29.仕事
ユメリエンの港町は赤茶色のレンガに溢れている。
王族が住まう城までも、レンガが使われていて、町全体で計算された美しい景観を築いていた。城をぐるりと囲む、レンガで出来た城壁は見事なものだ。
通常は警備の厳しい城壁にも近付くことは出来ないはずだが、フリントンは水色の傘を広げると、シーラが船上でテンにしたように腕にシーラを抱え、空を舞った。
月がまだない夕闇の中だろうと、街や城からの明かりが煌々と空を照らし、おかしな傘が空を舞っていることは目視出来たが、城壁の周囲に規則正しく配備された警備兵の誰もそれに気付かない。
フリントンは軽々と城壁の上に舞い降りて、傘を閉じると、シーラと共に歩き出した。
城壁の上にも警備兵が配備されているというのに、やはり誰も二人を見ない。
「高いところから見ると、街の明かりが綺麗だねぇ」
「この街の表側は、よく出来ているよ」
呑気に会話をしているというのに、不気味なほど誰も二人に注目しなかった。声どころか、足音さえも、届いていないようだ。
城壁の内側には、よく整備された庭が広がっていた。ところどころに設置された街灯は、夜であっても庭園の素晴らしさを称えてくれる。
その向こうには、立派な城が建っていた。やはりレンガ造りで、真ん中にそびえる高い塔の尖った屋根の下には、これまた大きな銅鐘が釣り下がっている。その左右にはこれより低い塔が並んでいた。
「部屋は分かるの?」
「知らないね」
「探し回るの?」
「それも一興だけれど。おいで、シーラ」
フリントンはシーラの手を取ると、堂々と城へ繋がる城壁の階段を下りて行った。
「あちこち見てきたけれど、どの国のお城よりもずっと立派だよ」
「ここまで見事な城は、世界にもなかなかないね」
手を取り合って城へ続くレンガで出来た道を堂々と歩む様は、二人がユメリエンの王族であるように見せたが、そんなわけがない。
城の入口は重厚な扉によって固く閉じられていたが、フリントンはこれを開けずにまた傘を広げると、シーラを抱えた。
ふわっと浮かび上がったそれは、夕闇の中を漂い、フリントンとシーラは三階のテラスに降り立つ。
フリントンは躊躇なく、大きな窓を開けて中に入った。窓の内側は左右にどこまでも続く長い廊下だ。
「中の警備は手薄なんだね」
シーラは中に入ると、窓を閉じてからきょろきょろと辺りを見渡した。外側の景観からすれば、内部は質素で簡易な作りだ。調度品などが所狭しと飾られていそうな荘厳な城だが、そのようなことはなく、廊下には何も置かれていないし、壁に絵画さえ飾られていなかった。このような立派な城ならば、天井に壮大な絵でも描かれていそうなものだが、それもないし、豪華すぎる煌びやかな照明もぶら下がっていない。
「魔術も掛けていないようだね」
「西側の王様は適当だなぁ」
「平和というのは、恐ろしいものだよ」
人に見付かることも恐れずに平然と会話をしながら、二人は城の廊下をゆったりと歩いた。
シーラがくすっと笑うと、フリントンは「これは有難い」と呟く。
「やっぱり来なかったね」
「彼の方が助かるよ」
二人は階段を昇り五階に移動すると、また続くだけの廊下を歩み、奥の木の扉の前で足を止めた。立派でもなんでもないその扉は、使用人の部屋であることを示しているようだが、違うことを二人は知っている。
中から漂う魔力が、それを教えてくれていた。
中に声も掛けず、ノックもなしに、フリントンが木の扉を押して中に入ると、すぐに声が掛かった。
「遅かったですね」
「君がいつも早過ぎるのだよ」
「久しぶりだね、モーク。可愛い名前のあの人はどうしたの?」
モークと呼ばれた男は、軽く会釈してこれに答えた。
彼もまた若く、どこにでもありそうな素朴な青年である。
「代理で参りました。すべて私に一任するとのことです」
シーラとフリントンが同時に笑った。その陽気な笑い方は、とても良く似ている。
「モークも大変だねぇ」
「えぇ、とても迷惑しておりまして。お二人からも嫌味のひとつ、ふたつ言って頂ければと」
「私が言ったところで聞かないよ」
「誰かに言われて何かする男ではないだろうね」
「それはお二人も同じではありませんか?」
シーラとフリントンは、またよく似た笑い方をした。
「そういえば、シーラ殿はご結婚されたとか。おめでとうございます」
「そうなんだ。ありがとう!」
「これはささやかですが、うちの可愛い名前をした馬鹿者からの祝いの品です」
モークはシーラに向かい、小さな箱を差し出した。
「モークも面白いよね」
シーラは笑ったが、箱を受け取ろうとしない。遠慮ではなく、手を伸ばすことを避けているようだ。
「お褒め頂き、光栄ですね。馬鹿者からの品など受け取りたくないことも存じておりますが、このまま持ち帰ってしまいますと、馬鹿らしいほどに拗ねる馬鹿者ですので。どうか、私のためにお受け取りください」
「うーん。モークのためには受け取りたいんだけど、いい予感がまったくしなくてね」
「受け取って頂ければ、それだけで」
「受け取っておやりよ。何かあれば僕が言ってあげるから」
シーラはひとつ笑ってから、「それでは有難く」と言って箱を受け取った。とても軽い箱で、シーラは何度か軽くそれを振り、中身の揺れを確認している。
「僕もお祝いをしたいのだけれど、それはこの後にたっぷりとね」
「そうだ、モーク。このあと、食事に行くつもりだけど。モークも一緒にどうかな?」
フリントンが顔を顰める。
「どうして誘ってしまうのかな?僕は君と二人で行こうと思っていたのに」
「それが嫌だからだよ!」
「そんな悲しいことを言わないでおくれよ。僕は君と二人でゆっくりと……」
長くなりそうなフリントンの言葉をモークが遮った。
「フリントン殿、ご心配には及びません。私は馬鹿者のところに戻りますので、どうぞ、お二人で楽しまれてください。しかしながら、馬鹿者がどうするかという点は、私には分かりかねますので、先にお詫びしておきます。いつも申し訳ありません」
フリントンはまた顔を歪めたが、シーラは笑った。
「さてと。それなら、早いところ終わらせようか」
フリントンの視線が、モークを越え、その奥に向かう。華奢な木製の椅子には、小さな椅子に見合わない、体の大きな男が座っていた。
この部屋には、もう一人、男が居たのだ。いや、この一人ではない。
よく見渡せば、部屋の隅に数名の兵士たちが倒れている。兵士たちはぴくりとも動かないが、座る男だけは意識があって、黙って三人を見据えていた。
「話はモークから聞いているね?」
「私の考えは変わらない。余計なことはするな」
男は低く、凄みのある声で言ったが、フリントンは柔和に笑う。
「余計なことをするつもりはないね」
「ならば、何をしに参った?」
白く長い寝間着を身に付けた男は、フリントンの瞳から目を逸らさなかった。このおかしな状況にあっても、冷静さを失わない様は見事だ。
「僕らは、僕らの用事を済ませに来ただけだ」
「それが余計なことだと言っている。お前たちの方には付かない」
「あちらには付くと?」
「それもない」
フリントンの後ろでシーラは男に笑顔を向けているし、モークも穏やかな表情でさらに後ろに控えていた。
この場はフリントンがすべて済ませるのか、と思いきや。フリントンは振り返りシーラを見て、貴公子のように美しく微笑んだのである。
「ここは君だよね?」
シーラは首を傾げているのに、モークが言葉を重ねた。
「間違いなく、西側ですね」
「そうかな?南とも言えるような」
シーラはわざとらしく、首を傾げたままに言う。
「西寄りの南だろう。いや、南寄りの西が正解か?」
「どちらでも構わないでしょう。白の大海の一国に違いありません」
シーラはまた腕を組むと、大袈裟に天井を見やった。そこには規則正しく並ぶレンガがあるだけだ。
「悩む振りは要らないよ」
フリントンが言えば、シーラの視線がフリントンに戻る。
今度のシーラは、歯を見せて、いたずらっ子のように笑った。
「私でいいの?二人にも楽しくして貰うよ?」
フリントンとモークが一度視線を合わせた。同意の意味だ。
「君はどこかの国の王子様のお守りで忙しいだろうから。仕方がないね、モーク」
「こちらはすでに、シーラ殿が申す通りにせよと聞いて参りましたので、なんの問題もありません」
シーラは三歩進んでフリントンよりも前に出ると、座る男に笑い掛けた。
「はじめまして。私はシーラ。シーラ・アーヴィン。シーラと呼んでね」
男の大きな目がシーラを捉えたが、シーラはいつも通り、人懐っこく男に向かい話し続ける。
「あなたがどうしたいかは分かっているよ。だけど私たちにもしたいことがある。だからお互いにしたいことをするとしよう」
「お前たちの好き勝手にされるくらいなら……」
「それもまた自由だ。だけどその自由を奪うこともまた、自由だと思わない?」
シーラは手を伸ばし、男に言う。
「死んだことにしてあげよう。それでどうかな?」
「偽りなど望んではおらぬ」
「望んでいなくとも、私たちのためにもうしばし生きて貰うよ」
「私の生はいつも……」
男の声を遮り、シーラは大きな声で言った。
「私たちがここに来たんだ。あなたはもう先を選べない。何を考えることも自由だけれど、行動する自由はいつも、それを選べる方にしか付かないからね」
男ががくんと頭を落とした。眠ったのか。
シーラは振り返ると、「この人どうしようか?」と呑気に言った。考えているのか、いないのか。
「お二人は食事に参られるのでしょう。後はお任せください」
「いつも助かるよ」
「お礼は要りませんので、馬鹿者に厳しく言っておいてくださいませ」
しばらく三人で語り合った後、フリントンとシーラは連れ立って部屋を出た。まだモークは残っている。




