36.水辺のお遊び
一行はシーラの誘いで、道から外れ草むらの中へ入って行った。
高い草は視界を奪い、行く先どころか、今来た道にも戻れなくなりそうだ。はぐれてしまったら大変なことになることも明白だった。
ところが王子たちの誰も、どこまで続くか分からない道を歩いていたときとは違い、恐れや焦りなどを感じていない。
それでも王子は聞いた。
「おい、どこまで行くんだ?」
「もう少しだよ。いいところがあるんだ」
あるところで、急に視界が広がった。草が短くなり、足元には黄色や白色の小花も咲いている。
その先には、小さな池があった。水が澄む、美しい池である。
その池の淵に、見覚えのある男たちが集っているではないか。草原の穏やかな雰囲気に合わせるように、仲良く並び座って、王子たちに背中を向けていた。
「お前ら、何をしているんだ?」
近付いた王子が言えば、シュウレンとタビトが同時に振り返った。テンは前を向いたまま王子を見ないが、シーラはテンの横に飛んで行って、その赤毛を撫で回した。
「釣りをしておったのですよ」
答えたシュウレンは、いつもの柔和な顔で笑っている。
見れば、座る男たちの手には簡易な釣り竿が握られていた。木の枝の先に糸が結んであって、糸の先は池に落ちている。
王子がにやっと笑いながら、「いつの間に仲良くなりやがった?」と問い掛けるも、シュウレンはどこ吹く風で、微笑みを絶やさない。
「偶然会ってね。一緒にどうかと誘ったんだ」
シーラは言いながら、テンの隣に腰を下ろした。
「どう?釣れた?」
「いまいちじゃのぉ」
「魔術を使ってしまえば、宜しいのでは?」
タビトがどこか迷惑そうに言えば、シュウレンは笑うのだ。
「こんなことで魔術を使うようになったら、おしまいじゃ」
「何がおしまいなんです?」
「人として終わると言っておる」
これにシーラは笑ったが、タビトはつまらなそうに前を向き、釣り糸の先を眺めた。足らした糸は、ぴくりとも揺れない。
「みんなは、釣りをしたことがあるの?」
シーラが明るく問えば、王子たちは顔を見合わせる。
「俺はないが、お前らはあるか?」
「私もありませんなぁ。釣りをしたという話も仲間から聞いたことが御座いませんぞ」
イルハとトニーヨも、カイエーンに同意した。思わず後方からヤニも問う。
「子どもの頃もなかったのか?」
「タークォンでは子どもの遊びにはなりませんね」
「漁師の仕事という認識ですからね」
「それは残念。釣りって楽しいんだよ。ここで遊んでみない?釣り竿なら、シュウレンが作ってくれるからね」
使命を受けたシュウレンは、笑うばかり。
「シーラ殿は海で釣りをされることがあるんですか?」
「よく釣れる海域があって、そこに行ったときはするかな。ねぇ、テン」
「あとはお腹が空いたときだよね。缶詰がなくなったときはそうしないと死ぬから」
テンは怖いことを淡々と言ったが、やはり無表情で、池に垂らした糸の先だけを見詰めている。
「ヤニは得意だよね?」
王子たちの後方に陣取って様子を見守っていたヤニは、シーラに話し掛けられると歩き出し、王子たちを越えてシーラの側に近付いた。
「ここで食べようということだな?」
「そうだよ。まだ早過ぎるでしょう?」
「仕方ねぇ。シーラの分も釣ってやるよ」
「わぁ、嬉しい。沢山釣って」
ヤニは近くの木の下から、折れた枝を取ると、すぐにシーラの隣に腰を下ろし、胡坐をかいた。
懐から巻き糸を取り出して、その枝の先に巻き付けて強く結ぶと、糸を引いて強度を確認する。そうして問題ないことを確認すると、今度は懐から針金を取り出した。器用にも糸の先に結んで、釣り針らしく形を整えていく。よく飛ぶように、小石を拾っておもりも付けた。
餌はテンが使っていた貝の缶詰を拝借することに決めたようだ。テンに一言伝えて中身を奪うと、これを小さくして形を整え、釣り針に取り付ける。そうして、釣り糸の先を池に投げ入れた。
「ところでヤニ」
「なんだ?」
「フリントンはどうしたの?」
シーラはにこっと笑って言った。
その後ろでは、シュウレンが王子たちの分の枝を拾い集めて、それぞれに釣り竿を拵えながら、釣り方の説明をしている。
しかしイルハは、シーラたちの会話に耳を澄ませていた。
「知らねぇよ。また女のところじゃねぇか?」
「ふーん。そういうことかぁ」
「なんだ、妬いたのか。珍しいな」
「それはないけど。それでヤニなのね」
「俺じゃ不服か?」
「まさか。誰であっても構わない」
ヤニにとって、嬉しい言葉ではないだろう。
ヤニは頭を掻きながら、「シーラは釣らないのか?」と話を変えた。
「テンの方が上手だから、任せているんだ」
シーラに頭を撫でられていたテンの釣り糸が僅かに引いた。少しの間を置いて、テンが勢い釣り竿を引き上げると、とても小さな魚が先で踊った。
「ほら!凄いでしょう?テンは何でも上手に出来ちゃうんだ」
シーラに褒められているのに、テンは変わらぬ顔で水を溜めた革袋に小魚を離すと、「小さいなぁ」と呟く。
「これなら、からっと揚げても良さそうだね」
「油、持って来たの?」
「持っていないし、鍋もなかったね。焼くしかないかぁ」
「焼いたら、消えちゃいそうだよ」
「カリっと焼いて食べたら美味しいんじゃない?」
「身のある大きい魚が釣れたら、こいつら返したいんだけどなぁ」
テンがぶつぶつ言いながら、また釣り針に餌を取り付けて、池に投げ入れる。
他の者たちも用意が整って、それぞれ池の周りに腰を下ろした。イルハはシーラの隣に座りたかったが、テンとヤニに挟まれていてどうにもならず、王子の横に腰を下ろした。
長く、静かな時間が流れた。たまにテンが小魚を引き上げるくらいで、他の誰も魚を釣り上げない。
美しい池の周りをいい大人の男が並び囲んでいるのが、なんだか滑稽に感じて、トニーヨは途中で笑い出しそうになり、必死にこれに耐えていた。静けさがまた彼に笑いを誘い、釣りどころではない。
カイエーンが、訝し気な目でこれを見ていたが、トニーヨはまったく気付いていなかった。そのカイエーンは、トニーヨだけには負けるものかと本気で釣ろうとしていたというのに。
突然動きがあった。
「どうだ、シーラ!」
ヤニが得意気に竿を引いたとき、シーラは歓声を上げた。テンもちょっと見直したという顔で、ヤニを見ている。
ヤニの釣り針に、手のひら二つ分くらいある魚が付いていた。魚が飛ばす水しぶきが美しい。
「どうやって釣ったの?」
テンが聞くと、ヤニは得意気に腰に手を添え、語り出す。
「小さい魚が来ても、食わせないようにするんだよ。小さいのが近付いたときは、あえて揺らして危険だと察知させるんだ。それで奴らが来るのをじっと待って、奴らが近付いたときは、小さいのが側に居ても、とにかく耐える。釣りは待つのが肝心だぜ」
「小さい魚が来たって、どうやって分かるの?」
「あー、それはだ。まぁ、分かるよな、シーラ?」
「知らないよ。教えてあげて」
シーラは乾いた笑い声をあげながら、テンの頭を撫でた。
「もしかして魔術?」
テンが問えば、ヤニはむっとした顔で「使っていないね」と言い放つ。
「俺がズルしたみたいに言うなよなぁ」
「じゃあ、どうやって分かったの?」
「う……分かるものは、分かるんだよ」
シーラは腹を抱えて笑った。その時である。
トニーヨが「大変です」と言って、両手で竿を押さえた。強い力で引かれているのは、周りから見てもすぐに分かった。糸はぴんと張り、竿がぐっとしなっている。
「引き過ぎると、糸が切れるぜ。枝も折れないように気を付けろ」
ヤニに言われたところで、トニーヨはどうしていいか分からない。
「俺が言うところで上げろ………今だ!」
ヤニの言う通り、トニーヨが勢い良く竿を引き上げたとき、ヤニが釣ったものよりずっと大きな魚が空を飛んだ。水しぶきの量も多く、それが虹色に輝きながら落ちていく。
「わぁ、綺麗」
バッシャーンと音がして、そのまま魚は池の中に消えてしまった。糸が切れたのだ。
「重さに耐えられなかったな。俺の糸を貸してやる」
ヤニがトニーヨの竿に、新たな糸と釣り針を用意してやった。意外と面倒見がいいのだなと、王子が感心している。
「あんな大きいのがいたんだ」
テンはこれで本気になったし、他の男たちも顔付きを変えていた。
イルハなどやる気もなかったが、トニーヨに釣れるなら、運次第で自分にも釣れるだろうと考えを改めていたし、王子はトニーヨが逃した魚を自分が釣り上げる気になっている。
トニーヨは一度成功し掛けたことで、すっかり釣りが好きになっていた。再び釣り糸を池に垂らすと、目をキラキラさせて、水面を見詰める。体調不良だったことなど、今のですっかりと吹き飛んだ。
カイエーンも、トニーヨには負けていられないと、釣り竿を持つ手の感覚に意識を集中させている。
シュウレンはあまり変わりがないが、タビトにも釣ろうという意識が芽生えていた。タビトもまた、負けず嫌いなのだ。
ヤニはもちろん、まだまだ釣る気でいた。それも、トニーヨが逃した魚より、さらに大きな魚を狙っている。
男たちが本気で釣りを楽しんでいると、いつの間にかシーラが静かな声で歌っていた。ゆったりとして、音程差の少ない落ち着いた曲は、釣りの邪魔にならず、誰の集中力も奪わない。
それは歌詞なくラララで紡がれた、とても美しい歌だった。




