9.軍船
タークォンの軍船は、蒸気で動く構造ながら、三本のマストに黒い横帆を複数掲げている。
帆の数に違いはあれど、他国の軍船もおおよそ蒸気と帆を併用する形態を取っていたし、貿易船なども同じような構造である。
甲板の下は階層になっているが、海に沈まぬ位置にはこれでもかと大砲が備えられていて、何かあれば砲門を開きすぐに撃ち込めるよう、海軍兵がどの大砲の側にも複数人配備されていた。
兵士たちはこの大砲と共に寝食をするのだが、それとは別にいくつかの部屋も用意されている。
国王が乗船した場合に使う部屋も用意されていたし、その部屋に次ぐ豪華な部屋には、今、王子があった。
この部屋にもやはり豪華なソファーが置いてあり、王子はいつもと変わらぬ態度でソファーに腰掛け珈琲を味わっている。
イルハは座らず、側に立って控えていた。
軍船は大きく重いせいか安定性があって、揺れが少ない。窓から入る遮るものの何もない日差しは、部屋を明るく照らしてくれた。
窓を覗かなければ、地上にあるのではないかと錯覚するだろう。
「さて、どうなるかね?」
王子は愉快気に聞いたのに、イルハは表情を変えず、淡々と答えるのである。
「置いて行かれるでしょうね」
「止めなかったのか?」
「殿下、私にも出来ぬことが御座います」
「ライカルにはまっすぐ行ってくれるんだよな?」
「願うしかありません」
ライカルは、白の大海まで出る必要はなく、橙の小海を進んで辿り着くことが出来た。
基本的に穏やかな海域で、特別に争いごともなく、海賊も滅多に現れないから、この世界でも安全な海だと言えるだろう。
「このままどこかに消えちまったりしねぇよな?」
「ご安心ください、殿下。シーラがどこに向かおうと、必ずタークォンに戻ります」
「それは夫の元に戻るということか?」
「いいえ、戻る理由があるだけです」
イルハの口角がそっと上がった。
王子はこの自信にまみれた笑みにもう慣れ始めている。
シーラと出会ってから、イルハはこの手の顔をよく見せるようになっていた。
しかし二人が予想した時刻を過ぎても、シーラの船は一行に現れない。
それで王子も少々心配になってきたらしい。
「本当にライカルに行ってくれるんだよな?」
「ライカルには行くでしょうが、こちらに姿を見せるかどうかは分かりませんね」
「それも話していないのか?」
「見せてもいいとは言っていましたが、必ず見せるとは言っておりませんでしたので、どうなるか分かりません」
王子は面白いものを見るように、イルハを見てにやついた。
「姿を見せないと思うか?」
「私ならば、ここで見せておく、と言っておきましょう」
王子は納得し、「なら何でまだ来ない?」と問い直した。
「どこかで漂流しているのではないでしょうか。彼女たちの時間感覚は、私たちとは違いますので」
これが妻にした娘に対する物言いだろうか。
王子はこれに違和しか覚えなかった。
しかしこれを追求したところで、イルハはいつもと変わらぬ態度で誤魔化すであろう。
だから王子は別のことを聞くことにした。
「ユメリエンはどうなる?」
「どのような形であれ、彼女も行きますよ」
「約束したのか?」
「ユメリエンについては、何の話もしておりません」
王子はにやっと笑った。
イルハの考えは分からないが、こういうイルハは楽しい。
「お前ら夫婦は、どうなっているんだ?」
「ただの夫婦ですが?」
「しばらく会えねぇっつうのに、なんだ、あれは?もっと感動的な別れ方があっただろうよ」
「殿下はそのような別れ方をされてきたのですか?」
「馬鹿言え」
王子は大きな声を上げて、笑った。
タークォンを離れ、王子も気が大きくなっている。
自分がよく気を付けねばと、イルハはひっそりと心に想った。
「お前と話していると、お前たちは本当に夫婦なのか分からなくなってくるぜ?お前らが夫婦になったところは間違いねぇんだよな?」
イルハが眉を上げたところで、汽笛が鳴った。
直後に扉をノックする音がしたかと思えば、一人の海軍兵が飛び込んで来る。
「あの船が参りました。そちらの窓からご覧いただけます」
入って来た海軍兵は敬礼し出て行くと、王子とイルハは窓辺に移動した。
甲板に出て外で見たいと思ったが、その時間はないことが分かる。
キラキラと輝く海面上でようやく見えるかどうかといった小さな点だったそれは、見る間に大きくなっていき、すぐに白い帆を掲げた帆船であることが見て取れた。
後ろから近付いて来たその帆船は、均一な二等辺三角形を描き進む三艘の軍船を避けるように旋回しているのだろう。進行方向の左手側へ弧を描き始め、こちらから離れて行くようにも見えた。
それはあっという間の出来事である。
距離を取って真横に並んだ瞬間には、追い抜かれていたのだから。
どの軍船からも歓声が漏れていた。
もちろん距離があって声など届かないし、シーラやテンの姿を確認することも出来ない。
まさに疾風のごとく。
白い帆船は、頭上を流れる雲よりも早く消えていった。
王子は笑い声を上げたし、イルハは微笑してこれを見送っている。
「こりゃあ、海軍省も大変だぜ」
「いい機会になりましたね」
同じ頃、甲板の上にあった警備省副長官のトニーヨは、子どものように目を輝かせ、すぐに見えなくなった帆船を見送った。
海軍省副長官のカイエーンと、魔術省から派遣された無官のシュウレンもまた、甲板にあってこれを見ていた。二人の顔付きは正反対だ。
カイエーンは血の気の引いた顔で震えていたが、シュウレンの方は何か嬉々とした雰囲気を漂わせていて、彼の隣に立つ若い魔術師は去り行く帆船よりもタークォンで見たことのない若々しい顔に釘付けとなっている。
この後、三艘の軍船が加速したことは言うまでもない。
しかしこの重たい軍船が、あのような速度で移動出来るはずはなく、どれだけ加速しても再び白い帆を認めることは出来なかった。




