足利紫電
眩しい。瞼を貫通して光が眼窩に広がる。
硬い。頭の下がやけに硬い。森の地面はこんなにも硬かっただろうか。
二つの刺激でスリープ状態だった脳が動き始める。う~ん、と唸りながら体を起こそうとする。しかし、上手く体が動かせず、また関節に力が入らない。
「無理に起きなくとも、大丈夫ですよ」
頭の上の方で優しい声が聞こえる。
「...............あ、あな...たは...?」
何とか顔を声の方に向けてそれだけ聞くが、その答えを聞く前に寝てしまった。
「...まだ、かかりそうですね」
鳥の可愛らしい囀りに、木の葉が揺れ擦れる音、川のせせらぎ、まさに自然を体現したような音の集合体の中に大きく風を切る音が聞こえる。それも一度や二度ではなくリズムよく、ビュン、ビュンといった調子で何度も繰り返されているようだった。
「知らない天井だ...。いや、天井?なんだこれ...」
普通この状況で目を開けて一番最初に見えるのは天井だが、昭典の見たものは梁や垂木が向き出しで天井が存在しなかった。
「屋根の裏側だな」
そう結論付け、半身を起こしキョロキョロと見回す。どうやら小さな畳四畳半ほどの小屋の中にいるようで、壁には簑や菅傘等が吊るされており、地面にもよくわからないくの字型の道具等が置かれてある。
「外から聞こえる...」
あの風を切る音はまだ聞こえてくる。良く耳を澄ませばハッハッといった息遣いも聞こえてきた。引き戸を開けて外に出るとすぐ目の前に音の正体がいた。身長150㎝程の両手に自身の身長程ある大きな木の棒を前後に少しずつ動きながら素振りしている女性...というには少し若い少女がいた。肩甲骨ほどまである黒い髪を後ろで纏め、凛々しい顔立ちの少女だが、何故か着物がどちらも黒の男物の小袖に袴であった。腰には打ち刀と脇差を差していた。
「あら?」
そう言って一度素振りを止め、少し息を切らしながら穏やかに話かけてきた。
「起きましたか?朝食があります。食べた方がいいでしょう」
「あ、はい。じゃあ頂きます」
食事をするように畳み掛けられ、流されてしまった。棒を置いて小屋のすぐ横にある石を積んだだけの竈の上に土鍋が置かれている。その中に茶色い液体が満たされているが、匂いからして味噌のようだ。
「あまり具はありませんが...。それでも食べぬより良いでしょう」
お玉で茶碗一杯に入れると箸と一緒に渡される。
「頂きます」
テーブルは無いのでお茶碗を持ったまま言う。ガツガツと流し込むと、キノコや何かの柔らかい葉っぱのようなものが入っていたが、美味しかった。味噌が。
「あの、助けてくれてありがとうございました。あの時助けてもらわなかったら、多分死んでたので...。...あっ俺は岡倉昭典といいます」
「いえ、私に出来ることをしたまでです。私は芦利紫電、といいます。不思議なご縁もあるものですね」
二コリと微笑んでいる顔が実に可愛らしかった。
「そう言えば、どうしてあのような場所に一人で?」
「...そう言えば!!しまった!!」
「何があったのですか?」
目の前の少女にもう迷惑はかけられないと思いながらも、ここまで世話になって経緯を話さないのも失礼かと悩み、結局話すことにした。依頼を受けたことや別行動した仲間がいた事。途中で急にいなくなった仲間や、話すかどうか迷って自分が外界者でここに来てまだ数日しか経っていない事等、色々と話してしまった。
「そうでしたか。大変...とは一言で言い表せませんね」
「早く町に戻らないと...」
「私もその町に用があるのです。一緒に参りませんか?」
「是非とも!じゃあ早速―」
「先ずは借りた物を片付けてからですね」
どうやらこの少女―芦利紫電はこの小屋に住んでいるのではなく、俺を抱えて休める場所を探していたところ、この杣小屋を見つけたらしい。鍋や茶わんはそこに置いてあったものらしく全て近くの川で洗って返した。
「ところで芦利さんはどうしてあの村へ?」
隣で歩いていた少女は、きょとんとして、
「そう言えば言っていませんでしたね」
「私はおばあ様が素晴らしい剣豪でお母様はそのおばあ様の弟子の中でも最も優れた剣士だったのです。幼い頃から剣の道を志していたのですが、お父様はそれを許してくださいませんでした。お母様がお父様と離縁してから私はお父様の下で育てられました。それから四年ほどで、病でお父様が倒れ、兄が家督を継いだのを機に家を飛び出してお母様に剣を習いに行きました。しかし、二年ばかり過ぎた頃、お母様は足を悪くし、歩けなくなりました。そこでお母様はお母様の弟子達に剣を習うようにといい、弟子達の居場所を教えて下さいました。しかし、行く先々で断られ、最後の一人に会うためにこうして旅を続けているのです」
そう話終える。
「そ、それ、聞いて良かったのか?俺...」
「貴方も話してくれましたから」
「凄いね...一人で旅するなんて」
「いえ、四日程前まで二人だったのですが、急に居なくなって。前にも何度かありましたから」
困り笑いで答える。
「えぇ...」
「そいつを探すのも用事の一つですよ」