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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第二章 海の洗礼

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12.迎賓館の夜


 宿を取ったのにと騒ぐシーラを説得し、王子たちは迎賓館にシーラとテンを連れ帰った。

 これでしばらくは安心だ。


「殿下、お話があります」


 王子が戻るときを待っていたのだろう。

 王子の部屋の前の廊下で、海軍省副長官のカイエーンが頭を下げて言った。


「見て分からねぇか。楽しんで来たところなんだ。今日は最後まで楽しい気分にさせてくれ」


「これは気が利かず、申し訳ありません」


「明日、勝手に話していい。こいつらに言いたいんだろう?」


 王子がこう言ったのは、シーラもテンも眠そうに目を擦っていて、話にならなかったからである。


「有難きに御座います」


「ここにイルハを残す。お前も明日は残っていいぞ。話はすべてイルハを通せ」


「御意」


 明日の王子は忙しいが、タークォンから来た全員がこれに付き合うわけではない。

 軍船に乗ってきた者たちが、皆、来賓として丁重に扱われることなど無理な話であって、ここ迎賓館に泊まっているのも一部の者たちだけである。あとは軍船に残っているが、彼らもまた交代でひと時の間、ライカルの街を楽しんでいるだろう。

 これはタークォンにやって来たモンセントの姫君一行も同じであった。あの頃のタークォンの港近くには、モンセントらしい恰好の者たちが溢れていた。


 カイエーンはイルハにも頭を下げたが、イルハは何も言わずに会釈だけをして、シーラとテンを連れ部屋に向かう。

 イルハの部屋は、すでに三人分のベッドが用意されていた。つまり、最初からそのつもりだったのだ。


 気を遣ったのか、テンは廊下で寝ると言い出したが、シーラとイルハがこれを説得してベッドに入るよう促せば、もう限界だった様子ですぐに寝始めた。


 シーラも眠そうではあるが、テンが眠るのを待っていたかのように、イルハの首に手を伸ばす。


「会いたかったぁ」


 酷く甘えた声で、シーラは言った。


 海にあるものにとって、それがどの程度の想いであるか。

 分からずも、イルハはこれを力いっぱいに抱き締める。

 イルハもまた、早くこうしたかったからだ。

 

 口付けを望んだのもシーラからであった。

 二人はしばらくの間、眠るテンを起こさぬように気を付けて、再会を喜び合った。

 けれどもそれは長くは続かず、イルハがシーラをベッドに横たえた直後には、シーラは眠ってしまったのである。

 あれだけ騒ぎ、歌い、酒を飲んでいたら、いくらいつも海にあろうとも疲れは溜まっていよう。


 イルハは淋しくもあったが、この二人が目の届く場所にある安堵が勝り、軽く湯浴みを済ませて着替えると、ランプの明かりを消して、大人しくシーラの隣のベッドに入った。

 テンが居る部屋で抱き合っておきながら、同じベッドに眠ることは控えたのである。

 目覚めたテンにはもう気を遣わせたくなかったし、それ以前にテンはまだ純粋な少年だ。



 しかし、イルハの頭は冴えていた。

 部屋に広がる闇は、イルハの考えを広げようとしている。


 イルハは今日の出来事を振り返った。

 異国にあれば、その国の者たちから同じように異国人として扱われる。

 今日出会ったライカルの者たちは、イルハとシーラの扱いに区別を付けなかった。


 イルハは人知れず闇の中で笑みを浮かべた。


 いつも正しく存在している境界を消してみよう。

 イルハは試みて、考えを巡らせる。


 海にあることを基準に置いた時、はたしてそこに何が観えて来るだろう?

 たとえば自分がタークォンになく、どこにも存在しない、自由とも不自由とも言えぬような身の上であったとしたら?


 国の純粋な違いは、間違いなく認識出来るだろう。

 決まった形に囚われないからこそ、そのものを認める視点が手に入る。

 そこに善悪の判断はない。正否もない。ただ違うものが存在しているだけだ。 

 それで、自分は何を想う?


 イルハは、追い求めていたとても美しい感覚が手に届きそうだと感じた。


 国のあり方。人の思想や感性。そこに重なる物質的な違いにも、それらは反映されていよう。

 言語、料理、衣服、建築、慣習。信じるもの。守るべきもの。正しさの基準。豊さの基準。美しさの基準。常識。あらゆる他のすべての価値観。

 繁栄と衰退。訪れるたびに変わるもの。いつまでも変わらないもの。


 それを素直に感じるだけでいいとすれば。

 それはきっと、心地好く、気持ちがいい、知らぬ感覚に違いない。


 タークォンからの視点で観れば、常に自分の中にあるものと比較してこれを受け止める。

 タークォンとどのように異なっているか。

 タークォンの価値観に沿うか。

 得た情報はタークォンに有効活用出来るのか。

 いつもタークォンありきの世界だ。

 タークォンで生まれ育った自分の中に、タークォンの考えが染み付いている。


 そういうことの一切ない世界。

 それは素晴らしいと思うが、はたして本当に存在するのだろうか?


 シーラとて、祖国を持っている。

 すると、かつて存在したその国と比較する考えは消えていないのではないか。


 最初から海にあったらどうだ?

 イルハはこれも完全ではないように感じた。


 海にあるものたちもまた、海目線で陸を判断することになろう。

 それどころか、陸にあることを見下しているのかもしれない。

 常に一箇所に縛られる愚かなる者たちを笑い、同情し、ときに蔑み、自分たちの自由を喜び、賞賛し、安堵する。

 それは本当に自由なのか?


 観て来た国を比較するところもあろう。

 あの国のここはいいが、あの国よりここは悪い、というように。


 そうだ。タークォンを訪れた者たちが法に厳しい窮屈な国だと感じるのは、他の国を知っていて、これと比べているからに違いない。


 そこに、個人としての好き、嫌いの判断も加わる。

 個人の中にある正義がまた、これを判断しよう。

 

 どこにあろうと、同じことだ。


 つまり人は比較を辞められないし、いつも自分の中にあるもので世界を判断している。


 ありのまま美しく世界を観る者は、存在しないということか。

 それこそ神のような存在にしか叶わぬことであって、人がこれを望むのはとても愚かなことなのだろう。


 そこでまた違う考えがイルハの中に生じた。 

 

 神であっても、不可能な話ではないか。

 神はいつも、それぞれの国に都合良く存在し、国を比較している。

 イルハがこれまで調べた限りは、どの神もその国の権力者に都合良く出来上がっていた。

 そしてすべての神は、自国だけが素晴らしい国であると言っている。つまり比較で成り立っているのだ。


 イルハの考えは闇の中を彷徨い、飛び交った。


 イルハは哲学的に考えることが好きである。

 いつも正しく生きて来たイルハにも、頭の中では好き勝手な考えが許されたから、幼いときからこのように無意味とも思えるようなことを考え続けて来た。

 自由とはここにあるのではないか。最も自由なとき。それは結局、自分の中にあると、イルハは感じる。


 では、自由な考えの元でもう一度。

 ありのままの世界を観るためには、どうしたらいい?


 そしてまたイルハの考えは移ろいで行く。


 このように思考することを好むイルハも、ひとつ決めていることがあった。

 他人の考えは想像でしかないという点を、いつも忘れないことである。

 勝手に想像し、それを他人の考えだと信じ込んでしまえば、判断を見誤る。

 思い込みは、間違った判断を誘うのだ。それは自分の価値観でものを観るときと同じである。


 そうだ、結局は判断している。

 イルハは変えられぬものを悟り、判断しない世界に一層強い憧れを持った。

 海のものと深い仲になっても、まだこれは遠く、どこにあるかも分からない。


 シーラたちのように世界を旅して回りたいという願いを、イルハが持ったことはない。

 イルハが願うのは、自分という存在を消した後に残る世界を観ることだ。

 そこに何か、素晴らしいものがあるのではないか。イルハはどうしてもそのように感じ、決して手に入りそうもないこの感覚を手に入れたいと願うのである。

 それはシーラと出会い、海で共に過ごした僅かな時を経て、さらに加速した。

 イルハは近頃同じようなことばかり考えている。

 

 しかしながら、今宵の難しいことを考える時間も、終わりを迎えようとしていた。

 どこにあっても、夜はやって来て、人は眠るのだ。

 シーラとテンの寝息が、ちょうどよく重ならずに、イルハの耳に届き始めた。最初からそこにあった音でさえ、聴こえぬこともあるのだ。

 だからありのままの世界を得ることは難しい。


 イルハは当たり前のことを、当たり前ではないように感じながら、眠りの淵に落ちていった。


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