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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第二章 海の洗礼

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30.密会


 シーラとフリントンが城を出たときには、夜空に半月が浮かんでいた。

 ユメリエンの夜を熱風が包む。この国は冷えることを知らないが、二人は額に汗を浮かべていなかった。


 フリントンがシーラを連れて向かったのは、ユメリエンの街の西側にあるレンガ造りの小さな家だ。外観からは人の住まいに見えたが、扉を開けるとレストランの様相だった。仕切りのない広い部屋には、客席が並んでいる。


 店員らしき人間は、年配の女性一人だった。自由に座っていいということだったので、二人は奥の窓際の席を選び、向かい合って座った。広い四人席である。


「こんなお店、よく見付けたね」


「ユメリエンは何度も来ているからね。ここは、この国でない者が始めたお店なんだよ」


「だから辛くない料理があるの?」


「店主がユメリエンの料理を気に入らなかったようでね。辛いものはひとつもないはずだから、安心するといい」


「気に入らないのに、この国で店を開こうと思ったんだ?」


「僕もそこが気に入って、この店に通うようになったのさ」


 何気ない会話を遮断するように、二人は目を合わせて笑った。

 ゆらゆらと揺れながら、実体のないようなひょろ長い男が、二人の席に近付いて来る。男は藁で出来た帽子を深く被っていて、顔がよく見えなかった。


「君は呼んでいないけど?」


「俺は食事に来ただけだ。この国の料理は辛過ぎる。なぁ、シーラ?」


 帽子の男がシーラの隣に座ると、フリントンは眉間に皺を寄せた。


「シーラの隣は僕と決まっているのだけれど?」


「誰が決めたんだ?」


「僕だねぇ」


「それなら俺も勝手に決められる。いいな、シーラ」


「僕が良くないんだよ」


「お前の隣に座れと言うのか?」


「場所を交代しようと言っている」


「面倒なことを言うな。もう動きたくないぞ」


 シーラはずっと笑っていたが、やっと口を開いた。


「いつも通り仲良しだね」


「どうしたらそう見える?」


「そうだよ、シーラ。こんな男と仲良しだなんて、辞めてくれるかな」


「ところでアザラシのお兄さん。素敵なお店では帽子を脱いだらどうかな?」


「それは出来ん」


 フリントンとシーラが笑おうと、男は帽子を深く被ったまま、口元だけを覗かせていた。


「そうそう、モークからお祝いを貰ったよ。ありがとう」


「受け取ったか」


 帽子の男は、驚いたように言った。モークに渡すよう指示したのは、この男ではないのか。


「ここで返してしまったらどうだい?」


「お前には関係ないだろう?」


 フリントンと帽子の男の間に、ピリッとした空気がほんの一瞬流れたが、シーラは何も気にせずにメニューを眺め、それから手を上げて「お姉さん!注文いい?」と年配の女性に声を掛けた。

 相変わらずシーラは臆することなく女性によく話し掛け、この店おすすめの料理を注文することに成功する。

 フリントンも帽子の男もシーラに続き料理や酒を注文し、また三人だけの時間が流れた。店内にそれなりに客はあったが、混雑している風でもない。まだ空いた席もいくつかあった。


「暑い国なのに、なんでレンガなんだろうね?」


 シーラは改めて、店内を見渡す。赤茶色のレンガは、この国の熱気から考えると暑苦しい。


「だから裏側は、簡易な家ばかりなのだよ。レンガ造りの家が普及しない」


「葦の家の方が、風が通って気持ちいいよね」


「国としての見栄えが大事なんだろう」


「これからは、どうなっていくんだろうねぇ」


 シーラがしみじみと言った後に、酒が届き、三人で乾杯となった。やはりこの店は年配の女性一人で接客を行っているようだ。いつも同じ女がやって来るし、シーラたちに関わらない間も、客席の間を忙しそうに駆け回っている。料理を作っている時間はないから、厨房には調理を担当する別の誰かがいるのだろう。


「夫はどんな男だ?」


「どうせ調べたんでしょう?」


 シーラが言っても、帽子の男はなお聞いた。


「誰の口から聞くかが重要だろう。お前から見てどんな男だ?」


「惚気てもいいの?」


 シーラが瞳を輝かせて、男を見詰める。と言っても、男の顔は口元しか見えていない。


「一度くらい聞いてやってもいいぞ」


「わぁ、いいの!二人には聞いて欲しかったの!イルハって、もうとっても素敵なんだよ。優しくて、賢くて、とても大切にしてくれて。それに凄くいい声をしているの」


 フリントンは穏やかに微笑して聴いていたのに、表情と合わない言葉を漏らす。


「長く僕を側で見て来て、どうして彼なのかなぁ?」


 シーラはこれを笑い飛ばしてから言った。


「そのせいじゃない?」


「それはどういう意味かな?」


「そのままの意味だと思うぞ」


「君は黙っていてくれないか?」


「今は俺がシーラに話を振ったんだぞ?」


「ねぇ、それより、もっと聞いてよ!」


 男たちは黙り、シーラはイルハの良さをそれは熱心に語った。

 そんな三人の様子を伺いながら、同じ店の中でとある客がひそひそと会話を始めている。


「間違いない。あの綺麗な男だ」


「帽子の男。あれもそうだよな?」


「そうすると、あの女は……」


「まさか。どちらかの女だろう。あんな若いはずがない」


「女はさておき、あの二人が揃ってここにいるとすれば、あの噂は……」


 一度フリントンがそちらを見て貴公子のように悠然と微笑めば、その席の客は静まった。話していた男たちは青い顔をしている。

 向かいに座るシーラと帽子の男も、フリントンが他の客に微笑んで黙らせたことに気付いているが、その席に興味を示さず、見ることもなかった。


「イルハは二人に似ているところもあると思うの」


「僕らにかい?」


「それ以前に俺とこいつは似ていないが」


「それは当然だ。とすると、僕らのそれぞれのどこかと彼が似ているのかい?」


「二人も似ているよね?」


「シーラ、それは僕でも怒るかもしれないよ」


「お前は我慢が足りねぇな」


「僕と似ていて、余程嬉しかったのかな?」


「冗談は海だけにしてくれ」


 フリントンと帽子の男の口角が、同時にすっと上がった。

 ピリッとした空気が再び出来上がるも、二人とも笑っている。海のものらしい冗談だろうか。


「やっぱり似ているよ!」


 シーラは二人を気遣わずに言うのである。それで二人から気が抜けた。


「どう似ているのかな?」


「フリントンも、アルトロも、イルハも、みんな面白いもの!一緒にいると凄く楽しいよ!」


 フリントンと帽子の男は、またしても同時に口角を上げていた。けれどもそれは、先とは雰囲気が違っていて、もっと優しい笑みである。


「懐かしい名で呼ぶな」


「今さら変えられないよ。というか、もうずっと覚えられない」


「今回は覚えやすい名にしたぞ。さっきも呼んでいたよな?」


「なんだか呼びにくいから、最初に聞いた名でいいでしょう?」


「好きに呼べばいいが、俺も好きに名を変えるからな」


「大体君はアザラシなんて顔かい?」


「お前は数ある名に見合う顔をしているのか?」


「僕は一つの名に縛られない自由で美しい顔をしているだろう?だからどんな名にも勝る顔というわけで、名に見合う顔とは言えないものさ」


「……これに何か返した方がいいのか、シーラ?」


「要らないと思う。ほら、料理が来たよ。美味しく食べよう」


 フリントンは苦笑を浮かべたが、それ以上語らずに、大皿の料理を皿に取り分け、シーラに渡した。


「俺にもくれ」


「君は自分で取りなよ」


「私が取ってあげるから。ほら、二人とも。お皿をちょうだい」


 しばらくの間、三人は大人しく料理を味わっていたが、また語り出した。

 話題を振ったのは、帽子の男、アルトロである。


「小僧をまだ乗せているらしいな?」


「それがどうかした?」


「これからどうするつもりだ?」


「どうもしないよ」


 シーラは辛くない豚肉料理を美味しそうに食べていた。相変わらず、美しい所作で食事をする。

 フリントンも、アルトロも、食べ方は綺麗だ。

 フリントンは美しい顔立ちや身なりの良さからも、彼を知らず海賊だと思う者はないだろう。

 アルトロもまた、帽子を被った無礼さを除けば、それなりの身分の男に見えた。帽子以外は、悪くない恰好をしていて、むしろ帽子が彼の井出達から浮いている。


「そろそろ考えてはどうかな?テンはなかなか賢い子どもだろう」


「フリントンがそれを言うの?」


 フリントンはたちまち眉を下げた。珍しく頼りのない顔になる。


「う……僕はね、シーラ。皆の気持ちを重視する優しい船乗りなんだ」


「なんだ、お前のところの若いのも、まだなのか」


「近頃シーラに色々あって、彼も落ち着かないからねぇ」


「私は関係ないでしょう?」


「テンを乗せたと聞いた彼が、どれだけ荒れたか。国にある夫まで出来たと聞いて、彼の心中を察すると、急ぐことも出来ないわけだよ」


「急いだこともないくせに」


「それは間違いないね」


 フリントンが歌うように笑うと、シーラもこれに笑い声を重ねた。笑い方がとてもよく似ていて、仲の良い二人であることは、周りの客にも見て取れただろう。

 ところがである。


「だからと言ってね、フリントン。あんまりだと思うの」


 手を止めてシーラはにこっと微笑むのだが、フリントンの顔色が悪い。

 アルトロはくくっと笑い、シーラと同じ豚肉料理を頬張って、一人「美味い」と唸る。


「僕は基本的に自由にさせる主義でね。あまり口を出さないことにしているのだよ」


「私が怒ってもいいの?」


「……少しは考えよう」


 三人はそれからも会話に興じながら、ユメリエンらしからぬ料理と酒を楽しんだ。

 周りから見れば、仲睦まじい友人たちの集まりという認識でしかなかっただろう。


 不思議なことには、この店ではシーラがフリントンの脛を蹴ることは一度もなかった。それはどちらか一方が違ったのではない。確かに二人は、いつも皆に見せるときと様子が違ったのである。


 フリントンはアルトロがしたように、店を出る前に小さな箱をシーラに手渡した。


「僕からもお祝いだ。持っておくといいよ」


「ありがとう!」


 シーラはこれを素直に受け取って、テンを迎えるため、ユメリエンの夜をフリントンと共に歩き出す。

 あちこちから溢れる鮮やかな灯りが照らすレンガの街に、気が付けば、アルトロの姿はなかった。


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