11.異国の異国者たち
ライカルはタークォンよりも暑い国である。
同じ夏であるのに、自国の気温に慣れ親しんだ王子やイルハの体には、じっとりと汗が滲んだ。湿度も心なしかタークォンよりも高く、掻いた汗がなかなか乾かない。
そのせいなのだろうか。タークォンよりもずっと強く潮の香りを感じられた。街中に潮の香りが溢れているのは、獲れた魚があちこちに吊るして干してあることにも由来しよう。
狭い通りを囲うように小さな木製の家々が隙間なく並んでいて、この街は圧迫感がある。
大通りと呼んで良いのか分からないような狭い通り沿いが、ライカルの中心街だ。
ライカルの港街は、屋台の街でもあった。夕暮れともなれば、飲み食いしようとする人たちが街に溢れて喧騒に包まれる。
どの屋台にもライカルの者たちが多く存在していて、異国人は少ない。ライカルの庶民には、家で夕食を作る習慣がなく、夕食とは外で食べるものだった。
王子とイルハはこの狭い大通りを歩いた。
どの者とも、肩がぶつかりそうな距離ですれ違う。
道はすべて土であって、タークォンに見られる石畳はどこにもない。
よく固められてはいたが、土の石よりも柔らかいその感触は、二人にとって新鮮であった。靴が沈み込む感覚は、二人に懐かしい子ども時代を思い起こさせる。
二人の周りを明らかに怪しい男たちが囲んでいたが、この点については王子もイルハも苦笑するしかなかった。どうやらタークォンに戻り次第、王子を守護する警備兵たちに、もっとよく指導しなければならないようだ。
予想に反して、いや、予想通りだろうか。シーラとテンを見付けるのは、容易かった。
どこからか陽気な音楽が聴こえていて、皆が音を追い掛けて、通りを進んでいく。王子とイルハも迷うことなく、周りの者たちに同調し、通りを歩いた。
屋台が並ぶ大通りを奥まで突き進むと、緑の多い開けた場所があって、それを囲むように屋台が円を描き並んでいる。どうやらここで行き止まりのようだ。
賑やかな音楽は、王子たちのライカル到着を祝福しているようだった。
その中に、よく知った歌声と弦楽器の音が重なっている。
王子とイルハは自然と顔を見合わせた。
見れば広場の一角で、シーラがオルファリオンを奏で、歌っているではないか。
不思議なことに、重なる他の音はそこら中の店先から奏でられている。
愉快にドンドンと続く低く鈍い音が、あちこちから鳴り響いた。何かの打楽器のようである。
そこに軽快な手拍子や、足踏みの音も重なって、行儀悪く皿を鳴らす音まで聴こえた。
かと思えば、突然儚い笛の音が鳴り響き、タークォンのルードとも、シーラのオルファリオンとも違う弦楽器の音色が幾重もやって来る。
幾人もの男女の歌声も、次々と重なっては消えていき。
こうなると、盛大な演奏会だ。
テンはどうしたと探せば、とある屋台の前で注文する料理を選んでいるところだった。演奏会には参加しない主義らしい。
テンがすぐに二人の目に飛び込んで来たのは、ライカルらしくない恰好をしているからだ。
タークォンで用意したものではなく、旅のそれを着込んでいたが、それは当然ライカルにも馴染まない。
シーラもテンもどこにあっても異国の者であり、その国に溶け込むことが決してないことを、王子たちは改めて認識する。
二人はまずテンに駆け寄った。
「もう来たの?」
テンは相変わらずの無表情で言った。
その言い方が引っ掛かり、王子はテンの頭を抑える。
「どこかに出掛けようとしていたな?」
「まぁね」
悪びれもせずに、テンは言った。
王子はテンが何を食べようとしているかに興味を持ったが、イルハの視線はシーラに向かう。
とても楽しそうに歌う様は、タークォンで初めて出会ったときから変わらない。
やがて演奏を終えて、テンを迎えに来たシーラが、イルハを見て酷く狼狽した。
「もう来たの!」
シーラはテンと同じことを言った。海で長く共にあると似てしまうのか。
不思議なもので、シーラが演奏を辞めようと、この場の音楽は続いている。
「あなたは夫に会って、喜ばない人なんですね」
イルハが意地悪く言えば、シーラは慌てて首を振った。
「そんなことないよ!会えて嬉しい!イルハに会いたかったもの!」
熱心に言うと、余計に怪しく聞こえるものだ。
しかしイルハは優しく微笑むと、シーラの頭を撫でた。
このときになって、急にイルハはとても長い時間、シーラに触れていなかったように感じる。
「私も会いたかったですよ。あなたに会えて嬉しいです」
イルハがいつも以上に優しい声で言えば、シーラもまた嬉しそうに微笑んだ。
「なんだか変な感じがするよ。ライカルで会うなんて不思議だね」
「えぇ。私も不思議な気分です」
手を取り合って見詰め合えば、仲睦まじい男女の姿にしか見えない。
王子の心配は杞憂であった。
そんな二人を横目に、王子とテンは屋台の横に設置された長椅子に並んで座り、こちらも仲良く骨付き肉を頬張っている。
共に食べているのは、タークォンでは食さない鶏肉だ。
「鶏の肉も美味いもんだな」
「タークォンではどうして鶏肉を食べないの?」
「悪いことだと思っているんだよ。魚以外を食っちまったら、神様に叱られることになっているんだ」
「卵は食べるよね?」
「卵だけは許してくれる、都合のいい神様なんだよ」
「それなのに食べていいの?」
王子はにやつきながら、「俺は気にせん」と言うのである。
テンは一瞬怪訝に眉を顰めたが、それもすぐに改めて、いつもの無表情に戻った。
シーラとイルハは相変わらず仲良くしていたが、これを邪魔したのは王子たちではない。
「シーラ、いい歌だったぜ!あとで店に来いよ!」
「うちにも来てくれよ。兄ちゃんたちも知り合いか?なら、一緒に飲もうぜ!」
若い男たちが、次々とシーラに声を掛けるのだ。
シーラは手を上げて、笑顔でこれに対応した。
「ありがとう!あとで顔を出すよ!」
声を掛けて来た者たちは、皆ライカルらしい服を着ている。
ライカルは腕や足を出すことに抵抗がないらしく、男も女も堂々と肘と膝を出していた。
ライカルの者たちからすれば、イルハたちタークォンの者たちが暑苦しく感じただろう。
シーラはこのようにして、あちこちの港町で食事をご馳走になってきたのか。
イルハは知らぬ妻の様子を眺めて、問い掛ける。
「今、行かないんですか?」
「行って来ていいの?」
「一緒に行きますよ」
どうしてかイルハの妻は、ここで顔色を悪くした。
「…怒らない?」
「……あなたは何をするつもりです?」
シーラとイルハがしばし見詰め合ってから、ほとんど同時に笑ったとき、王子は勢いよく椅子から立ち上がった。
「俺たちも楽しむぞ、テン!」
シーラは声を上げて笑い出す。それはいつもの調子だ。
「王子も行くの?」
「テンも連れて行くんだろうよ?」
「テンは食べるのが好きだからね」
「俺も好きだぜ。ほら、行くぜ!俺もご馳走してやる」
四人は広場を囲む屋台を順に回った。
どの店もシーラを快く迎えてくれて、店主がご馳走してくれるのだ。
店主不在の店も多くて、それは店主がどこかで飲み食いしているせいだったが、それでも店の者たちは店主に許可を貰わずともシーラたちに料理や酒を振る舞った。
「広場を盛り上げてくれて助かるよ」
「あとでまた一曲頼めるかい?」
「騒げば騒ぐほど、奥の広場まで人が集まって来るからね!」
「いつもと違う曲が流れれば、なおのことさ!」
店主たちがご馳走してくれる理由はこれである。
それでシーラは食べて、飲んで、と繰り返していくのだが。
どの店でも一度「おぉ」という歓声が轟いた。
大きな器に注がれた酒を、シーラは海のものらしく、あっという間に飲み干して見せたからだ。
「このお酒、美味しいね!」
「ユメリエンから仕入れた酒さ!」
「ユメリエンか。ちょうどこれから…」
おそらくシーラは酔っていた。
それでもう、深く考えずに発言している。
シーラがはっとした顔でイルハを見れば、イルハはにこやかに微笑んで、シーラの頭を撫でていた。
「後でゆっくりと話しましょう」
イルハはもちろんシーラを部屋に連れ帰ろうと考えている。
ここで逃がすつもりはない。
「お兄さんもどうだい?シーラの友人なら、サービスするよ!」
今度の店では、イルハにも大きな器に並々と入った酒が用意された。
シーラが気に入ったユメリエンの酒は、鮮やか過ぎる黄色い色をしていて、タークォンの酒に慣れ親しんだイルハには、少々不気味さを感じるものである。
「今日は国を忘れても構いませんね?」
イルハは王子を見て、平然と言うのだ。
王子は愉快気に笑い、これに返した。
「俺にも忘れさせてくれ」
「では有難くいただきましょう」
どよめきが起こった時、シーラは目を丸くしてイルハを見詰めていた。
イルハはシーラよりさらに早く、器を空けてしまったのだ。
「大丈夫なの?」
「あなたより酒は強いと思いますが」
イルハもまた、それぞれの屋台で酒をご馳走になっていたから、すでに酔っているのではないか。
王子は熱く見詰め合う男女の姿に、笑っていた。
「確かに美味しいですね。ユメリエンには、私も行きましょう」
「行けるの?」
「さぁ、どうでしょうか」
王子は嫌味なほどこれを笑う。
「また俺のせいにしやがって。仕方ねぇから、考えてやるぜ」
「王子も行くの?」
「ただし、今度はそっちに乗るぞ。いいな?」
「それは出来ないと言ったよ」
「どうしても駄目かよ?」
「言った通りだ」
シーラがはっきりと断れば、王子は素直に詰まらない顔を見せた。
テンよりも、こちらの方が素直な少年のようである。
「少しくらいいいじゃねぇか。なぁ、テン」
テンは聞こえないというように、今度はカリカリに焼かれた海老を殻付きのままに頬張っていた。
「その気味の悪い生き物はなんだ?」
「海老だけど?」
「外側も食えるのか?」
「カリカリで美味しいけど、剥いて食べる人もいるね」
ライカルの屋台には、タークォンでは食べないものばかり並ぶ。これが王子を楽しませる。
「どれ…これも美味いな」
「海老は食べてもいいの?」
「こいつは海のものだよな?」
「そうだね」
「それなら、何の問題もないぜ」
「海ならいいんだ」
「海でも、アザラシみてぇな獣の肉は食わねぇけどな」
「アザラシ…」
「食べる国があるんだよな?」
「缶詰なら食べたけど」
「美味いのか?今度食わせてくれ」
「シーラに言ってよ」
こうして愉快な夜が更けていく。
酔ったシーラはライカルの者たちが珍しいと感じる沢山の歌を披露したし、テンは王子が感心を越えて驚愕するくらいにとてもよく食べた。
王子とイルハは異国の地を堪能しながら、タークォンの外にある二人の様子を観察することも同時に楽しんでいる。
王子もイルハも、慣れた顔で歩いていたが、実は他国を訪問することが初めてだった。
それで気が緩んでいたのは二人だけではなく。王子が許可を与えたせいではあるが、王子たちを守護するために配備されていた警備兵たちも、屋台で存分にライカルの食事を楽しんだ。
警備兵は海軍兵と違って、ほとんどの者たちがタークォン以外の地を知らないのである。
王子が許したのをいいことに、酒を飲む者まであった。
テンがこれに酷く呆れていたことは、シーラくらいしか知らないだろう。




