18.変わらないもの
シーラは大通りから小路に入った。
その小路は広く空いた場所に繋がっていて、真ん中にはテーブルと椅子がいくつも並べられており、その周りを屋台が囲んでいる。屋台はそれほどの数ではないが、飲み食いしている者は多い。
「よぉ、シーラ。そいつは誰だい?」
すぐにシーラに声が掛かった。ここの客は年配者ばかりだ。
「夫だよ!」
「なんだって?おい、皆。シーラが夫を連れて来たぞ!」
皆の視線がシーラの横に立つイルハに向かった。イルハは会釈してこれに対応する。
「変わった男もいるもんだな」
「シーラの何が良かったんだい?」
「馬鹿だねぇ。シーラを嫁に出来るんだ。いい男に決まっているだろう?」
「求める女が、馬鹿なあんたたちとは違うのさ!」
「それだと、君たちはシーラより劣るって話になるぞ?」
「そうだよ。馬鹿な男にしか選ばれなかった女でいいのかい?」
「なんだってぇ?」
「私らは仕方なく結婚してやったんだよ!」
「そりゃ、どうも」
「有難く、迷惑な話だね」
「俺たちだって仕方なく選んだとは思わないのかい?」
「徒労を組んでいい気になって。帰ったら覚えておきな!」
「おぉ、怖い。今日は帰れないねぇ」
「朝まで飲むとしよう!」
「気持ちだけはそうしよう!」
あちこちから、笑い声が聞こえた。
シーラも一緒になってよく笑ったし、イルハも微笑している。
通りすがりに、イルハの肩を叩いていく女性もあった。
二人は冷やかしの声を適当に流した後、ひとつの屋台に向かった。
そこでまずは酒を注文する。
「今日も魚がいいの?」
「今は何でも食べられますよ」
「王子が食べていても駄目だったの?」
「あの場で私まで食べてしまっては、兵士たちに示しがつきませんでしたからね」
シーラはくすっと笑ってから言った。
「トニーヨは大丈夫かな?」
「苦労していましょうね」
イルハが店の男から麦酒の瓶とグラスを二つ受け取って、シーラは何も乗っていない皿を二枚受け取った。
二人は手招きに応じて、空いた席に並び座る。シーラたちの周りに座る者たちはやはり高齢で、その中に昼間すれ違った老人の姿も確認出来た。
イルハは一度彼に会釈をしたが、老人は語り出すことなく優しい笑みを返してくれた。
「今日も王様は凄かったねぇ」
シーラは何気なく言って、知らぬ老女が「食べるかい?」と言って差し出した丸いパンを受け取った。これを半分に千切ると、片方をイルハに手渡す。パンの中にはシチューのような具がたっぷりと詰まっていた。
シーラはここでも、空いた皿にパンを置いて、両手を合わせる。この習慣だけは、どこにあっても守っているようだ。
「凄いものか!」
ここでは若い方に分類される中年の女性が言った。他の者たちが一斉に頷いている。もう話したくて堪らない様子で、どの者の老いた瞳も輝いていた。
それを分かって、シーラはあえて言うのである。
「だけど、凄い人気だったよ?キャーキャー言われていたね」
「若いもんは、よく分かっていないのさ」
シーラはちらっとイルハを見て、「美味しいでしょう?」と問い掛けた。
周りの話を聞いているようで、聞いていない。
イルハもまた周りの話を聞いていないように頷き、「パンの中に具を入れるというのは面白いですね」と言った。
タークォンのパンは、何かにつけて食べることはあれど、中身が入ることはない。
二人が他の国のパンはどういうものか、どんな食べ方があるかと話している間も、周りは王の話題で盛り上がっていく。
「前の王様は、それは民のことを考えてくれていたものだよ」
ひとりの男が言ったとき、聞いていないような顔をしていたシーラが口を挟んだ。
「だけど前の王様は、民の前に出て来なかったんでしょう?どうして分かるの?」
「結果が現れていたからさ」
「結果って?」
「あの王様に変わってから、珈琲の出来が良くないのだよ」
「豊作の年がまだ一度もないね」
「それどころか、一等の珈琲豆も仕上がらない」
「それもこれも、祈祷が足りないせいじゃないかって」
「人気を取る前に、して欲しいことがあるよなぁ」
シーラは乾いた声で笑った後に、イルハと目を合わせた。イルハは静かに頷く。
シーラたちが屋台で注文をしなくても、皆があれこれと食べ物を気前良く分けてくれた。自分たちだけでは食べ切れないから、食べてくれと言うのだ。
そう言いながら、突然現れた若いシーラとイルハのために、料理を注文していることは明らかだった。食べ切れぬ量をあえて新しく注文し直しているのだから。
シーラもイルハもこれを有難く受け取っている。
「ライカルでは太陽神と月の女神を祀っているとお聞きしましたが、王殿はこの祭祀の役目を担っておいでなのですね?」
イルハが問えば、どの者も嬉しそうな顔をした。異国者に興味を持たれて嬉しいのだろうし、若い者に己の知識や経験を語る気持ちの良い場を与えて貰ったのだから、嬉しくならないはずもない。
それに皆が、適度に酔っていた。
「王様はいつも祈祷をされているんだ」
「だから神様は願いを何でも聞き入れてくれるし、この国のために必要なお言葉を授けてくれるんだよ」
「授けるってどういうこと?」
「王様は神様の声が聴けるんだ」
「ライカルの王様は、神と話せるの?」
シーラが驚き問えば、皆が当たり前のように頷いた。
「ライカルで世界一の珈琲豆を栽培出来るのも、神様のおかげなんだよ」
「珈琲の栽培には、雨季と乾季が適度に必要でね。神様はこれをちょうど良く与えてくださってきたんだ」
「珈琲畑って、ここから遠いんだよね?」
「あぁ、山の上にあるからね。涼しい方が豆もよく育つんだ」
シーラは与えられた肉に齧り付きながら、さらに聞いた。
「皆も昔は珈琲畑で働いていたんだったね?大変だった?」
「それは大変だよ。山の上での重労働は年寄りにはきつくてね」
「膝や腰を壊す者も多いんだ」
「だから珈琲の栽培は、いつだって若い者の仕事なのさ」
「それが近頃は若者が珈琲畑で働きたがらない」
老人たちの世に対する愚痴は止まらない。
「俺たちの時代は、若いうちは珈琲畑で働いて、年老いてから海辺の街でのんびりと過ごすというのが、自然だったんだけどねぇ」
「今の若い奴らは、はじめから街にありたいと言って、こっちで商売を始めちまうんだ」
「昔はこんなに屋台だって多くなかったんだよ」
「そうだったの?」
「若い奴の営む屋台が多くなかったかい?」
シーラは辺りを見渡した。ここの屋台には若者は見えない。
「大通りは確かに若い人が多かったけれど、ここにはいないね?」
「これが自然なんだよ」
「昔は珈琲畑から引退した者が道楽でするものだったからね」
「まだ働きたいっていう、変わった者だけの特権でね。なぁ、そうだよなぁ?」
老人が声を張り上げると、近くの屋台で炒め物をする男が手を上げた。確かに若くない皺の多い顔をしている。
「どの畑も今は人手不足で困っているみたいでね」
「王様も若い奴らに命じてくれりゃあ、いいものを。また余計なことを考え始めちまったのさ」
「何があったの?」
「魔術を使って人の手を使わずに珈琲豆を栽培出来るようにしようなんて言い出したんだよ」
ここでイルハは問い掛ける。
「こちらの信仰では、魔術に良い印象がありませんよね?」
「そうさ。神様は魔術に頼るなとずっと仰ってきたんだ」
「神様が嫌う悪魔の術だと言われてきたからねぇ」
「使った奴は、悪魔に取り憑かれて、良い死に方が出来ないと言われているよ」
「魔術使いが一人いれば、周りにも厄災を与えるとも言われてきたんだ」
シーラは乾いた笑い声を上げていた。
イルハも笑いたかったであろうが、神妙な顔で頷きながら、老人たちの話を聞いている。
「それが急に変わったと仰るんだよ。神様の許可は得たから心配ないと言われても…なんだかなぁ」
イルハはわざとらしいほど大きく頷いてから言った。
「それは心配になるのも無理はありませんね」
「若い奴らなんか、俺たちを不敬だとか、今の世を分かっていないんだとか、言ってなぁ」
「聞く耳を持たないんだから、どうしようもないよ」
「それは残念ですね。長くこの国を支えて来た皆様だからこそ、見えているもの、気付くこともおありでしょう」
「そうだろう。流石、シーラを嫁に出来る兄ちゃんだ!よく分かっている!」
中年の男がイルハの肩に手を回し、麦酒を勧めた。
ここの者は、麦酒ばかり飲んでいる。
「表の屋台には、珍しい酒も増えて来たけどね」
「俺たちの若い頃は、仕事終わりは麦酒と決まっていたんだよ」
「ほら、これも食べな。美味しいよ!」
シーラとイルハは、真夜中まで彼らとのおしゃべりを楽しんだ。
しかしやはり歳には勝てぬのか、ぽつり、ぽつりとこの場から人が去っていき、次第に辺りが淋しくなっていく。大通りの店とは違って、この場の屋台は客が減るごとに、次々と店仕舞いとなった。
シーラが知り合いと称した老人は、イルハに語り掛けることもなかったし、周りと同調してよく話していたが、シーラにも何か特別な言葉を掛けるようなことはしなかった。そして特別な挨拶も無く、気が付けば消えている。
シーラとイルハもここに長居しては、屋台を営む老人がきつかろうと、頃合いを見て立ち上がった。
そしてまた小路を抜けて、二人は喧騒の中に戻っていく。
老人たちは気に入らぬ様子であったが、ライカルの若者たちが珈琲畑で働かずに、朝まで屋台を営み、酒を飲んで騒ぎ、活気溢れるライカルの夜を築いていることは確かだ。




