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番外編:梅ちゃんの得意料理②

番外編第2弾。


梅子がハルに初めて料理を作ったのは、彼らがまだ小学生の時のことだった。

体調を崩して梅子と一緒に早退したハルが、空腹を覚えてキッチンに行くと……。

その日、ばあちゃんは母さんの見舞いで不在だった。


帰りが遅くなる日には、ばあちゃんは夕食の準備をしていってくれてたけど、忙しくてその日は無理だったみたいだ。

病院に出掛ける朝、俺に何か作るように言ったのを覚えている。


俺は元々料理も好きだったけど、腕を上げたのは間違いなく母さんが入院してからだ。

ばあちゃんが忙しくなって、梅ちゃんも料理が出来ない。

やるのは自分だけという使命感が、俺を突き動かしていたんだと思う。


梅ちゃんはそんな俺がいるものだから、すっかり甘え切ってた。

俺が作ったものを、わーいと言って食べるのが彼女の仕事だった。


その日は、特に調子が悪いってわけじゃなかったんだ。

それが給食の時間、急に気分が悪くなって何も食べられなくなってしまった。

とりあえず保健室へ行き、サラサラしたシーツの敷かれたベッドに横になっていた。


「じゃあ弥生くん、送るから今日は帰りましょう」

「ひとりじゃ不安だろうし、梅子ちゃんにも帰ってもらうわね」


保健の先生にそう言われて体を起こした時、その後ろには心配そうな顔をした梅ちゃんがいた。

彼女は、俺の黒いランドセルを手に立っていた。



車でななし荘まで送ってもらい、俺は2階の子供部屋で寝ることにした。

布団は、珍しく梅ちゃんが敷いてくれた。


ぼやーっとはしてるけど、これでも心配してくれているらしい。

宿題でもやればいいのに、梅ちゃんは俺の枕元にちょこんと正座している。


「ハル、大丈夫?」

「……うん、平気」


「おなか痛いの?」

「お腹っていうか、胃が気持ち悪い」


「ゲェしちゃったの?」

「もういいだろ、そんなこと」


いろいろしつこく聞かれて面倒臭くなって、俺は頭から布団を被ってしまった。

ごめん、と小さく呟く声がして、梅ちゃんは下に下りて行ったみたいだった。


静かになった部屋で、しばらくはごろごろと寝返りを繰り返していた。

気分の悪さも、次第に収まってきた気がする。


そうなってくると、今度は空腹を感じるようになってきた。

俺はとうとう体を起こして、何か作って食べることにした。


ばあちゃんは、明日買い物に行くって言ってた気がする。

そうなると、冷蔵庫にはあまり食材がないだろう。

適当に作って食べられる、うどんか何かあるといいけど……。


そう思ってキッチンまで行くと、そこに小さな人影がある。

ななし荘の中で、この場所に一番縁のない梅ちゃんだ。

キッチンには、何か美味しそうな匂いも漂っている気がする。


「あれ? 何か作ってるの?」


俺が声をかけると、彼女はびくっと体を震わせた。

妙におどおどとした表情で、こちらを見ている。


「あの、その」

「ハルが食べるかなって……」


梅ちゃんが指さす先には、コンロの上に乗っかった雪平鍋がある。

俺が鍋を覗き込むと、そこにはうどんが作ってあった。

匂いの正体は、これだったのだ。


見ればそれは、お世辞にもあまり美味しそうな感じではなかった。

うどんは明らかに茹で過ぎてるし、溶き卵が上手くばらけずにごちゃっと塊を作っている。

鍋の周囲には焦げ付きもあり、噴きこぼしたことは聞かなくても分かった。


「……梅ちゃんが作ったの、これ」

「うん……」


「あのね、ハルが前に言ってたでしょ?」

「うどんってすごく簡単に作れるって」

「それで、その、真似してみたの」


「あのね、風邪の時のお粥に卵入ってるでしょ?」

「それで、卵も入れたの」

「風邪にはしょうががいいってTVでやってたから、しょうがも入れたの……」


なぜなのか分からないけど、梅ちゃんは罰が悪そうに話していた。

まるで、悪戯のばれた子どもが、親に言い訳をしてるみたいな感じだった。


もじもじして話す梅ちゃんの指に、小さな擦り傷があるのが目に入る。

右手の、人差し指と中指だ。

冷蔵庫を開けると、いつもの位置におろし生姜のチューブはなかった。


「指」

「え?」


「怪我してる」

「ああ、これ?」

「しょうがって、するの難しいんだね」


指を隠すように掴んで、梅ちゃんは苦笑いした。

その顔を見ていたら、急に腹の虫が鳴く。


何も言わずに食器棚から丼を取り出し、俺は鍋の中身を移した。

まだ熱いそれをテーブルに運んで、いただきますと手を合わす。


くたくたに茹で上がったうどんを、箸でつまみ上げるのは至難の業だった。

それでも辛抱強く麺をつまんで、口に運んだ。


「……うまい」


俺は、思わずそう呟いていた。

そこからは、まるで何日も食べてなかったみたいにうどんをかき込んだ。


「ねえ、気持ち悪かったんじゃないの?」

「うん……だけど、これは食べられる」


最後には、丼を持ってつゆまで飲み干してしまう。

梅ちゃんは、いつもよりもっとぽかんとした顔をしてそんな俺を見ている。


俺は食べ終わった丼を流しに運ぶと、その足で戸棚から救急箱を持ってくる。

まだぽかんとした梅ちゃんの手を取ると、その細くて小さな指に絆創膏を巻いた。


「ありがとう」


絆創膏の巻かれた指を見て、梅ちゃんはいつもみたいににかっと笑った。

俺はちょっと恥ずかしくなって、そっぽを向く。

そして、小さな声で言った。


「うどん、うまかった」

「ありがとう、梅ちゃん」


*****


大人になった今も、空の丼を前に満足している自分がいる。

病気の時はこのうどんと決めていて、あれ以来何度かリクエストして作ってもらっている。

適当にやるもんだから、その度に味が違うんだけど。


俺の前から丼の盆を下げて、梅ちゃんはひとりで笑っている。


「何?」

「ううん、何でもない」

「ただね、わたし、未だにちゃんと生姜もすれないんだなって思って」


天井の照明に透かすようにして、梅ちゃんは傷の付いた指を見ている。

俺は手を伸ばして梅ちゃんの腕を掴み、ベッドの際に座らせた。


「本当にしょうがない人だな、俺の奥さんは」

「あ、今のオヤジギャグでしょ?」

「違うよ」


ぽつりと呟くと、今日はまだ絆創膏を貼っていないその指に、ぺたっと舌を当てた。

熱のせいで舌も熱いのか、彼女の指が冷たく感じられる。


「ハル、ベロが熱い」

「うん」


互いの視線が重なり、梅ちゃんの顔が近付いて来る。

あれ、いつぶりだったっけっていうくらい、久しぶりのキス。

何も、今やらなくてもよかったな……。


「風邪、うつるよ」

「じゃあ、次はハルが看病してね」


ふふふ、と、梅ちゃんは笑う。

ずいぶんと、女性らしい笑い方をするようになったもんだ。


何だかこのままじゃ終われない気がして、俺は梅ちゃんの鎖骨に鼻面をこすりつける。

そのまま、シャツの裾から手を入れて、生身の彼女に触れてみる。


「梅ちゃん、冷たくて気持ちいい」

「ハルが熱いからだよ」


俺たちの声は、静かだった。


えーと、もしかしてこのままいけちゃう感じ?

何も難しいこと考えずに、()に進めそうな気がする。

熱あるけど、ちゃんと出来るかな、俺……。


そんなことを考えていたら、梅ちゃんが俺の両手を引っぺがした。

ベッドから立ち上がり、腰に両手を当てている。


「病気の獣は、さっさと寝なさい」

「熱が上がるよ」

「ふぁーい」


俺の淡い希望は、不発に終わった。

梅ちゃんは、ちょっと上にたくし上がったシャツの裾をさっと直した。


「そういえば」


再び布団に潜り込んだ俺に、梅ちゃんは昼間会社で読んだという雑誌の話をした。

男を掴むには胃袋を掴むだとか、そういう記事だったらしい。


「それがどうかしたの?」

「えーと、ハルはそうでもないよねと思って」


「だって、わたしが食べるの専門だもん」

「堂々と言うんじゃないよ」


「でも、このうどんに関しては胃袋掴まれてるかな……」

「そうなの?」


「うん、他の料理は割と不味いけどね」

「ちょっと、何それ……」


梅ちゃんは、本当に料理のセンスがない。

カレーだって、全然美味しく作れないんだから。


思うに、胃袋を掴まれるっていうのは料理の数じゃないんだ。

ここぞって時にひとつあればいいと、俺は思っている。


「梅ちゃんは、俺に胃袋掴まれてるからいいんじゃない?」

「わざわざ俺のを掴まなくても」


俺がそう言うと、彼女はとても納得したようだった。

そうだねーと、いつもの顔で笑いながら。

今回も、読んでいただきありがとうございました。

ブクマしていただいた方にも感謝です!

次回作も、どうぞよろしくお願いいたします。


エタミケイ

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