15.海にあっても違うもの
それは食事を終えて、追加でデザートを注文した後だった。
デザートと共に運ばれるであろう、噂の美味しい珈琲を嬉々とした顔で待ち望んでいたシーラに、カイエーンは強張った顔で言った。
「シーラ殿」
「気にせず、シーラって呼んでよ」
「それはあまりに無礼ですから、どうかお許しを」
「何にも無礼じゃないよ?」
「ねぇ、俺はどう呼ぶの?」
テンが珍しく口を挟むと、カイエーンはしばし考えた。普通の子どもなら気安く名を呼べるが、しかしこれがイルハの妻の弟であるとすれば、そうもいかない。
「テン殿とお呼びしましょう」
「俺はカイエーンと呼ぶつもりだったのに」
「そうだよ、カイエーン。私たちがカイエーンと呼ぶんだから、カイエーンもそのままに呼んで」
「しかしですな…」
「リタたちと同じように考えてはいかがです?」
イルハがカイエーンを助けた。
良くない汗を浮かべたカイエーンを、見ていられなかったのだ。
「リタたちと同じかぁ。それならいいよ!ねぇ、テン」
「別に何でもいいんだけどね」
「カイエーン殿。申し訳ありませんが、二人が貴殿を呼び捨てにする無礼をお許しいただけるでしょうか?二人には我が国の慣習という概念がないだけで、如何なる悪い意図もありませんので」
イルハはシーラの夫およびテンの保護者として、カイエーンにも丁寧に頭を下げた。
カイエーンは恐縮してしまう。
「構いませんので、どうかシーラ殿、テン殿とお呼びすることを認めてくだされ」
「いいよ!好きに呼んで!」
シーラが笑った時、ようやくカイエーンの汗が止まった。
「では、先日のお詫びを改めてさせて頂きたく」
「それはいいや」
「いいやと申されましても」
「だって怒っていないよ?何にも気にしていないもの。ねぇ、テン」
「俺の船じゃないし、シーラがいいなら何でもいいよ」
「それでは私の気が済みません。どうか、お聞きくだされ。先日の無礼、この通りお詫び申し上げます」
先よりカイエーンは声を落とし、店の雰囲気を壊さぬように気を付けていた。
しかしそれでも、耳を澄ませる者はいよう。
大の男二人が敬語を使っていて、若い娘と少年が気楽に話しているのだから。それも謝罪まで受けているのだ。何者かと気にならぬ方が無理な話である。
その証拠に、奥のテーブル席にあった旅人らしい集団が、カイエーンを見ていた。
「それは自分の神に裁いて貰ってよ」
シーラはさらっと不思議なことを言った。
テンがじっとシーラを見詰めていて、そんなテンを見てイルハは微笑していたが、テンはこれに気付かない。
「自分の神にとは?」
「気にしているのは、カイエーンでしょう?私は何にも気にしていないんだから、カイエーンを裁くことも、許すことも出来ないよ」
「しかし、私はシーラ殿に失礼をしたと感じておるわけです。これを誰が裁くとしても、まずはシーラ殿に謝ることが筋ではないでしょうか?」
「謝る理由があるのもカイエーンで、私にはこれを受け取る理由がないね」
「されど、謝らずして、如何様に許されたら良いと?」
「それを決めるのもカイエーンだよ」
イルハはもう少し聞いていたいと思ったが、そろそろカイエーンを助けねば、この場が収まらないように感じて、惜しい気持ちを飲み込み口を開く。
「カイエーン殿、妻もこう申しておりますし、先にも謝罪をされておりますから、この件はもう終わりにしても宜しいのではないでしょうか?」
「しかし…」
「自分がいかに悪いと思っていようとも、これを相手が気にしていないとすれば、許されたようなものでしょう」
カイエーンはとても困った。謝罪をしてから話したいことがあるからだ。
詫びもせずにこちらの望みを一方的に願い出るというのが、カイエーンはどうしても承知出来ない。だからすっかり謝って、許して貰いたかった。
「あなたの願いも分かっています。妻の船に乗りたいのですね?」
「なんと!さすがイルハ殿は違いますな」
「私の船には誰も乗せないってば!」
シーラが嫌そうに口を尖らせた。
こういう幼い顔もするのかと、あろうことかカイエーンはイルハの妻を見詰めてしまう。
「分かっていますよ。カイエーン殿も分かっておられますね?」
「えぇ。海にある方の船に容易く乗れぬことは知っております」
シーラが首を傾げて、先の言葉を待っている。
「そういう意味で乗船するのではなく、たとえば、船を並走させて、海上でほんのひととき、互いの船を行き来するようなことは可能でしょうか?」
シーラが笑ったとき、テンも小さな声で笑っていた。我慢出来なかったのであろう。
「遊びに来たいわけね」
「そういうことです」
シーラは腕を組んだかと思えば、うーんと唸った。
「あんなに目立つ船と並んで走る気はないね」
「分かっております。小型船を出す予定です」
シーラはにこっと笑い、問い掛ける。
「並んで走る自信があるんだね?」
テンがまた小さく笑った。イルハがこの少年をよく観ている。
「共に乗って来たシュウレンという男があります。魔術省きっての切れ者ですが、この者が船を動かす魔術を持っておりまして、シーラ殿の船と並走したいと望んでおります」
「どんな魔術を使うのか気になるなぁ。その魔術は見せて貰えるの?」
「お望みとあれば、いくら見ても構わないと申しておりました」
シーラは頷き、「そういうことなら、遊んでもいいよ!」と言って笑った。
テンはもういつもの無表情で、何の反応も示さない。
そこへ素敵なデザートと、噂の美味しい珈琲が運ばれてきた。




