53.王子様
「宜しかったんですの?」
後宮のとある一室である。
豪華なソファーでくつろぐ男女の姿があった。
広過ぎる部屋、広過ぎるソファーが無意味に感じるほどに、二人は寄り添って体を密着させている。
「何が言いたい?」
「自分のものにしたかったのではなくて?」
「馬鹿言え。俺があんな小娘に欲情出来るか」
「面白いと思っているのでしょう」
「当然だ。だからこれでいい」
王子は酒を煽り、にやっと笑う。
「お前にはあれが後宮に収まる女に見えたか?」
「酷いことを言われるのね」
「お前だから言っている」
王子は悪びれず、再びキリムに問うた。
「どう思った?」
「自由である方がお似合いでしょう」
「そうだ。だから、イルハの妻でいい」
「宰相になられそうで?」
「やっとやる気になった」
「どこかの家と懇意にしなくては、難しいのでは?」
「俺がそうしてやればいい」
「すでに嫌な噂も立っておりますわよ。くれぐれもお気を付けて」
「分かっている。お前も気を付けろ」
「当然ですわ」
これで怯えない女だから、王子は正室に据えたのだ。怖いから守ってなどと言う女の相手をしてやるほどに、王子は優しさを持ち得ていない。
「いくら呼び立ててもいい。この国に使えるようによく育てろ」
「変えてしまって、宜しいので?」
「お前なら上手くやれるだろう?」
キリムはくすっと笑うと、「お任せください」と言った。
「ところでイルハ殿は、いつから気付いていらしたんですの?」
「“はじめから”だとよ」
***
出会ったときから覚え始めた違和感。
それは来訪登録の折りに強まることになる。
旅慣れた者であるはずのシーラが出生国と国籍を空欄にしたことが、イルハには大きく引っ掛かった。
国を持たぬ者たちの多くは、面倒事を避けるために、その国から最も遠い大国の名を印しておくものだ。調べなど付かないように。それでいて確かな身の上であることを証明出来るように。
あのフリントンも偽名で登録していたが、出生国と国籍として北の大国であるノーナイトの名を記載していた。
それなのにシーラはそれを拒絶し、仕方なく書くことになったときでさえ自治区を選んだ。怪しい者と疑われてもおかしくないというのに、あえて自治区を選ぶ理由はなにか。
それは到底、旅慣れている者のすることではない。
イルハは瞬時に、シーラが祖国を失った者であろうと判断する。
このときイルハはさらに深く掘り下げた。
テンがそうしたように、出生国に亡国の名を記載する者は多い。
それなのに彼女はザイルメ自治区を選んだ。つまり、国名を書けない理由があるということになる。はじめから海の民だと偽っていたのだから、それは余程の理由であろう。
ここで彼女の立場というものを疑い始めた。すでにイルハは、シーラの所作から高貴な者特有の育ちの良さを感じ取っていたのだから。
食事の前に手を合わせる習慣、東方の楽器、時折シーラの口から零れた祖国に繋がる言葉から、今は亡き国を探し当て、この者ではないかという目星を付けておく。
彼の予測を決定的にしたのは、シーラの王子への態度であった。
祖国ある者は、テンのように王子に対して何らかの動揺を示す。王家の者に対する立ち居振る舞いは、どの国でもある程度共通しているものだ。
純粋な海の民であればフリントンのようになるかもしれないが、シーラはすでにこれには当てはまらない。
とすれば…。
タークォンからは遠く、かつて東に存在していた国。クランベール王国。
先代の王女を亡くし、摂政の元に幼き王女が治めていたこの国は、かつてあらゆる負の連鎖の中で陥落し、今はスピカートン王国の領土となっている。そう、テンが亡くした祖国ララエールと同じように、スピカートンに国を奪われたのだ。
その王女は燃えさかる城の中で亡くなったと言われているが、それらしい遺体は見付かっていないと聞く。無事であったなら、ちょうどシーラの年頃だ。
シールメールに用があったから青の大海を通ったと言っていたが、他の海域を通ることも出来たはずだ。
あえて戦の多い青の大海を通ったのは、祖国を遠くからでも眺めたかったのではないか。
テンを拾ったことも、もはや偶然ではないだろう。
そこへ来て、パンケーキ屋でシーラが披露した話は、これを決定付ける。
いつも厳しく接していた者が、井戸に落ちた娘を前に泣いて謝った。もう間違いない。
さらにモンセントから姫君がやって来た。
かつてモンセントとクランベールはなかなか密な付き合いをしていたと聞く。
これでシーラと姫の仲も説明が付いた。
***
「流石ですわね」
「そうでなければ、長官にはしない」
「はじめから存じていながら、妻とする決意も見事ですわ」
「それは褒められねぇな。大分時間が掛かったぜ」
「殿下がお気に召す理由もよく分かるわ。ですが、殿下。イルハ殿ばかりでは淋しくてよ。実家が煩くてならないんですの。弟にも僅かの目を掛けて頂けます?」
「あれ以上出世したら、潰れるぜ」
くすっと可憐に笑ったキリムは、王子に寄り添いながら、甘えた声で言った。
「それでも背負う家というものがありますのよ」
「お前が家と上手くやればいい」
「弟があのようなことだから、たまには殿下に甘えたくなりますの」
キリムは平然と言って、王子に酒を勧める。
王子は注がれた酒を煽り、またにやっと笑った。
「あいつも面白くなるだろうよ。それで許せ」
「殿方はいいですわね」
「お前も楽しいだろう」
「えぇ、とても長く楽しめそうで」
王子とキリムは、新しいおもちゃを手に入れた気分である。
しかしおもちゃにされていたのは、王子の方かもしれない。




