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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第二章 海の洗礼

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28.秘密


 ユメリエンの繁華街の料理屋に、シーラとテンの姿があった。相変わらずこの地でも二人は異国人であって、この国には馴染んでいない。

 珍しくシーラの顔色は晴れなかった。鮮やかな黄色い酒を飲みながら、困ったなぁと繰り返している。


「美味しいけどなぁ」


 テンは呟き、出された料理を次々に頬張っていた。

 しかしシーラはそれらに手を付けようとしない。


 ユメリエンは豚肉を使った料理が多く、そのどれもが辛味の強い味付けで、シーラはこれが苦手だった。辛いものは得意でないのだ。


「テンは本当に何でも食べるよね」


「何でもは食べないけど、これは美味しいよ。お腹はどうするつもり?」


「何か甘いものでも食べておこうかねぇ。お酒に合うものがいいんだけど……」


 しばしメニューを見詰めていたシーラは、店の女に果物の盛り合わせを頼み、またため息を漏らした。どうやら望むものは見付からなかったらしい。


「果物も美味しいんだけど、こればかりだと飽きちゃうよね。早いとこ、他の国に行きたいなぁ」


「王子たちを待つの?」


「うーん。どうしようかなぁ?」


 シーラとて落ち込むことがある。いつも明るく元気でいるわけではない。

 そんなシーラをよそに、テンは夢中で辛い豚肉料理を腹に収めていく。いつも海上で缶詰ばかり食べているから、美味しいものは食べられるときに食べておきたいわけだ。

 リタの作った保存食も、もう船に残っていなかった。成長期のテンの食欲は、凄まじい。


「やぁ、シーラ。会いたかったよ」


 声に驚いたテンが顔を上げれば、シーラの隣に見知った男が座っていた。フリントンだ。

 相変わらず身なりも良く、貴公子のように美しい佇まいをしている。知らない限り、これが海賊だと思う者はいないだろう。


「他にも席は空いているよ」


 シーラは喜びも驚きもせずに淡々と言ったが、フリントンはいつも通りの言葉を返すのだ。


「連れないなぁ。僕と君との深い仲では……」


 悶絶するくらいならば言わなければいい、とテンはいつも思った。せめて足が届かないほどに離れて座ったらいいのに。

 それでもフリントンは必ずシーラの隣に座る。どこに居ても、シーラの隣を譲らない。

 そしていつも余計なことを言って、脛を蹴られるのだ。

 やはり蹴られたいのではないか。この男は変態か。

 まだ幼いテンにこのように想われているのだから、どうしようもない男だ。


 遅れてフリントンの船の同乗者たちが、ぞろぞろと店に入って来たかと思えば、シーラたちの隣の席に陣取った。


「よぉ、シーラ。いい勝負をしていたな」


「そうかな?」


「圧勝じゃねぇか。それであいつは?」


「今日はとても良くないから別の日にって」


「確かにそうだな」


 男の一人が店内を見渡して頷いた。ユメリエンの庶民と、異国からやって来た観光客とで溢れた店内には特に目立っておかしな点はないが、何に納得したのだろうか。


「そういや、夫が出来たそうじゃねぇか」


「今日は祝いの酒だな」


「お祝いしてくれるの?」


 シーラが嬉しそうに言えば、フリントンは「君にいくら夫が出来ようと僕の愛は…」と言って、またしてもシーラに脛を蹴られるのであった。


「いい酒を頼もうぜ。いいよな、(かしら)?」


「シーラのために、最高の酒を選んでおくれ」


「そう来なくっちゃ。おい、姉ちゃん。一番いい酒をたっぷり持って来てくれ。いいか、この店で一番いい酒だぞ」


「君たちはただ飲みたいだけだねぇ」


 フリントンがしみじみと言っているのだけれど、誰も聞いてはいない。


「それより、シーラ。夫とはどうなんだ?」


「どうと言われて困るよ」


「僕も聞きたいね。彼とは仲良くやっているのかい?」


 フリントンの手が、シーラの額に伸びる。シーラの額に残るタークォンで出来た傷痕を、フリントンはそれは愛おしそうに撫でた。

 シーラは嬉しそうでもないが、その手を払うこともしない。テンはこれが不思議である。脛を蹴るほど嫌がっておきながら、フリントンが顔に触れることは何故か許すのだ。


「それはもう、とても仲がいいよ」


「妬けるなぁ。何かあったらすぐに言うんだよ」


「何かって?」


「たとえば君を裏切り、泣かすようなことをしたら」


 シーラはこれを笑い飛ばした。


「フリントンとは違うから心配要らないよ」


「頭ほど酷い男はいねぇわな」


「俺が女でも、頭だけは選ばねぇ」


 男たちは笑うのだけれど、フリントンは怒るでもなく微笑して、まだシーラの額を撫でていた。


「頭の酷い話と言えば。シーラ、面白い話があるぜ。頭がまたネコを怒らせちまってなぁ」


「僕のそういう話は……」


 フリントンの遮る言葉など、誰も聞いていない。

 本当にこの男は海賊の頭なのだろうか。船員たちからの人望も集めていない男が、海賊らしいことを出来るのか。

 海賊って何だろうと、またテンは難しいことを考えた。テンが見て来た海賊は、先のヨーゼンのように分かりやすい者たちもいれば、フリントンのように普段何をしているのかまったく分からない者も含まれている。

 それをひとつにして海賊と呼ぶのはどうだろうと、テンは彼らの呼び名に違和を覚えた。フリントンは、気安く海賊と呼んでいい存在ではない気がする。


「今度は何をしたの?」


「手を出そうとしたに決まっているだろうよ。なぁ、頭」


「僕の目に愛するシーラ以外が映ることなど……。シーラ、怒ってくれるのは嬉しいが、脛は辞めないか?」


「怒らないけど、気持ちが悪いね」


「それはあんまりだよ。それなら素直に私だけを見てと可愛く……」


 悶絶するフリントンを見て、男たちからどっと笑いが漏れた。蹴ったシーラまで、笑っている。


「おや、そろそろ時間だね、シーラ」


 シーラが顔を上げて、店の壁に掛けられた大きな古時計を見やった。


「来ると思う?」


「来ない方にいくらでも懸けよう」


「それじゃあ勝負にならないよ」


「愛する君のためならば、僕はあえて負けることも厭わ……」


 たちまち鈍い音が鳴った。

 フリントンはやはり蹴られたいのだ。この人は変態だな。とテンが結論を出していることなど露ほども知らず、フリントンとシーラは立ち上がる。

 二人が立った時、ちょうど店の女が酒を持ってやって来たから、ヤニが急いで酒瓶を取って二つのグラスにこれを注いだ。するとフリントンとシーラは、ほとんど同時にグラスを持ってこれを勢い飲み干したのである。これでは祝いの酒でも何でもないし、せっかくのいい酒を味わうことも出来ていないだろうが、シーラは満面の笑みで「美味しいね、ありがとう」と言った。とても満足した様子だ。


「終わったら、君の好きな料理が出る店に行こう」


「ご馳走してくれるの?」


「もちろん。僕が知っているいい店を教えてあげるよ」


「それは有難い。テン、仕事をしてくるから皆と一緒に待っていて」


 テンは連れて行ってくれと騒ぐようなことはしない。

 料理を口に含んだまま頷いて、二人を見送った。


 シーラはフリントンと連れ立って、店を出ていく。

 いつもこうだから、テンには二人の仲がよく分からない。


 けれどもイルハという存在が現れてから、シーラがフリントンにイルハに対するものと同種の感情を持っていないことが分かるようになった。

 シーラとフリントンが実は夫婦だと言われても、以前のテンは納得していただろう。海のものはそういう類の嘘をいくらでも吐くからだ。けれどもイルハと共にあるシーラを見ていたら、シーラがイルハを大事に想っていて、それと同じ想いを他の誰にも持っていないことが分かった。


 ならば、シーラにとってフリントンは何だろう?

 これはまだテンにもよく分からない。共に仕事をする仲間のようなものなのか。


 シーラが去ると、残された男たちはわざわざテンの席に移動して来た。おかげでテンは、まだ料理が楽しめる。


「皆は、どんな仕事か知っているの?」


「頭が言うと思うか?」


「思わないね」


 男たちは一斉に笑うのだ。フリントンの船に乗る男たちも、他の海のもの同様に、底抜けに明るい。


「お互い苦労するな」


「別に苦労はしていないけど」


「憂さ晴らしに酒でもどうだ?これは美味いぜ」


「俺はまだ飲まないよ」


「お前くらいの時には、シーラはもううんざりするほどに飲んでいたぞ?」


「俺だって飲んでいたからなぁ」


 シーラと同じ年頃のヤニは、得意気に言った。


「それでも俺は飲まないよ」


 テンがぶっきらぼうに言えば、男たちは目を見合わせてにやっと笑う。嫌だな、とテンは感じた。


「まだ祖国が大事か?」


「別に大事じゃないよ」


「シーラの船に乗ったんだ。もう忘れるか、祖国に帰るか、どっちかにしろよな」


 テンは無表情のまま、言ったヤニを見やった。いつもより冷えた目を隠さない。


「ララエールに帰ることはないよ」


「それならララエールの決まりなんか守るなよ」


「俺がそうしたいだけだよ」


「ララエールに心があるからだろう?」


「小さい頃に教わった決まりを守りたいだけだ」


「その決まり、守って何になる?」


「守れば、自分を裏切らないで済む」


 テンは真っ直ぐにヤニを見詰める。少年として精一杯の対応だった。


「まだまだ言い訳が下手なお子ちゃまだな」


 テンはもう相手をしたくないようで料理を食べ始めたが、ヤニもしつこい男である。


「子どもは船に乗るもんじゃねぇぞ」


「シーラだって、子どもの頃から船に乗っているよ」


「考え方が子どものうちは乗るなと言っているんだ」


「シーラが乗っていいと言った」


「シーラはなんだかんだで甘いからな。それに甘えるなよ」


 今度のテンは、はっきりとヤニを睨み付ける。その鋭さは、十二歳の少年のものではない。


「シーラを悪く言うの?」

 

 男たちは笑い出した。


(かしら)愛だけは、一丁前だな」


「シーラは頭じゃないよ」


「同じようなもんだ。酒でも飲むか?」


「何度聞かれても、飲まないよ」


「冗談だ。ジュースを飲むか?」


「自分で頼むからいい」


 どういう理由か知らないが、フリントンの船にある男たちが自分を好んでいないことはテンも知っている。特にヤニからは憎まれているのではないかと感じるところもあった。

 この男たちが厄介であるのは、フリントンやシーラがいる前でこれを示さないことである。シーラが知れば激怒しそうなものだが、テンがあえて言わないことも分かって、このようなことをしているのだろう。


 これくらい自分で対処出来る。テンは強く思い、酒のようにジュースを煽った。シーラの真似だ。

 シーラの船に乗り続けるならば、シーラが乗せていたいと思うほど強くならなければ。テンは焦りを感じながら、早く成長したいと、夢中で料理を頬張った。


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