13.夫婦の朝
紫から青へ。やがて白から黄色、橙、紅色へ、途中に名もなき色を幾重にも織り交ぜながら、空の色は留まることなく移ろいで行く。
燃える太陽が顔を出したとき、イルハは知らず息を呑んでいた。
あまりに赤い。強い赤だ。
美し過ぎるものは、あらゆる考えを奪い、自分の存在も奪っていく。
朝と夕に反対となるこれをいつも観ていたら。
そうだ、いつもこれを観ているのだから。
もしかすると、強く焦がれていたものは、いつもここにあったのではないか。
という一瞬の希望は儚く消えて、思考が戻った。
気が付くと目の前に、それもない。
「おはよう、イルハ」
しかし、共にそれを観たシーラが横にある。
イルハは体を起こさずに、シーラを抱き締めて目を閉じた。
もう一度、夢の続きを確認したかったのに、あの情景は簡単には戻って来ない。
その代わりのように、イルハはシーラの温もりを存分に感じ取った。
シーラもまた甘えるように、イルハの胸に顔を押し当てる。
その頭を規則的に撫でていると、イルハの方が自身に眠気を誘った。
イルハはしばらくの間、ここが異国の地であることを失念していた。
いつものタークォンの自室のベッドにあると勘違いしていたのだ。
王子がライカルの国王との付き合いに忙しくしているのだから、イルハもこれほどのんびりと目覚める予定はなかった。
昨夜はイルハも飲み過ぎていたし、タークォンとの時差がイルハの時間感覚を鈍らせている。
しばらくして、ようやくここがライカルであることを思い出す。
そういえば、いつの間にシーラはこちらのベッドに移動したのだろう。
やはり昨夜イルハは飲み過ぎていた。
テンのことが心配になって、イルハは僅かに顔を上げて離れたベッドを眺めた。テンはまだぐっすり眠っている様子だ。
遅くまで起きていたのだから、起きられなくて当然である。テンはまだ子どもなのだから。
窓から入る陽は高い。間もなく正午ではないか。
「よく眠りましたね。そろそろ起きましょうか?」
「もう少しこうしていたいなぁ」
「たまにはいいかもしれませんね」
イルハの胸の中でシーラがふふっと笑った。
この可愛らしい笑い方は、イルハしか知らないものだ。
「イルハって、仕事のない日も早起きだよね」
イルハの体に染み付いた習慣は、休日であっても抜けることがない。
だから今日はとても珍しいことが起きている。
「長旅で疲れちゃった?」
「疲れはしませんが、多少の時差は感じますね」
「時差って?」
「タークォンと時間がずれているでしょう」
シーラはまた可愛く笑って、イルハの胸に顔を押し付ける。
「イルハと旅をしたら、また違うものが見えるかもしれないね」
異なる考えを持っているのに、同じものを求めているのではないか。
イルハはたびたび妻とした娘に対して、そのようなことを感じ取った。
「時差を感じたことはありませんか?」
「なかったなぁ」
「海にあるときには、時を気にしないものですか?」
「どうかなぁ。時間を気にしないとは言わないね。太陽の位置を読むから、そのときにどうしても時間を知ってしまうよ」
シーラは船の座標を確認するために、太陽の位置をよく確認しているようである。
自ずとそこで時間も知ることになるのだろう。
夜もまた同じように月や星をよく見ていたから、海にあっても、時からは逃れられないらしい。
「時間は分かるけど、日付は分からなくなっちゃうの」
「確かに必要ない情報かもしれませんね」
「数えるのも大変だからね。それで前にお祭りの約束をしたときには、本当に頑張って何回太陽が沈んだか数えていたんだけどね。それでも途中で怪しくなっちゃって、もう分からないから、とにかく飛ばすことにしたんだ。それでも遅くなって、あの時はごめんね」
イルハにこれが可愛く見えぬはずがない。
「謝ることなどありませんよ。来てくれただけで、私は嬉しかったです」
テンがよく眠っていることを再度確認してから、イルハはシーラの額に唇を置いた。シーラの額にはタークォンで怪我をしたときの傷痕が薄く残っているが、そこが目印であるようにイルハはここに何度も唇を重ねてきた。
離した後には、シーラがとても優しい顔になる。この顔が好きだと、イルハは何度も繰り返しそう思うのだ。
イルハが愛おしさを込めて、たった今唇を置いたシーラの額を撫でれば、シーラは顔を上げて、次の愛を欲求する。
もちろんイルハはこれに応じた。
タークォンと変わらぬ甘い時がやって来る。
離れたとき、二人は共に優しく微笑んでいた。
「今日はどうするの?」
「私はお暇を貰っていますが、何がしたいですか?」
「お暇って?もしかしてずっと一緒に居られるの?」
「もちろんです」
「それは嬉しいな。テンも一緒に過ごしていい?」
「最初からそのつもりですよ」
「じゃあ、昨日紹介して貰ったお店に行こうよ。そこで朝食にしよう!」
「時間的に昼食時かもしれませんね」
「朝と昼の分を食べたらいいよ。考えたら、お腹が空いて来ちゃった!」
シーラが飛び起きて用意を始めれば、テンも起きてきた。
「俺もいいの?」
「なんで?」
シーラは本気で分からない顔をする。
だから、イルハが言った。
「嫌でなければ、ご一緒していただけませんか?」
「別にいいけど。邪魔じゃないの?」
「なんで邪魔なの?テンは大事だよ?」
「まぁ、いいけどさ」
三人が部屋を出ると、待ち構えていた海軍省副長官のカイエーンに掴まった。
イルハとしては、先に出掛け、戻ってから相手をしたいところである。
ところが。
「ねぇ、食事は取った?お腹は空いている?今から外でご飯を食べようと思うから、一緒に行こう!」
シーラはこれも誘ってしまうのだ。
戸惑うカイエーンにイルハが言葉を重ねる。
「宜しければ、ご一緒して頂けないでしょうか?話はその場で致しましょう」
「私は問題ありませんが、本当に宜しいので?」
「構いませんが、身分が分からぬように願えますか?その恰好ではあまりに…」
海軍省の副長官らしい正装は、たとえここが異国の街であっても目立ち過ぎる。
「左様ですな。お待ちくだされ!」
飛ぶように走り出し、すぐに戻って来たカイエーンを見て、テンも珍しく驚きを示した。
「この人、凄く早いね」
「ねぇ、驚いた。この人も面白いね、イルハ」
シーラは笑いながら、テンの赤毛を撫で回す。
子どものような二人の様子に、ようやくカイエーンも気を楽にしたのか。共に大きな声を上げて笑ったとき、シーラはさらに喜んだ。
が、やはり彼もまたタークォンの男であって、イルハの言った意味をよく理解していなかったのである。




