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アリス①

ある晩、ななし荘に突然の来客。

一同が迎えたのは何と……。

「それでねぇ、子どもまでお腹にいるっていうじゃない?」

「今は授かり婚? とか言うらしいんだけど」

「もう、義姉さんも兄さんもカンカンだったのよぉ」


そう言うと、梶原(かじわら)のおばさんは大きな口であんみつを頬張った。

パンチの効いたパーマにつっかけを履いたおばさんは、まるで昭和が具現化したような人だ。

初めて会ったときから俺に物怖じせず、いろいろ世話を焼いてくれるので助かっている。


いつものスーパーで顔を合わせた彼女は、ちょっとハルちゃん聞いてよぉと、俺をねこねこ堂に引っ張っていったのであった。

甘味処のねこねこ堂のあんみつに惹かれ、俺はほいほいと付いてきてしまった。

梶原さんが話したかったのは、姪っ子のデキ婚騒動についてだった。


「サチコももう25で適齢期だけどさ、さすがに順序ってもんがあるわよぉ」

「ハルちゃんもそう思わない?」


梶原さんは餡子と四角い寒天を一緒にすくい、口に運んだ。

幸せになる方法は、人ぞれぞれだと思っている。

結局は、本人たちがどう感じるかではないかとも思う。


でも……。

もし梅ちゃんがそんなことになったら?

俺の天地は、間違いなくひっくり返る。



その晩、食事の片付けを終えた俺は、休憩スペースでダラダラとTVを見ていた。

何気なく見ていた番組は、芸能人のスピード婚についての話題で盛り上がっている。

しかも、デキ婚だ。


俺はTVを消した。

そのまま、ちゃぶ台の上に上半身を伏せる。


「ハルー、どうしたの?」

「ダラけちゃってるじゃーん」


食堂に顔を出した梅ちゃんは、休憩スペースにいた俺を発見すると傍に寄って来た。

伏せった俺の背中にベタッと引っ付くと、肩甲骨の間辺りに顔を載せた。

わざと口を大きく開いて閉じて、顎の骨でゴリゴリとした刺激を与えてくる。


「それ、痛い」

「あーうーあーうー」


俺の訴えなどお構いなしに、梅ちゃんはゴリゴリを続けた。

まったく、この人は一体何がしたいんだか。

しかしふと思い立ち、俺は梅ちゃんに聞いてみる。


「梅ちゃんって……結婚しないの?」

「何、いきなり」


背中から離れて、梅ちゃんは畳に座る。

訝し気な顔をして、こちらを見ている。


「結婚て、ひとりじゃ出来ないでしょ?」

「当たり前だろ、そんなの」


「じゃあまだ当分出来そうにないよ」

「だって、まだ相手がいないもん」


梅ちゃんはそう言うと、お風呂入ってくると食堂を出て行った。

まだ相手がいない、か。

俺はちょっと嬉しくなった。


「あのー、すみません」


俺のそんな温かい気持ちを、急な来客の声が遮った。

時間は夜の10時前。

誰だろう、こんな時間に……。


そっと玄関を覗くと、しゃんとした身なりの紳士がいた。

初老の頃と思われるその人は、申し訳なさそうな顔をして立っている。


見知らぬ顔に、俺は出て行こうか迷った。

何せ、俺はオオカミだ。

急に出て行ったら、あの老紳士はショック死するかもしれない。


迷っていた俺の鼻に、ある臭いが飛び込んできた。

オオカミの匂い。

よくよく嗅ぎ取れば、あの紳士から漂ってきている。


「あの……」


無視出来なくなって、俺は玄関に出た。

初老の紳士は俺の登場に目を丸くはしたものの、叫ぶわけでもなく、もちろんショック死もしなかった。


慣れている、そんな雰囲気だ。

でもなぜ、慣れている?


「申し訳ありません、こんな遅い時間に……」

「いや、しかし、驚きました」

「お嬢様のような方が、他にもいらっしゃるなんて……」


最後の一言は、まるで呟くような言い方だった。


「あ、これは失礼しました」

(わたくし)横山(よこやま)と申しまして、とある家にお仕えしている執事の者でございます」


「この近くまで出掛けた帰りで、お嬢様がご気分を悪くされまして」

「近くに病院か、あるいは少し休める場所があればお伺いしたいと思いまして……」


確信はなかったが、俺は思い切って聞いてみた。


「そのお嬢様っていうのは、もしかして……」


執事の男性は、言葉は発せずに静かに頷く。


アパートの前に停められた黒い高級車の中に、彼女はいた。

人間の女性だったらずいぶんと大柄だが、俺より少し小さいくらい。


明るいクリーム色の毛並みをした、メスのオオカミだった。

ワンピースの上に薄手のトレンチコートを着て、後部座席で苦しそうに横になっていた。



今度は、うちの住人が目を丸くする番だった。


思うに、彼女は医者が必要なほど悪いようには見えなかった。

俺は自分のベッドの布団を取り換えると、彼女をそこに横たえた。

彼女に合う場所が他になかったので、とりあえずは我慢してもらうしかないだろう。


執事の横山さんによると、彼女は資産家の一人娘ということだった。

名を、アリスという。


アリスを泊めるにあたって、梅ちゃんはもちろんのこと、他の住人にも声を掛けた。

彼女が俺のようなオオカミである以上、余計に話は通しておくべきだと思ったからだ。


「信じられない……」

「ハルみたいなオオカミが、他にもいるなんて」


梅ちゃんは、横山さんと同じようなことを言った。

俺だってそうだ。

生きているうちに、自分の同族に出会うとは思ってもみなかった。


横山さんはアリスに付き添い、俺の部屋で夜明かしする様子だった。

俺は2階の空き部屋で寝るつもりだったけど、梅ちゃんが声を掛けてくれる。


「あの部屋、ずっと掃除してなかったでしょ?」

「今晩はこっちで寝たら?」


こっち、つまり、梅ちゃんの部屋でということ。

日付も変わろうかというときに、埃っぽい部屋を掃除するのは気が進まなかった。

有難く、彼女の申し出を受け入れる。


「こんな風に寝るのって、いつぶりくらいかな」


梅ちゃんのベッドの下に、俺は布団を敷いて横になる。

段差はあるが、並んで寝るのは小学生の時以来だったと思う。

いや、トカゲ騒動のとき以来か。


本当なら、前みたいに梅ちゃんのことで頭がいっぱいになるんだと思ってた。

でも、今回は違った。


俺の頭の中にあったのは、今は俺の部屋で寝ているだろうアリスのことだった。

車の後部座席にいた、あの優しい毛色のオオカミ。


梅ちゃんの部屋にいるのに、俺は別の人のことを考えている。

それがとてもやましいことのように感じられて、俺は梅ちゃんに背中を向けて眠った。

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