奇跡
場が治まったのを確認して、冷たい風をしのげる洞窟の中へと移動する。
それ以降黙ってしまった二人に、どのような経緯があってこうなったのかを話す。誤解が解けるように、言葉を選んで丁寧に事の次第を説明した。
「――でね、キールは森で行くあてのなかった私を助けてくれたの。それで、キール、こちらのクリメントさんはね、薬草に詳しくてキールの傷口をみてくれると言ってついてきてくれたんだよ」
「「……」」
二人分の沈黙。
まだ納得はしていないということが空気から感じられた。いままで敵としてきた者同士なのだろうから、すぐに心を許すというのはやはり無理な話なのかもしれない。けれど――。
「これだけはわかってほしい。どちらも敵意があってのことじゃない」
断言する。
結希のようにこの世界のことをろくに知らない、小さな一人の人間ではできることは少ないのかもしれない。それでも、優しい者同士が傷つけあうような、この意味の分からない争いは止めたいと思った。
「……わかった」
長い沈黙のあと、クリメントが先に口を開いた。俯きがちに、言葉を続ける。
「オイも、国の、ウヴェーリに対する、やり方には前々から思うところは、あった」
「――いまさら人間がなにを言う」
「……」
クリメントのささやきに、キールは嫌悪を明らかに吐き捨てる。クリメントはなにも言えずに、俯いてしまった。苦虫をかみつぶしたような、苦しい顔をする。
「オイだって、止められる、もんなら……」
結希が割って入る。
「ともかく誤解は解けたようだし、ね?」
クリメントは深く俯き、キールはクリメントから顔を逸らしてはいたが、二人とも戦闘態勢は解いてくれた。
渋々でも納得してくれたようだった。そのことを確認して、結希はクリメントに向き直る。
「クリメントさん、キールの傷をみてもらってもいいですか?」
「オイは別に、いいけど……」
視線のさきには、距離を置きこちらを見もしないキールがいる。結希は寝そべりよそを向いているキールの横に腰を下ろす。
「キール」
「……」
キールから返事はない。それでもめげずに声をかけ続けた。
「聞いて、キール。傷をみてもらわなきゃ、悪化しちゃうかもしれないんだよ」
言いながら、キールに手を伸ばすと低い声でキールが呟いた。
「アンタには関係ないだろ」
すべてを拒絶した声だった。その言葉があんまりにも寂しいものだったから、結希は余計に放っては置けなくなった。
「関係なくなんてないよ」
「なんで?結局アンタも人間だろう」
「――それでも、キールは助けてくれた」
「……」
キールが黙る。結希はまくしたてた。
「確かに私はウルスタの、この国の人ではないし、価値観だって違う。でも、キールも言ったように、結局は私も人間だよ。……それでも、キールは助けてくれた」
キールがわずかに身じろぐ。動揺の色が見て取れた。
「人間が勝手を言うなよ。アンタになにがわかる。オレ達の、オレの何がわかる!!」
鋭い視線が向けられる。しかし、その瞳ははじめのころとは違って、揺れていた。
嫌悪や憎悪だけではない、思い出したくないものを堪えているような目をしていた。
「たしかに、知らないよ」
「な?」
言い切ると、不思議な顔をされる。こいつはなにを言いたいんだ、とでも言いたげな表情だった。
「ウヴェーリのことは、確かに私はまだ何も知らない。この国ではどういう存在なのか、なぜそこまで人間を嫌うのか、両者の間の確執も、まだなにも知らない……」
「なら――」
「でも、キールのことならわかるよ。まだ短い付き合いだけど、それでもわかる。私にとっては、不器用だけど優しいキールが、あなたの全てだから」
「……」
息を呑む音がした。今日一日で、随分とキールの驚く顔を見た気がする。普段あまり感情が表に出ないキールにとって珍しいことだった。
本当に調子が狂う。キールは心の中でそう呟いた。結希という名のこの少女に会ってからというもの、ここまで自分は腑抜けだったのかと嫌になった。それでも、結希から目が離せなかった。危なっかしくて、猪突猛進で、他人のことなんて放っておけなくて。
もういいか、キールは思った。少しくらいならば、言うことを聞いてやってもいいかもしれない。そうまで思うようになっていた。この子は、人の心の氷を溶かす力がある。真摯な眼差しでこちらを見つめる結希を見返す。もう、反論する気は起きなかった。
「傷を見せれば、いいんだな」
「……え。う、うん!!」
クリメントにキールが近寄る。自分から言い出したことなのに、結希はそれを信じられないものを見るように見守った。
改めて、自分で言っておいてなんだけれど、キールが本当に許してくれるとは思っていなかった。しかも、自分から人間に近寄っている。奇跡のような変化を見た気がした。