エリ、カフェに行く②
エリは親友のユミコとケンカしたことを、カフェのマスターに話して聞かせる。
ユミコとどうしていきたいか分からないエリに、マスターはある助言をして……。
「実はね、あたしにもユミコっていう幼馴染がいるんです」
「ちょっと前にケンカしちゃって……正直、もう絶交されちゃうかも」
あたしがカウンター越しに話すのを、オオカミのマスターはふんふんと聞いてくれた。
女子高生の他愛ないお喋りに、大人の気遣いで付き合ってるだけかもだけど。
「きみは、そのユミコちゃんって子のことがまだ好きなの?」
「それとも、もう付き合いたくはない?」
その質問から、彼があたしの話を真面目に聞いてくれてたことが分かった。
すごくシンプルな問い掛けだったけど、あたしはしばらく考えてみなくちゃならなかった。
「どうかな、よく分からない」
「そうか……」
「じゃあ、彼女と過ごしてきた今までのことを思い出してごらん?」
「ユミコちゃんときみの、今まで一緒に歩いてきた道を振り返ってみるんだ」
「俺も、迷った時はそうしてるよ」
「彼女と過ごした楽しい時間とか、彼女の笑った顔とか思い出すようにしてる」
「そこでまだ彼女を好きだって思えるなら、きっとまだ大丈夫なんだ」
「たとえ、相手にどれだけ腹が立っていてもね」
「マスターは、まだあの幼馴染の子と付き合いがあるんですか?」
「付き合いっていうか、まあ、そうだね」
「いつもは好きだって思えるのに、腹が立ってしようがない時も?」
「そりゃあ、あるよ」
「傍にいると、いろいろあるしね……」
いくつか咳払いをして、マスターは目を泳がせている。
何、この質問って地雷なの?
「あたしとユミコの道ねぇ……」
マスターの淹れてくれたコーヒーを飲んで、あたしは考えてみた。
ユミコと初めて出会ったのは、小学4年生の頃。
3学期が始まってすぐっていう変なタイミングで、彼女は転校してきた。
周りはがっちり仲良しグループが出来上がってるしで、ユミコはなかなかクラスに馴染めなかった。
そんな時、あたしが最初に話し掛けたんだ。
何のきっかけだったか、どんな言葉を掛けたのか、もう忘れちゃったけど。
それからあたしたちはすぐに意気投合して、それから今に至るまでずっと仲良しだった。
あたしに初めて彼氏が出来た時、お祝いだって言ってハンバーガーを奢ってくれた。
ユミコが先輩を好きになった時には、一緒に告白の方法を考えたりした。
オタクっぽいよねなんて言いながら、深夜アニメに夢中になったこともあったよね。
交換日記もしたし、出掛ける度にプリクラもたくさん撮ったね。
書き込むメッセージはいつも同じ。
ずっと一緒!
ユミコ♥エリ
「あ」
あたしはぽかんとして、その顔のままカウンターの中のマスターを見た。
「あたし、やっぱりユミコのこと好きかも」
「まだまだずっと、友達でいたいかも」
マスターは、うんうんと笑顔で頷いていた。
まるで、あたしがこういう答えを導き出すのを、知っていたとでも言うように。
「自分の気持ちが分かって、よかったね」
「うん」
ここへ来た時より心はすいぶんと軽くなった。
うちに帰ったら、一度ユミコに電話してみようと思った。
カロン、カロン。
また、お客さんを知らせるベルの音。
「ただいまぁー」
バタバタッと駆け込んできたのは、くりくりした目が可愛い、小さな男の子だった。
髪の毛の色が、少しマスターと似ている気がする。
「ただいまー、買ってきたよ」
「間に合った?」
男の子の後に続いたのは、1人の女の人だった。
肩まである真っすぐの髪を、ひとつに結んでいる。
「あら、可愛らしいお客さま」
「ゆっくりしていってね」
彼女は微笑んで、カウンターに入って行く。
「ハル、チョコシロップってこれでよかったっけ?」
「うん、これこれ」
「ねぇ、パパー」
「ぼく、ジュース飲みたい」
「陽、ちょっと待って」
パパってことは、このぼうやはマスターの子どもってこと?
じゃあじゃあ、あの女の人はマスターの?
女子高生らしい好奇心旺盛な視線を感じたのか、マスターは照れ臭そうにちらりとあたしを見た。
よくよく見れば、マスターと話している女の人は、写真の女性と似ている気がする。
若いマスターの傍らで微笑む、可愛らしい女性。
……何だ、そういうことか。
「ふーん」
合点のいったあたしがちょっと意地悪そうに笑うと、マスターは苦笑いする。
カウンターからさっと手を伸ばすと、小さなトングで掴んだクッキーを小皿に追加してくれる。
「さっきのは、内緒にして」
「え?」
「あの、ほら、幼馴染がどうとかいう下りの話」
「奥さんに知られたら、恥ずかしいからね……」
コソコソと囁くと、ぎこちなくウインクした。
あたしは、何だかこのマスターが好きになれそうな気がした。
*
帰り道。
傘はもういらない。
晴れとまでは言わなくても、もう雨は降っていない。
それは、今のあたしの心情にとても似ている気がした。
『どうして、ナナシって名前にしたんですか?』
あのカフェを出る時に、あたしはマスターに聞いてみた。
『アパートがななし荘っていう名前だったからね』
『アパートの名前は、大家だったばあちゃんが決めたんだ』
『若い子にしてみたら、ちょっとダサい名前かもしれないね』
確かに。
NANASHIって名前はカフェとしてはありかもだけど、アパート名としてはどうだろう。
あたしなら……ちょっと住みたくない。
『でも、ななしって言葉に込められている思いが好きでね』
『どういう意味?』
まるで分からないって顔つきのあたしに、マスターはふっと微笑みかけた。
『ななしっていうのは、名前がないってことだろう?』
『でもそれは何もないってことじゃなくて、そこにいる人がそれぞれ名前を与えていいって意味で』
『アパートなら、住む人がその場所に名前を付ければいい』
『カフェでも、同じだけど』
『何かこれっていう決まった場所じゃなく、その人その人の思う場所であってほしい』
『ななしには、そういう意味が込められてる』
正直、あたしはあんまり勉強が出来る方じゃない。
だけど、マスターの言いたいことは何となく分かるような気がした。
またおいでと、マスターの家族はあたしを送り出してくれた。
あのくりくり目の可愛い男の子は、いつまでも小さな手を振ってくれていた。
カフェNANASHIか。
今度絶対、ユミコを誘ってもう一度行こう。
そしたらそこは、名前のないカフェじゃなくて、あたしとユミコの行くカフェになるよね。
そんなことを考えていたら、スマホが震えた。
画面には、ユミコの名前が映し出されている。
ほんの少しためらって、あたしは電話に出た。
しばらくぶりに聞く親友の声は、真っ先にごめんねと謝った。