第九話「Cry out for a hero」④
変身ヒロイン百合アクション第九話、続きです。
「ぎきぃい゛い゛い゛い゛い゛―――」
タンザニオが奇怪な叫びと共に拳を握りしめたのが、階段上の入り口から差すわずかな光でわかった。直後、緋李の直感が危険を察知した。アキラを抱えて横に跳ぶと、ほぼ同時に奥の壁が爆音とともに砕けた。照明があれば壁の向こうの配線や配管が見えたことだろう。わざわざ倉庫の外から破壊したということは、視界の効かないこの場所で、タンザニオは手あたり次第に施設内を破壊し、二人を引きずり出そうとしているからだと緋李は理解した。そして叫び声以外にこの倉庫前に来るまでの足音しか聞こえなかったことで、タンザニオが何をしたのか、緋李は理解した。
一瞬で数メートル突進し、恐るべき破壊力の拳を壁に叩き込んだのだ。簡単な言葉で現わせば『すごい突進パンチ』だ。
ブライドの脚力は常人を遥かに超え、百メートルを一秒前後で走ることができる。腕力も厚さ十センチはあろうかというコンクリ―トの壁を、拳の一撃で破壊できるほどだ。だがタンザニオのそれは、走行や跳躍といった人体の一般的な動作とはどこか異なる動きだった。拳打と全く同時に、ほとんど物理法則を無視したように突進。加えて拳の速度自体も音速を越え、拳打の威力と発生した衝撃波を合わせ、結果としてビル一階をほぼ丸ごと粉砕する破壊力を生み出している。
緋李は立ち上がり、アキラの手を引いて階段へと戻ろうとした。だがタンザニオの踏み込みからの手刀がそれを阻む。振り下ろされる手刀の気配を察知して横っ飛びで回避すると、コンクリートに刃物のような衝撃波が深くめり込んだのが、轟音と立ち上る埃の臭いでわかった。そして二人はスマートフォンのライトのわずかな光を頼りに、より奥へと進んでいく。その背を、タンザニオの重い足音が少しずつ追っていく。
「危険すぎる。迂闊に立ち止まったら一発で殺されるわ」
「うん…!」
二人は手を取り合って通路を走る。大きく重い物、スチールの棚でもあれば牛歩のような歩みを少しは阻めると思ったが、どうせ拳の一発で破壊されるから意味はないと考えを改めた。徐々に後ろから迫る足音が消えていく。
そう思った直後、緋李は背後に殺気を感じた。
「こっち!」
アキラの手を引き、踏み込みの軌道上から外れるように転がる。直後に通路の壁が、さらにその裏側にあった配管や配線が砕け散った。振り向くと、ジュエルから溢れる黒い炎の輝きで、タンザニオがいることがすぐに分かった。暗く、また壁や床を破壊した時の粉塵で視界もほとんど利かないはずが、的確にアキラと緋李の位置に襲い掛かってきた。気配にしろ音にしろ、視覚以外の何かで二人の場所を把握したのだろうが、だとしても恐ろしい程に正確だ。二人は再び走り出した。いくつかの角を曲がるとタンザニオの足音は遠ざかるが、正面に壁が見えたことで、二人はビル地下通路の最奥にたどり着いたのを悟った。慌ててスマートフォンのライトで壁を照らすと、非常用らしい小さなドアがあった。二人は迷うことなくドアを開け、通り抜けて向こう側へ出た。
「……あれ?」
その光景を見たアキラは首を傾げた。壁や床は装飾性のあるタイルや大理石で作られている、一方で壁には閉ざされたシャッターが並び、電気が通じているのか照明が点灯、あるいは明滅していた。
壁には案内看板が掛けられていた。『地下二階』の文字の下に、アルファベットの『T』が左右に二つ並んだような形の通路全体の図、それに沿って現在位置、駅のある方向、並ぶ店舗の名前が書いてある。現在位置は、二人から見て連結T字の右側の縦の棒の一番下のあたりだ。駅がその横棒の右端に位置している。左側T字の縦棒の一番下には地下一階とつながる階段がある。緋李はその特徴から閃いた。
「ここ、前は地下街だったんだわ。今通ってきたのは工事業者か何かの地下通路なのよ。新しい地下街ができてすぐにこっちの解体工事が始まっていたはずよ。見て、ここのお店」
緋李の指が看板をなぞり、駅の位置を示す四角形のすぐそばを指す。そこに書かれた店の名前はアキラも知っていた。工事の開始と同じくらいの時期に、地下から地上階に移った書店だ。
「このお店は地下から真上に移転しただけよね」
「じゃ、駅の方向自体はこの看板通りなんだ」
「恐らく。非常口か何かがあると思うから、そこから駅前に出てましょう」
緋李は一度LINUの返信を確認した。晴とステラは先ほどの地下通路入り口を発見し、今しがた階段を降り始めたらしい。常人ならともかく、ブライドの足ならすぐにここにたどり着くはずだった―――そしてそれは、タンザニオがすぐに追い付くことも意味している。通路の先の駅の旧地下街にいる、晴達とは別に迎えを頼むとメッセージを送信。二人は看板に書かれた駅の方角へと走り出した。
背後の壁が突如破壊されたのは、その瞬間だった。二人はその音に思わず足を止め、立ち止まった。
(追いつかれた…!)
コンクリート片や折り重なる配管を押しのけ、タンザニオが姿を現した。照明に照らされた顔を改めて見ると、生気と正気が失せたうつろな目は血走り、弛緩した口元からは血液が混ざった唾液が垂れている。
「あ゛―――――――――……」
意味をなさないうめき声。直後、うつろな目が緋李を捉えた。途端に両目が吊り上がり、むき出しの歯を食いしばって、凶暴な怒りと殺意をあらわにした。その時、緋李は数分前の小波からの通話を思い出していた。たった一言―――『殺してやる』。その意味に気付いた。タンザニオが殺すと言った相手は、アキラではない。自分なのだと。
タンザニオが拳を握った。震える指先、爪と皮膚の間から血が噴き出している。負傷しているようには見えない…だが、よく見るとタンザニオの全身の皮膚が裂け、体中が血でうっすらと濡れていた。
「やっぱりそうだプル…」
「どういうこと?」
「…そうか、雪の時と同じだ。呪いに体が耐えられないんだ」
プルとアキラはタンザニオの体が神の呪いに適合していないことに気付いた。つまり、ジュエルを浄化しなければ彼女の全身が崩壊してしまう可能性があるということだった。逃げるだけでは追いつかれて殺害され、逃げ切っても彼女が死ぬ、しかし変身して浄化できるはずのアキラは親友を相手にして変身できないでいる。神はこれを見越して…それとも狙って小波に契約をさせたのか。アキラの心を折るために小波を道具にしたのだとしたら―――その卑劣さに、緋李は頭に血が上るのを感じた。
だが、それも一瞬の事だった。タンザニオが目の前に迫り、今にも拳を突き出さんとしていたのだ。その動きが不思議とゆっくりに見える。強烈な風圧に全身を叩かれ、思わず身を守ろうとして腕を掲げ、目を閉じてしまった。緋李の動きが止まる。頭部を破壊されるか、胴体を貫かれるか。諦観と共に緋李が考えたその時。
「―――堂本さんっ!!」
絶叫と共にアキラが飛びついてきた。直後に一際強烈な一撃が二人を直撃し、吹き飛ばした。二十メートル近く離れていた突き当りのシャッターに背中から激突し、店舗があったのであろうスペースに二人は転がり込む。すさまじい痛みに緋李は気を失った。
《アカリ! しっかりしろ!!》
《起きてアカリ! アキラが大変だプル!》
パミリオとプルの声で緋李は目を覚ました。どうやら気を失っていたのはわずかな時間らしく、顔を上げると瓦礫の向こうにタンザニオの姿がわずかに見えた。周囲を見回し、自分たちが狭いスペースに倒れていることを理解すると、緋李は体を起こそうとした。だが倒れこんだアキラの腕がその体を押さえていた。起こそうとして肩に手を触れると、生暖かく濡れた感触があった。指先に付着したのは血液だった。
不安に駆られて覗き込んだアキラの顔は、血にまみれていた。完全に意識を失っている。
「葵さ…っ」
悲鳴を上げかけて口を閉ざす。タンザニオが聞きつければ、恐らくすぐに襲い掛かってくることだろう。口元を押さえ、アキラの腕をよけて瓦礫の間からわずかに顔を出し、地下道の向こうにいるタンザニオを見た。積み重なった大量のコンクリート片で二人の姿が隠れていることに加え、タンザニオ自身が手足を負傷しているのか、腕を押さえてその場に立ち尽くしており、すぐに動き出す様子は無い。その一方、まだ晴達は来ていなかった。続けて看板に書いてあった駅の方向を見る。今の駅地下街とこの旧地下道の交差点はベニヤ板の壁でふさがれており、常人の腕力ではすぐに突破できそうにない。しかしその横には緋李が推測した通りに非常階段のドアがある。地上につながっているであろう階段へのドアは幸運にも開放されていた。距離は近い。更に非常口と反対の方向を見た。こちらにもベニヤ板の壁がある。案内看板どおりなら、こちらの壁の向こうには連結T字の左側のT、そして地下一階につながる階段がある筈だ。
晴達が来ていない以上、自力でここから脱出し、駅前へと向かわなければならなかった…負傷したアキラをかつぎ、場合によっては地上への階段を上っていかねばならない。駅前につながっていると言っても、この旧地下道が塞がれていることから考えて、階段の上のドアも閉鎖されていることだろう。
(……行くしかない…)
緋李が決意した瞬間、目を覚ましたアキラがその手を握った。緋李は慌てて顔を引っ込め、アキラの傍に座り込んだ。
「…堂本さん」
「喋らないで。郡上さんに見つかる」
「おねがい…小波をたすけて……」
今にも泣きだしそうな顔とかすれた声。それはもう一度ブライドに変身してほしいという願いでもある。すなわち緋李にこれから戦っていく覚悟を背負わせるという意味で、苦渋の決断であることは表情からも伺えた。
「私が…!?」
「ホントは、あたしがやらなくちゃ…でも、ダメ………うごけない…」
額から血を流しながら、アキラは必死になって懇願する。その両目から涙がこぼれた。
「こんなの、堂本さんにしか、おねがいできない…たすけて、小波を…」
命の危機にあってまで、アキラは友の事を思っている。そして緋李はその責任と願いを、誰より信じる人として託されたのだ。かつて緋李自身がアキラを信頼したのと同じだ。
アキラのジュエルからプルが顔を出した。続けて緋李はパミリオを呼び出す。二人にアキラの傷の治癒を頼み、瓦礫を少しずつ、音を立てないようによけ始める。
「どうする気プル…?」
「まず葵さんを、あそこの非常口まで運び出す。緑川さん達が来なければドアに隠しておいて、私が郡上さんを押さえる。郡上さんの動きが止まってる今ならできる。狙いは恐らく私だし」
「そっか、さっきアカリに殴りかかってきたもんナ… アカリ、まさかもっかい契約すんのカ?」
「ええ」
躊躇なくうなずいた緋李に驚き、パミリオとプルは思わず顔を見合わせた。
「本気プル?」
「ええ」
「……わかった。いいんだナ、アカリ」
パミリオは神妙な顔になり、プルを手伝ってアキラの傷の治癒を始めた。見た目の傷は決して大きくないが、頭蓋骨を骨折しているかもしれない。慎重に動かねばならず、にもかかわらず悠長に助けを待ってはいられない状態だ。幸いにもタンザニオにはまだ動きは見られなかった。
だが瓦礫を動かしている最中、天井から小さな破片が一個だけ落下した。緋李は慌ててそれを受け止めようとしたが間に合わず、落下して地下道に硬い音を響かせた。緋李の背筋が粟立つ。同時に喉を引き裂いたような絶叫が上がり、顔を上げたタンザニオと目が合った。
(…嘘)
ゆっくりと、しかし確実に、足を引きずりながらタンザニオが迫る。緋李の額から冷や汗が流れ落ちた。虚ろな目が標的である緋李を捉え、踏み込みの射程距離まで入ったらしい瞬間に左右の拳を握りしめた。力を込められた手、そして両腕の皮膚が裂けて血が噴き出す。
「ぎ゛い゛い゛い゛い゛」
タンザニオの口からうめき声が漏れた。力を込めて地面を踏みしめた足の下で、床面のタイルがひび割れめり込む。
ここでタンザニオが脚を止めたのは、踏み込みからの必殺の一撃の用意が整ったからだと緋李には判った。直撃すれば自分が、避ければ背後のアキラが殺される。戦慄し、緋李は手を止めてしまった。
「え゛ぇ゛ぇ゛ぃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
絶叫。タンザニオが拳を振りかぶる。逃げられない、と緋李は直感した。恐怖よりもアキラを救えない悔しさで、両目から涙が溢れそうになる。せっかく心が通い、お互いがお互いに恋していることを知れたのに、ここで死ぬのか…そう思った瞬間、タンザニオの背後に二つの姿が見えた。エメラルド色の姿は跳躍し、タンザニオの頭上を越えて眼前に降り立つ。純白の姿はその横を側転ですり抜け、着地すると前方に跳躍、宙返りで緋李の目の前に降り立った。
「遅れてごめん、アカリ。助けに来たよ!」
目の前にいるのは変身したステラ…プリマ・クリスタだった。そしてタンザニオを正面から押さえ込んでいるのはエメルディ、つまり晴だ。
「イヨとメイがこっち側の入り口に来てくれてる。早く行こう!」
「待って、葵さんが頭を怪我しているの。静かに動かして」
クリスタは倒れこんで動かないアキラの横にしゃがみこみ、傷を覗き込んで苦い顔をした。プルとパミリオのおかげでわずかながら治癒が進んだとはいえ、傷口が大きくないからと安心してはいられない状態を、クリスタはすぐに見て取った。そしてアキラの頭を動かしすぎないよう、下から腕を差し入れた後に自らの肩にもたれさせ、両手で腰と脚をゆっくり持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこの状態だ。
「アキラはステラが運ぶ。アカリはついてきて」
「……」
「アカリ?」
立ち上がるもそこから動かない緋李を見て、クリスタは首を傾げた。
「ごめんなさい。緑川さんと先に行ってて」
「アカリ、何する気なの?」
「…郡上さんを助ける。もう一度契約するわ」
クリスタは愕然として緋李の顔を見た。続けてアキラの傷を治癒し続けるプルとパミリオを見る。揃ってその表情は真剣で、緋李の決意の固さがクリスタにも分かった。
「葵さんに託されたの。郡上さんを助けてと」
「でも、それなら二人か三人の方が」
「この場所は狭い。人数が多いと却って動けなくなる。それに郡上さんは一瞬で目の前に迫ってくる。対抗できる速さは、恐らく私…ルビアにしか出せない」
「……」
パルルスの浄化の時にも発揮したように、クリスタは相手の動きを細かく記憶する抜群の学習能力を持っている。故にルビアのスピード、それによって鍛えられた動体視力や戦闘技術をよく憶えていた。そして、神の呪いで能力を引き上げられたブライド相手に数の有利は通用しないと、クリスタは自身の身をもってよく知っている。だからこそ、状況によっては適切な能力を持つ一人が対処するという考え方も間違いではない…神の世界で訓練していた時にも聞かされたことだ。今になって役に立つのは皮肉だった。
緋李はアキラの手を取る。
「…何より、葵さんが大事な友達を託してくれたから。私を信じてくれたから」
「アカリ…」
「お願い、私にやらせて。絶対に彼女を救ってみせる。約束する、あなただけじゃなく緑川さんにも、ブライドの皆にも」
いつもアキラがそうするように、緋李は真正面からクリスタを見つめた。緋李の目に現れている決意の固さ…自身を救ってくれたアキラの信頼に応えようとする緋李の意思が、クリスタの心を揺るがせた。
「わかった。ハルにもそう言おう」
「…ありがとう」
「じゃあ行こう。―――ハル、こっちはいいよ!」
崩壊した店舗スペースから出て、クリスタが先に走って緋李はそれに続き、エメルディがタンザニオを一本背負いで投げ飛ばして距離を取ると、二人の後を追った。三人は非常口の前に到着。緋李がドアを押さえてその裏に隠れた。パミリオが緋李のジュエルに戻ると、クリスタとエメルディが階段を上がってアキラを運ぶ。立ち止まった緋李を見て、エメルディが訝し気な顔をした。
「…堂本さん、残るの?」
「ええ。葵さんをお願い」
「ハル、アカリはあのブライドを助けてくれる。アキラにハルにステラ、それにみんなに約束してくれたんだよ」
クリスタの言葉を聞き、エメルディはしばし考え、やむを得ないと言いたげにため息を吐いた。
「…止めても無駄なのね」
「ええ」
「じゃあ一つ…あのブライドの拳を止めた時、妙な手ごたえを感じたわ。呪いに耐えきれずに体が崩壊してるとしても、何というか…」
その表現にエメルディは苦慮していた。そして、少々難解な表現になってしまったのを承知の上で言う。
「…そう、トンカチの柄をプラスチックのパイプにしたような。ブライドにしては妙に脆い感じだった」
「何となく判った…気はする」
「それと、あの呪いは『ピュリファイア・フラッシュ』を二度。何千分の一秒かズラして、かつ連続で撃ち込まないと浄化できない。忘れないで」
「二度、ね」
「ええ…気を付けるのよ。アキラは芽衣のかかりつけの病院に運んでおくわ。あとで迎えをやるから、あっちの子も連れてきて」
あっちの子とは、タンザニオの事だ。緋李はうなずき、上っていくエメルディらを見送った。
通路を引き返し、何メートルか先でうずくまっているタンザニオと対峙して、自らの赤いジュエルを強く握りしめる。
「パム、力を貸して」
「わかった。じゃあアカリ、もう一度オレと契約ダ!」
パミリオの宣言と共に、二人の姿は突如消え去った。
―――〔続く〕―――
普通ならこんな工事中の地下街とか絶対に入れないんですが。この街の治安は大丈夫か?




