俺と梅ちゃん①
高校最後の文化祭。
一緒に回る相手もいないハルを誘う、可愛いと評判の同級生の女の子がいて……。
晴れた日曜日の午後。
俺は一仕事終えると、庭に出してある木製のベンチに腰を下ろす。
目の前の物干しには、俺や梅ちゃん、他の住人の洗濯物が干してある。
今日はいい天気だから、もうあらかた乾いただろう。
憩いの時間のお供は、濃い目のお茶とねこねこ堂のひとくち饅頭。
2つある饅頭のひとつを頬張って、湯飲みからお茶を飲んだ。
饅頭の餡子の余韻に、渋めのお茶の旨味が重なる。
ほっこりとした俺の頬を、初夏の風が優しく撫でてゆく。
そう、俺はごくごく平凡な男なのだ。
おやつの饅頭とお茶の旨さで満足してしまう、それくらい平凡な。
「まるで、余生を静かに過ごすお爺ちゃんみたいね……」
ここで日向ぼっこしていた俺をそう表現したのは、モッコさんだったかな。
中身は爺さん並みの、独身男25歳。
趣味といえばたまに出掛けるツーリングくらいで、毎日のほとんどを大家の仕事と家事で忙しく過ごしている。
(ちなみに、忙しくなるのは梅ちゃんのせいでもある)
この年頃の男がやることはたいていやってると思うし、思考もそんなに大差ないと思う。
洗濯した梅ちゃんのブラを干すとき、タグの【C85】という数字に心をかき乱されることもある……。
体ばっか大人になって……なんてのは、オッサン的な思考かもなあ。
このように、俺、弥生ハルはまったくどこにでもいる普通の男だ。
たったひとつ、オオカミの姿をしているということを除けば……。
おやつの饅頭とお茶を載せたお盆は、食べ終わったので片付けた。
やっぱり、ねこねこ堂の和菓子に間違いはない。
さっきまで座っていた幅広のベンチに、今はごろんと横になっている。
夏の雲ほどはっきりした形をしていないが、もくもくとした雲が風に流されていくのをただ眺める。
今日みたいにゆっくりとした時間のある時は、思い付くままにいろいろ考えるのが楽しい。
それが、どんなに意味のないことであってもだ。
雲を見ていたら綿菓子のことが思い浮かび、それがお祭に繋がった。
そして頭に浮かんだのは、高校の時の文化祭。
どのクラスだったか、綿菓子の模擬店をやっていたところがあったっけ。
雲と綿菓子……。
そこにもうひとつ何かを思い出しながら、つい、うとうととまどろんでしまった。
*****
高校3年生の秋。
俺と梅ちゃんにとって、高校最後の文化祭だ。
卒業後はばあちゃんの手伝いをしようと決めていた俺にとっては、人生最後のだったかもしれない。
「弥生、おまえならもっと上を目指せるだろ」
中学3年生のとき、担任がそう言ってくれたのは嬉しかった。
それでも俺はちょっとランクを落として、梅ちゃんと同じ高校に通うことにした。
ずっと一緒だった梅ちゃんのことが心配だった。
それは本心だったけど、きっとそれだけじゃなかった。
彼女なしでやっていく自信が、俺にもなかったんだ。
「ハルー、おまえ何してんの?」
文化祭の会場でぼんやりしていた俺に、数少ない友達のひとりが話しかけてくる。
「うちのクラス、撮影した劇の上映やってるから」
「今日は暇なんだ」
おまけに大道具係をやったから、劇本編にも登場はしていない。
出来上がった作品を特に見る気もなくて、俺はぶらぶらしていたのだった。
「B組の弥生さんと回らないのかよ?」
B組の弥生さんとは、梅ちゃんのことだ。
ちなみに、俺は隣のA組の弥生さん。
「梅ちゃんとこはお化け屋敷やってるんだって」
「彼女、口裂け女役だって張り切ってたよ」
そう、だからこんなところでひとり、高校最後の文化祭をぶらぶらしているのだ。
「そういう川田は?」
「え、オレ? オレはぁ……」
友達の川田は、ヘラヘラした笑いを浮かべている。
ああ、また地雷踏んだかも。
「たっちゃーん」
川田が口を開きかけたとき、彼の名を呼びながら女の子が駆けてきた。
確か、梅ちゃんと同じB組のミカちゃんだ。
川田の初彼女で、何度もノロケ話を聞かされて名前を憶えてしまった。
「遅くなってごめんねー」
「一緒に回ろ~」
長い髪をお団子にしたミカちゃんは、川田の腕をそっと取る。
川田の顔は、炎天下に置かれたのアイスのように今にも溶けてしまいそうだ。
じゃあな! と、川田はミカちゃんと行ってしまった。
川田たちだけじゃない。
あちらこちらに、手を繋ぎ行き交うカップルがいる。
高校最後の体育祭、高校最後の文化祭には、急ごしらえのペアが大量発生するものだ。
俺といったら、梅ちゃんが傍にいなければ誰と連れ合うわけでもなく、こうして無駄な時間を持て余している。
せっかくだし、梅ちゃんのお化け屋敷でも冷やかしに行こうか……。
「あの、弥生くん……だよね?」
不意に呼びかけられて振り返る。
そこには、学年一の美少女と噂される女の子がいた。
「あたし、D組のマナっていうの」
「ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」
俺はあーとかうんとか返事をして、彼女に付いていく。
少し先行く彼女は、長い髪をゆるくカールさせている。
うちの高校はパーマ禁止だが、誰もそんな校則は気にしていない。
彼女が俺を導いたのは、校舎裏だった。
校舎裏で、女の子と2人きり。
これは、男子高校生ならときめかずにはいられないシチュエーションだろう。
例に漏れず、俺もそうだった。
どちらかといえば周囲に避けられがちなタイプだけど、密かに心寄せてくれる相手がいたってことか?
胸が高鳴る。