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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第二章 海の洗礼

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24.灰色の世界


 灰色の霧のようなものが辺りを漂い始めたとき、タビトの背中を冷や汗が伝った。

 話には聞いて、知っている。その対処法もよくよく学んでいた。

 それでも実際に目の当たりにすると、緊張せずにはいられない。


 海には灰とか黒とか呼ばれる、不穏な気が巡るときがある。


 タビトは急ぎ、舵の隣に置かれた大きな羅針盤を見やった。しかし時すでに遅し、羅針盤の針はぐるぐると回転している。こうまで激しく動くものかと、タビトは驚きながら、じっと羅針盤を見据えた。

 問題はない。進行方向を変えなければいい。先から確かに目的地に向かい進んでいるはずだ。


 次第に辺りを包む灰色の霧は濃さを増し、やがて薄闇がやって来る。灰色のそれが太陽を隠したせいで、昼間であるのに薄暗い。海の色も青から灰へと変わっていて、これがまた不気味さを誘う。


 視界不良もいいところだ。前方に障害物が存在していても、衝突するまで気が付けないのではないか。

 海にある者たちは、それぞれに見えぬ障害物を避ける方法を知っていると言う。視界が無くとも、彼らは何かしらの方法で、海を知るのだ。しかしその方法は共通していないし、それぞれの秘め事となっている。

 一方でこれが出来ず、灰自体を避けるように船を動かす者もあると、タビトは聞いていた。自分がすぐに出来るのはこちらであろうと考えていたが、しかし灰は突然にやって来て、今のタビトには灰自体を避ける方法を見付けられそうにない。

 これはかなりの経験が必要だと、タビトは確信する。

 

 辺りが均一に灰色になると、船上にあっても余程近付かなければ、互いの顔が見えなくなった。操舵室には、窓からだけでなく、扉や板壁の隙間からこの灰が容赦なく入り込んで来るし、甲板上は濃い霧に完全に覆われていて、皆がどこにあるかさえ確認出来なくなっていた。

 外でくつろいでいた男たちも落ち着かない様子で言葉を交わしている。姿は見えなくとも、声だけはよく届いた。これは救いかもしれない。


 タビトは念入りに汽笛を鳴らした。船避けの一貫で、灰の中で他の存在を確認出来ぬ者はこれをするしかない。


「どうじゃ、タビト。海は恐ろしかろう」


「いえ、問題ありません」


「素直になることじゃよ」


 シュウレンは笑いながら言うが、タビトは灰のおかげで顔を隠せて有難いと思っていた。


 タビトの舵を持つ手はもう、方角を見失っている。先から舵を動かしていないと想えども、僅かな舵の振れが船にとっては大きな変位に繋がることをタビトも知っていた。目的地に近付いているのかどうか、怪しいものだ。


「恐ろしくはありませんが、教えてください。シュウレン殿は、いつもこれにどのように対処していたのですか?」


「どんと構えて、笑っておくだけじゃったのぅ」


 笑わせようとしているのかと、タビトは思った。

 けれども上手く笑えず、ここで笑ったのはシーラである。


「それは大事だね。慌てるのは良くない」


 むっとしたタビトになお明るい声が掛かった。


「ねぇ、タビト。灰があっても、そこに太陽はあるんだよ」


 タビトははっとした。灰にばかり囚われていたが、確かにそうである。

 灰色の霧がすべてを覆い隠そうと、世界が変わったわけではない。


 そして灰は長くは続かないと聞いていた。

 進行した方角に問題があったとしても、この灰を抜け出した後に、十分に修正出来るだろう。


 さらに隣にはシュウレンがいる。

 シュウレンが何かとの衝突を避けられないわけがない。

 自分はこのまま船を動かしていたらいい。


 落ち着けと己に言い聞かせながら、しかしタビトはこう言った。


「余計なお世話です」


「その通りだね。余計なことは言わないでおくよ」


 シーラは気持ち良く笑うのだ。タビトが余計に苛立つと知っていて、笑っているのだろうか。


 テンはシーラのすぐ側でシーラを見上げながら考える。その結果、シーラは何も考えていないだろうという結論に至った。シーラは今、楽しんでいるだけだ。だからこちらの船に残ることにした。


 シーラが選んだからには、きっと面白いことになる。

 少しは自分も楽しませてくれるだろうか。


 期待した目でシーラを見ていたら、シーラの手が赤毛に伸びた。トントンと指で二度頭皮を軽く小突かれる。

 テンは静かに頷いた。

 ここが海で良かったと、テンは思う。


「ここにいると余計なことを言ってしまいそうだから、私たちはみんなのところに戻ろうか」


 シーラはテンを誘い、さっさと操舵室を出て行った。灰色の霧に包まれた船にあっても、シーラの足取りは軽く、迷いもない。

 テンは一瞬も見失わないように、シーラの後を同じ歩調で追い掛けた。


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