番外編:梅ちゃんの得意料理①
番外編第1弾。
風邪を引いて寝込むハルに、梅子は珍しく料理を振舞う。
彼女が作ったそれは、ハルが病気の時だけに作る特別なものだった……。
「男心を掴むには、やっぱ料理なんだね……」
会社の昼休み、同僚の遥ちゃんがしみじみと言った。
彼女はファッション系の雑誌を読んでいて、そこに載ってた読み物をわたしに見せてくれる。
【何だかんだで、お料理女子最強説!】
【今押さえておきたい5つの旬レシピ!】
そのコーナーにはそんな見出しが躍っていて、料理が出来るといい男の人と付き合えますよみたいなことが書かれているみたいだった。
口をもぐもぐさせながら記事を流し読みしていると、遥ちゃんが弁当箱を覗き込む。
「梅子は、料理出来るんだっけ?」
「お弁当のこと? これは違うよ」
「そっか、大家のお婆ちゃんが作ってるんだっけ」
大家でハルという名前のせいか、遥ちゃんはハルをお婆さんだと勘違いしている。
わたしはわたしで、敢えて否定はせずにここまで来ちゃってるんだけどね。
「その割には、けっこう今っぽいもの入れてくれてるよね」
「おにぎらずとか、萌え断のサンドイッチとかの時もあったよね」
「あ、あはは……そうだっけ?」
ハルは、料理に関してはミーハーなところがある。
美味しそうでかつ手間が掛からなそうなら、すぐに作ってしまう。
それは、わたしにとっても有難いことなんだけど……。
そんなことを考えていたら、珍しくハルからメッセージが届いた。
どうしたんだろ……こんな時間に何か送ってくることってあんまりないんだけど。
『お疲れ、梅ちゃん』
『悪いんだけど、帰りに駅前のMotto Mottoでお弁当買ってきてくれない?』
『風邪引いたので、寝ています……よろしくお願いします』
短いメッセージだった。
最後にマスクをした犬のキャラクター(ハルご愛用)が付いてたところを見ると、そんなに悪くはないのかも。
返信させては悪いと思ったので、分かったとだけ返しておいた。
*
「ただいまー」
帰って来て食堂にお弁当を置きに行くと、千明ちゃんがTVを見ていた。
わたしは、ハルの様子を聞いてみる。
「何時くらいだったかな、お昼頃から寝てるみたいだったよ」
「ハルくん、風邪なの? こんな微妙な時季に?」
夏風邪はバカが引くって言うけど……と千明ちゃんはついでのように呟いた。
今はまだ夏じゃない。
それなら、ハルはバカではなさそうで安心した。
わたしは足音を忍ばせて、ハルの部屋を覗きに行った。
注意してドアを開けて、中を覗き込む。
ハルは、ベッドの中でお行儀よく眠っていた。
しかし、ふーふーと呼吸は苦しそうだった。
とりあえず息はしていたので安心して、わたしはそっとドアを閉めた。
夕食の時間になり、食堂にはみんなが集まって来た。
何もないのもよくないと思い、お茶とコップだけは用意する。
そんなことは、各自で出来そうだけど。
「珍しい、弁当っすか?」
「適当に買ってきたから、ケンカせずに選んでね」
わたしは袋の中からお弁当を取り出して、みんなが選びやすいようにテーブルに並べた。
幸い、ここにいるのは大人ばかり。
みんなどうにかしてうまく選んでくれると思ったけど、そうでもなかった。
まず、千明ちゃんとモッコさんが、ひとつしかない鶏南蛮を食べたいってケンカした。
おまけにそれを知らなかったタローくんがフライングで一口食べちゃって、またそこで争いが起きかけた。
これからは、全部同じお弁当にしよう……。
「あら、梅子ちゃんはまだ食べないの?」
結局ジャンケンで千明さんに負けて鶏南蛮が食べられなかったモッコさんは、ミックスフライに落ち着いたみたいだった。
わたしがのり弁に手を付けていないのを見て、不思議そうに聞く。
わたしって、そんなに食いしん坊キャラなの?
「わたしは後で……」
「先に、ハルの分を作ろうかな」
食べる専門のわたしがそう言ったものだから、みんな口を開けて驚いた。
タローくんに至っては、口から食べかけの卵焼きを落っことしたぐらい。
何を作るというんだ……。
そんなみんなの声なき声が、キッチンに向かうわたしの背中に突き刺さる。
失礼しちゃう。
わたしにだって、得意料理くらいあるんだから!
そうは思ったけど、まずは鍋を探すためにあちこち開けなくてはならなかった。
わたしが再び部屋に行くと、ハルはまだ眠ってた。
手が塞がってたので、ちょっと横着をして足でドアを閉める。
案の定力加減を間違えて、閉まるときにバタンと大きな音が出てしまった。
当然、ハルは起きてしまった。
しばらくぼんやりとしてたけど、わたしがいるのを見ておかえりと言ってくれる。
喉も痛いのか、声も少しかすれている。
「ハル、どう?」
「うん……そんなに悪くもないよ」
そうは言ったけど、やっぱりしんどそうだった。
作ってみたけど、食べられるかな、コレ。
「みんなは?」
「食堂でお弁当食べてる」
「ああ、弁当ありがとう……」
「何か、食べる?」
「薬飲まなきゃでしょ?」
わたしは近寄って聞いてみる。
ハルは、力なくベッドに沈み込んでいた。
「そうなんだよな……」
「でも、あんまり食欲なくて」
やっぱり、聞いてから作ったほうがよかったかな。
先走ってそれを作ったことを、わたしはちょっと後悔した。
普段料理をしない人が張り切ると、結局残念なことになっちゃうんだな。
自分で食べるかな……。
気付かれないようにちょっと肩を落としていたら、寝ていたハルの鼻がひくひくと動いた。
そして急にガバッと起き上がったので、わたしはびっくりした。
「梅ちゃん、もしかして」
「え? な、何?」
「作ってくれたの、あれ」
あれ。
「うん、一応ね……」
わたしは、それの載ったお盆が置いてある書き物机を振り返る。
丼からは、まだ湯気が立っている。
「やっぱり!」
「でも、食べられるの?」
「食べる、食べる」
ハルが急に張り切り出したので、わたしは彼の前にお盆を持って来る。
丼に入ってまだ熱いそれは、生姜と溶き卵の入ったうどんだった。
ハルが病気の時だけ作る、わたしの得意料理。
「いただきまーす」
食欲がないと言ってた癖に、ハルはベッドに上半身を起こして手を合わせた。
箸を入れて麺を掴もうとするも、ちょっと持ち上げるとブチブチと切れてしまう。
茹で過ぎなのだ。
「そう、これこれ! こうじゃなくっちゃね」
千切れてつゆの中に戻ったうどんを、ハルは器用につまみ上げる。
そしてそれを、美味しそうに食べてくれた。
自分の作ったものを喜んで食べてもらうのって、案外気持ちのいいことなのかも……。
わたしは、今更ながらにそんなことを思う。
「ごめん、ティッシュ取って」
「あー、はいはい」
わたしは、ティッシュの箱を手渡す。
1枚シュッと抜き出すと、ハルは鼻をかんだ。
「熱いもの食べるとさ、鼻が出るよね」
「生姜も入ってるし、効いてるって感じがする」
ティッシュを丸めてゴミ箱に放り込むと、ハルは再び箸を取る。
はふはふとうどんを食べながら、ハルはわたしをちらりと見た。
「生姜のチューブ、新しいのがどこにあるか分からなかった?」
「え? 何で?」
その通りだった。
このうどんには生姜チューブを入れるんだけど、今日はいつもの場所になかったのだ。
ハルのことだから買い置きはしてあると思ったけど、わたしはそれを見付けることが出来なかった。
「キッチンは俺の庭だぜ?」
「冷蔵庫の中身だって把握してるよ」
「チューブは、新しいのを入れなくちゃなと思って忘れてたんだ」
そう言うと、ハルはわたしの手を指さす。
人差し指と中指に、小さな擦り傷がある。
「冷凍してあった生姜すっただろ?」
「そのとき、指もやっちゃったんじゃない?」
大正解!
チューブが見付けられなかったわたしは、ひとかけ分に分けて冷凍してある生姜をすり下ろした。
これが意外と難しくて、指も一緒にすってしまったのだ。
「言った通りだろ?」
片眉を上げたハルに言われて、わたしは苦笑いした。
「梅ちゃんは、ほんと不器用だよな」
「いつまで経っても、生姜が上手くすり下ろせない」
ハルの脳裏に何が浮かんでいるのか、わたしには何となく分かっていた。
わたしがハルに初めてこのうどんを作ったのは、わたしたちがまだ小学生だった時だ。