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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第二章 海の洗礼

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27.集う海のものたち


『次は船に穴が空くぞ!』


 操舵室にはざらざらとした、誰の耳にも心地好くないであろう男の声が響いていた。その不快さは、タビトが無線機の音量を下げたほどである。


『船にあるものをすべて寄越せ。それで見逃してやろう』


 無線機の通話ボタンは押さずに、タビトとカイエーンがシュウレンを見やった。

 しかしシュウレンは、穏やかな笑みを浮かべたまま、「さて、面白くなってきおった」と言うのである。


「面白いとは何ですぞ」


「そうですよ、シュウレン殿。如何様になさるおつもりか、教えてください」


「わしは何もせんよ」


「は?」


 カイエーンは固まったし、タビトも冷や汗を浮かべた。


「あれは海賊ですよね?」


「そうじゃろうな」


「シュウレン殿は何もしないおつもりで?」


「私は知らぬと、先から申しておったはずじゃ」


「しかし殿下がお乗りになられている以上は……」


「その殿下が、気にするなと申されたのじゃろう。ろくに兵士を乗せなかったのも殿下であって、すべては殿下がお一人でお決めしたこと。わしが何かする必要はあるまい」


 カイエーンは青い顔のまま、シュウレンを鋭く睨み付けた。


「そのようなご発言、許されるとお思いですか?」


「殿下をお守りするために、そなたらが同乗したのではなかったか?のぅ、タビト?」


「私は……」


 タビトはそのつもりなどないが、カイエーンの前ではっきり言うわけにもいかない。

 シュウレンはそれを分かっていて、笑うのだ。


「されどタビトもタークォンの魔術省の士官として、なさねばならぬことがあろうな」


「シュウレン殿。まさかとは思いますが……」


「良い機会じゃ。好きなようにしてみたら宜しい」


 タビトの表情が変わった。肝の据わった顔である。


『おい、聞いているのか!俺は辛抱がないんだ。次は当てるぞ!』


 タビトが無線機の通話ボタンを押した。


「聞いておりますとも。お断りしましょう」


 船が発進し、急激に速度が増した。タビトがレバーを操作して、スクリューを高速で回転させたからだ。

 直後にドーンという大きな音が鳴り響くも、船は上がった波を避け、遠くの船から離れていく。しかし向こうの船もまた、明らかにこちらを追って速度を上げた。


「こちらからも攻撃いたしましょう」


 カイエーンは転げぬように気を付けながら、操舵室の扉を押して外へ向かう。

 シュウレンが何もしないとあれば、することはひとつだ。


 階段を駆け降りたカイエーンは、一階の武器庫に向かった。武器庫にはたっぷりと武器が保管されているが、それよりも目的は窓辺に設置された大砲だ。

 カイエーンは慣れた様子で大砲を操作すると、間髪を入れずに遠い船に向かってそれを撃ち込んだ。

 ドーンという耳にうるさい音が轟いたのは、お互いの船からだ。しかしどちらも船の速度が出ているために外れてしまう。

 あちらもそこまで大砲の腕は良くないらしい。それとも、わざと外しているのか。

 船を沈めてしまっては、何も奪えなくなってしまう。とすれば、あちらはせいぜい船が動けないほどの攻撃しかしてこない。

 向こうの船の方が操縦技術はあろう。タビトが急いでいようとも、互いの距離が近付いている。

 しかし近付けば、砲撃しやすいというもの。

 カイエーンは冷静に、こちらの方が有利であると判断した。大砲を撃ち込んであちらの船が沈もうと、何の支障もない。


 タビトは後ろに牽引した船が酷く邪魔だと感じていた。相手から砲撃の狙いを定められないように、蛇行しながら進みたいのだが、舵を取るたびに後ろの船が惰性の推力でこちらの船を引っ張るのである。


「シーラ殿。船にお戻りください。邪魔です!」


 タビトが操舵室から叫んだとき、まだシーラはイルハに抱かれていた。というより、また揺れるようになったから、イルハが腕から離せなくなったのだ。


「うーん、今かぁ。ちょっと違うんだけどなぁ」


 シーラは詰まらなそうに言ってから、「仕方ないね。イルハ、また会おう」と言って、イルハの腕から立ち上がる。


「転びませんか?」


「飛ぶから平気。イルハも気を付けて。テン、行くよ」


 シーラが手摺に繋がったまま放置されていたロープを持った。と同時に、片手にテンが抱えられる。

 もはやこれが自然のことであるかのように、テンを抱えたシーラの体は宙に浮かんだが、シーラはすぐに飛び出さず、イルハの前に浮かんでいた。


「イルハ!ユメリエンで無事に会おう!」


 言ったシーラがイルハにキスをする。

 イルハは驚いたが、離れる妻を穏やかな笑顔で見送った。


 それからシーラの勢いは早く、後ろの船に飛んで行くと、まず船と船を繋げていたロープを引き取った。

 タビトが舵を切ったから、シーラの船は流されることになったが、白い帆が瞬間的にぱっと開く。


 と同時に、ドーンという衝撃が、船と船の間に落ちた。


 互いの船は大きく揺れたが、傷はない。

 イルハは気が気ではないが、シーラが無事であることも知っていた。妻への信頼と心配は別なのだ。


 一方のシーラは呑気なもので、帆を張るロープに触れながら、テンに語り掛けている。


「ごめんね。あまり面白くならなかったよ」


「別にいいけど」


 テンは意外に思った。

 テンにとって雲の上にあるような存在のシーラでも、すべてが思った通り運ぶわけではないのだ。

 そうすると、今までの考えを改めなければいけない。

 テンは唐突にそのように思い付く。


「代わりじゃないけど、無線機を付けていいよ」


「見付かってもいいの?」


「その方が楽しいでしょう?」


 二人が楽しく会話をしている間も、タビトが操縦する船は遠くに離れて行った。シーラも帆を操っているが、あまり速度は出していない。その間に、ぐんぐんと黒い帆を掲げた海賊船が近付いて来る。


 テンは急ぎ駆け出して、甲板の上に乗る小屋の扉を開けた。テンが入って行ったのは、テンが自室として使っている方の部屋である。

 タビトの操縦する船はよく揺れていたが、こちらの船の揺れは恐ろしいほどに早く収まって、今や何も感じない。だからテンが駆けることに何の問題も生じなかった。


 テンはすぐにシーラの元に戻って来る。

 十二歳の少年が軽々と抱えられる木箱は、この船唯一の無線機だ。


『ピーピーガガ…ガー』


 外側のダイヤルをくるくると回していくと、テンはあるところで手を止めた。


「ここだ。ねぇ、聞こえる?」


『なんだ?どこの子どもだ?』


「やぁ、ヨーゼン。元気そうだね」


 シーラはとびきり明るい声で言った。


『…………なっ!ガン、ダダダ、ガシャン』


 明らかに何かが倒れた音がした。


「大丈夫?」


『何でお前が。いや、待て。待てよ。まさか。いや、どうしてだ?』


「落ち着いてよ、ヨーゼン」


『船が違うぞ!』


「そりゃあ、新しくしたからね」


『騙したのか!』


「どうして船を変えたら、騙したことになるの?」


 シーラもテンも笑っている。テンもシーラの船に戻ったことで、少年らしい笑い声を上げていた。


『それは…それよりまだその子どもを乗せていたのか?お前、本気で…』


「ねぇ、ヨーゼン。もっと他に話すことがあるでしょう?それともいいの?」


『待て。そんなつもりじゃねぇ。あの船は仲間か?』


「海に仲間なんかいないけど。さっきまであの船で遊んでいたねぇ」


『……待ってくれ』


「もう引くの?」


『なんだ、もうって?』


「詰まらないなぁ」


『楽しむな!頼む、見逃してくれ!』


「そっちだって今まで楽しんでいたでしょう?」


『お前がいるとは知らなかった』


「海にあって、知らなかったで済むと思うの?」


『今は船を直す金がねぇ。勘弁してくれ』


「船だけで済むかなぁ」


『悪かったって!頼む、俺たち、知らねぇ仲じゃ……ガガ…ピー、ピー。ガガ…。やぁ、シーラ。聞かせて貰ったよ。愛しい君に…プツン』


 無線機の電源を落としたのは、シーラではない。


「これでいいよね?」


「お見事。さぁ、遊びながら逃げよう」


「やっぱり来る?」


「もう近いよ。ほら、右後ろだ」


 テンは急いで望遠鏡を手に取った。

 見覚えのある船が、凄い速さでこちらに向かって来ている。

 その早さはヨーゼンの船の比ではない。


 ぎゅんと加速した船は、あっさりと前の船を越えて行った。

 タビトが唖然とするうちに、また別の船が飛んで来る。しかもその船は突然速度を緩め、まるで止まっているかのように隣を並走した。

 おかげでタビトは気が気ではない。


「やぁ、王子様!」


 フリントンは甲板に置かれた椅子の上で、貴公子然として優雅に手を振った。本当に王子より王子らしい。この男こそ、どこかの国の元王子ではないか。


「またお前か」


「愛しいシーラの声が聴こえてね。君たちも聴いていたかい?」


 気が付けば、大砲を討って来た海賊船も消えている。どこへ行ったのか。


「前から聞きたかったんだが、お前から見て、あいつはどうなんだ?」


「どうとは何かな?」


「海であいつは強いのかと聞いている」


 フリントンは歌うように笑う。それはシーラととてもよく似ていて、イルハの胸をざらりと撫でた。


「強くもあり、弱くもある。人は皆、そういうものではないかな?」


「そういう意味では聞いていねぇぞ」


「僕に聞く時間が無駄というものさ。それより君たちはなんて幸運なのだろう。たった今シーラに救われて、この先もまたシーラに救われるのだから。この素晴らしい幸運をよく味わうことだよ。それでは、また会おう!」


 さーっと流れるように、船は消えていった。そう、ほんの一瞬のうちに消えたのだ。


 今まで強がっていたタビトも、ここではじめて、誤魔化せない恐ろしさを感じた。

 長く航海することも初めてのタビトにとって、これは悲惨な経験であるが、しかしこれこそ海らしい洗礼だ。


 どこまでも淡い青緑色の海しか見えない世界で、風が凪ぎ、静寂に包まれたとき、微かではあるが、遠くから砲撃のような音が聴こえた。誰もがまた海賊かと身構えたが、何も見えなかったし、どこまで進んでも変わらず穏やかな海が広がっている。

 その後ユメリエンの内海に入るまで、この船に一隻の船が近付いて来ることもなかった。


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