42.おかしな朝食
シーラとイルハ、そしてテンはベッドを椅子として使い、王子とトニーヨが窓辺のテーブル席で朝食を取った。イルハが人数分淹れたのはハーブティーである。タークォンのハーブを使ったお茶で、甘さを含む独特なハーブの香りが部屋に充満していた。レンガの壁に空いた大きな窓からは、柔らかな朝日が入り込んでいる。
「さすが、用意がいいな」
王子は感心しながら、ハーブティーを味わった。薄味であるが、朝の寝起きの体にはちょうど良く優しい。
「我が家の使用人は、仕事が出来るんですよ」
イルハは思い出す。出立前にリタからどれだけ心配の言葉を掛けられたか。そのどれもが、シーラとテンに向けられた言葉だった。自分の心配は何もなかったことを思い出して、イルハは苦笑を浮かべる。自分の方が、もう二十年以上も彼らと共に過ごしているというのに。合わせても三ヵ月に満たないであろう歳月を共にしたシーラと、さらに短い時間しか共有していないテンを、これほど大事に想うのはどうしたことか。
「シーラ。お前が俺たちに何かしていたんだな?」
「何かって?」
「暑くないようにしてくれていたんだろうよ?」
「私とは限らないよ、王子」
「なんだって?他に誰かいるのか?」
シーラはくすくす笑って、それからイルハを見やった。イルハは静かに頷いて、王子に視線を向けた。
「今日はどうされます?」
「ねぇ、シーラ。観光して来ていいでしょ?」
王子がイルハに答える前に、テンが言うのだ。こういうテンは珍しいと、イルハも王子も思った。トニーヨも同じ気持ちだったらしく、三人の大人の男が少年を凝視している。
その見られている少年は、しかしいつも通り表情が乏しいままだ。
「好きにしていいよ」
「ほら、王子。外に行こうよ。俺、色んな料理屋に行ってみたい」
「それは俺たちも困るぜ。なぁ、トニーヨ?」
「えぇと……」
今度のトニーヨは即答出来なかった。暑さを知らず観光出来るならばしたいが、しかし辛い料理はもうこりごりなのだ。
「王子とトニーヨが駄目だったっけ?」
「まぁな。イルハとカイエーンがおかしいとも言えるぜ」
「それはどっちでもいいんだけど……」
シーラは考えるように、腕を組んだ。
「うーん。私もテンに付き合えないからなぁ。イルハとカイエーンがテンと遊んで、私が王子とトニーヨと……」
「あなたは私とです」
イルハに提案を制されて、シーラは笑うも、イルハは笑みを返さない。
「それ以前に今日は大人しくするようにお願いしましたよね?」
「もう元気だよ?」
「それはお茶と薬のおかげですよ」
「シーラ、どこか悪いの?」
テンが問うから、王子もイルハも思わず目を合わせてしまう。この少年はどういう情報を得ているのか。
そしてトニーヨにはこの話がまったく理解出来ていない。
「元気だよ!飲み過ぎたとき用のあれだよ」
「シーラでも飲み過ぎることがあるの?昨日はどれだけ飲んで来たの?」
シーラが笑って誤魔化しているから、王子は急ぎ言った。
「食事時だけ別行動でどうだ?料理屋にはカイエーンと二人で行ってこい」
「カイエーンも肉は食べないよね?俺、今日は色々食べたいんだけど」
王子が目を見開く。今日のテンはどうしたのか。わがままな子どものようだ。いや、彼は元々十二歳の少年だったのだけれど。いつもとは違い過ぎて、王子も戸惑っていた。
「色々とはなんだ?」
「別に一人で食べて来てもいいんだけどさ。一人だと色んな料理が食べにくいでしょ?」
「そうだ、テン。ヤニでも捕まえようか。ヤニも確か何でも食べたはずだから」
「それはいいや」
シーラは気持ちよく声を上げて笑った。朝からとても元気だ。
「じゃあ、こうしよう。今日はとことん付き合うよ。二人で遊ぼう」
「どうしてそうなるんです?あなたも辛いものは食べられないですよね?」
イルハが焦って尋ねる。
「ヤニか、誰か捕まえて、テンと遊んでくるよ」
「いや、待て。俺たちはどうなる?」
「みんなで観光しておいでよ。辛くない料理屋はあのお店くらいだけど、皆は食べることだけじゃないでしょう?テンは沢山食べたいみたいだから、二人で行ってくるね」
「それならヤニ殿がいなくても、私と三人で回れば良いのでは?」
「イルハは王子といなくていいの?」
「……殿下。せっかくのお忍び旅行です。臣下など少ない方がいいですね?」
「……お前、急に凄いな」
トニーヨはもう驚きはしなかったが、しかしイルハに敬意を向ける。それもおかしな話だが、トニーヨはとてもイルハのようにはなれないと感じ、今や尊敬の念を抱いていた。
「あの……」
そんなおかしな敬意を抱いたトニーヨが、おずおずと口を開く。
「このようなデザートならば食べられると思うので。たとえば、私などはあの辛くない料理屋で先のお弁当のようなものを頂いて、観光しながらお腹を満たし、テン殿とイルハ殿はこのときはなるべく食べずにおいて、それであとの料理屋で食事と軽食を共にするというのはどうでしょうか?」
「凄いね、トニーヨ。それは考えていなかった。そうだ、デザートを食べるよ、テン!」
「あれ、シーラ。ここのデザートはいけたんだ?」
「そうなの。食べてみたら、何にも辛くなかったんだ。これも美味しいでしょう?」
「確かに辛くないし、美味しいよね。じゃあ、シーラ。俺たちが食べている間、甘いものでも食べていて」
「そうしよう!それも駄目なら、お酒を飲めばい……」
イルハが遮ったから、シーラは最後まで言い終えなかった。
「今日は控えるように言いましたね?」
「シーラ、やっぱりどこか悪いの?」
テンが真顔で聞くから、シーラは焦って否定した。
「違うよ。ねぇ、違うよね、イルハ!」
「昨夜あまりに飲み過ぎたから、控える約束なんですよ」
「……どれだけ飲んだの、シーラ?」
テンはやはり知らないようだ。王子とイルハがこっそりと目を合わせる。あの魔物はまったくの無意味というわけでもなさそうだ。
「どれだけだったかなぁ?」
「覚えていないほど、飲んだんですよ。そうですね?」
「そんな感じかな。だから、今日は飲まない約束なの」
「シーラが飲まないなんて、なんだか怖いね。本当に大丈夫なの?」
テンが心配すると、シーラだけが笑うのである。イルハは額を抑えていた。
「シーラ、確認するぞ。俺たちに魔力を使って、疲れねぇんだな?」
「頼まれて使った覚えもないよ」
「そういうことじゃねぇんだ。ただ聞いている」
「疲れるなら、辞めていいの?」
「疲れるのか?」
「うぅん。まったく。だけどせっかくの観光だから辞めておこうか?」
「いや、頼む。辞めないでくれ。金を払ってもいい」
シーラはどこも辛そうには見えない。むしろ元気過ぎる様子に見えた。
今もとても楽しそうに笑っている。
それでもイルハは心配でたまらない。また怪我でもしたら大騒ぎだ。
このようにイルハが心配しているというのに。当の本人は、またイルハの心配事が増えそうなことを思い付き、楽しんでいた。
「こういう稼ぎ方もあるんだ。これからはお金を取ってみようかな。暑い国では儲かりそうだね。寒い国から来た観光客を相手にするのがいいかなぁ」
「お前、意外とあれだな」
「あれって?」
「なんでもない。今日の分は仕事でいいぜ。帰ったら小遣いをやろう」
「わぁ、テン、聞いた?またお小遣いを貰えるよ!」
あえて帰ったら渡すと言ったのに。分かっているのか、いないのか。王子は思わずイルハを見たが、イルハは軽く頭を下げただけである。
王子も決めていることがあった。この娘を必ずタークォンに連れて帰り、タークォンのためになるよう育て直す。
こういうことを考えられるのだから、まだ王子には甘さがあったということだ。
カイエーンはどうしたか。すっかり忘れ去られた彼は、皆が朝食を終えて出掛けるときになってようやく起き出し、それは見事な早さで身支度を整えて、共に観光に向かうことが出来た。その身支度の早さと言ったら、テンがまた驚いたくらいである。
こうして六名は、ユメリエンの観光へと繰り出した。




