3.少年の世界
王宮を出たシーラは北へ向かった。テンがその後ろを無言で歩く。
二人は王子の元で書類整理の手伝いを続けていたが、近頃は働き過ぎたようで、書類の方が追い付いていなかった。
だから二人で自由に過ごす時間が増えている。
シーラがイルハの妻になったという事実が、イルハだけでなく、王子の気も緩めていたようだ。
けれども警備兵は相変わらず、二人の姿を追っていた。
どこへ行くか見ておけと、王子から言われているのだろう。
シーラはいつものようにしばらく歩いてから、両手を合わせて小気味良い音を鳴らした。音は一度だけだ。
すぐにテンは、その顔に不満の色を浮かべる。
「今日はよく頑張ったね」
「王子もあんな人だったなんて」
「期待しない方が楽だよ、テン」
シーラは優しく言って、テンの赤毛を撫で回した。
それでもテンは不機嫌なままだ。
「王家なんて、この世にいらないんじゃない?」
「いらなくなった人の前でよく言えるね」
シーラのそれが明るい声であったから、誰が聞いても嫌味とは感じないだろう。
なにせシーラは笑っている。
「シーラは違うよ!」
テンが強く言えば、シーラはなおテンの赤毛を撫で回すのだ。
「どこも違わないよ。むしろテンからすれば、最悪だと思うけど?」
「あいつらが見捨てたせいでしょ!」
「それは関係ないよ」
「関係ないことなんてないよ。だから罰が当たったんだって、みんな、そう言っていた!」
「そんなこと起こらないよ。罰が当たるなんて思うから、どれもこれも罰が当たったように見えて来るんだ」
「だけど本当にそうなったんだよ」
「そうかな?もっとよく考えてごらん」
「よく考えたってば!」
「そうだったねぇ」
テンがむっとしたところで、シーラはこれを笑い飛ばすのだ。
「子ども扱いしないでよね!」
「そう感じさせたなら謝るよ。だけど、この国のことまで考えることはないよ、テン」
「それはそうだけど…」
テンはまだ不満そうだ。
そこでシーラは話題を変えることにした。
「まぁまぁ。それより今日はもっと楽しいことがあるからね」
「何かあるの?」
「『眠らない猫』に会えるかもしれないよ」
「人だったの!」
「さぁ、どうかなぁ?」
「そこまで言って、教えてくれないの?」
「考えるのは楽しいでしょう?」
確かにテンは楽しんでいた。
いつか自分の力で、海の隠語の謎を解き明かしたいと願っている。
だから今シーラに種明かしをされると困るのだ。
「その人からどうやって連絡が来たの?」
「さぁ、どうやってかなぁ?」
「それも秘密?」
「秘密ではないけれど。今、知っていいの?」
テンは悔しいと思う。
シーラがあれもこれも話さないのは、海らしさもあるが、テンを楽しませるためでもあった。
だけど幼いテンには、楽しさよりも、分からない悔しさが募る。
「海には色んな連絡手段があるんだよ。少しずつ知っていくと楽しいからね」
「悔しいなぁ」
隠さず言ったテンに、シーラは優しく微笑んだ。
それからシーラはもう一度テンの赤毛を撫で回し、テンの頭皮を指で軽くトントンと二度叩いた。
テンは頷いて、顔付きを改める。
二人は梟の描かれた小さな看板を掲げた喫茶店に入った。
店内は相変わらず薄暗く、客がない。
と思ったら、奥の席から声が掛かる。客がいたのだ。
「やぁ、シーラ!久しぶりだね!」
やけに明るい声は、この店に似合わない。
シーラは迷わず、その席に足を運び、テンもこれに続いた。




