8.海らしい片鱗
「これはまた、珍しい本がいっぱいだね」
イルハが現れて顔を引き攣らせていた古本屋の店主も、どっと運び込まれた本を見るなり顔付きを変えた。
「やや、これは!北のノーナイト王国の本ではないか!」
店主は興奮し、声を荒げている。
「どこで仕入れて来たんだい?」
「どこでって、そのノーナイトだよ。少し前に行って来たんだ」
「行ったって、お嬢ちゃん。ここからノーナイト王国までは、どんなに急いでも年単位だろう。しかも途中の黒の大海には、海賊がうようよいて、その海賊を狩る海賊まで出るって話だ。無事に行って帰って来る人なんて、まずいないはずだがね」
「それは少し誇張されているよ。海賊なんて滅多に会わないし、そんなに時間も掛からない」
「そうなのかい?」
店主は首を傾げつつ、本の鑑定に気を戻した。
「とにかく、この本が貴重なことには違いない。これは高く売れるぞ。良い値を付けてあげよう」
「待ってください。それほど貴重な本なら、私がすぐに買い取りましょう。店頭に並べることはありません」
「何を言っているんですか。イルハ様がお売りした本を、イルハ様が買い取ってどうなさると?」
「すべてこの娘の本ですよ。法の問題で私が保護者代わりをしているだけです」
「それなら、ご自分で買い取られては?」
「それでは法に触れましょう」
「しかし、そうすると、うちでも利益を頂きますよ?損をしますぜ?」
二人の会話を遮ったのは、シーラである。
「待った。待った。やっぱりその本は売らないことにするよ」
店主の無念そうな顔にも触れず、シーラは淡々と次の要望を伝えた。
「ねぇ、お兄さん。それより、私も本を買いたいんだ。売値と買値で相殺してよ。この国の本はどの辺にあるの?」
そう広くない店ではあるが、極限まで狭い間隔で並べられた棚から、目的の書を探すのは至難の業である。しかもどの棚も、天井すれすれまでの高さがあった。小柄なシーラには上方の本は見えないし、長身のイルハでも上段の本を取るには梯子を使う必要があったくらいだ。
「どういった本がご希望で?」
「この国らしい本がいいんだ。この国発祥の物語とか、この国の歴史書があれば。この国らしい魔術書なんかもある?あぁ、それと。十歳くらいの女の子が好きそうな本があれば」
「それなら…」
店主が探し始めたところで、またイルハがこれを制した。
「それも待ってください。買うのは後にしましょう」
「どうして?」
「その前に家に戻りましょう。見せたいものがありますから」
シーラは首を傾げたが、頷いた。
「じゃあ、今は売るだけにしよう。また後で来るよ、お兄さん」
「そうかい。ところで、さっきのノーナイト王国の本だけど」
「売らないったら売らないよ」
書店を出ると、太陽の明るさが目に染みた。大きな窓や照明もあったが、棚のせいで店内はどこも薄暗かったのだ。
二人は同じように目を細めている。
「結構な額になりましたね」
シーラが手にした小さな袋は、ずっしりとした重みがあった。
「遠くから運べば、価値が上がるのかぁ」
「それだけ輸送費が掛かっている、ということになりますからね」
「これで宿に泊まれるかな。食糧も買えそうだ」
「このまま泊まって頂いて構いませんよ?」
「それは出来ないよ」
「出来ませんか?」
「前にも言ったけど、返す当てのない貸しを作らないようにしているんだ」
旅人らしい、人を突き放す冷たさがあった。イルハはそこはかとない淋しさを感じる。
「そうだ、イルハ。これ」
イルハに差し出されたのは、先ほど売らなかった本である。
「お礼だよ。泊めてくれて、お世話もしてくれたお礼。これじゃあ足りないけどね」
「いいですよ、気にしなくて。それにこれは貴重な本ですから、あなたが持っていた方がいいでしょう」
「この国で貴重でも、私には普通の本だし。あんな汚い部屋にあったもので悪いけど。売るくらいなら、イルハにプレゼントするよ」
「では、有難く頂きます」
イルハがこのように人から素直に物を受け取ったことが過去にあっただろうか。
シーラがこの国の者でないからこそ、このような自身の振る舞いを許せるのかもしれない。
「もう少し買いたいものがあるから、付き合って貰える?」
二人は歩みを合わせて、休日の街を巡った。




