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酒は飲んでも飲まれるな

梅子とハルは籍を入れたものの、相変わらずいつも通りに過ごしていた。

ある晩、町内会の集会に出たハルは、馴染みの魚屋店主に結婚ネタでいじられ……。

「あれーハルくん、今日はお出掛けっすか?」


上着を羽織って玄関で靴を履く俺に、タローくんが聞く。


「うん、今日は町内会の寄り合いなんだ」

「夕食は出来てるから、好きな時に食べて」


「梅ちゃーん、じゃあ後頼むね」

「ふぁーい」


呼び掛けると、2階から梅ちゃんの間延びした声が返事をする。

旦那が出掛けるってのに、うちの奥さんは顔も出さない。

ちょっぴり悲しい気持ちになって、俺はタローくんに見送られてななし荘を出た。



「おー、ハルくん!」

「久しぶりじゃねーの!」


寄り合いを行う会館の一室。

メンバーは主に商店街の店主たちなので、各々が持ち寄った食べ物や飲み物が並んでいる。


威勢よく声を掛けてくれたのは、鮮魚店【うおかつ】の3代目である勝次(かつじ)さんだ。

メンバーの中では、俺の次に若い。


「ちょ、まあ座れって」

「ハルくん、聞いたぜ?」


「自分、結婚したんだって?」

「しかも、あの梅子ちゃんとって言うじゃねーの」

「何、兄妹じゃなかったの、キミら!?」


既に酒の入ってる勝次さんは、赤い顔で急き込んで聞いてくる。

今日、そのトピックでイジられることは覚悟していた。


というのも、数日前に梶原のおばさんにバレてしまったからだった。

お喋り好きのおばさんに知られたということは、知り合い全員にバレたと考えなくてはならない。


梅ちゃんと結婚したことは、別に隠しているわけじゃない。

ただ、籍を入れたとはいえ、結婚という言葉がしっくりこないほどに俺たちは今まで通りだった。

式だって挙げてないし、新婚旅行だって行ってない。


ちょっと変わったことといえば、キスするようになったくらい。

それだって、いつも頻繁にしてるわけじゃない。

ちなみに、ヤることもヤッてないわけで……。


何にしても本人たちがそんな感じだから、堂々と結婚しました! って報告するのもはばかられていた。

結婚までの経緯を説明するのも面倒だし。


「いいねー、新婚!」

「嫁もピチピチしてて可愛いし、子どももいないからやりたい放題じゃんか」

「え? デキ婚じゃないよな?」


「ち、違います」

「何すか、やりたい放題って」

「それは、言葉のままよぉ」


勝次さんは、ニヤニヤとして俺の肩をそっと抱いた。

そのまま、グラスにビールが注がれる。


「おいおい、カッさん」

「ハルくん、困ってんじゃんか」

「新婚さんを、あんまり苛めるもんじゃないよ」


割って入ってくれたのは、こちらも3代目、八百屋【やおまさ】の正治(まさはる)さん。

昨年還暦を迎え、初孫が出来たお爺ちゃんだ。


「はい、おめでとうさん」

「梅子ちゃん、いい子じゃないか」

「大切にするんだよ」


いかにも好々爺という風情で、正治さんは俺に語りかける。

義理の父親に諭された気がして、少し目が潤んでしまう。


「あんないい子、大切にしないわけねーよな?」

「で、子どもは何人にするの?」


「子どもはいいよー」

「梅子ちゃんも若いし、どんどん産んでもらいな?」


勝次さんは、相変わらずそんな様子だった。

ものすごく子作りを勧めてくる勝次さんは、20で出来た息子さんを筆頭に4人の子持ちだ。


こんな感じで、この日の寄り合いは、主に俺の結婚を祝うような形になってしまった。

寄り合いらしい話題としては、ななし荘の経営状況に関して聞かれたのが少し。


あとは、商店街の近くに大型ショッピングセンターが出来るって!? といった話だった。

ただしこちらは、根も葉もないただの噂に過ぎないようだった。



主に勝次さんからビールをガバガバ飲まされ、俺は久々にかなり酔って帰った。

幸いにも会館からうちまではそんなに遠くはなく、酔っ払いの足でも何とか帰り着くことが出来た。


時間はもう11時半。

みんなを起こしてはいけないと思い、そーっと鍵を開けた。


玄関に座って一息吐いたところへ、2階から梅ちゃんが下りて来た。

カラフルな星が散ったクリーム色のパジャマを着て、紺色のカーディガンを肩に羽織っている。

その姿を見て、なぜかすごく安心した気持ちになる。


「おかえり」

「今日は遅かったね」


安心感から、俺はそのまま仰向けに寝転んだ。

その傍らに、梅ちゃんがしゃがみ込む。


「結婚したんだろー、めでたいじゃねーかって、勝次さんにしこたま飲まされた……」

「ごめん、水くれる?」


はいはいと言って、梅ちゃんはキッチンからグラスに注いだ水を持って来てくれた。

起き上がった俺は、それを受け取って飲み干す。


「もう1杯いる?」

「いや、もういいかな……」


俺は、目の前で空のグラスを持った梅ちゃんを見た。

今日は相当酔っている。

その自覚はある。


「可愛いね、そのパジャマ」


やや呂律の回らない口でそう言うと、俺は梅ちゃんに抱き付く。

そのはずみで、彼女は軽く尻もちをついた。

羽織っていたカーディガンが、肩を滑って床に落ちた。


「ちょっとー、しっかりして」

「しっかりしてますよー」


しっかりしてないヤツが言いがちなセリフを吐き、俺は梅ちゃんの胸に顔を押し付けた。

ブラジャーを着けていない胸は柔らかくて温かく、柑橘系の匂いがした。

梅ちゃんが使う、ボディーソープの匂いだ。


「梅ちゃん、好き」

「ほんと好き」


なおも胸に顔を押し付けたままで、いつもは言えないようなことをスラスラと言ってしまう。

やがて顔を上げると、そのままキスをした。


「ハル、お酒クサい」


キスの後、梅ちゃんはわざと顔を背けるようにした。

唇をつぐんだその顔は、赤い。


ああ、もうダメ。

そんな顔されちゃ、このままおやすみってわけにはいかないだろ……。


酔いも手伝って、気付けば俺は玄関で梅ちゃんを押し倒していた。

梅ちゃんは驚いてこそいたけど、嫌ってわけではなさそうだった。

その上に俺が屈み込んだときには、さすがに手で押し返してきた。


「ハル、ちょっと!」

「さすがにここじゃ……」


「いや、もう無理」

「今日はみんなに気を遣ってもらう」

「見て見ぬふりしてもらう」


上着を脱いだついでに、俺は玄関の明かりを消した。

そのまま、梅ちゃんのパジャマを脱がそうと、ボタンに手を掛けた時だった。


「うおおおおおおおお!!」


雄叫びと共に、鍵を閉め忘れていた玄関の扉が大きな音を立てて開いた。

さすがに俺もぎょっとして、体を起こす。

外灯の薄明りを背に、誰かが立っている。


慌てて明りを付けると、そこには息を切らせた勝次さんがいた。

ゼエゼエと喘ぐように呼吸し、涙と鼻水で顔を汚している。


「な……勝次さん?」

「おうハルくん!」

「お楽しみのとこ悪かったな!!」


酒焼けしたガラガラ声で、勝次さんはまくし立てる。

お楽しみのところと言われ、俺の酔いは一気に醒めた。

慌てて、梅ちゃんを抱き起す。


「って、それどころじゃねーのよ!!」

「見てよ、これっ!!」


彼がおいおいと泣きながら差し出したスマホには、若い女性が外国人らしき男性と写った写真があった。


「これっ、これ、うちの娘!!」

「留学先で彼氏が出来たって……」


「母ちゃんにも頑張ってもらって、4人目にしてやっと出来た娘なんだよぉ」

「それをさぁ、何が悲しくてこんなパツキン野郎に取られなきゃなんねーのよ!」

「ねぇ、ハルくん! どう思うコレ……」


夜更けの玄関で、勝次さんは大声で泣き喚き続ける。

自分がここでおっ始めようとしたことは置いておいて、俺は大家として彼を注意しなくてはならなかった。


「ちょっと、勝次さん」

「娘さんのことはまた話聞きますから……」

「ねえ、もう遅いし、うちの住人も起きちゃう……」


「ああぁ~~マキコぉ~~」

「父ちゃんは、おまえをそんなアバズレに育てた覚えはねーぞぉ!!」

「うえええええーーーん」


カオス。

もう俺の手には負えなさそうだ。


こうなれば、力づくで退去してもらうしかない……。

俺が心を決めた時、隣で梅ちゃんが大きく息を吸うのが聞こえた。


「い・い・加・減・に・し・な・さ・いッ!!」


生まれてからずっと一緒に過ごしてきて20数年。

その俺ですら聞いたことのない梅ちゃんの一喝は、夜の街に響き渡った。

俺は硬直し、勝次さんの泣き言もピタリと止んだ。



「本当に、すいませんでした」


梅ちゃん、ごめん、ごめんなさい。

許して、ねえ、ほんと悪かった。

ごめんなさい、もう酔っ払いません、本当にごめんなさい。


翌日、二日酔いの頭で考え付くだけの謝罪の言葉を並べ、俺はひたすら梅ちゃんに謝り続けた。

謝罪の内容はもちろん、ゆうべ酔いに任せて玄関でコトに及ぼうとしたことだった。

一連の騒動について何となく察したらしいうちの住人たちは、そんな俺を遠巻きに見ている。


「もう知りません」


そう言ったきり、梅ちゃんはプイとそっぽを向いてしまった。

好きなおかずを作るからと言っても、取り付く島もない。


俺にとっては針の(むしろ)で始まったこの日、夕食には豪華な船盛が食卓に上ることになる。

それは勝次さんが持って来たもので、彼は玄関で土下座をして昨夜の騒動について詫びた。


酒は飲んでも飲まれるな。

その言葉をしみじみと胸に刻んだ、男1人とオス1匹なのだった。

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