14.共に美味しい珈琲を
ライカル一美味しい珈琲を出す店があると、誰かが言った。料理もどれも美味くて、食後に珈琲を飲めば最高だ、と確かに誰かが言っていた。
記憶を辿り、昨夜誰かが紹介してくれた店を目指す。
それは、海が見える高台に建つ可愛らしい店であった。
店まで続く坂道には、樹々が生い茂り、人が通るところまで蔦が伸びている。ライカルの街の喧騒から離れているせいもあって、おとぎの国に迷い込んだ感じがした。
店の木の扉を開けたとき、シーラは感嘆の声をあげた。店内も可愛らしく整えられていたからだ。
壁の大きな古時計は振り子式で、変わらぬ拍子を刻んでいる。壁のあちこちには、可憐な花の絵も飾られていた。
並ぶ丸テーブルには、揃いの赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスが掛けてあり、その上に木彫りの置物と一輪挿しが並んでいる。
テーブルごとに置物は様々で、一輪挿しに生けた花の種類まで異なっているから、見ているだけで楽しい気分になれた。
シーラたちが通された席の木彫りの置物は、梟である。五枚の花弁からなる赤紫の小花は、タークォンでは目にしない花だった。
シーラはとても楽しそうに店内を見渡していたが、海軍省がとても良く似合う大柄で無骨な体をしたカイエーンには、この店は少々居心地が悪そうだ。イルハとて、シーラがいなければ、このような店に足を運ぶことはない。
店員の恰好も可愛らしく、皆が揃いの前掛けをしていた。テーブルクロスとは色違いの、青と白のギンガムチェック柄である。
そのうちの一人の娘が、注文を取りに来た。
「皆様は旅の御方ですね?」
「そうなんだ。昨日屋台で珈琲と料理がとても美味しい店があると聞いてね。どんな素敵な料理があるの?」
妻の微妙な話し方の変化をイルハは感じ取る。
身内と、そうでないもの。そうやって分けてくれているならば、嬉しい。それが無意識であったとしても、意識的であったとしても。イルハにとっては、変わらず妻の愛おしい部分である。
「お嫌いなものや、食べられないものは御座いますか?」
「私はないなぁ。辛過ぎるものはちょっと難しいけれど、ライカルにはそういう料理がなかったよね?皆はどう?何かある?」
イルハはカイエーンに視線を移した。
「どうします?」
何故問うたのか、その意味をカイエーンはよく理解する。
「肉ではなく、魚料理にして頂けると有難いですな」
これを受けて、イルハは店の娘に二人分の魚料理を願った。
テンはそんな二人を交互に見やって、一度だけ頷く。
テンはイルハがシーラの船に乗って何を食べていたか、聞いていない。
そしてイルハは、昨夜は王子の手前、肉料理を口にしなかった。
「お二人はお肉でも大丈夫ですか?」
「私たちは何でも食べるよ。ねぇ、テン」
「うん、美味しければ何でもいいよ」
「では、ご希望に沿うような、おすすめの料理をご用意させて頂きます」
「わぁ、楽しみ!お願いするね!」
とても嬉しそうにシーラは笑った。
イルハはシーラが旅慣れていることを改めて実感する。
誰にも物怖じしない態度は、出生によるところもあろうが、どの国の者ともこのように気楽に話せるのは、旅人としての時間が長いためだろう。遠慮などしていたら、良いものは何も手に入らない。
「シーラ殿」
「シーラでいいよ、カイエーン!」
「いえ。そのように気安くお呼びする資格も御座いません。どうか、お聞きくだされ」
「どうしたの?」
「先の無礼をお詫びいたしたく。帆船であのような速度が出るはずもないなどと、旅の前に愚かなる態度を示したことを今さらに恥じ、反省した所存でございます。我が無礼をどうか…」
店の中がしんと静かになった。
このように体の大きな男から丁寧に謝られるこの娘は何者か。皆が気になるに決まっている。
シーラが困った顔でイルハを見詰めると、イルハは頷きながらにこりと笑った。よく笑うようになったものだ。
しかしながら、カイエーンに向けた顔は厳しかった。
「わざわざ着替えた意味をお考えいただきたいところです」
「これは失礼を!重ね重ね…」
「カイエーン殿。私もあなたのことは言えませんが、そのように重々しい発言は控えて頂けませんか?店の雰囲気に支障が出ては悪いでしょう」
「……イルハ殿も変わっておいでではないような?」
「元々こうですからね。直しようがありません」
ここでシーラが笑い出す。
「あのね、カイエーン。イルハって、いつもこうなの。どんなに言っても、こう話すの」
それはいつものイルハに対するような話し方であった。
カイエーンというより、隣の夫に伝えていたのだろう。
「イルハ殿らしいですな」
「でしょう!カイエーンは普段どう話すの?」
「私は普段このようでは御座いませんが」
「いつも通り話してみてよ」
無理難題である。
この娘が何者か知らないが、ひとつ確かなことは、目の前の男の妻であるということだ。長官の妻の前で、気楽に出来るはずがない。普通なら、顔を見てもいけないところであって、気軽に話すなど以ての外だ。
「妻がこう言っておりますから、どうぞいつも通りに。我が妻は異国から来た故に、我が国の伝統には疎く、本当に気にしていないのですよ」
「ですがイルハ殿の失礼になりましょう」
「どうしてイルハの失礼になるの?」
シーラが不思議そうにイルハを見詰めれば、イルハは一度シーラに向かい優しく微笑んだ。
それでやはり、カイエーンに視線を戻したときには、冷たい表情に戻している。
「私は失礼に感じませんから、どうぞ妻と気楽にお付き合いしてください」
そう言われて、それではと気楽に出来るほど、カイエーンは気楽な男ではない。
「それは少々難儀に御座いますな。イルハ殿とて、そのような言葉を使っておられるなかで、私が妻殿と気安く語り合うというのはどうも……」
イルハは頷き、またしても優しい顔をシーラに向けた。
「シーラ。少しくらい堅くても構いませんか。無理をして気楽にするというのも、あなたの望まぬところでしょう」
「無理をされても困っちゃうよ。ねぇ、テン?」
「そうだね。普通でいいや」
そういえばこの少年は何者か。
カイエーンの疑問を察したイルハが、カイエーンに説明する。
「我が妻の弟とでも思っておいてください」
「テンは弟じゃないよ?」
「そうだよ。シーラは姉さんじゃない」
「便宜上です。気にしないでください」
「べんぎじょうって?」
テンが子どもらしく問うと、カイエーンの気も緩んだ。
無表情で近寄りがたい雰囲気があるが、ただの子どもだったと納得する。
「あとでお勉強しましょう。ほら、料理が来ましたよ」
「わぁ!美味しそう!」
「いい匂いだね」
シーラとテンの興味が完全に料理へと移り、カイエーンは困惑する。大事な話が一つも出来ていないのだから。
しかしカイエーンは思った。
料理を前に手を合わせる所作から始まって、ナイフやフォークの扱いも美しく、この娘は案外と綺麗に食事をするな、と。
礼儀を知らない粗暴な旅行者と思っていたが、今初めて、そうではないのかもしれないと思い始めた。
そのように考える方が自然ではないか。イルハほどの男が妻にするのだ。それなりの身の上に違いない。
テンはどうか。そこまで美しい所作ではないにしても、ナイフやフォークの扱いを知っている。こちらもまた粗悪な育ちとは言えないだろう。何か理由があって、この娘と共にいるのか。
イルハは異国者と称していたが、それこそ便宜上であることをカイエーンは知っていた。この娘たちが国を持たない海の民を語っていることを、すでに下の者から聞いていたからだ。
このような育ちある者が国を持たぬ理由とすれば、ひとつしか思い当たらない。
カイエーンは、トニーヨよりも賢い男であった。シーラたちとその意味が異なっていようとも、カイエーンは海を知っている。それが表面的であったとしても、イルハよりもずっと海の考えを理解出来るところにあった。
彼らが海にあることを語るなら、海らしい付き合いをした方がいい。
カイエーンは考えを改めて、まずは自身も食事を堪能することにする。




