ハルとわたし①
のんびりマイペースな弥生梅子は、幼馴染にしてアパートの大家であるハルにいつも怒られている。
会社でそんな彼女に迫る男が現れて……。
わたしには、秘密がある。
*****
月に何度か、わたしはつい朝寝坊をしてしまう。
今日は、そんな日のうちのひとつ。
「だーっ! のんびりしてないで、早く食べなって!」
食堂でのんびりとトーストにかじりついていたわたしを、ハルが急かす。
彼のピンと伸びた三角の耳は、神経質そうにピクピクと動いている。
「あーもう、寝癖まで付けて……」
呆れた声で呟くと、ハルはその足でドライヤーを取ってくる。
早く食べろと再び急かしながら、髪をブローしてくれる。
『さて、今日一番のラッキーさんは誰でしょ~?』
TVで流れていた朝の情報番組では、番組最後の星占いのコーナーが始まった。
これが終わると、8時になる。
「あー、無理」
「もう行こ行こ!!」
ハルは腰に巻いた黒いエプロンを外すと、代わりにヘルメットを被る。
彼のふさふさのしっぽは、せわしなくバタバタと振られている。
しっぽって、実は嬉しくないときにもバタバタするんだよね。
アパートの庭には、既にバイクが出してある。
ハルはそれに跨ると、すぐにエンジンをかけた。
「被った? 行くよ!」
タンデムシートのわたしがヘルメットを被ったのを確認して、ハルはアクセルを捻る。
バイクが動き出す前に、わたしは彼の胴にしっかりとしがみついた。
わたしが寝坊して怒ってはいるけど、拒絶はしないハルの背中。
ウォン! とエンジン音を残して、バイクはアパート【ななし荘】から飛び出して行く。
わたし、弥生梅子には秘密がある。
それは、幼馴染のハルのこと。
このななし荘というアパートの大家にして、人間のように暮らすオオカミのハルのこと……。
*
「……ということだから、分かった?」
夕食のとき、ハルはパックの納豆を混ぜながらわたしにお説教をした。
お小言はいつものことだから、つい右から左に流してしまう。
でも、ハルがバイクで送ってくれたから、会社に遅刻せずに済んだんだよね。
お説教の中身はすっぽ抜けてるけど、ここはしおらしく聞いておこう。
「分かった、ごめんね」
「分かればよし!」
しおらしく返事したのが効いたのか、ハルは満足そうに言った。
そして、いい混ぜ具合になった納豆を半分、わたしのご飯にかけてくれる。
「ハルくんが甘やかすからいけないんじゃないの?」
お説教から納豆までの一部始終を見て、一緒に食卓に着いていた千明ちゃんが言う。
千明ちゃんは、住人の中で一番の古株さん。
黒いロングヘアが素敵な、背の高いお姉さんだ。
「それ言われると痛いなあ……」
ハルはハルで反省したように言うと、おかずの鰺フライを頬張った。
彼自身にも、わたしを甘やかしている自覚はあるみたい。
「優しい男もいいけど、優しすぎると女を腐らせるわよ?」
「テメー、どの立場で物言ってんだよ」
「うるせー、千明!」
千明ちゃんと言い合いをしてるのは、同じくここの住人であるゲイバーママのモッコさん。
今日は出勤日じゃないので、一緒にご飯を食べている。
見た目は化粧の濃いオジサンだけど、わたしは嫌いじゃないんだな。
今日は、カワイイ花柄のワンピースを着ている。
「おーー、腹減ったぁ!! いいっすね、鰺フライっすか!」
最後に遅れて来たのは、大学生のタローくん。
ダブッとしたトレーナーとゆるゆるのパンツはちょっとチャラい感じだけど、いい子だと思う。
ご飯の時は、ちゃんと帽子脱ぐしね。
わたしを含めて、ここななし荘の住人は4人。
そこに大家のハルを加えて、5人で毎日楽しくやってまーす。
「実はね、どうも同僚の子に見られてたみたいなの」
納豆ご飯を食べながら、わたしはハルに話す。
茶碗と唇の間に伸びるネバネバを、箸でくるくると巻き取りながら。
「えっ、マジで!?」
「気を付けたつもりだったんだけど」
ハルは口を付けかけた味噌汁のお椀をもう一度置き、眉間に皺を寄せた。
住んでるアパートの大家が幼馴染にしてオオカミだってことは、会社の人たちには内緒にしてある。
「メット被ってたし大丈夫だと思ったんだけどな……油断したな」
「ううん、顔は見られてないから大丈夫」
わたしがそう言うと、ハルは安心したようにほっと息を吐いた。
わたしは、昼間のことを思い出す。
*
「見・た・ぞ、見たぞー!」
同僚の遥ちゃんがそう言ったのは、お昼に休憩室でお弁当を広げているときだった。
彼女はわたしと同じ席に着いて、おにぎりと春雨スープのカップをコンビニの袋から取り出す。
「梅子、今日彼氏に送って来てもらってたでしょー?」
「彼氏?」
遥ちゃんにそう言われたとき、わたしはちょうどレンコンのはさみ揚げを食べていた。
口の中でレンコンをシャリシャリいわせながら考えて、それがハルのことらしいと気付く。
「何よ、昨日はお泊りだったの?」
「違うよ、そもそも彼氏じゃないし……」
お泊りという点は、正しいのか間違っているのか分からない。
わたしはハルのうちに泊まったわけではないけど、わたしたちは同じアパートに住んでいる。
「じゃあ、誰よ?」
「バイクの後ろに乗せて送ってくれるなんて、超カッコいいじゃん!」
「そうかな?」
あのヘルメットを被ってバイクを運転していたのは、わたしの幼馴染でオオカミなんだよ。
そのことを知ったら、遥ちゃんは何て言うかな。
わたしとハルの間柄は、実はちょっと複雑なんだよね。
わたしたちは、同じお母さんに兄妹みたいに育てられた。
生まれてから今までずっと一緒だったけど、血は繋がってないから幼馴染ってことにしてるんだ。
お母さんは、わたしたちが中学に上がる前に病気で亡くなってしまった。
その後わたしたちを引き取ってくれたのが、元々ななし荘の大家をしていたおばあちゃんだった。
だからななし荘は、わたしとハルにとっての大切な家なの。
ななし荘は、シェアハウスが流行るよりずと前からそういう感じでやってきたんだよね。
大家だったおばあちゃんは、まるで寮母さんみたいに住人の世話を焼いていた。
アパートの掃除に洗濯、食事の用意まで。
そんなおばあちゃんが数年前に亡くなってしまったとき、これからどうしようってことになった。
その頃の入居者は千明ちゃんだけだったんだけど、ハルは迷わず、自分がアパートの大家を引き継ぐって決心してくれた。
そうして今、立派におばあちゃんの跡を継いで頑張ってくれている。
「何の話?」
「あ、三上くん」
遥ちゃんが顔を上げる。
いつの間に来たのか、営業部の三上くんがわたしたちのすぐ傍にいた。
手には、自販機のコーヒーカップを持っている。
「実は梅子がね~」
「ちょっと、止めてよ……」
ニヤニヤしている遥ちゃん。
わたしは、三上くんに話を聞かれるのは嫌だなって思ってた。
そもそも、わたしは男の人があまり得意じゃない……。
やり手営業マンって言われてて、ソフトマッチョな体つきらしい三上くんはなおさら。
「今日、彼氏にさあ」
「だからー、彼氏じゃないんだってば!」
わたしが両手を振って否定するのを、三上くんはおかしそうに聞いていた。
わたしたちのテーブルの開いた席に座ると、コーヒーを一口飲んだ。
「へえ、弥生さんって彼氏いないんだ?」
「い、いないよ」
三上くんが近い。
わたしは、大袈裟にならないように気を付けながらそっと距離を取る。
「じゃあオレ、立候補しちゃおっかなー」
頬杖をついて、三上くんは爽やかに笑った。
この笑顔にぞっこんな人たちは、営業部以外にも多いらしい。
「えー、いきなり告白~? 梅子、どうする?」
「どうするって……」
どうするもこうするもないよ。
わたしは三上くんと付き合う気はないし、冗談でこんなこと言われても困るだけだもん。
「ごめん、先に行ってるね」
わたしは遥ちゃんにそう言うと、食べかけのお弁当を再び包んでその場を離れた。
*
とってもめんどくさいことになった。
あのランチの日から、三上くんがよく声をかけてくるようになったからだ。
あれやこれやと理由を付けては、わたしを食事に誘ってくる。
何、あの三上くんに言い寄られてる地味な子……。
三上ファンの、そんな視線も痛い。
わたしには、全然そんな気はないのに。
いい迷惑って、こういうことをいうんだね……。
この日も三上くんにしつこく付きまとわれ、わたしはうんざりしていた。
ハルがよそってくれたご飯を、黙って受け取ってしまった。
「どうしたの、梅ちゃん」
「眉間に皺が寄ってるよ」
気付かないうちに、しかめっ面をしていたみたい。
でも、ハルにそれを指摘されたのも、何だか面白くなかった。
「別に、そんなことないもん」
口を尖らせて、わたしは小さな子どもみたいにそっぽを向く。
わたしのそんな様子に、近くのタローくんはちょっと目を丸くしている。
「今日はずっと機嫌悪いじゃん」
「会社で何かあったの?」
放っておいてくれればいいのに、ハルはあれこれ詮索してくる。
わたしを心配してのことだって、本当は分かってる。
でも、虫の居所が悪かったわたしは、そんなハルにもついイライラしてしまった。
「俺が解決してあげられるか分からないけど、何も話さないより……」
「もうっ! 放っておいてってば!」
珍しく、大きな声が出てしまった。
ハルはそんなわたしを驚いた顔で見て、ぱたんと炊飯器の蓋を閉めた。
以前こちらで連載をしていた、「ななし荘にようこそ」の改変版です。
キャラクターや設定は、根本的には同じになっています。
違ったバージョンの、ななし荘の面々をお楽しみいただければと思います。