ハルとわたし②
些細なことで、ハルとケンカをしてしまった梅子。
帰って謝ろうと思っていたその日、同僚の三上くんと食事に行くことに……。
ハルに悪いことしちゃったな。
彼に八つ当たりをしてしまった翌日。
会社で当たり前のようにお弁当を広げて、ふとそう思った。
今日のメインは、わたしの好きな鶏の竜田揚げ。
その他にも、彩りよくおかずが詰め込まれている。
今日帰ったら、ちゃんと謝ろう。
ねこねこ堂のたい焼きを買って帰ったら、ハルは機嫌を直してくれるかな。
「弥生さん、一緒してもいい?」
コンビニの袋を下げた三上くんが現れた。
いつもは外に食べに行くのに……。
きっと、わたしと話す口実がほしいせいだ。
タイミングの悪いことに、遥ちゃんは体調不良でおやすみだった。
いつもは彼女が座る席に、三上くんは何の断りもなく腰を下ろす。
「ねえ、やっぱオレじゃだめなの?」
「一緒にご飯行くのもイヤ?」
三上くんは袋からコンビニ弁当を取り出すと、割り箸をきれいにパチンと割った。
わたしの返事を待たずに、黒いゴマの載ったご飯を頬張る。
彼は確かにイケメンだし、みんなに人気もある。
でも、彼がこんなにしつこくなければ、わたしはハルに八つ当たりすることもなかったんだ。
そう思うと、ちょっと腹が立った。
「あの」
「ん?」
「もし一緒に食事に行ったら、もう構わないでもらえる?」
わたしは思い切ってそう言ってみた。
彼は、ちょっと眉毛を下げた顔でわたしを見ている。
今のは、少しキツい言い方だったかな……。
でも、このままにしておいたらずっと付きまとわれるかもしれない。
三上くんと2人きりで食事になんか行きたくないけど、それも仕方ないよね。
一度行けば、彼も納得してくれるかもしれない。
「うん、分かったよ」
「じゃあ、早速今日なんてどう?」
にっこりと笑って、三上くんは同意してくれた。
ファンたちから【三上スマイル】と呼ばれる笑顔の彼を見ていると、思ったより悪い人じゃないのかもと思う。
付き合うのは考えられないけど、友達にはなれるのかな。
*
『今日は外で食べて帰ります』
わたしは、ハルに短いメッセージを送る。
夕食がいらないときは連絡するのが、ななし荘でのルールなのだ。
返事が来るのを待たずに、スマホはバッグに片付けた。
「ここ、前に来たらすごいよかったんだ」
三上くんがそう言って連れて来てくれたのは、おしゃれな居酒屋だった。
女性が好きそうなお酒やおつまみなんかが、メニューの中に勢揃いしている。
案内されたテーブルには、レモンとミントの浮かんだお冷のボトルが置いてあった。
伏せてあったグラスに、三上くんが水を注いでくれている。
「とりあえずは、これで乾杯ってことで!」
待ちきれないのか、三上くんはお冷のグラスを掲げる。
つられて、わたしも口を付けかけたグラスを持ち上げた。
乾杯して飲んだ水は、さっぱりとした風味がして美味しかった。
少し苦いような気がしたけど、レモンのせいだよね……。
*
頭が痛い。
喉も乾いてる。
ハル、お水ちょうだい。
まったく梅ちゃんは!
付き合いだからって、ちゃんと加減しないと。
ああもう、本当に……。
いつもそんな風に、腰に手を当てて怒っているハル。
文句を言いながらも水をくれて、おんぶしてわたしを運んでくれる。
負ぶわれて顔に当たる、彼の首周りの毛がくすぐったくて。
でも、それが嬉しくて……。
ハル?
今日はいないの?
わたしは目を覚ました。
知らない天井が見える。
うちじゃないなら、ハルが来てくれるわけないか……。
じゃあ、ここはどこだろう?
「目が覚めた? 大丈夫?」
三上くんだった。
ミネラルウォーターのボトルを手にしている。
「弥生さん、すっげー酔っ払ってたから連れて来ちゃった」
彼はそう言うと、ベッドに腰掛けた。
わたしがゆっくり体を起こすと、キャップを開けたペットボトルを手渡す。
本当に喉が渇いていたみたいで、ぐびぐびぐびっとすぐに半分くらい飲んでしまった。
喉の渇きが収まると、急に頭が冴えてくる。
酔っ払う?
わたしが?
そんなはずない……今日は飲んでないのに。
いつの間にか、水のボトルは再び三上くんの手にある。
彼は残りの水を飲み干す。
たった今、わたしが口を付けていたボトル。
「ね、こういうことだからいいよね?」
空になったボトルを床に転がし、三上くんが近付く。
片手に体重をかけているので、そこだけベッドが大きく沈み込んでいる。
こういうこと?
それって、一体どういうこと?
三上くんはわたしをベッドに押し倒すと、自分のシャツのボタンを緩めた。
首筋と、鎖骨。
取り巻きの女の子たちが、三上くんの好きな部分はどこ? って言って挙げていた部分だ。
「こうでもしなきゃ、弥生さんガード固くて」
三上くんは、驚いて動けないでいるわたしのシャツを脱がしにかかっている。
ふと、居酒屋でのことが頭をよぎった。
確信はないけど、もしかしたら……。
あの、苦い水。
薬でも盛られてしまったのかもしれない。
「ピンクで可愛いね」
「弥生さんらしいよ」
すっかり前の開き切ったシャツ。
三上くんは、わたしのピンクのブラジャーを見下ろしている。
梅ちゃん、何度言ったら分かるんだよ。
ブラジャーは、小さいネットに入れないとすぐに傷むんだから。
怖いはずなのに、わたしはなぜか、ハルに言われたことを思い出していた。
わたしはすぐに、ブラを専用の洗濯ネットに入れるのを忘れちゃう。
カシャッ、カシャッ、カシャッ。
何回か、スマホで写真を撮る音がした。
「次は、顔入りがいいかな」
そう言って、もう一度。
三上くんは、わたしの下着姿の写真を撮っている。
「ほんとはこんなことしたくないけどさ……」
「乱暴されたなんて、後々言われるとオレも困るわけ」
三上くんは、指でわたしの肌を撫でる。
ぞわぞわっと、体中に鳥肌が立つ。
「今晩のことは、合意の上だよね?」
「分かるよね、コレ」
彼はそう言うと、スマホを揺らしてみせる。
多分、わたしが何か言うつもりなら、あの画像をばら撒くつもりなんだ。
ぼんやりしてるってハルによく言われるわたしでも、それくらいのことは分かる。
「うん」
「オレ、素直な子って好きだな」
わたしは両手で顔を覆った。
その暗闇の中で、ベルトの外れる音を聞く。
ごめん、ハル。
なぜか、わたしはハルに謝ってる。
顔を隠したままなので、三上くんが何をしようとしているかは分からない。
ギシッとベッドが軋んで、気配はすぐ傍までやって来た。
怖い、怖いよ。
助けて……。
ハル……。
わたしはハルの名前を呼んだけど、声が出たかは分からなかった。