クリメント
揺れる炎を見つめる。その向こうでは白銀の狼が寛いでいる。温かな炎に手をかざし、キールを見た。採ってきた山菜は先ほど簡単に調理して食べた。ろくな調理器具、調味料といったものはないため、どうしても生や焼くだけといった簡単なものになってしまうが、それでも空腹と自分が採ったものであるということから、とても美味しく感じた。
帰り道の途中では、キールが果実を見つけてくれたため、それもありがたくいただいた。酸味が強めではあったが、それはそれでありだと思わせる美味しさだった。例えるなら、はやく収穫した蜜柑の味と近い。そういえば、はやく収穫した蜜柑の方が酸味がきいて好きだという人もいたな、と思いながらぼうっとしていると、キールが声をかけてきた。
「どうした?」
ぼうっとしながら、キールの方を向いていた結希はハッとする。ずっと見られて居心地が悪かったのかもしれない。
「ううん。さっきの果実が酸っぱくて、それがまた美味しかったなと思って」
「……」
呆れたような顔をされる。はあ、と息が漏れる音が聞こえた、ような気がした。
「それはよかったが、アンタ大丈夫か?この状況でそんなこと……」
「だって、美味しかったのは本当の事だしー」
口をとがらせ言うと、キールは不安そうな顔をした。
「そんなことでは、こっちが心配になる」
続けて、羨ましそうにキールは言葉を紡いだ。
「ほんとアンタ能天気なんだな。悩みなんてなさそうだ」
悩み、その単語に一瞬思考が停止する。
自分がこの世界に来たときのことを思い出す。すべてから逃げだしたくて、どうしようもなかった。無理やり、口角を上げてみせる。
「……そ、そうだね。ないかも」
嘘だ。けれど、本当のことなんて言えるわけがない。笑ってごまかそうと、乾いた笑い声を出す。その様子を見たキールは目を細めた。すべて見透かされているように感じてドキドキしていると、ついっと視線がそらされる。
「――そうか」
一言そう言っただけで、キールはそれ以上尋ねてこようとはしなかった。そのことに安堵する。キールにも触れられたくないことがあるからかもしれない。誰にでも、触れられたくないことの一つや二つはあるものなのだから。
「そうだ、私明日は薬草を探してくるね!」
「なぜ?」
「な、なぜって……。まだ傷治っていないでしょ?」
そういうと、キールはまたああと思い出したようにもらす。本当に自分の傷には無頓着らしい。
「もうだいぶ良くなったんだが……」
確かに、はじめにあったころに比べれば、驚くほどの速度で傷は癒えているが、それでもまだ完治しているというわけではない。いま止めなければ、また無理をしてしまいそうな気がした。
「ともかく、明日は傷によさそうなものを探してくるから!」
結希が強く言い切ると、キールはそれ以上なにも言わなかった。キールに言い張ったはいいが、正直傷によい薬草なんてわからない。キールに聞こうと思っていたのだが、自分の傷を治すことに積極的でない彼が協力してくれるとは思えず、結希はひそかに息を吐いた。
まだ日が昇って浅い、霧にかすむ視界のなか、洞窟からはい出る。
今度は迷子にならないようにと、近くの木の地面に目印の跡を刻む。とりあえず、緑が生えている場所はないか、森の中を探索することに決めた。昨日とは逆の方向へ行こうと、南西の方角へ足を進める。しばらく歩いて違和感に気付いた。
「木が減ってきてる?」
目に見えて、木の本数が減っている。この先には想像もできない危険が待っているのかもしれない、と恐怖に駆られ足が止まりかける。洞窟にしろ、数少ない食料にしろ、助けてもらってばかりいる自分が、キールに返せるものなんてわずかだということはわかっている。それでも、せめて傷が完治するまではそばに寄り添っていたい、結希は手を握りしめた。前へ一歩踏み出そうと片足を浮かした時だ。
「――!」
不意に前方から雪を踏みしめる音が聞こえた気がして、動きを止める。木の陰でなにかが動いている。熊とかだったらどうしようと身構えるも、正体を現したその姿に緊張の糸を解いた。そこにいたのは、結希と同じ人間の男だった。
年齢は四十代半ば頃だろうか、細長く貧弱な体格は心許なく見える。頬もこけ、貧相な面立ちをしていた。茶色のところどころほつれている布の服が余計に男をみすぼらしく演出している。背には籠を背負っており、いくつかの草が入っていた。その男がふと顔をあげ、見事に結希と視線が交差する。男は驚きで、顔を強張らせた。
「ひっ、だ、だれ、だ……」
人気のない森で人に会うとは思っていなかったのだろう。男は驚愕で声が掠れていた。なるべく、警戒心を煽らないようにと意識して男に話しかける。
「驚かせてしまってすみません。私は柳川結希、という者ですけど。……えっと、知り合いが怪我をしていて、それで薬草はないかなと探しているんです」
なるべく笑顔で、優しい声音で話す。その言葉に嘘はない。男はおどおどと目は合わせずに、細い声で問い返す。
「ゆき?珍しい名前、だな。オイは、クリメント。――薬草を?」
不審に思いつつも、貧相な男、クリメントは律儀に名前を教えてくれる。
「はい、切り傷?に使いたくて」
傷口の大小や経緯はともかく、大まかなくくりで言うと切り傷だろうと答える。そこで初めてクリメントが自ら目を合わせてきた。
「切り傷に効く薬草なら、ある……」
クリメントがそのまま視線を下げ、結希の来ている服を見る。紺色のブレザーの制服にローファー。
「――変わった服、だな」
「あ、えーと」
この世界の詳しいところはまだわからないが、海外の学校だって制服でなく自由服のところの方が多いし、変わった格好だと思われても仕方がないと思った。この世界には、学校の制服、なんてものはないのかもしれない。
怪しい格好だと不審に思われたのではないかと、内心びくびくしていれば、そうではないらしい。クリメントは気遣わしげに結希を見やった。
「その、服は、寒いだろう……」
「え……」
心配してくれているのだと分かった。会ったばかりの人に気遣ってくれる。挙動不審だが、優しい人なのだろうことは想像できた。
「わ、私は大丈夫です!」
本当はすごく寒い。スカートから入り込んでくる冷気に肌を震わせながらも、問題はないのだと主張する。それよりも今は、薬草をはやくキールに届けてあげたかった。
「それより、薬草を見つけてあげたくて」
口にすると、クリメントはおずおずと告げてきた。
「傷に効くいい草なら、ある。けど、そのケガ人にいいかどうかはその人を診てみた方がわかる。オイは、山によく来るから、草には詳しい」
そういうクリメントにどうしようかと思案する。キールは極度の人間嫌いだ、けれど確かに傷口を見てもらった方がいいという気もする。それに、この短期間でもクリメントが悪いひとではないのだろうことは感じられた。いくら人間嫌いだといっても、同じ人間である結希のことは受け入れてくれたのだ。説得してみれば、渋々でもクリメントのことも受け入れてくれるのではないか、結希はそう結論を出して、クリメントに頭を下げた。
「あの、じゃあ見てもらってもいいですか?よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をする結希に、クリメントは目を細めて頷いた。
「わかった」
小さく一言だけ言うと、結希の案内についてくる。それからは終始無言だったが、クリメントの発する柔らかな雰囲気のおかげだろう、その時間は嫌なものではなかった。
時計などないので正確な時間はわからないが、三十分ほど歩いただろうか。洞窟の近くまでたどり着く。行きは草を探しながらであったためなにも思わなかったが、洞窟にたどり着くことを目標にして帰ってみると、結構な距離を歩いていたのだということがわかった。
キールはケガをしていても平気な顔をする。いや、実際それほど気にかけていないのだろう。だが、完治せずいたのではいつケガが悪化するかわからない。むやみに外を歩き回っていなければいいけれど、そう思って結希が洞窟に入ろうと手を岩についた時だった。
「う、ウヴェーリ!?」
「え?」