54.福音
海のど真ん中だ。海以外、空に星しかない。
背もたれのある座り心地の良さそうな椅子が、甲板に置かれている。
フリントンはその椅子に深く腰掛けて、満天の星空を見上げながら葡萄酒を味わった。
シーラと共に真剣に選んだ葡萄酒は、格別に美味しい。それはシーラとの楽しい時間を思い出しているせいもあろう。
フリントンはご機嫌だった。
誰が見ても機嫌の良さが分かるように、鼻歌を漏らしている。
愉快な海の民の曲だ。それもまた、シーラとよく歌う曲である。
その後方からカルタが歩み寄った。
「良かったんですかい、頭?」
「何がだい?」
「情報が二つ回って来やしたが、どちらも頭の聞きたくない話だと思いますぜ?」
フリントンはとても愉快気に笑った。
笑い声がどこまでも届く静かな海だ。風は凪いでいる。
今夜はのんびり漂うつもりであるのか、誰もこの船を操っていない。
「僕は心が広いんだよ。この海のようにね」
「また強がって、泣くことになっても知りませんぜ」
「カルタは僕に泣いて欲しいのかい?」
「見てみてぇものですな」
フリントンは大笑いである。
酔っているのか、いつもの調子なのか。
タークォンで見せた貴公子らしさが消えている。
「あんな若い、海も知らねぇ兄ちゃんに、あげちまうつもりで?」
「僕の愛しいシーラは、これからも変わらないよ」
愛おしそうに手を伸ばし、シーラの肌の感触を思い出すように、フリントンは空の星をひとつ撫でた。
「僕たちはいつも海でひとつだ。どこに居たって心は海にあって、寄り添いながら同じ星を眺めている」
カルタは面倒に感じたのか、返事をせずに話題を変えた。
応えてしまうと長くなるからだ。
「あの王子様が頭に感謝する日はいつになるんですかね?」
フリントンはまた大きな声で笑った。昼間の海のように、どこまでも澄んだ声だ。
「そんな日は来やしないよ。僕たちはいつも自分のために生きている」
まったく本心を明かさぬフリントンの相手をするのが、カルタは好きだ。
分からないからこそ、退屈することがない。
「君ももっと楽しむことだね。まだまだ前奏が始まったばかり。世界が奏でる楽しい音楽は、これから始まるんだ」
「それですぜ、頭。例の情報も回って来やした」
「ユメリエンは予想通りかい?」
「えぇ。スピカートン役もコーレンスに違いねぇですぜ」
フリントンはそれを聞いても、気持ち良く笑った。
彼にとって、どの情報も楽しいことに違いない。強がりなど知らぬ男である。
「ついに西側も飲み込まれちまうんですなぁ」
カルタがぼんやりと言っている間に、フリントンはもう歌い出していた。




