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第十一話「Beyond the sea」④

変身ヒロイン百合アクション第十一話、続きです。



 敷地の門は閉鎖され、工事業者以外は立ち入れないようになっていた。しかし今は休工中らしく、工事を行っている気配も無い。リオはその門の前で立ち止まり、振り向いて桃を見た。

 「ワタシね、小さい頃はここに住んでたノ」

 「え、この団地に?」

 知らないうちに近くにいたことに桃は驚かされた。リオは門を封鎖した柵に手をかけ、誰も住まない古いマンションを見ている。

 「ウン。ダディとママといっしょにこの国に来て、ガラス工芸のお店をやってた。花瓶の作り方を教わってすぐ後ヨ。でも二人とも事故で死んじゃって」

 「ご両親が…」

 桃はリオと並び、半分ほどが解体された別の棟を見上げた。コンクリートの断面から鉄筋を飛び出させて半壊したアパートが、巨大でグロテスクな死骸にも見える。この場所は、人々が生きた日の抜け殻…すなわち骸でもあった。

 「住むところが無くなって、ここが閉鎖してから不法に住んでたのヨ、2年くらい前まで。でも市役所の人に追い出されて、しばらくはストリートパフォーマンスとかで稼いでた。だから学校にも行ったことが無いノ」

 桃はリオの横顔を覗き見た。その横顔には寂しさと懐かしさがあり、しかしそれだけだった。望郷の念や恋しさなどは無い。彼女は既に過去の住居に別れを告げている…それはただ住んでいないというだけではなく、心の中で整理できているということだ。

 「そうだったんだ…」

 「その時に劇団に拾ってもらって、それからは全国を周ってる。今いる劇団はネ、私を生かしてくれたノ。それに、夢もくれたのヨ」

 「夢?」

 リオはうなずき、門に寄りかかったまま桃と向き合った。

 「自分の劇団を立ち上げるの。お話も自分たちで作る、ワタシの劇団!」

 「リオさんの劇団…」

 桃は、強い光をたたえたリオの目を真正面から見つめた。決して不自由なく生きてきたわけではない、と彼女は言う。ここで暮らしていた頃の暗い記憶はまだ残っているのかもしれない。それを今なお手放せず、だが決してそれに引きずられず、彼女は確かな夢を持って生きている―――儚さに裏打ちされた強さがその目には宿っている。リオの美しさがどこから来ているのか、桃には今初めて理解できた。

 胸が詰まる。息苦しさすら感じる。淡いブルーの瞳に魅入られ、桃はリオへの恋がもう押さえることもごまかすこともできないほどに高まっているのを自覚した。落ち着け、と自分に言い聞かせる。まだ出会ってから間もないのだと。その程度の間柄で恋などされても困るだろうと。桃のその様子に気付いたのかどうか、リオは話し続けた。

 「それでネ。いつかは今の劇団をやめて、世界に勉強しに行こうと思ってる」

 「…じゃあ、そうなったら」

 「だから、モモ」

 もう会えないのか―――そう言おうとした桃の手をリオが握った。包み込む掌の強さと温かさ、そして自身の目を射貫くように見つめる目に桃は戸惑う。直後のリオの言葉は、桃を皿に戸惑わせた。

 「いっしょに来て」

 「……アタシ、が?」

 「ウン。桃に、ワタシの、隣にいてほしい」

 どう答えるべきなのか。何も言えず、桃は黙り込んだ。目をしばたたき、視線を泳がせる桃に、リオは続けて言う。

 「ベゴニアの花。ワタシの花瓶と一緒に、買っていってくれたのよネ」

 「…うん」

 店長に聞いたのだろう。そして彼女も気づいて、答えてくれようとしているのだ。

 ベゴニアにはいくつかある花言葉の中に、「片想い」がある。桃はそれをリオが作った美しい花瓶と共に買い、机の上で活けている。まだ伝える勇気を持てなかったが故の、精一杯の愛情表現だった。リオは握った桃の手にくちづけ、ささやいた。

 「そのお返事。……好きよ、モモ」

 高まる想いと恥じらいに頬を染め、祈りを捧げるようにささやくリオの姿に、桃の心は爆発しそうになる。

 「でも…アタシたち会ったばっかり…それに、アタシ女の子だよ」

 「恋に一番必要なのは、時間や何かじゃなくお互いの気持ちヨ」

 いつか自分がアキラとひまりに言ったのと似たような言葉だ。それは友達だろうが恋だろうが変わらない。密かに捧げた花言葉は片想い、少女から少女への片想いだ。既に告白したようなものだった。リオが真正面から桃の瞳を見つめる。―――この気持ちからの逃げ場など、最初から無かったのだ。そしてリオは自らそこに飛び込んできてくれた。ならば、答えないわけにはいかなかった。

 「答えて。一緒に来てくれる?」

 「……――――――行く」

 数秒の沈黙ののちの答えに、リオが満面の笑みを浮かべた。桃は全身の力を込めてリオを抱きしめる。

 「アタシ、リオさんと一緒に行く。ずっと一緒にいる。好き、アタシもリオさんの事が好き! 好きなの! 初めて会った時から、好きなの!!」

 「ウレシイ…モモ、ワタシたち、今この世で一番ハッピーよ!」

 二人は心の底からの幸福感に瞳を濡らし、お互いの体を抱きしめ合った。

 これほどに幸福な時間があるだろうか―――ほんの数日前なら絶対に信じなかったこの瞬間を、桃はリオと共に胸のうちで噛みしめていた。

 「アタシが卒業したら旅に出よう。再来年の春。その間にアタシ、いっぱい勉強して、英語とか憶えるから。バイトもちゃんと続けて、お金も貯めて、ちゃんとリオさんの隣にいられる一人前の大人になるから。それまで待ってて。絶対だよ」

 「ウン。約束ね、モモ!」

 二人の小指が絡まる。結ばれた約束を証明するように、二人は互いの指の温度を感じていた。



 閉鎖された住宅の近くの小さな公園で、二人は並んでベンチに座っていた。特に周辺の道路は封鎖されず、工事業者以外も自由に通行できるはずだが、周囲には二人以外の人影が全く無かった。リオは幾分か日が傾いた空を見上げながら言った。

 「グランマが導いてくれたのね」

 「おばあ様が?」

 「そうヨ。亡くなったグランマがモモと会わせてくれたの、きっと」

 リオの祖母。どのような人だったのかと桃は想像する。

 「そっかあ…」

 「ええ。小さな頃にグランマがくれたお守りがあってネ」

 ふと桃がバッグに触れると、わずかに熱を感じた。中のジュエルが警告を発している。桃の表情がわずかに曇ったことに、リオは気が付かない。

 「ワタシがいつか素敵な人に会えるようにって、それに祈りを込めてくれたのヨ」

 リオはポケットから何かを取り出した―――美しく透き通る、指先程度のサイズの水色の宝石だった。かつて桃自身を、更に何人もの友人たち悪鬼と化し、そして浄化された宝石によく似ていた。

 「…リオさん、それ」

 「亡くなる前にグランマがくれたのよ。神様が(・・・)くれた宝石(・・・・・)だって。…モモ、どしたの?」

 透き通る石の中で黒い炎が揺らめいている。それを見た瞬間、桃は宝石に飛びつき、奪い取ろうとした。

 「な、ナニ!? モモ、なにを」

 「リオさん、それダメ! 持ってちゃダメな奴!」

 「何言ってるのモモ、離して!」

 リオは掴みかかった桃の手を引きはがし、距離を取る。愛する桃の豹変に怯えていたが、対する桃はためらわずにリオを説得にかかった。

 「リオさん、お願いだから聞いて。少しでもアタシの事を好きでいてくれるなら、アタシの話を聞いて。ちゃんと説明するから」

 「え…え…?」

 困惑するリオを前に、桃はバッグから自身のピンク色の『エターナルジュエル』を取り出し、掌に乗せて掲げた。

 「同じ宝石…モモも持っていたの…?」

 「―――ピッキィ!」

 「ほいほい!」

 続けてジュエルから飛び出した光の玉がピンク色のコアラに姿を変え、桃の肩にしがみついたのを見てリオは呆気にとられた。

 「ピンクのコアラ?」

 「コアラじゃないっピ。モモっピの相方のピッキィっていうっピ」

 「そ、そう…」

 ピッキィが喋ったことに驚きつつも自分の宝石と見比べ、石自体は色が違うだけで全く同じ形をしていることに気付くと、リオは歩み寄って二つの宝石を見比べた。

 「おなじ石なのネ…」

 「うん。でもリオさんのは神様に呪われてる」

 「神様…?」

 再び混乱するリオ。桃とピッキィは、『デュエルブライド』であるアキラ達が宝石の呪いを解き、桃自身を含めて悪鬼と化した少女達を救ってきたことをやむなく説明した。当然のようにリオの混乱は深まるばかりだったが、同じ宝石でありながら黒い炎を宿した自分の石と、目の前にいる精霊のピッキィがその答えとなったことで、やっと納得した。だが、その目は暗い。

 「…グランマがくれた宝石が、そんな……」

 「宝石は呪われてるけど、それを解けば本当にお守りになるよ。ちょっと待ってね」

 桃は旧市営住宅のルートを地図アプリで検索、呪われたジュエルがあるというメッセージとともにLINU(ライヌ)でアキラ達にルートを送信。返事はあったが、バスで十五分ほどのこの場所に到着するまで時間がかかるという返事があった。その間、リオに何かがあれば何としても守らなければならない。場合によってはアキラ達と同様の再契約も桃は視野に入れていた。ただ、アキラには止められている。神様に喧嘩を売る精神力が必要な他に、戦力を増やすことへの嫌悪感、そして一番にはアキラ自身が神様に売った喧嘩に巻き込んでしまうことへの申し訳なさからだった。

 (―――でも、場合によっては…)

 桃の決意を、ピッキィも理解していた。目を合わせた二人は最悪の状況を想定し、それを防ぐ意思を以ってうなずき合った。すぐに顔を上げ、未だ悄然としたままのリオの目を覗き込みながら言う。

 「少し時間がかかるけど、友達が来てくれる。そしたら呪いを解いてもらえるから」

 「………」

 だが、リオの返事は無かった。どこか茫洋とした表情で自身の水色のジュエルを見ている。その表情は何かで見たことがあった。記憶を探り思い当たったのは、読者モデルをやっていた頃に撮影スタッフが見ていたオカルト系番組だ。撮影後に聞こえた会話では、打ち上げでモデル達に催眠術をかける宴会芸を練習しようとしていたということだったので、その話を他のモデルにも伝えた結果、打ち上げとやらには誰一人集まらなかったと記憶していた。モデル達にいやらしいことをするつもりなのは明らかだった。それはともかく、今のリオの顔はまさに催眠術をかけられたように虚ろだった。

 「リオさん」

 「―――…かみさま?」

 やっと顔を上げて答えたリオは、未だ茫洋としている顔で桃を見つめ、首をかしげていた。ジュエルから噴き出た黒い炎が、リオの耳元、口元、額にまとわりついている。耳から聞かせ、頭の中に何かを流し込み、そしてリオ自身の口から承諾の言葉を聞くためだ、と直感で判った。神がリオに催眠術をかけているのだ。祖母から貰ったというお守りのジュエルを利用して。リオはうつろな声で独り言を続ける。

 「かみさま、なノ? チカラをかしてくれる、ノ?」

 「…何言ってるの」

 「―――サフィールたちのジュエルを、こわせばいいのネ?」

 リオの言葉が桃の背筋を震わせた、その直後。空から光線が撃ち込まれると、水色のジュエルから黒い炎が噴き出し、リオの体を覆いつくした。話に聞いていたステラ姉妹や紫織の時とほぼ同様、リオの体が水色の『デュエルブライド』の装束に包まれ、瞳と髪がジュエルと同じ水色に染まる。左手首のブレスレットには豪奢な模様の大きな布が結び付けられていた。靴などは履かずに裸足で、代わりに脛に包帯らしき布を巻き付けていた。桃はへたり込み、絶望しながらその光景を見ていることしかできなかった。

 「プリマ・アクアルマ…あの布で何でも防ぐって、聞いたことがあるっピ…!」

 舞踏家を思わせる立ち姿で、リオが変身したプリマ・アクアルマが虚空を見ていた。アクアルマが左腕を掲げると、それに合わせてゆらりと布がなびいた。どういう原理が働いているのか、布は地面に垂れることなくアクアルマの腕と同じ高さでゆらめいている。水中を漂うビニールに似た不規則な動きだ。掲げた左腕を動かせばそれに合わせてゆるゆると追随する。

 一見すると大した武器ではない。それだけに、武器や構え方などから察することができた今までのブライドと違い、アクアルマの戦い方は読めなかった。アキラ達のうち誰かが来るまでに、少しでもその能力を引き出すべきか。だが相手は超人、引き出す間に自身の方が殺されてしまう危険性もある。

 アクアルマは何度かまばたきをすると、初めて桃に気付き、うつろな目で見下ろした。

 (真っ暗な目……)

 暗闇のごとき瞳に桃は恐怖した。宝石と同じ深みのある水色に変わっただけの筈なのに、その目にはリオが持っていた光…桃が恋した輝きが微塵も宿っていない。ただ色があるだけの、暗くよどんだ瞳。

 (こんなのリオさんじゃない。リオさんの目じゃない…!)

 呪われたブライドにあった悪意や敵意すらも無く、ただ見ているだけの目の恐ろしさに脚が震える。だが桃は、自身の膝を強くつかんで震えを止めた。アキラ達の誰かが来るまで、せめて自分だけはその恐怖に負けるわけにはいかない…決意を固め、桃はアクアルマの目を見据えながら立ち上がった。

 「…リオさん……!」

 「モモっピ!? ムチャはやめるっピ!」

 アクアルマの空虚な目を桃は真正面から見つめた。ピッキィが止めようとするが、桃は逃げずに立ちはだかる。恐怖に震える自らの体を桃はかき抱いた。

 「…アキラちゃんとアカリちゃんは、お互いを止めようとして命を懸けたんだ…命を懸けるほどの恋をした。アタシだってこの恋に、命懸けてやる!」

 「モモっピ……!」

 「って言っても、何すればいいかわかんないんだけどね。でも、ちょっとでもここに足止めできればいい」

 立ち上がった桃を、アクアルマは無表情のまま見ている。何の関心も示していないように見えて、その実桃の目の前から動こうとしない。無表情からはうかがい知れない何かが彼女の行動を押しとどめているのは明らかだった。封じ込められるぎりぎりの所でリオ自身の意識が呪いと戦っている。今までの、そして自分自身の経験から桃は状況を理解した。

 (いくら神様の力でも、リオさんの…アタシを好きと言ってくれた、アタシを愛してくれてる心は消せない!)

 そして外に出せぬ声で助けてくれと願っている。聞いた話では、緋李が小波のジュエルを浄化した時も同様だったという。だからこそアクアルマは桃から目を離せずにいるのだ。

 (少しでもここにとどめていられれば、アキラちゃん達の誰かが来てくれる…その時こそ…)

 「―――いた! 桃ちゃん!!」

 背後から自転車のブレーキ音とともに、アキラの声が聞こえた。振り向くと自転車に乗って盛大に息切れしているアキラ、そしてその後ろに立ち乗りした緋李がいた。アキラがもう一度自転車を漕ぎだして桃の隣で停めると、肩にパミリオを乗せた緋李が下りてアクアルマの前に立った。多少なりと見覚えのある人物の顔に驚いたのか、緋李の目がわずかに見開かれる。

 「桜嶋さん、あの人」

 「……うん。リオさんをお願い、助けてあげて。あと、あの布は何でも防ぐってピッキィが」

 「気を付けるっピよ。あたちからもお願いするっピ!」

 二人に請われた緋李は力強くうなずいた。桃がアキラの隣まで下がったのを確認した緋李は、ジュエルを出して手の平に乗せて掲げる。パミリオが光の玉となってジュエルの中に飛び込んだ直後。


 「エンゲージ。―――『プリマ・ルビア』!」


 閃光の直後に緋李の姿が一瞬だけ消えて、同じ場所にルビアが立っていた。傾きかけた日差しの中で真っ赤なセミロングの髪がなびく。自身と似た装束に興味を持ったのか、アクアルマが小首をかしげてルビアの姿を上から下まで眺めた。

 不意にその顔が横をむき、解体を逃れて残っているアパートに向かって駆けだす。一歩一歩の幅が大きく、重力を無視したかの如く軽やかさで、走るというより跳躍の連続と表現した方がしっくりくる動きだ。そのまま入り口に飛び込み、アクアルマは建物の中に姿を消した。ルビアは一度振り向いてアキラ達とうなずき合うと、駆け出して同じアパートの中に入った。

 スポーツドリンクを飲んで一息ついたアキラが桃の横に並ぶ。

 「…アキラちゃん、まさか自転車で来たの?」

 「うん、バスで十五分のところ全力の二人乗りで。疲労で死ぬかおまわりさんにつかまるかの二択っていう地獄…」

 「お疲れ様プル」

 「ホントお疲れ様っピ…」

 肩に乗ったプルがモフモフとアキラを撫でる。

 「ところで桃ちゃん、今の人知り合い?」

 「―――アタシの好きな人。あの人もアタシを好きって言ってくれた」

 そう言った桃の笑顔に、アキラも笑って答えた。

 「そっか。いい恋してるんだね」

 「うん!」



 アクアルマについていったルビアは、武器のロッドを腰のリボンの結び目に差し込み、建物入り口のエレベーターホールで立ち止まった。六階建てで屋上あり、エレベーターを除くと一フロアに五部屋が並んでいる。薄暗いその最奥にアクアルマが立っていた。その左手がゆらりと上がると、空間で揺れていた布も合わせて持ち上がる。桃とピッキィ曰く、何でも防ぐという布。とすれば防御を主体とした戦い方であろうか、とルビアは分析した。

 (まずは小手調べ…!)

 ルビアは走り出した。ビニールテープで乱雑に封鎖された各部屋のドアの前を駆け抜け、アクアルマに向けて拳を突き出す。常人なら察知することすらできず、ブライドでもサフィールがやっと反応できた程の速度だ。よほどの相手でなければ防御はかなわない。これはその『よほどの相手』かどうかを確かめる、いわば小手調べだった。アクアルマは確かに強化した呪いを受けているが、それでもルビアのスピードを視認するのは容易ではないはずだった。だが、そこで予想外のことが起きた。

 突如ルビアの視界の全てが真下へと急降下する。背中に硬い何かが激突して砕け散る感覚。破片が床に落下するのを、ルビアはその真上から見下ろしていた。

 (何っ…!?)

 一階廊下とそこに立つアクアルマの頭頂部、そしてルビア自身の顔に向けて振り抜かれた左の手と合わせてなびく布が目の前にある。ここで初めて気づいた―――布によって真上に吹き飛ばされ、天井に激突したのだ。

 「―――くっ!」

 二階まで吹き飛ばされたルビアは、天井を蹴って廊下に着地した。

 吹き飛ばされた瞬間には、痛みどころか何かに接触した感覚が全く無かった。動作からして布を利用したのは判るが、それ以外ではルビアのスピードに予備動作無しで対処できる異常な反射神経くらいしか読み取れない。だが、考えている暇は無かった。今しがた空いた大穴を抜けてアクアルマが一跳びで二階まで跳躍し、前転宙返りから踵落としを見舞う。ルビアはバック転でそれを避け、さらに後方に跳んで距離を取った。アクアルマは軽快なステップ数歩でそれに追いつき、跳躍して浴びせ蹴りを放った。ルビアはそれを後方に跳んで回避する。

 (あの布が何を起こしているか判れば…)

 ルビアは跳んで天井を蹴り、三角跳びの要領でアクアルマの背後から蹴りを放つ。だがルビアの飛び蹴りに対し、振り向きもせずにアクアルマは左腕を後方に振り上げた。布がルビアの爪先に触れたと同時に、またも垂直に打ち上げられた。天井を砕いて今度は三階まで吹き飛ばされる。だがわずかに、武器の布が何を起こしているのかが見えた気がした。

 堆積した埃が舞い上がる中、三階廊下で体勢を立て直したルビアの前にアクアルマが着地した。と同時に左の掌を突き出す。布が丸い形に広がり、同時に布を包み込むように小さな円形の盾らしき形が一瞬だけ浮かび上がった。舞い上がった粉塵がそれに弾かれ、形が浮かんで見えたのだ。不可視の盾は強烈な衝撃となってルビアの体を吹き飛ばし、三階廊下の最奥に叩きつけた。

 「ぐうっ!!」

 壁に激突し、ルビアは床に倒れこんだ。

 一瞬だけ見えた不可視の盾。だがそれがあの布の本質ではないことは、二度目までに吹き飛ばされたことで感づいている…ルビアは一つの仮説を頭の中で立てた。もしそれが当たっているなら、一見ただの布であるそれは相当恐ろしい武器だ。

 考えている間に、アクアルマが例のステップのような走法で一気に距離を詰めてきた。逡巡している暇は無かった。ルビアは後転で起き上がりながら背後の壁を蹴って破壊し、外に飛び出した。

 「堂本さん!!」

 「アカリちゃん!」

 建物の前にいたアキラと桃の声が聞こえた。ルビアはすぐに上階側の壁にしがみつく。その直後にアクアルマが跳び出して来たが、一瞬ルビアを見失ったらしく、空中に放り出された。ルビアはロッドで壁を破壊し、四階の廊下に飛び込む。それに気づいたアクアルマは、虚空に…眼下の地上に向けて左の掌を突き出し布を広げた。先刻ルビアを吹き飛ばしたときと同様に不可視の盾が出現し、アクアルマの体を四階廊下にまで弾き飛ばした。

 一瞬のことでアキラと桃には理解できなかったが、ルビアとパミリオはここでついに布の本質を把握した。

 《アカリ、ありゃ『反発』だゼ! よくワカンネエけど、布から『反発する力』が出てるゼ!》

 「ええ。まるで磁石だわ」

 磁石の同じ極同士を近づけた時のように、アクアルマの布は物体に対して反発する力を発生させている。それが最初にルビアを真上に弾き飛ばし、不可視の盾を形作った技に応用されている。

 本質は理解した。だが、それだけに力でも技でも布を打ち破るのは不可能に近い。形の無い反発力で防ぐのであれば、あらゆる攻撃がそもそも布に触れることができないのだ。それを突き抜けるほどの腕力はルビアには無く、加えてアクアルマは反射神経がズバ抜けており、ルビアの行動速度に何の工夫もトリックも無くついていけるほどだ。

 (どうする。どうにかして隙を作って、あの布で防げない範囲から攻撃しないと)

 《防御の瞬間になら隙ができるかもナ…どうダ?》

 (そうね。やってみましょう)

 パミリオのアドバイスを受けて作戦は決まった。反発力を利用して飛び込んできたアクアルマの首を、バック転で後退しながら両脚で挟み込み、フランケンシュタイナーで後方へと投げ飛ばす。アクアルマが難なく着地すると、その瞬間に振り向いたルビアはロッドを全力で投げつけた。体勢が整いきらないアクアルマは、左腕を振り上げてロッドを真上に弾き飛ばした。ルビアはその瞬間にアクアルマの眼前に迫り、突然姿勢を低くして滑り込みながらの蹴りで足を払う。アクアルマは後方への跳躍でそれを回避した。

 (―――今ッ!!)

 ルビアは天井に当たって落下したロッドを掴み、下から突き上げる。だがアクアルマは空中で体勢を変えて、刃の先端に右手の指先一つで逆立ちしてみせた。驚愕にルビアの動きが一瞬止まる。アクアルマは指先を支点として体を水平に回転させ、大きく開いた両脚でルビアの顔面に強烈な蹴りを見舞った。

 「ぐっ…!」

 後方に数メートル吹き飛びながらも、ルビアは両足を踏ん張って着地し、すぐに構える。しかし行動に移る暇も無くアクアルマが眼前に現れた。片足で立ちながら上半身をかがめ、右脚を背後から振り上げるスコーピオンキックでルビアの目を狙い、爪先を突き出した。直撃する寸前でルビアは上半身を逸らして蹴りを避けるが、アクアルマはその姿勢のまま地についた左脚一本で跳び上がり、前転宙返りから両脚を大きく伸ばしてドロップキックを放つ。蹴りは意表をつかれたルビアの胸に直撃し、吹き飛ばした。

 「うっ!」

 ルビアは背中から倒れ、一瞬アクアルマを見失った。起き上がった時には既にその姿は無かった…だが、四階一号室の向こう、エレベーターホールから破壊音が聞こえた。ドアを蹴破ってエレベーターシャフトの中に飛び込んだのだと気づき、すぐに追う。シャフトに顔を突っ込んで見上げると、二つ上の六階のドアを破壊してアクアルマが跳び出すのが見えた。ルビアもシャフト内の壁を蹴り、すぐに六階まで到達する。

 だが廊下にアクアルマの姿は無かった。ふと横を見るとホールから屋上に通じるドアが開いている。ドアの向こうの階段にも埃が堆積していたが、そこに足跡が残っていた。ルビアはそれを追い、自らも屋上に出た。地表よりも強い風が吹き、埃を巻き上げる。アクアルマはその只中に立っていた。

 「…リオさん、だったかしら。桜嶋さんが待っている。早く帰りましょう」

 呼びかけてはみるが、アクアルマの目は微塵も揺るがなかった。タンザニオの時よりも強力に人格を封じているのかもしれない。浄化するしか彼女を救う手段は無い。



―――〔続く〕―――

自転車の二人乗りは道路交通法に違反しています。絶対に真似しないでください。

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