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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第二章 海の洗礼

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22.拒絶


 タビトは時を置かずに気付いた。自分はこの女を好きではないし、好きになることもない、と。


 シーラは船に乗り込んで来たかと思えば、イルハに甘え、その後は勝手に船内を歩き回った。それも自分で持って来た酒を瓶のままごくごくと煽っている。

 そのシーラが連れて来たテンは、船自体に興味がないのか、二階の甲板に腰を下ろすと、持って来た缶詰を開けて食べ始めた。


 人の操縦する船で、何て身勝手な振る舞いをするのだろう。

 師であるシュウレンは、どうしてこの二人が一時でもこの船に乗ることに同意したのか。


 今やタビトの苛立ちのすべてが、シーラに向かっていた。

 ぶつけられなかったそれを、堂々とぶつけられる相手だからだ。

 ただ一つの懸念は、これが法務省長官の妻だという点である。しかしタビトは、それで自分がタークォンでの居場所を失うならば、それこそ好都合だと考えた。

 そういうきっかけを、タビトはいつもどこかで待っている。


 船内をぐるっと見学し、二階の甲板にある皆の元に戻って来たシーラは、手摺りに背中を預けて、まだ酒を煽った。


「だけど王子は凄いね」


「なんだぁ?」


「よく軍船を降りたものだと思ってね。海が怖くないの?」


「タークォンでも優秀な魔術師を乗せているからな」


「タビトのこと?」


 タビトは呼び捨てにされることも気に食わない。

 さほどの挨拶もせずに、何故この女は気軽に名を呼んでいるのか。タビトの方はまだ名を呼ぼうという気さえ起きていないというのに。


「タークォンで最も名の通った魔術師と言えば、シュウレンだぞ。タビトはその弟子なんだ。なぁ、タビト?」


「仰せの通りです」


 タビトは王子の問いに、不機嫌な顔のまま、丁寧に答えた。傍らのシュウレンが笑っている。

 王子の隣では、テンが缶詰を差し出して、王子に食べるか聞いていた。


「シュウレンってそんなに凄い魔術師なんだぁ」


 シーラはやけに晴れやかに言ってから、静かに続ける。


「遊んでみたいなぁ」


 シュウレンの笑う顔を、タビトは凝視した。師である老人の、このように心から楽しそうな笑顔を、タビトは知らないのだ。タビトはますます目の前の娘を気に入らないと思った。


「わしは勘弁願いたいのぅ」


「楽しませるよ!」


「もう楽しめる歳じゃないわい」


 トニーヨが温めた食事を運んで来る。遅れてイルハが、酒やグラスを運んで来た。

 シーラとシュウレンは目を見合わせて、会話を終える。


「わぁ、凄い。この船には料理人もいるの?」


「いいや、軍船で作らせたものを温めただけだ。そうだよな?」


「えぇ、一階にキッチンはありますけれど、乗り込んでからはまだ誰も使っておりません」


「使えねぇの間違いだろう?」


 王子は笑うが、トニーヨはあまり顔色が良くなかった。


「どうして料理人を乗せなかったの?」


「料理人がいなかったんだよ」


 シーラは特別それを不思議に思ってはいないらしく笑顔を見せていたが、テンは気になったらしい。珍しく自分から王子に問い掛けた。


「軍船って人が多いよね?あれだけの人の料理をタークォンから持って来て、保管してあるの?」


「軍船で作らせたと言っただろう?」


「料理人がいないのに?」


 テンがじっくりと考えていると、シーラが笑い出した。


「兵士さんたちは、器用なんだね」


「それくらいのことならば、どの海軍兵も学んでおりますぞ」


 カイエーンは言いながら、トニーヨを一瞥した。トニーヨは相手をしたくなかったのか、すぐに目を逸らし、異論も反論もしない。


「だけど、ここに居る人たちは料理をしないんだ?」


 シーラが楽しそうに言ったとき、笑ったのは王子とイルハとシュウレンだけだった。


「情けないことに、私は料理というものをしたことがありません」


 トニーヨが言えば、カイエーンも言葉を重ねる。


「私も普段する必要がありませんからな。兵士たちにはとても言えませんがね」


「持ち込んだ分で足りるでしょうが、必要あれば私が作りますよ」


 イルハが言った時、トニーヨもカイエーンも目玉が飛び出そうなほどに目を見開いた。


「何か問題でも?」


 イルハが淡々と問えば、トニーヨもカイエーンも慌てて首を振った。

 イルハはこれでも、この場を楽しませようとしていたのだ。だからシーラは腹を抱えて笑い出す。

 タビトはとにかく面白くないと感じ、黙していた。


「タークォンの兵士って料理もするんだね」


 テンはとても小さな声で言ったから、誰も聞いていなかった。いや、シーラだけが聞いていたようで、テンの赤毛を撫で回している。


「ねぇ、王子。なんで兵士を乗せなかったの?」


「面倒だろう?」


「兵士がいたら、王子らしくいないといけないからだ?」


「分かっているじゃねぇか」


 テンがむっとしたことを確認したのは、イルハだ。いつものように少年は表情を隠せていない。


「せっかくタークォンを出たんだぜ?少しは気楽にさせろって話だろ。だから俺はこれも食うぞ」


 トニーヨの持って来た盆からフォークを奪った王子は、テンの前に置かれたアザラシの缶詰から欠片を取ると、それを躊躇なく口に放り込む。

 カイエーンはすっかり蒼褪めているし、タビトは酷く軽蔑した眼差しを向けていた。

 トニーヨはすでにライカルで鍛えられたらしく、意外にも冷静である。

 シーラとイルハは笑っているし、シュウレンはこれに関して何の興味もないようで微笑しているだけだった。


「美味くはねぇな。臭みが強い」


「それはね、王子。こうやって、酒と一緒に楽しむものなんだ」


 シーラはひょいとアザラシの肉片を摘まみ上げると、それを口に運び、それからすぐに酒瓶を傾け、酒を口に含んだ。


 見ていた王子もシーラと同じようにして、笑う。


「確かに酒に合うな。それも強い酒がいい」


「癖になる味だよね」 


「待てよ。テンは酒なしで食べられるのか?」


「俺はそのままでも美味しいよ」


「お前の味覚はよく分からねぇな」


「テンは何でも食べられるんだよ!ねぇ、テン?」


「何でもじゃないけど、これは美味しいよ。トニーヨも食べる?」


 テンに問われた時の方が、トニーヨは困惑した。


「お前らも好きに食べていいぞ」


 王子が言えば、トニーヨはなおのこと迷う。

 目の前の主君がいいと言っている。しかし信仰に背く行いをしていいのだろうか。されどもその信仰の対象が目の前にあって、それがいいと言っているのだから。しかしまさに信仰の対象の前で、信仰に背き、これを裏切ること。それは許されることなのか?

 トニーヨ自身、何を考えているのかよく分からなくなって目が泳いでいたが、その間にカイエーンははっきりと断った。


「私は遠慮いたしましょう。タークォンの料理を頂きます」


「私も遠慮いたします」


 タビトは酷く冷ややかな視線を向けて、王子に言った。


「まぁ、好きにしろよ。トニーヨも嫌なら食わんでいいぞ」


 トニーヨはほっとして、自分で運んで来た料理を食べ始める。


「シーラ。テン。お前らもこちらの料理を食べていいぞ」


 王子は言ったが、テンはすぐに食べようとしなかった。

 缶詰と比べたらとても豪華な料理であって、温めたせいか美味しそうな匂いが漂っている。

 だがテンの視線は、シーラに向かった。


「王子、私は遊びに来ただけだ。ご馳走になるのはいいけど、何かを期待しているなら辞めておくよ」


「俺も遊びたいだけだ。こっちに来たんだから、そっちに遊びに行ってもいいよな?」


「しばらく船を動かすつもりはないよ」


「逆にお前が引いてくれてもいいんだぞ?」


「そういうことなら、料理は要らない。酒も遠慮しておくよ」


「ったく。お前はなんだってそう頑固なんだ?」


 シーラはここで笑うのである。

 イルハはひっそりと微笑み、誰も注目していないのを良いことに、別のアザラシの缶詰を開けて、酒と共に楽しんでいた。


 シーラが一度イルハを見て、それから王子に視線を戻し、少しばかり不敵な笑みを見せる。


「そこまで言うなら、乗せてあげようか?だけど、こんな食事じゃ足りないね。王子が私の船に乗るなら、私はタークォンを貰おう」


「は?」


 シーラはにこっと笑って、それから「あぁ、まだ王様じゃなかったね。次のタークォンを貰うとしようか」と続けるのだ。


 笑ったのは、イルハである。

 声を上げて笑うイルハの姿に、トニーヨとカイエーンはまた驚かされた。二人とも酷い顔だ。


「殿下、妻は本気です。辞めておきましょう」


「本気だと?」


 王子の声が大きくなった。それも仕方がない。


「海には我らの知らぬ理があり過ぎます。こちらから関わらないことです。そうですね、シーラ」


「夫に言われると淋しいなぁ」


「私個人はあなたに関わりますよ」


 シーラとイルハは、見詰め合い、微笑み合う。完全に二人だけで意思を合わせている。

 王子はふーっと長く息を吐くと、それから言った。


「まぁ、いい。食えよ。こんなもので、船に乗せろとはもう言わん」


「わぁ、ありがとう!お腹が空いていたんだ」


 シーラが手を合わせ、食べ始めたのを見てから、テンも料理に手を付けた。テンがあまりに勢いよく食べていくから、トニーヨがさらに料理を温めて運ばなければならなくなった。


 タビトはずっとシーラを睨んでいたが、シーラはこの視線を受け止めない。

 おそらくシュウレンが気に入ったのであろうこの娘に、タビトは対抗心のようなものを心の奥に育て始めていた。

 タビトは何もかもが、気に入らない。



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