さざ波①
お互いの気持ちに正直になれた、梅子とハル。
それなのに合コンに出掛けた梅子が、ハルは面白くない。
自分がハルのことをどう好きなのか確かめたい梅子は、合コンに行くことにしたのだった。
しかし彼女は、そこで思いもよらぬ人物と出会って……。
「まったく訳分からんっ!!」
ゴツッという鈍い音をさせて、俺は厚めのグラスをテーブルに叩き付けた。
愚痴のお供は、琥珀色とその香りが素晴らしい、自分で仕込んだ2年物の梅酒。
向かいには千明さんが座って、それをロックで飲みながら漬けた梅をかじっている。
「おっ、千明さんとハルくんで晩酌っすか? 珍しい組み合わせっすね」
タローくんが食堂に顔を出すと、俺たちを見てそう言った。
千明さんはグラスを干すと、タローくんを見上げる。
「梅子がさ、合コンに行っちゃったんだって」
「ハルくん、それで荒れてんの」
ニヤニヤして、俺を見る。
「そうなんだー」
「あれ? でも、今までもそういうことあったっすよね?」
そう、今までもそういうことはあった。
ただ、今までと今は違う。
「前、アリスがいた時……」
俺は呂律が回らなくなってきたのを感じながら、話し出す。
あのとき、俺と梅ちゃんの間に起こったこと。
「へー、梅子がそんな風にね」
梅酒のお替りをした千明さんは、意外そうな顔をしている。
「そんで、俺も言ったんすよ」
「その、梅ちゃんがいいって」
「俺たち、やっとお互いの気持ちに正直なれたってのに」
グラスが空になっていたのを思い出し、俺は俺でお替りのお湯割りを作る。
かなり飲みすぎてると思うけど、構うもんか。
「それなのに合コン行くなんて、ひどくないですか!?」
「しかも、こんなふざけたメッセージひとつ寄こすだけで!!」
俺が2人に見せたスマホには、梅ちゃんからのメッセージが表示されている。
『やっほー』
『今日は、遥ちゃんのお誘いで合コンに行くことになったよー』
『ご飯、わたしの好きなおかずなら取っておいてね』
千明さんとタローくんは、何も言わずにスマホを見つめていた。
改めてメッセージを見て、俺は酔いもあって悲しくなる。
「じゃあオレ、もう寝るっす」
俺のつまらない愚痴に飽きたのか、タローくんは部屋に引き上げて行った。
2人きりになったところで、千明さんがまた口を開く。
「で?」
「何ですか、で? っていうのは」
じとっとした目で、俺は千明さんを見つめる。
彼女は、面倒そうに俺を見返す。
「お互いの気持ちを確かめ合って、それからどうしたのよ」
「キスしたの?」
「それとも、もっとそれ以上のこと?」
もちろん、そんなことはしていない。
だんまりを決め込む俺に、千明さんがため息を吐く。
「じゃあさ、ハルくんはちゃんと言ったの?」
「え?」
「愛してるとか、アリスとじゃなくきみと結婚したい、とか」
それも言ってない。
いや、言ってないけど、あの状況はどう考えても愛の告白じゃなかった?
「言ってないんだね」
千明さんにしらっと言われて、俺はなぜかちょっと小さくなる。
「ハルくんが自分でも言ってたけど、梅子ってド天然で超鈍感じゃん?」
「そうですね」
「はっきり言わないと、ハルくんの気持ちは全然伝わってないと思うよ」
全ッ然、という感じで、千明さんは強調した。
彼女は、きっと正しい。
梅ちゃんの言葉に嘘はなかった。
彼女は俺を必要としているし、俺のことを好きなんだと思う。
でもその好きは、果たしてどういった類のものなのだろう……。
彼女は彼女で、俺の言った言葉をどのように受け止めているのか。
兄が妹に言うような、そんな感じにとらえられてしまったのだろうか。
いずれにしても俺は舞い上がり過ぎて、梅ちゃんというものをすっかり忘れていたらしい。
「あー、マジっすか……」
「そりゃ、合コンにも行くか……」
ぐったりとテーブルに伏した俺を見て、千明さんは呆れたようだった。
もう行くねと言って、グラスを手にしたまま食堂を出て行ってしまった。
後に残されたのは、しぼんだ風船のようになった、情けない酔っ払いが1匹だけ。
*****
合コンの会場は、おしゃれなイタリアン風の居酒屋だった。
あたしがチョイスしたのよって、遥ちゃんが片目をつぶる。
わたしは彼女に頼まれて、久々に合コンに参加している。
数合わせなので、気楽に飲んだり食べたり出来るのが嬉しい!
夕食はいらないってメッセージをしたら、ハルはちょっと不機嫌になったみたいだった。
怒って煙みたいなものを出してる、犬のスタンプを返してきただけだった。
アリスさんとハルとのことがあって、わたしはやっと自分の気持ちに向き合えた気がする。
わたしは、ハルのことが好き。
今まで当たり前過ぎてぼんやりしていた気持ちは、今ははっきりとして目の前にある。
でも、わたしはちょっと考えた。
好きっていう気持ちははっきりしてるけど、これってどういう好きなんだろう。
好きって一口に言っても、いろいろあるよね。
友達に対する、好き。
家族に感じる、好き。
そして、恋人に対する好き。
わたしがハルに感じているこれは、一体どの気持ちなんだろう。
そんなことを考えていたら、遥ちゃんが合コン行かない? って誘ってくれたのだった。
これはチャンスかもって、わたしは思ったんだ。
思えば、今まで男の人と付き合ったことがなかった。
ハル以外の男の人が苦手っていうのもあったんだけどさ。
でも、誰とも付き合ったことがないと、ハルをどう好きなのか分からないかもしれない。
男の人として好きなのか、やっぱり家族として好きなのか。
比較する相手が欲しかった。
そういうことだから、合コンはとってもタイミングがよかった。
付き合わなくても、もし言い寄ってくれる男の人がいたら……。
わたしはその人を通して、自分の気持ちを再確認できると思ったんだよね。
まあ、その人には悪いけど。
今日は3対3っていうメンバー構成。
女の子は遥ちゃんとそのお友達、そしてわたし。
6人席に、横に並んで座っている。
男の人たちは、わたしたちより少し年上の人たちらしい。
まだ2人しか来てなくて、最後の1人を待ってるみたい。
「ごめんねー、いつもはちゃんとしたヤツなんだけどね」
遥ちゃんの向かいに座った人が、顔の前で手を合わせて謝る。
彼は、大手航空会社で働いてるらしい。
さっき、遥ちゃんが教えてくれた。
「多分、もう少しで……あ、来た来た!」
「遅っせーよ、こっちこっち!」
「笹川!」
笹川。
その名前を聞いて、わたしは一瞬ドキッとした。
手招きされてやって来た人を、まじまじと見てしまう。
「すまん、どうしても会議が終わらなくて」
申し訳なさそうに言うと、その人は一番端の開いた席に座った。
わたしの、向かいに。
笹川と呼ばれたその人は、細身で背が高くて、眼鏡をかけていた。
ラフな格好で来た他の2人とは違って、高そうなスーツを着ている。
じっと見ていたらぱちっと目が合ってしまって、わたしは慌てて下を向いた。
「ごめんね、こいつ、俺の友達の笹川っていうの」
「こう見えて、時期社長なんだぜ」
航空会社勤務の人が、そう説明した。
わたし以外の女の子たちが、うっそーとか言って驚いている。
合コンによくあるリアクションだね。
「あの、もし間違ってたらごめんなんですけどぉ」
「笹川さんって、あのホテル業界の笹川グループの方ですか?」
遥ちゃんの友達だっていう子が、少し身を乗り出して聞いていた。
遥ちゃんも、興味津々って感じ。
「あー、うん」
「そうだけど……」
笹川さんもこういう場に慣れてないのか、突然の質問にもごもごと答えている。
聞いた子は、うっそーすごーいとキャアキャア言ってる。
大手企業に勤めているとか社長さんになる人だとか、わたしはそういうのにあんまり興味はないんだよね。
ただ、さっきから何か引っ掛かることがある。
変な感じだけど、この人どこかで見たことがある気がする。
「別にすごくはないんだけど……」
「爺さんが興した会社を受け継ぐだけだし」
「おじいさんってことは、創業者の笹川清志さんの孫ってことですよねー!?」
「なっちゃん、詳しいね」
わたしは、急に席を立った。
ガタンと音がして、椅子が後ろに倒れる。
お店の人、なっちゃんって子、遥ちゃん、男の人たち、そして、向かいに座る笹川さん。
みんなが不思議そうな顔をして、わたしを見ていた。
*
もう11時になるじゃんか。
梅ちゃんのヤツ、明日休みだからって羽目外し過ぎだろ。
風呂上がりで首からタオルを掛け、俺は怒っていた。
自分がさっきまで飲んだくれていたのは、もう忘れた。
酔いだって、とっくに醒めている。
部屋で家計簿でも付けようとパソコンを開いた時、玄関が開いて梅ちゃんが帰って来た。
もちろん見えてないけど、パンプスを履いた足音で分かる。
どうせ酔っ払って、ハルー、お水ぅーとか言って玄関に寝そべってることだろう。
「おかえり」
そう言って玄関に顔を出した俺は、驚いた。
梅ちゃんは、ちゃんと玄関に座っていた。
飲んで帰って来た彼女がこんなにしゃんとしているのを、俺は見たことがない。
「ハル……」
座ったまま、梅ちゃんは振り返る。
パンプスだって、まだ履いたまま。
ただ、その顔を見ると、どうやら素面らしかった。
「どうしたの?」
「合コンだったんだよね?」
「珍しいじゃん、飲まなかったの?」
俺はいろいろ言ったけど、梅ちゃんはあまり聞いてないみたいだった。
これはきっと、何かあったに違いない。
また、誰かに連れ込まれてどうにかされそうになったとか……?
でも、そういう感じでもないし……。
ああでもないこうでもないと俺がひとりで考えていると、やっと梅ちゃんが口を開いた。
相変わらず、行儀よく玄関に腰掛けたままで。
「ハル」
「わたし、どうしよう」
「え? 何?」
「どうしようって、何があったの?」
「会っちゃったの……」
「会っちゃったって、誰に?」
そこでまた、梅ちゃんは口をつぐんだ。
俺の喉が、ごくっと鳴った。
「笹川さん」
「笹川のおじいちゃんの、お孫さんに」
ほんの一瞬間を置いて、梅ちゃんは真っすぐに俺を見て答えた。
首に巻いていたタオルが、微かな音を立てて床に滑り落ちた。