表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/64

序章2~見せかけの平穏~


「あのことは二人だけの秘密。わかっているよね」


 颯真が耳元でささやく。二人だけの内緒話をするように。

 それが昔、たくさんのタンポポに囲まれて笑っていた、二人が幼いころだったのならどんなに微笑ましかったろうか。その瞳はもう笑っていない。


「キミの両親をクビにすることなんて、たやすくできてしまうのだからね」


 とうてい先ほどまでの優等性同然の態度からは想像もつかない様相だった。いつからか変わってしまった颯真。昔は、否、再会する前まではとても好きだった。それなのに、今はこんなにも颯真が怖い。再会する前とは別の意味で心が彼でいっぱいだった。


「結希も家族を路頭に迷わせるようなことは、したくはないよね。結希の面倒はもちろん僕がみるつもりだけど、叔母さん達のことまでみられるとは言えないからね」


 温度を感じさせない視線に囚われる。肩に颯真の手が乗せられた。結希の言動のすべてが見張られているような感覚だった。


「どうしたの?返事は?」と少し苛立たしげな言葉に慌てる。

「は、はい」

「うん、結希ちゃんはいい子だね」


 元の笑顔に戻ったことに安堵する。ようやく息ができる。蛇ににらまれたカエルのような心境からは、脱することができた。


「あーあ、同じ学校だったらよかったのにね。父さんが勝手に決めてたもんだから、て言っても仕様がないね。家は一緒だから帰れば会えるんだし、まあいいか。じゃあ、また家で」


 少し拗ねたように颯真は言う。途中から枝分かれになっている道で颯真がそういうのに頷いて手を振る。別の高校だが、立地的には近いところにあるため途中までは一緒に通っていた。颯真の裏の顔を知ってしまった今となっては苦痛な時間だったが。

 


 別れた後、とぼとぼと道を歩く。「おはよう」といつも玄関であいさつをしている、元気のよい担任教員の声で我に返る。いつの間にか、学校に着いていたらしい。心配そうにこちらをうかがう先生の顔が見えた。

「お、どうした大丈夫か?具合が悪いなら、保護者の方に連絡を……」

「だ、大丈夫です!失礼します!!」

 一気にまくし立てて、小走りでその場を去る。家に連絡でもされたら、また母からとやかく言われる。それに――。


「家にはあまりいたくない……」


 教室へ向かう階段をのぼりながら、ため息をつきそうになるのをこらえる。颯真が引っ越してしまう以前、裏の顔を知る前から、颯真はなにかと結希に対して過保護だった。どこへ行くにも行先や誰と行くのか報告しなければいけなかったし、同じ学校ではなかったため修学旅行に行くことも嫌がっていた。颯真いわく「わけのわからない人達と結希が仲良くなることが嫌」ということらしい。普段からこんな状況だったのだ、風邪なんて引こうものなら自分も家にいると、一日中一緒にいることになりかねない。昔なら優しいと思っただけで問題なかったが、颯真の二面性を知った今となっては恐怖でしかない。あんなことをしておいて、どうして平然としていられるのか、結希にはそれがわからなかった。

 教室の戸を引く。鉛でも仕込まれているのかと思うほど重く感じた。一歩教室に入ると数人からの視線を感じる。


「ね、柳川(やながわ)さん顔真っ青だよ。大丈夫?もし、なにかあるなら――」

「大丈夫、なんでもないから」


 言い終えるのを待たずして、予鈴の音がなった。

「ほら、朝礼が始まっちゃう」

 早口で言い終えると、逃げるように窓際後ろの自分の席に着く。遠くで先ほど話しかけてきた女生徒が結希の話をしている声が聞こえた。なにを話しているかは、だいたい察しがつく。いつも同じ理由だから――。


「なによ、折角話しかけてあげたのに。お母さんがあの子とは仲よくしときなさいっていうから、あたし……」


 そうだよね。

 心の中で呟く。わかってはいても、この痛みに慣れることはなかった。


 従兄弟の颯真は大手企業であるハヤミ製薬会社の一人息子だ。ハヤミ製薬会社は希少疾病の新薬に関する研究開発を行っている企業であり、ついこの前もその薬が臨床で使用可能になったのだと特集が組まれていた。どこからかそのハヤミ製薬会社の社長子息が結希の従兄弟であるということが高校に広まってしまった。それからだ、教室で目立たない存在だった結希に急に話しかけてくる人が増えた。もともと人見知りの結希は、どうすればいいのかわからずにいた。


 もっと穏やかに学校生活を送りたいだけなのに。結希は小さく息を吐く。

「はい朝礼は終わり!一限は俺の授業だから用意しとけよー」

 朝礼を終えた担任の声でハッとする。考えごとをしていたらいつの間にか話が終わっていたらしい。机の中から国語の教科書を出す。担任は国語の教員だ。

 それにしても、と窓の向こうを見る。珍しく日差しが温かい。遠くでは早くも雪をかぶる山々が見える。元々クラスの少ない商業コースのこの学科は、高校2年生へと進級しても生徒の顔ぶれが変わることはなかった。結希は色々な資格が取れると聞きこの学科を選んだ。その資格で稼いでお金が貯まれば自分の夢を母は応援してくれるかもしれない、そう思ったからだった。


 外にあるのどかな世界を感じる。ふと先ほどの歪んだ笑みを漏らす颯真を思い出した。自分がいくら辛くたって、世界はこんなにも変わらない。当たり前のことなのに、ひどく違和感を感じた。表現しようのない感情を、言葉にすることを放棄する。それは色々なことを諦めようとしている自分だった。

 授業の用意を終え戻ってきた先生が、教壇に立つ。


「授業始めるぞ。今日は先週の続きから。えー、輪廻転生。日本では昔から信じられ、人々は――」

 先生のやわらかい声と暖かな日差しで意識が浮上していく。思い出すように、最近のできごとがよみがえってきた。




「進路希望調査か――。どうしよう」


 手元にある真っ白な用紙に項垂れる。やりたいこと、あるにはあるが……。


「確実に反対される、よね?」


 結希には絵描きになりたいという夢があり、絵を学びたいと考えていた。そのために、商業学科にも入った。日和見な絵だけでは食べていけないこともわかっていたから、お金を稼ぐため、高校卒業後すぐに就職するつもりだ。そしてお金を貯めて、絵を勉強する。しかし、母は将来の不安定な仕事に対して肯定的とは言えない性格をしていた。


「でも、一応聞くだけはしてみよう」


 稼ぎながら学ぶにしろ、母には言っておいた方がいい。意を決して母のいるリビングへと向かう。台所に立つ母の姿を捉える。後ろ姿に今更ながらドキドキしてきた。


「ちょ、ちょっといいかな?」

「あら、ちょうどよかった。お母さんも話したいことがあったのよ」

 お先にどうぞ、とでもいうように先を促される。喉が上下する。口の中が乾いているのがわかった。

「えっと……その―――」

「なに?早く言ってちょうだい」


 母がイライラしだす。母は短気で、要件だけ言って電話を切るようなタイプだった。はやく言わなければいけない、わかってはいても、はじめて口にする思いに、今まで自分の本心を言ってこなかった結希は、思うように口が動かなかった。拳を握り、ようやく言葉を発する。


「あの、進路希望調査のことなんだけど」

「ああ、それならあなたはD大学に行くんでしょ」

「え……」


 D大学とは結希の専攻学部から推薦で行ける知名度の高い大学だった。経済学部と限定はされるが抜け穴のように有名大学へ推薦してもらえると聞き、母はその大学へ行くことを進めていた。絵が学べるというわけではない。話しには出たことはあったが、決定事項ではなかったはずだ。母の今の言い方だとまるでもう既に決まっていることのようだ。


「なんで……」

「当たり前じゃない。あなたの高校からいける大学でそこ以上のところはないでしょ」


 それは母がいってほしい大学だ。私の意志じゃない。そう思ってはいたが、言えなかった。口が強い母になにを言っても無駄だった。昔から、母の言ったことは正しい。将来的にも安定しているし、きっとそちらの方が世間一般的に正解なのだろう。そして、最終的には母に説得されて、母の主張した方を選ぶことになる。なにを言っても結末が変わらないのなら、無駄な労力をかけることなく、はじめから母の言うとおりにした方がいい。そうやって、これまでも色々なことを諦めてきた。


――いまさら、変わらない。


握りしめていた拳の力を解く。腕が重力に逆らえず、ぶら下がる。


「そう、だね……」


「ああ、そうそう。それで言いたかったことがあるのよ」

 母は止めていた手を動かして、結希の話を終わったものと自分の話へと移行した。母の手元にある魚が捌かれていく様子が目に焼き付く。


「従兄弟の颯真くん、覚えているわよね?」

「え、うん。颯真くんがどうかしたの?」


 ここ2年ほど聞かなかった名前に目を丸くする。3年前までは頻繁に交流があっただけに、余計にその名に惹かれる。先ほどまでの沈んだ気持ちが嘘のように舞い上がった。どうしよう、胸が早くなる。颯真は同じ年のたった一人の従兄弟であると同時に、初恋の相手でもあった。


「兄さん……。えっと、颯真くんのご両親が海外へ半年ほど行くことになったらしくて、心配だから颯真くんをうちで預かってくれないかって話になったのよ」


 母いわく、颯真の両親は海外の製薬メーカーとの交渉に行くということらしい。「いまのご時世パソコンなり使って会話もできそうなものなのにね」と母はぼやいてはいたが、颯真を預かるということに関してはむしろ嬉しそうだった。


「交渉先の社長さんが面と向かってじゃないと熱量が感じられないって言っているらしいんだけどね。それもどうなのって感じよね」


 味噌汁に入れるつもりのジャガイモを短冊型に切りながら、つつけばいくらでも出てきそうな不満を吐き出している。ああ、今日はジャガイモと玉ねぎの味噌汁かなと、どうでも良い考えがよぎった。


「まあ、でも颯真くんが来るなら大歓迎ね。今時あんな品行方正な子なかなかいないわ」

 布巾で手をふきつつ、声を弾ませる母にそこは賛同する。

「そうだね。颯真くんはとっても優しいし、私も楽しみ」


 純粋に颯真が来ることは嬉しかった。颯真は誰に対しても平等に優しくて、見かけや噂でその人を判断しない、差別や偏見をしない人だ。結希は今のクラスでは浮いた存在だった。それは颯真の噂が広まったことで加速したが、そうでなくてもクラスで地味な方であった結希にとって、隔たりなく接してくれる颯真は非常に心強かった。


「昔は私が支えてる感じだったのにな」


 美しく切ない思い出をなぞるように昔の光景が目に浮かぶ。颯真の両親は、彼が幼い時から仕事で帰りが遅かった。それで泣いている颯真の傍らで、両親が帰ってくるまでずっと一緒に待っていた。そんなことがあったためか、誰よりも人の痛みを知っている彼は、誰よりも人に優しかった。昔から颯真がそういう人であるということを知っていたから、そういう人だから、結希は颯真が好きだった。


「調子にのって颯真くんに粗相のないようにね。結希も颯真くんみたいにもう少し落ち着きがあればいいのだけど……」

「――はい。じゃあ勉強しないと……」


 母のお得意の「颯真くんに比べて」が本格的に始まる前に、早々にキッチンから退散する。

弾んだ気持ちに、水を差されたくはなかった。


最初は鬱々とした感じがつづくかもしれません、、、、

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ