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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第二章 海の洗礼

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43.あとに懐かしくなるもの


 暑さを忘れると、観光に専念出来るものである。壮観とも言うべき、レンガ造りの街並みは美しく、商店にはタークォンの者たちが知らぬ物ばかり並んでいた。刺繍入りのクッションひとつとっても、タークォンの者には珍しい。刺繍糸の色使い、文様が、まったく違うのだ。お皿なども食事中は辛さに気を取られて見落としていたが、細かく描かれた文様は、独特の色使いであって、タークォンでは見たことのない柄である。


「ユメリエンには、どうしてチョコレートのお店がないのでしょうか?」


 トニーヨが到着してからずっと気になっていたことだ。

 土産に買って帰りたいと思っていたのに、チョコレート専門店がないどころか、料理屋でもデザートにチョコレート菓子が出て来ない。

 思い返せば、ユメリエンの旅から戻った者からカカオの豆を購入してきたと聞いたことはあれども、チョコレートそのものをお土産として渡されたことがなかった。


「カカオは外用だと聞いたけど」


 テンがぶっきらぼうに答えると、トニーヨは感心する。タークォンにいると、同じく国にある十二歳の少年と重ねてしまうが、世界を知っている分、博識なのだろう。もちろん、国にある者のような教育を受けていないから、タークォンの子どもが学ぶことを知っているかどうかは定かではない。陸で育った子どもと、単純に賢さを比較する対象にはないだろう。そもそも比較したところで、双方にとって何の影響もなさないし、とても無意味だ。


「外用か。つまり輸出するだけなんだな?」


「食べないんだから、そうなんじゃない?」


「今日はやけに涼しいですが、いつもあのように暑いと、チョコレートは溶けてしまいそうですなぁ」


 カイエーンが言ったとき、そういえばこの男は知らないのだと、皆が思い出す。そして誰も説明する者もない。周りからの扱いが雑になる理由は、この男にあろう。


「確かにな。カカオはよく採れるかもしれねぇが、食べるのに適した国でもなさそうだ」


「私も初めて来たときは、チョコレートのお菓子が食べられると思ってわくわくしていたんだけどね。まさか、あんなに辛いものが出てくるとは思わなくて。あのときは悲しかったなぁ」


 シーラが懐かしそうに言って、「ねぇ、イルハ。これはリタにどう?」と軒先で売られていた刺繍の入った布袋を手に取った。


「買い物袋になりそうですね」


「買っていこう。オルヴェには何がいいかな?あとはリリーと……」


 お土産を考えるくらいには、帰るつもりがあるのだろうか。とイルハと王子が思っていたのに。


「アンナにも何か買っておこうか、テン」


 シーラが言うのだから、イルハと王子は勝手にがっかりしていた。


 アンナの名を聞いたテンは、不愉快だと瞬間的に眉を歪める。感情を示さない少年の顔が歪んだことで、トニーヨとカイエーンが思わずテンを見詰めたが、そんな表情も一瞬だった。元の無表情の少年がそこにある。


「アンナには何も要らないと思うけど」


「何もないと拗ねちゃうんだもの」


「放っておけば?」


 シーラがテンの赤毛を撫で回すと、テンはふいっと外側に視線を向けて大人しくなった。


「テンにも何か買ってあげるよ。何が欲しい?」


 テンが周りを見渡すと、シーラは笑った。


「分かったよ。あとで買うからね」


「間に合う?」


「それもそうだねぇ。じゃあ、もう行っちゃおうか。ねぇ、イルハ。ちょっとテンと別のお店に行ってくるよ。すぐに戻るから、適当に遊んでいて」


「私も一緒に行きますよ」


「二人の方がいいんだ。ねぇ、テン。行こう」


「あ、こら!ちょっと待てよ、お前ら!」


 シーラとテンは王子の呼びかけなど聞かず、走り出してしまうのだ。イルハは頭を押さえているが、離れて行った妻を追うことはなかった。


「いいのか、お前」


「検討はついています」


「ついているのかよ。あいつらは、どこへ行った?」


「場所までは分かりません」


「お前も分かりにくく話すな。どこへ行ったんだ?」


「そこまでは分かりませんよ」


「お前が検討はついていると言ったんだぞ?」


「それより、殿下。我が家の使用人に土産を買っておいても?」


 王子はため息を漏らしたあとで、「好きにしろ」と言った。二人の姿はもう見えない。


 観光と称して、街をゆっくり巡っているとき、すでに荷物を沢山抱えたイルハが足を止めたのは露店のようにレンガ敷きの道の上にシートが広げられ、そこに本がずらっと並んでいる場所だった。後ろの店が書店のようだ。


「ほぉ。書店か」


 王子も興味はあるらしい。それでタークォンの男たちは、軒先だけでなく、書店の中も見ていくことにする。


「共通語の本ばかりですねぇ」


 トニーヨがのんびりと言って、適当に棚から一冊の本を抜き取り、それを開いた。この国で書かれた物語のようだ。


「西側はほとんど共通語じゃねぇか?」


「西というより、冬のない国に多いですね。冬に閉ざされた期間が長いほど、自国の言葉を温存出来るのでしょう」


「確かに年中外から人が来ていたら、言葉を変えていられぬかもしれませんなぁ」


「うちも半年は閉ざすが、共通語だぞ?」


「共通語の方が利便性があったのでは?」


「確かに楽だよな。タークォンのあの字は読みにくい」


「それもありますが、信仰の対象として特別扱いになったのではないかと。庶民は共通語の方が気楽に使いやすかったのでしょう」


 共通語がいつから出来て、それがどうやって広がっていったのか。文献も残っておらず、謎に包まれていた。世界中に広がっているのだから、意思を持って広めた者がいたのではないか。それならどこかの国に記録でも残っていそうなものだが、何故かこれがないのだ。どこかの誰かが秘めている可能性は無きにしも非ずだが、とにかくタークォンでは、言語の歴史について知る者は存在していない。タークォン語の歴史について調べ、分析している者はあるが、正式な記録は何もなかった。


「普段は共通語を使わねぇ国にも行ってみたいな。どこかないか、イルハ?」


「最も近いところであれば、コーレンスでしょうね」


「行けそうにねぇじゃねぇか」


「えぇ。行くとなれば、かなり考えなければ」


 タークォンの真北に位置するコーレンスは夏が短い。だから近い国なれど、密な付き合いをしていなかった。国交がないわけではないが、むしろそれより遠い、ライカルやユメリエンの方が、タークォンとの付き合いが深く長い。今回の外遊にコーレンスが含まれなかったのも、単に冬が下りて来る可能性があって、コーレンスに訪問しにくいという理由だけではない。


「あいつは?」


「コーレンスはまだ行ったことがないと言っていましたね」


「へぇ。あいつでも行ったことのない国はあるんだな」


「この世に国は多く、冬だけの国もありますからね」


「それもそうだな。冬の国か……。冬の国の奴らは、外を知らねぇままなのかねぇ?」


 王子はぼんやりと言いながら、本が詰まった棚を見上げた。自分もどうだったか。シーラに出会っていなかったら、いや、モンセントの姫君に会っていなかったら、このように外遊に出ていたか分からない。いつか外にと願っていたが、大事になることも分かっていたし、外へ出かける理由が薄かった。

 王になる前に行かなければ後悔する。そう思えたのは、女王になる前の姫君が外遊していたからに違いない。あの幼い姫に出来て、自分に出来ないはずがないと思えるようになったのだから。


「そうそう外には出られないでしょうね。凍る海を渡ることは出来るのかもしれませんが」


「あの上をか。それはまた……」


 タークォンも半年は海が凍る。だからどういう状況になるか知っていた。閉ざされた世界で、平和に過ごす、それだけのことだ。夏の間に食材をたっぷりと用意して冬に備えてあるから、タークォンにいる誰かが困ることはない。ただ外から人が来なくなるだけだ。

 ここで王子は気付く。


「冬の国は何を食っているんだ?」


「万年冬の国のシャランソでしたら、情報がありませんね」


「ほぼ冬の国はどうだ?」


「コーレンスは三ヶ月の夏の間に、急ぎ育つ植物を収穫するそうですね。多くは輸入に頼っているようですが、あとは我が国と同じく、凍りの海で漁をします」


「冬の国だと、氷も分厚そうだよな。漁になるのか?」


「それは分かりませんが、何かの方法で漁はしているのではないかと。他の可能性としては、冬でも生きられる動物を狩るか、あるいは畜産化しているということも考えられます」


「野菜や果物には困りそうだよな」


「それも分かりませんよ。ユメリエンの植物を我々が知らぬように、冬にも育つ特殊な植物があるのかもしれません」


「ふむ。そこに住めるのだからということか」


「えぇ。住めぬ土地ならば、そこに留まる者などなかったでしょう」


 ユメリエンの本屋でどうして小難しい話をしているのだろうか。カイエーンはしばらくは耳を傾けていたが、我慢が出来なくなって店の外に出た。陽射しは強いが、どうにも暑く感じない。不思議なこともあるものだと思いながら、空を見上げる。

 カイエーンは本が苦手だった。本に囲まれているだけで、どうにも落ち着かなくなってしまう。


 そこへ、ばたばたと走る二人の姿が見えた。シーラとテンだ。

 相変わらず元気だなぁと思いながら、この二人、結局何者なのかと考えている。考えたところで、まだカイエーンに答えは見つからない。情報が少な過ぎた。


「カイエーン!一人でどうしたの?みんなは?」


「中で書を見ておりますぞ」


「私も何か買おうかな。見てくるね、テン」


 何故テンを置いていく。カイエーンは慌てたが、テンは何も言わず隣に立った。


「何を買われたのです?」


 敬語はおかしいと感じつつ、テンに尋ねると、テンは顔を上げてカイエーンを見詰める。


「俺だけだから、普通に話していいよ?」


「それはしかし……」


「別にどっちでもいいけどね」


「まぁ、そうだな。うん。では、少し気楽に」


「その方がいいや。カイエーンは本を読むの?」


「俺か?俺はまったく読まず。本屋にも長居が出来ん」


「俺も嫌いなんだよね」


「なんと。テン殿も」


「それもいいよ。気持ち悪いから」


 気持ち悪いと言われると、なんだか釈然としないカイエーンであったが、有難く提案を受け入れることにした。


「お言葉に甘えよう。テンも勉強嫌いか?」


「勉強って?どんな勉強?」


「海にあると、勉強などしないか」


 カイエーンは別に嫌味でもなく笑ったが、テンが無表情だったからすぐに笑いを止めた。怒っているのか、傷付いているのか、それも分からない少年に気心を許そうとしたことを後悔する。


「学問のことなら、海に出たら何の役にも立たなかったよ」


「うむ。それは分かるな。俺もそうだ」


「カイエーンも?」


「俺もとにかく勉強など大嫌いだったが、将来のために必要だからと嫌々勉強させられたもので。それが今に生きているかと言えば、特にない」


「カイエーンっていつもどんな仕事をしているの?」


「俺は海軍省の副長官だぞ」


「それは知っているよ。副長官が何をするか聞いているんだ」


「何をか…うむ……書類を見るくらいか」


「見るだけ?」


「いつも椅子に座ってのんびりしているな」


「何それ?楽しいの?」


「まったく楽しくはないぞ。俺は元々こういう仕事には向いていない」


「向いていないのに、副長官になったの?」


「家の決まりだ。仕方がない」


 ふーんと興味がなさそうに言ったあとに、テンは聞いた。


「カイエーンはそれでいいの?」


「それでとは?」


「仕事が嫌なんだよね?」


「嫌というか、合わんという話だ」


「嫌々勉強して、合わない仕事をして、それでいいのかと思って」


 カイエーンはむっとした。自分で話し始めたことなのに、惨めな気分に追い込まれた気がしたのだ。それも十二歳の少年に。


「海の者には分かるまい。人には選べぬことというのがあるのだ」


「俺も祖国では選べないと思っていたけどさ」


 カイエーンが目を見開いて、テンを見やった。


「やはり祖国が?」


「あれ?カイエーンは知らなったの?」


「隠していることではなかったのか」


「別に皆に言っているけど」


「それは知らなんだ。祖国はどこだ?」


「ララエールだよ」


 カイエーンは少し前の自分を恥じた。人には選べぬことがある事実など、この少年の方がよほど詳しい。


「先はすまない」


「どうしたの?」


 テンはまったく気にしていないのであるが、カイエーンは気になる。


「分からんでもいいが、謝らせてくれ。すまない」


「別にいいけど」


「ところでシーラ殿は同じ故郷……」


 後ろから声がして、皆が店から出て来てしまった。イルハが沢山の本を抱えているし、トニーヨも三冊買っている。


「荷物が増えたね!一度、置きに戻ろうか?」


「そうだな。ホテルに置いてくるか」


「船に置いた方がいいよ」


 シーラはにこにこと笑って言った。特別な意味などないような顔で。

 もちろん王子はすぐにイルハを見詰めたが、イルハも普通の顔をしているのだ。


「船に置いて参ります。良ければ、観光をしていてください」


 こいつは何を知っている?シーラはいいが、イルハへの苛立ちが募る。王子としては、臣下に隠し事などされたくはない。


「後で話せよ」


 イルハは同意しないのだ。最も再教育が必要なのは、イルハなのではないか。王子はタークォンに戻ったらイルハをどうしてやろうかと考えていた。


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