モウコの詩
ななし荘の色物住人、ゲイバーママのモッコ。
彼女には、未だ誰にも語られていない、父親との確執があった……。
猛子。
それが両親があたしにくれた名前。
ううん、正確には父ちゃんが付けた名前ね。
猛々しい子になってほしいってことで、安易に猛子。
もうちょっとヒネッても、罰は当たらないんじゃないかって思うわ。
お姉ちゃんがいる長男のあたしは、そんな父ちゃんの希望とは真逆に育っていった。
いつも短パンばかり履かせられて、嫌だった。
お姉ちゃんみたいに、ヒラヒラしたスカートがよかったの。
自分はちょっとおかしいのかも。
そんなぼんやりとした考えは、中学生になった頃にはもう無視できなくなってた。
女の子の話題に入りたい。
お化粧や、カッコいい芸能人の話をしたい!
野球部のエース、桂木くんが好きだった。
日に焼けた、あの逞しい腕に抱き締められたいと何度思ったか。
でも、あたしはタケシなの。
モウコじゃないの。
女の子じゃなかったの。
当時は、今ほど世間的に理解してもらえない時代だったわね。
そこへきて、あたしの住んでたのは田舎町。
ゲイとか女装とか、知られたら最後ってやつ。
ずっと息苦しかった。
あたしは、モウコでありたかった。
相沢猛子、14歳。
どれだけイモい女子でも、女なだけマシってもんよ。
*
その時は、突然やって来たわ。
風邪で学校を休んでたあたしは、家にひとりなのをいいことに、ファッションショーをやってみることにしたの。
お姉ちゃんの私服とか、替えの制服とか、いくつも着てみては母ちゃんの姿見に見入ってた。
そのうちにどんどんエスカレートしちゃって……。
気付いたら裸になって、お姉ちゃんの下着を身に着けてた。
胸のあまり大きくないお姉ちゃんは、高校生になってもスポブラだったのね。
パンツも、母ちゃんがスーパーで買ってきた綿のやつ。
信じられないわ、年頃なのに。
あたしなら、ちょっと背伸びして大人っぽいのを買うのに。
紫色かな、赤もいいわね……。
お姉ちゃんのスポブラと綿パンツを履いて、あたしは自分がセクシーな下着を履いたところを想像してた。
恍惚とした表情で鏡に映るあたしの背後に、出先から帰って来た父ちゃんが立ち尽くしてた。
そっからは、もうめちゃくちゃよ。
父ちゃんは、あたしの話なんかこれっぽっちも聞いてくれなかった。
イガグリ頭を鷲掴みにされて、畳に押し付けられたの。
そんで馬乗りになって、ボコボコよ。
まだ中2の息子をよ?
信じられないわよね?
風邪で休んでただけのはずのあたしの有様を見て、母ちゃんは死ぬほどびっくりしてた。
何があったのって何度も父ちゃんに聞いてたけど、父ちゃんは何も言わなかった。
仕方なしに、あたしは全部自分で話したのよ。
だって、母ちゃんは訳が分からないって泣くんだもの。
あたしは、女の子じゃなく男の子が好きなんだってこと。
男じゃなくて、女の格好がしたいんだってこと。
お姉ちゃんの下着を着けたことは、さすがに黙ってたけど……。
母ちゃんはポカンとしてた。
そんで、ひっくり返って寝込んじゃった。
晴天の霹靂っていうのは、こういうときのための言葉だわね。
でもやっぱり、母って強いのよ。
しばらく寝込んでたけど、母ちゃんは何とかして状況を飲み込もうとしてくれてた。
でも、父ちゃんは絶対にそんなことはしなかった。
生まれも育ちも、寂れた田舎の漁師町。
そしてそこで人生を終えるだろう父ちゃんには、あたしを受け入れることなんて出来なかったのね。
あたしが家を出るときまで、結局一言も口を利かなかった。
母ちゃんの頼みもあって、高校だけは地元でちゃんと卒業した。
卒業式の日に、あたしは東京に出て来たの。
前から準備していた、少しだけの荷物を持って。
その日はもう3月なのにまだ寒くて。
寂れた田舎町は、よりいっそう寂れて見えた。
そして、おまえなんかさっさと行っちまえって、あたしを追っ払うようにも見えた。
もう2度と帰らない。
父ちゃんには最後まで何も言わなかったけど、きっと、あたしを止めるつもりなんてなかったわね……。
それからはあっという間。
東京に出て来たわたしは、その界隈でがむしゃらに働いたわ。
都会に出ても、白い目で見れらることは少なくなかった。
それでも仲間がいたし、都会は田舎ほど他人に構わないとこもよかったわね。
東京は、あたしがあたしでいられる場所だった。
タケシじゃなく、モウコでいられる場所。
だからあたしは、念願叶って持つことになった店に、『モッコママの店』って名前を付けたのよね。
モウコより、モッコのがちょっとカワイイでしょ?
お店で忙しくして、あっという間に数年が過ぎた頃。
急に、母ちゃんから連絡が来たのよね。
お姉ちゃんとはやり取りがあったから、きっとそこから伝わったのね。
それはさておき、母ちゃんの話にあたしは驚いた。
父ちゃんが、急に入院したって。
もう間に合わないかもしれないから、すぐに会いに来なさいって。
何それ。
田舎を出て立派にオカマやってるあたしに、今さら言うことじゃなくない?
間に合わないって、何よそれ。
当時、既に住み始めていたななし荘で、大家のハルくんは言ったの。
「モッコさん、行った方がいいよ」
「会えるうちに会っておかないと」
彼って、もしオオカミじゃなかったらけっこうタイプだったと思うのよね。
あたしって、家庭的な男に弱いの。
ハルくんってば、けっこう逞しい体つきだし。
ハルくんに言われたこともあって、あたしはちょっと考えるようになった。
それでも、なかなか結論が出せない。
そんなあたしに、彼は自分の身の上話をしてくれたんだったわね。
「モッコさん」
「俺と梅ちゃんはね、父親の顔を知らないんだ」
「え?」
あたしは驚いた。
ハルくんと梅子ちゃんが微妙な間柄だってことは、アパートで知り合った千明に教えてもらった。
お母さんが亡くなって、先代大家のお婆さんも亡くしてるってことも聞いてたけど……。
「俺たちは生まれたときからそんな感じだったから、特に父親が欲しいって思ったことはないよ?」
「でも、モッコさんは違うんじゃない?」
「ケンカする前の、お父さんとの思い出ってあるでしょ?」
ハルくんは正しかった。
悔しいけど、父ちゃんが入院したって聞いたときから、ずっと頭の中をぐるぐるしてることがあるの。
それは、父ちゃんとの思い出。
船に乗せて釣りに連れてってくれたこと。
あたしが大きな鯛を釣ったら、とても褒めてくれたこと。
獲れたての魚を、美味しいお刺身にして食べさせてくれたこと……。
ボコボコにされたのは今でもムカつくけど、父ちゃんみたいな人間には、ああするより仕方なかったのかもね。
あたしは自分がずっと被害者だって思ってたけど、父ちゃんはどう感じてたのかな。
父ちゃん……。
気付けば、あたしは店を他の子に任せて、町へ帰る電車の切符を買っていた。
お願い、間に合って!
「タケシ!」
「よかった、間に合って!」
隣町の大きな病院で、あたしは久々に母ちゃんと再会した。
住んでる町の診療所じゃないってことは、父ちゃんはよっぽど悪いのかな。
父ちゃんは、すっかり細くなった腕を点滴の管に繋がれていた。
頬のこけた顔で死んだように眠っている。
ベッド際のあたしの気配を感じたのか、うっすらと目を開けて……。
タケシ……おまえなのか?
すっかり変わってしまったあたしを見ても、父ちゃんは息子だって分かってくれて。
あたしはそれが、嬉しくて。
父ちゃん、ごめん、ごめんね!
父と息子の関係は、今雪解けを迎えたのであった……。
何て、感動的なことになったと思ったら大間違いだわよ。
仕切りのクリーム色のカーテンを開けた先には、ベッドに腹這いになってる父ちゃんがいたの。
ゴシップ満載の週刊誌を、子どもみたいに寝ながら読んでた。
「おう、母ちゃん」
「ん? その人、どちらさんだね?」
美しくなり過ぎたあたしは、父ちゃんに息子だと分かってもらえなかったの。
おまけに、母ちゃんに話を聞いたら、もっと衝撃的な事実が判明したのよっ!
「え、イボ痔!?」
父ちゃんは、どうやら持病の痔が悪化したために手術を受けたみたい。
隣町の病院に来たのは、痔の手術を出来る設備が地元になかったからだったって。
痔、しかも、イボ痔……。
「じゃあ、間に合わないっていうのは何だったのよ!?」
「だから、明日にはここを退院するから」
「はあ!?」
「退院したら、あんたに会えって言っても逃げ回るでしょ?」
「病院からは逃げ出せっこないし、いい機会だと思ったのよ」
「何よ、いい機会って……」
母ちゃんは、あたしと父ちゃんの不仲をずっと心配してたみたいね。
でも、あたしが田舎を出てからもう30年よ?
痔の手術した父ちゃんに、今さら何を言えっていうのよ……。
「父ちゃん」
「この人、タケシだよ」
「……え?」
週刊誌をなおも読みふけっていた父ちゃんは、はっとして顔を上げる。
母ちゃんは、あたしの知ってる彼女よりもずいぶんサバサバして見える。
女って、変わるのよね。
「仕事ほっぽり出して、わざわざ東京から見舞に来てくれたんだよ」
「意地張ってないで、何とか言いなよ」
母ちゃんにそう言われても、父ちゃんは何も言えない。
週刊誌のページを、手持ち無沙汰にいじくってる。
お姉ちゃんの下着を着けてるのを見られて、ボコボコにされたあの日。
あの時の父ちゃんは、とても怖かった。
殺されるんじゃないかって、本気で思ったわよ。
今の父ちゃんは、痔の手術を受けたばかりの、年老いた男だった。
今までずっと感じていたわだかまりが、急に馬鹿らしいものに感じられた。
「父ちゃん」
「は、はん!?」
何よ、はん? って。
どういう返事なのよ。
「痔には、ドクダミの葉が効くらしいわよ」
「ほ、ほぉ」
ふやけた返事をした父ちゃんに、あたしはそれだけしか言わなかった。
でも、30年間の父ちゃんとの不仲は、雪解けを迎えたの。
何も言わなくても、あたしたちにはそれが分かってた。
あたしと、父ちゃんには。
*****
その翌年から、鯛が届くようになった。
とびきり大きくて、とびきり美味しそうなのが2尾。
クールで送られてくるそれは、いつも発泡スチロールの中でひしめき合ってるみたいに見える。
ひとつはあたしのお店に、もうひとつはこのななし荘にってことみたい。
田舎から帰ってきた後、ハルくんには父ちゃんのことを話さなかった。
彼も聞かなかったけど、あたしの様子を見て、上手くいったと思ってくれたみたいだったわね。
「ハルくん、今回もお願い出来る~?」
「お店に持って行きたいから、鯛で何か作ってくれると嬉しいんだけどー」
丸ごとの鯛を目の前に、あたしは彼にお願いをする。
発泡スチロールの鯛を覗きこんでいたハルくんは、ちょっと眉毛を上げてあたしを見る。
「いいですよ」
「でもモッコさん」
「せっかくお父さんが獲った魚でしょ? 自分で捌けるようになった方がいいんじゃない?」
ハルくんは、とっても最もなことを言うのよね。
それは分かってるんだけど……。
「だって、手が臭くなったらイヤだもの~」
「爪も、ネイルが剥げちゃうしぃ」
そんなわけで、今年もハルくんに丸投げ~。
仕方ないなって顔をして、ハルくんはキッチンに向かう。
鯛を捌く出刃包丁を研ぐため、まずは砥石を水に浸けに行くのね。
「まったく」
「梅ちゃんといい、千明さんといい、モッコさんといい……」
「うちの女性陣は、料理してみようっていう気が全然ないんだから」
ハルくんはブツブツ言いながら、鯛を処理する準備をしている。
女性陣の中に自分が混じってるのを聞いて、あたしはちょっと嬉しくなっちゃった。