2.交わらない価値観
「さて、休憩とするか。お前らも付き合え」
トニーヨが出ていくと、王子はさっさと隣の部屋に移動して、立派なソファーに腰掛けた。
「イルハも休憩?」
「私は仕事がありますので」
「いいじゃねぇか。珈琲の一杯くらい付き合え」
断れないと知っていて言うのだから。
仕方なくイルハも隣の部屋へ移動した。
珈琲と共に、今日はチョコレートのケーキが用意される。
「わぁ、美味しそうだね!いただきます!」
皿の前で手を合わせてから、シーラはフォークを取って、チョコレートケーキを頬張った。
相変わらず腕には細く切った晒しが巻いてある。
「これは美味しいね、王子!」
「チョコレート菓子も好きか?」
「うん、とっても!美味しいよね、テン」
「そうだね」
「テンは何でも食べるな」
「何でもは食べないけど」
とても美味しそうには見えない少年は、無表情で言った。
食べているのだから美味しいのだと言いたいのだろうか。
シーラの食べ方は、今日も美しい。所作のどの瞬間も綺麗なのだ。
しかしいつもより食べる速度が早く、あっという間に食べ終えて、イルハの分まで食べ始める。それをテンも狙うから、二人は揉め始めた。やはりテンも美味しかったようだ。
王子はチョコレートケーキをもっと持って来いと部屋付きの従者に依頼して、二人に落ち着くよう諭した。
「チョコレートと言えば、カカオ。カカオと言えば、ユメリエンだけど、タークォンでもカカオは採れるの?」
「いえ、我が国もカカオはユメリエンから仕入れています」
「お前はユメリエンにも詳しいんだよな?」
「ここに来た後はいつも行って来たね」
ユメリエンは、タークォンからは南にあって、比較的近い。だから貿易も盛んである。
ユメリエンからは、カカオだけでなく、果物なども届けられた。タークォンで採れた米や果物もまた、ユメリエンに届けられる。
魚介類があまり輸出入されないのは、どこも島国で、自国で十分な量を確保出来るからだ。どの者も獲れ立ての新鮮なものを食べたいと望むのだから、わざわざ遠い異国からは仕入れない。それに海は繋がっている。
「そこの王家とも知り合いとは言わねぇよな?」
シーラは笑った。
真実を誤魔化そうとしているのではないか。王子もイルハも疑いを持っていたが、これは違ったようだ。
シーラははっきり否定してみせた。
「あの国の王家は知らないね」
「本当だな?」
「嘘は言わないよ。ユメリエンの王様は、外に出て来ないんだから」
「下々には姿を見せねぇってところか」
「我が国も同じですよ、殿下」
イルハのこれは嫌味である。
しかし王子は悪びれもせず、話を移した。
「ライカルはどうだ?」
ライカルもまた、タークォンからは南に位置する国で、ユメリエンよりもさらに近い。
珈琲の産地であって、タークォンで飲まれる珈琲のほとんどはライカル産だ。
「どうだと言われてもねぇ」
「王家を知っているんだな?」
初めてタークォンに来た頃は、ライカルにも行ったことがないと言っていなかったか。
このわずかな期間に王家と知り合うことなど、タークォンのような特殊な条件でも揃わない限り、不可能ではあるまいか。
イルハは考えながら、シーラをよくよく観察していた。話題のライカルからやって来た珈琲が、今日はとても味わい深い。
「知っているかと言われたら、みんなが知っているんじゃないかな?あの国の王様は、堂々と姿を見せているからね」
「俺は知り合いかと聞いているんだ」
「それはないね」
含みのある言い方は気に掛かる。
「本性が出て来たな」
王子がにやっと笑えば、シーラは明るく笑った。
「私はいつもこの通りだよ」
「大事なことは隠しやがる。そうだな?」
「大事かどうか、決めたのは王子でしょう?」
無表情でケーキを頬張っていたテンが、ぴたっと動きを止めた。真剣な顔で、シーラを凝視している。
それをまた、イルハがじっくりと観察しているのであった。
イルハも大分この少年に慣れ始めている。
「確かに大事な情報だろうと思っているのは、俺の方だな」
シーラには至極どうでも良いことかもしれない。
王子とこのように気楽に話せるのだから、相手が王家の者かどうかなど関係ないだろう。
「だが、大事かどうかは別として、お前は何でも隠す。それは違いねぇな?」
「隠すことと、言わないことは違うと思うけどね」
「隠す気がないなら、言ったらどうだ?」
「何の話だっけ?」
「ライカルの王家とは、知り合いなのか?」
「知り合いではないね」
「それはどのような関係であるかという問題ですか?」
シーラは歌うように笑った。
「やっぱりイルハは面白いなぁ」
「たとえばご友人ならばいらっしゃると」
シーラは首を捻る。
「それなら知り合いと言った方がいいかもね。ほら、船に穴が開いたでしょう。それで船大工を紹介して貰ったんだよ。その程度の仲で知ったような顔をしたら失礼かと思って」
船大工を紹介して貰うときに、何故王家が出て来るのか。
さっぱり分からないが、しかしタークォンでのことがあるから、無いとも言えないイルハなのであった。
それが謀ったことであったらどうか。
ライカル、そしてタークォン。すべてがシーラの考えた通りであれば。
船腹に穴が開いたことも、あの日ふ頭で歌っていたことさえも、計画的であったらどうなる?
何も変わらない。結果は同じだ。
イルハは考えることを辞めにする。
「王と知り合いなのか?」
「王様は知らないね」
「なら何者だ?俺と同じく、次の王か?」
「次の王でもないけど、王子はそれを聞いてどうするつもり?」
タークォンは、ユメリエンともライカルとも国交は盛んで、王家同士の付き合いもある。だから、シーラを利用する必要はない。
「俺を乗せて、その二国に行ってくれ」
「殿下、さすがにそれは…」
イルハは酷い顔で、額を押さえた。まったく頭が痛くなる。
「たまには立場を忘れて遊ばせろよ」
「申し訳ありませんが、こればかりは認めるわけには参りません。行くならば、正式に訪問してください」
「それじゃあ、羽が伸ばせねぇだろうが。王家に知り合いがいるこいつがいたら、危なくもねぇだろうよ。そうすると、ユメリエンは分からねぇか。そうだな、まずはライカルだけでいいぜ」
シーラが苛立つように、指でトントントンと三度テーブルを叩いた。
しかし表情は明るく、いつもと変わらなかった。
「王子、私は国にあるものは船に乗せないよ」
「イルハを乗せたんだろうよ」
「あれはタークォンの内海だけだ」
「ならば、まずはそれでいい」
「それも出来ないね」
「何でだ?」
「王子はイルハじゃない」
シーラは言ってから、自分で笑った。とても楽しそうである。
「イルハだから、特別に乗せたと言いたいのか?」
「そうかもね」
「お前はもっと分かる女だと思ったぜ?」
自由の利かない王家特有の息苦しさ。そういったものを共有してくれると、王子は望んでいたのだろうか。
シーラはにこっと微笑むと、優しく諭すように恐ろしいことを言った。
「私に首を撥ねられる覚悟があるなら、乗せてあげるよ」
「危険だから、命を預けろと言いたいのか?」
「言葉のままの意味だよ、王子」
シーラはそれ以上説明しない。
テンが王子を睨むように見詰めていたことが、イルハには気になった。




