丈夫、と目を丸くして言われて拍子抜けしたほどだ。診断から料金の支払いまで20分もかからずに病院を出た。だいぶ時間が余ってしまった。
「うーん…」
「どしたプル?」
「さっき待合室で見た子、何か見覚えがあるんだよねえ」
胸にプルを抱き、アキラはその脚で適当に歩きながら、先ほど目が合った少女のことを思い出そうとしていた。少なくとも正面から顔を見た覚えが無く、むしろ横顔の方にこそ憶えがある。言われてみればとプルも思い出そうとするが、やはり難航しているようだ。歩きながらふと気になり、視線だけで周囲を見回してカーブミラーか何か、鏡になる物を探す―――無人の古いビルの前を通ると、自分と背後についてきている先刻の少女の姿がガラスに映っていた。
その瞬間、やっと彼女が何者かを思い出した。ひまりと話した喫茶店で、読書していた一人客の女子高生だ。割と近くの席にいて、座る前に彼女の前を通りかかったのだ。あの喫茶店での会話でブライドであることを彼女は知り、そして今は襲うタイミングを計るべく尾行しているのだろう。そう気づいた瞬間、ジュエルがまた熱を発し始めた。警告。背中に鋭い視線を感じた。どこかに彼女を誘い出し、ジュエルを浄化すべきか。だがその時、アキラの胸に昨日の不安がよぎった。
むやみに浄化して、本当に良い物だろうか?
「…やっぱりまだ気になってるプル?」
なるべく忘れるようにしていたのだが、プルには判るようだ。
「うん……」
「アキラ」
悩むアキラの手を、プルがそっと握った。まるでこう言っているようだ―――迷っても悩んでもいいから、君が正しいと思ったことをすべきだ。何より彼女のために。そのままプルはじっとアキラを見る。アキラはプルの眼差しを見て、そして背後の殺気を改めて感じ、そして決意した。プルとうなずき合う。
(よし……!)
アキラは走り出した。予想通り背後の足音も走り出し、アキラを追ってくる。が、アキラの方が足が速く、すぐに足音は小さくなっていく。走りながら周囲を見回し、アキラは誘い込めそうな場所を探す。なるべく人のいない場所が良い。何メートルか先のビルの前に地下道の入り口があった。その前に立っている看板に「工事中」と書かれているが、機械音や人の声は一切聞こえない。恐らく人はいないはずだ。アキラは迷わずその地下道に入った。通行止め用のバリケードを跳び越え、長くカーブするスロープを降りていく。照明の蛍光灯が明滅し、壁のタイルは薄汚れ剥がれ落ちている…かなり古い地下道だ。工事中の看板が立っていたということは、改装か取り壊しの予定でもあるのだろうか。スロープを下り切ると、車道の真下であろう長く広い通路が続いていた。遅れて下りてくる足音を聞き、アキラは通路を走り出す。カーブや角をいくつか曲がる。予想外に長い地下道で、途中で見かけた看板によると地下鉄を通す計画に合わせて作られたものだったらしいが、どうも肝心の鉄道の工事が延期に延期を重ねたらしく、地下道だけが先にできたようだ。そして延期し続けた地下鉄工事の計画が最近着手できるめどが立ったらしい。
どれだけ走ったか、いつの間にか背後の足音は消えていた。
「あきらめたかな…?」
「でもジュエルは熱いままプル」
「うん…」
足音こそ聞こえなくなったが、アキラもプルもまだ警戒は解かない。蛍光灯はいくつかが故障してしまっているのか、部分的に虫食いのような暗さが目立つ。ふとアキラは振り返り、今まで走ってきた地下道を観察した。壁は埃がたつほどに汚れ、天井は残っている蛍光灯の光も届かない程に高く暗い。が、天井から何か音が聞こえる。そして音と少しずれたタイミングで、背後の蛍光灯に照らされて何かもやのようなものが見える。目を凝らすとそれが天井から降ってくる…そして音とともに徐々に近づいてくるのが見えた。
―――〔続く〕―――
時々やたら暗い地下道ってありますよね。夜中に通るのは不安ですが、どこかワクワクさせてくれます。




