梅ちゃんの秘密①
梅子とハルの誕生日。
毎年やってくるこの日、彼らにはやることがあった。
お祝いの夕食を終えた彼らが、向かった所とは……?
梅ちゃんには、秘密がある。
ひとつは、人間のように生活するオオカミの俺のこと。
もうひとつは、彼女自身のこと。
*****
「おっ、今日はすっげーご馳走じゃん!」
食堂にやって来た千明さんが声を上げる。
今日は、梅ちゃんのリクエストで手巻き寿司にしたのだ。
胡麻をふった酢飯、包みやすいように細長く切ったネタ、ひきわり納豆、ツナマヨ、ネギトロ……。
我ながら、張り切って用意したもんだ。
まあいい、今日は特別な日なんだから。
しばらくして、みんなが集合して夕食が始まる。
誰もが、思い思いに好みのネタで手巻き寿司を楽しんでくれているようだ。
「ハルー、ツナマヨ軍艦作ってー」
「えー」
「面倒なこと言うよね、ほんとに……」
文句を言いつつも、俺は彼女の要望に応える。
手巻きのときのツナマヨには刻みネギが入っていて、梅ちゃんのお気に入りなのだ。
「梅子ちゃん」
「その、後ろにある包みは何なの?」
モッコさんが聞いた。
梅ちゃんは、椅子の背に何かの包みが入った袋を提げていた。
「あっ、そうそう!」
もぐもぐと口に入れていたものを飲み下し、梅ちゃんは袋を手にする。
そしてそれを、そのまま俺に手渡す。
「ハル、誕生日おめでとう!」
あっ! という顔をして、モッコさんとタローくんが顔を見合わせる。
この行事に慣れている千明さんは、何でもない顔をして手巻き寿司を頬張る。
「そっかー、今日はハルくんと梅子ちゃんのバースデーだったんすね!」
「すいません、全然気付かなくて」
タローくんが頭を掻く。
「いいよ、そんなの」
「お祝いしてって年でもないし」
タローくんにそう言いながら、俺は梅ちゃんがくれた包みを開く。
中から出て来たのは、真新しいフライパンだった。
「うおっ、すげー!」
「これ、ドイツの老舗メーカーのフライパンじゃない?」
ピカピカのフライパンに、俺の心は躍る。
新しいフライパンは焦げ付かないので、料理がスムーズに進んで嬉しい。
「気に入った?」
「うんうん! さすが梅ちゃん、俺の好み分かってるわー」
「でしょ、でしょ?」
梅ちゃんは誇らしげにちょっとそっくり返ると、また海苔を手にした。
俺はフライパンを置きに席を立ち、その足で棚から封筒を取り出した。
淡いピンク色で、可愛らしい小花模様のものだ。
「はい、これは俺から」
「ありがとう! 何なに?」
いそいそと梅ちゃんは封筒を開け、中から数枚の紙を取り出した。
お札よりちょっと厚めの紙が5枚。
「全国どこでも使える、商品券です!!」
俺の言葉に、場が盛り下がった。
蛇口から、水がポタンと落ちた音がした。
「ちょ……商品券なの?」
千明さんが呆れたように言う。
「まるで、久々に会った姪っ子に急なお祝いをしたオジサンみたいじゃない?」
これはモッコさんだ。
分かってる。
あなたたちの言いたいことは分かってる。
「だって、もう何あげたらいいのか分からないんですよー」
「変なものあげるより、自分で好きなもの買った方が有意義でしょ?」
なぜか肩身が狭くなり、俺は弁解した。
事実、梅ちゃんが何をほしいのか、俺にはもう分からない。
子どものときはそれなりにアイデアもあったけど、26にもなった女性に何を贈るか、みんなそんなに把握してるもんかな?
「いいよ、嬉しいよー」
「ちょうど、気になってるワンピースがあったんだ」
梅ちゃんがニコニコしてそう言ってくれたので、俺は少し救われた。
来年は、ネットでリサーチして何か用意したほうがいいのかもしれない……。
*
「あれ、今からお出掛けっすか?」
革製のライダージャケットを羽織った俺に、タローくんが不思議そうな顔をした。
もう9時を回っている。
普段なら、こんな時間から外出したりはしない。
「うん、ちょっとね」
ヘルメットを被ると、梅ちゃんが支度をして下りてきた。
今の季節にしては、少し厚めの上着を着ている。
しかし、それでいい。
「ちゃんと着込んだ?」
「バイクで飛ばすと寒いよ」
「うん、大丈夫」
「タイツも履いたから」
俺たちが一緒に出掛ける様子だったので、タローくんは何かを察したようだった。
楽しんできてくださいねと言い残し、部屋に帰っていく。
微妙に勘違いしてる気がするけど、まあいいか。
「じゃあ行こうか」
俺は梅ちゃんの頭にヘルメットを被せると、彼女をバイクの後ろに乗せてある場所に向かった。
これは俺と梅ちゃんの、毎年の恒例行事なのだ。
1時間近くバイクを飛ばして着いた場所は、大きな霊園。
大小いくつかに分かれたエリアに、数えきれない墓石が並んでいる。
俺たちは慣れた足取りで、その中のひとつに向かう。
【笹川家之墓】
俺と梅ちゃんが前にした墓石には、そう彫ってある。
その前で静かに頭を下げると、梅ちゃんはそっと手を合わせた。
隣で俺も、同じようにする。
線香も供え物もない。
俺たちの墓参りは、いつもこんな感じだった。
ほんのしばらく頭を垂れたままだった梅ちゃんは、やがて顔を上げた。
行こうかと表情で言うと、歩き出した。
その帰り、自販機で買ったホットココアの缶を梅ちゃんに手渡した。
俺は、コーヒーにした。
「ハル、いつもありがとうね」
ココアを一口飲んで、梅ちゃんが言う。
言葉と一緒に、白い息が吐き出される。
11月も近くなり、夜はずいぶんと寒くなってきた。
「何言ってるんだよ」
「気にしなくていいよ、そんなこと」
彼女と並んでコーヒーの缶に口を付けながら、俺はそれとなく言った。
それからはほとんど言葉を交わすこともなく、飲み終わった缶を捨てて、うちに帰ることにした。
バイクは、もう車の通りもまばらになった道を走る。
ヘッドライトだけが、少し先を照らしている。
俺は、さっき訪ねたばかりの墓石を思い出す。
【笹川清志】
そこには、こんな名前も彫ってあった。
ばあちゃんが亡くなる少し前に、その人は旅立ったという。
笹川のおじいちゃん。
小さかった梅ちゃんがそう呼んでいたあの人は……。
梅ちゃんの父親だった。