いざ、お泊り旅行へ①
いつまでも幼馴染の延長感が抜けないと、千明に指摘されたハル。
彼女のはからいで、年越し旅行に出掛けることになり……。
気付けば、あっという間に師走だった。
梅ちゃんと結婚して、もう半年が過ぎていた。
「千明さん、助かる」
「いいよ、いいよ」
「またアシやってね」
ある日の午後、俺と千明さんは、並んで食堂の外の窓拭きをしていた。
千明さんは背が高いので、脚立に乗らなくても上まで拭けるので助かる。
梅ちゃんなんかは背の問題以前に、窓を拭くのも下手だからやらせない。
「ねえ、ハルくん」
「何ですか?」
「私、もう疲れたの」
「そうですか、じゃあ後は俺がやっときます」
「ありがとうございました」
そうじゃねーよと言って、千明さんは俺の肩を小突く。
「疲れたっていうのは、あんたたちの関係が進展しないからよ」
「いっつまでも、幼馴染の延長じゃない」
「三流恋愛漫画みたいな展開に、もう疲れたの!」
「そんなこと言ったって……」
「ハルくんもオスなら、バァーッといっちゃいなよ!」
酒の力を借りてバァーッといっちゃった結果、俺は梅ちゃんに相当怒られることになった。
怒られないようにバァーッといくには、一体どうすればいいのだろうか。
「もうね、何の進歩もない2人にイライラするから、私がひと肌脱ぐわよ」
「え?」
「はい、これ」
千明さんは、ジーンズのポケットから折り畳んだ紙を取り出した。
受け取って開くと、それは高級旅館のチラシだった。
「何です、コレ」
「今年の大晦日、梅子とそこへ行って来な」
「2人で」
チラシを改めて見ると、それは客室温泉付きの部屋に泊まるプランの紹介だった。
「年末はお節の準備もあるし、忙しくて無理です」
「元日には初日の出も見に行くし」
「馬鹿言ってんじゃないよ!!」
千明さんに吼えられ、俺はひっと肩をすくめた。
彼女は心底呆れたように、ハアーッと大きく溜息を吐く。
「そんなもんは、これから死ぬまで飽きるほどやることでしょ?」
「新婚旅行だと思って、行って来なよ」
「てか、もうハルくんの名前で予約したからね」
「えぇ~~~!?」
「てか、梅ちゃんは知ってるの?」
「知らないよ、言ってないし」
「ハルくんが自分で誘うのが、最初のミッション」
「んで、しっぽりしたお宿で、バァーッとはっちゃけてくんのよ!?」
「えぇ~~~」
「無理無理、はっちゃけるとか絶対無理」
雑巾を握り締めて反論する俺に、千明さんはさっとスマホを差し出す。
「いいからやれって」
「じゃないと、この動画バラ撒くぞ」
いつの間に撮ったのか、それは俺が玄関で梅ちゃんを押し倒した時のものだった。
最近のスマホは性能がいいよねーと、千明さんは俺に顔を寄せて囁いた。
「わ、分かりました」
「ご厚意に甘えて、梅ちゃんと旅行させていただきます……」
動画を誰に見られると恥ずかしいのか分からなかったが、俺は千明さんの圧に屈してしまった。
お節や雑煮の準備からは解放されたが、新たな心配事が増えたのは確からしかった。
*
「えー、旅行?」
「そ、そう」
「新婚旅行ってわけでもないんだけど、ちょっとどうかなーと思って……」
俺が宿のチラシを見せて誘うと、梅ちゃんは目を輝かせた。
少なくとも、俺と一泊旅行するのが嫌ではなさそうで安心した。
例の騒動の禊は、終わったと思っていいらしい。
「年越し旅行なんて、何かおしゃれだね~」
「すっごい楽しみ! ハル、ありがとー」
最後には、梅ちゃんは俺の首にぎゅっとしがみついた。
そんな彼女の反応に触れると、俺にもワクワクとした気持ちが沸き起こってくる。
「でもさ、泊りの旅行なんて、子どもの時以来じゃない?」
夕食の準備を始めた俺の隣で、梅ちゃんは呟いた。
「そうだよなぁ」
「あれっていつだっけ? ほら、ばあちゃんと母さんとみんなで民宿に泊まったことあったよな?」
「えっと、あの海の近くのだよね?」
「そうそう」
「梅ちゃんがスイカの食べ過ぎで腹壊した時の」
「えー、あった? そんなこと……」
最初で最後の、家族旅行の記憶。
梅ちゃんと俺、母さんとばあちゃんの4人で、海辺の民宿に泊まったことがあった。
けっこう寂れた宿で、客が少なかったのが逆によかったんだよな。
俺も目立たずに済んだし。
食事は美味しかったし、海もとても綺麗だった。
あの時の写真がアルバムにないのは、みんな初めての旅行で浮かれすぎて、誰もカメラを持ってこなかったせいだ。
使い捨てカメラを買おうにも、民宿に売店がなかったんだっけ。
「楽しみだな、旅行」
素直にそう思えて、俺は言葉に出して言ってみた。
隣の梅ちゃんも、そうだねと満面の笑みで答えた。
ふと振り返ると、食堂の入り口では千明さんが親指を立てている。
どうやら、ファーストミッションはクリア出来たみたいだ。
そんなこんなで、俺と梅ちゃんは、初めてのお泊り旅行に行くことになった。
それがどんなものになるのかは、もちろんまだ分からない。
ただ、俺自身も楽しみにしていることはもはや明確だった。
流しに立つ自分の尻尾は、ずっとゆらゆら揺れっ放しなのだから。