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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第一章 はじまりの歌

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50.はじまりは海上から


 暗闇の中で、どうやって航路を確認しているのか。月や星は座標を教えてくれると言うが、今はその印もない。

 シーラは船から海面を照らすようなこともしなかった。他船との衝突の恐れはないということか。

 船があまりに静かに進んでいたから、イルハは本当に移動しているのだろうかと疑いたくもなった。加速によって後ろに身が引かれるようなこともなかったし、今日はスクリューの振動も感じない。

 手を開き、当たる風から速度を計ろうと試みるが、その風が船の移動によるものか、自然に流れているものか、判別はつかなかった。知らぬ闇は感覚を鈍らせる。


 イルハの胸に、ふいに疑問が浮かぶ。

 氷にぶつかって、船腹に穴が開いたのではなかったか。暗闇の中で船を動かせるシーラが、氷を避けられない理由は何だろう?


「暗い中で、どのように航路を決めているんですか?」


 イルハは素直に尋ねた。

 発した声はすぐに後ろに流されたから、それなりの速度は出ているらしい。


「それは秘密だよ」


 イルハはこの回答に不満を感じなかった。


 シーラは沢山の魔術を隠しているはずだ。あの海賊たちと同じ話である。

 最も分かりやすく、容易なところだけを見せて、まるでそれがすべてであるかのように偽っていた。とイルハは理解している。

 しかし不思議なことには、シーラから高い魔力を感じたことはなかった。 


「秘密にするような類の魔術なのですね?」


「海の魔術師で、船に関して語る人はまずいないね」


「それぞれ違うように船を動かしていますよね?」


「人のことなんか知らないよ。タークォンでは軍船にも電気を使っているの?」


「軍船については外に語るべきではありませんが…」


 イルハは前置きをしてしまった。


 ほらね、やっぱりだ。とシーラは言わなかったけれど、陽気な笑い声にはそんな言葉が重なっている。

 しかしよく考えれば、シーラも同じだ。


「あなたも海にあるようにしか語っていませんよね?」


「無茶を言わないでよ。ここは海の上だよ?」


「何者でもないあなたと語り合いたいと願うことは、愚かでしょうか?」


「人は何者でもないけれど、人を通すと何者にもなってしまうんだ」


 シーラは時折、難しいことを言う。

 海は人に哲学的な思想を与えるのだろうか。

 それともシーラの経験が、そのような思想を生み出したのか。


「他者を通すことで、その者の考えた通りの人物となってしまうと言いたいのですね?」


「さぁ、どうだろうね」


 シーラはいつも、そこから深く語ろうとはしない。だからイルハは自分で考えて、答えを導くことにする。


「どこにもなく語り合えることを証明出来たなら、あなたもそのようにすることを考えられますか?」


 シーラは答えなかったのに、イルハはとうとうと語り始めた。


「タークォンの軍船は、基本的には通常の蒸気船と変わりません。しかし、あなたの言う通り、電気の魔術を用いることが出来るように特殊な設計がなされています。その構造は馬車と同じように考えて頂ければ宜しいですね。馬車の車輪を動かすように、電気の力でスクリューを回転させています」


「馬車は魔術師が乗っていなくても動いているよね?軍船も常に電気で動かせないの?」


 海の上だからか。

 それともイルハがすでに知っていることを理解したからか。

 シーラが魔術に関して、前よりも隠さなくなっている。


「電気は蓄えて使うことが出来るんです。馬車程度の重さなら、蓄えた電気で半日ほど駆動させられましょう。ところが船となると、蓄えた分だけでは難しく、魔術師が同行する必要があるのです。ですから通常は蒸気の力を利用することにしています」


「魔術師は一人じゃないよね?」


「魔術省の電気関連の部署には、二十二名あると聞いていますよ」


「そんなにいるんだ」


「タークォン中に灯りを提供していますからね」


「それは大変そうだね。もしかして通信機も?」


「えぇ。彼らが交代で蓄えた電気を使っています」


 タークォンにない者に、タークォンの魔術の詳細を語ること。その意味をシーラとて分かっているだろう。

 イルハなりに、タークォンにあれば出来ないことをしたつもりだ。


 暗闇に目が慣れて来たのだろうと、イルハは思った。しかし違った。

 シーラの姿が確認出来たのは、月明りのおかげだ。

 いつの間にか雲は消え、無限にも思えるほどに無数の星が空にあった。明るいタークォンでは知らない星がそこにある。

 イルハにはそれらの星が、落ちながら、こちらに向かっているように見えた。いつか衝突して、倒れてしまいそうである。

 美しさを越えて狂気を与える星空があることを、イルハは初めて知った。


 船が止まったことが分かった。頬に当たる風が消えたからだ。

 足元から何かの振動が伝わった。ほんの一瞬の、トンという小さな衝撃である。


「何をしたんです?」


「錨を下ろしたんだ」


「通常の錨ではありませんよね?」


「槍みたいなものを、海底に突き刺しているよ」


 聞けば堂々と答えることもある。それは隠す必要がないことなのだろう。


「どのようにして海底に?」


「スクリューと同じだよ。この棒に振れると、船底に隠した錨にも魔力を伝えられるんだ」


 それからシーラは帆をすべて畳んでしまった。もちろんロープに触れただけで、これが一瞬のうちに完璧に行われる。


「夜はいつもこうやって?」


「いつもではないし、昼もこうすることがあるね」


「海の一箇所に留まることもあるんですか?」


「あるというか、ほとんどがそうだよ」


 イルハはシーラから海のものらしさを感じ取った。

 陸から海へと出る場合、必ず目的地があって、その場所は海ではない。陸にあるものからすれば、海は常に移動する場所だ。


 イルハは考えながら、月明りの下で船を見渡した。

 周りが暗黒に包まれていると、この船は宙にでも浮いているような感じがする。


「この船には、他にも沢山の秘密がありそうですね」


「また改めるの?」


「今はタークォンにありませんので、答えないことにします」


「それじゃあ、タークォンに行けなくなるね」


「それは困りますね。今日のことはタークォンとは関係ないことでしたので、忘れましょう」


 シーラはよく笑った。

 イルハも共に笑いながら、考える。


 シーラはいつも偽ってはいないのではないか。

 隠していることは沢山あるし、自身のことなど知らせようという気もないだろうが、偽ることもしていないようにイルハには感じ取れた。


 たとえば、かつてシーラは物を動かす魔術が得意だとは言っていた。しかし、他の魔術が使えないとは言っていない。

 物を動かす魔術しか使えないと思い込んだとしたら、それは言葉を受け取った側の問題だ。


 このようにして、シーラは相手が勝手に自分を偽って認識するよう導きながら、国を渡って来たのではないか。

 そうしておかなければ、どの国で何を語ったか、すべて覚えている必要が生じてしまう。それは大変な苦労になるだろうし、偽りの言葉があったと知られればその国を訪問しにくくなるだろう。厄介事に発展する可能性もある。

 とすれば、偽らずに偽る方法を選択していると考える方が自然だ。


「今日は月が弱いから、ランプを使おう」


 弱いと評した月明りを頼りに、シーラは小屋の扉を開けた。この新しい船の外観は、以前の船よりほんの一回り大きくなっている。しかし甲板に乗る小屋は、以前よりずっと大きい。

 本と地図を取りに来たときに、すでに新しい船を見せて貰っていたが、明日の昼間もこの船にあるのだから、じっくりと観察することは許されるだろうか。と願いながら、イルハは明日のタークォンを想った。


 堂々と仕事を休んで、海にある。それもモンセントから姫君がやって来て、普段にない仕事が増え、通常の仕事が滞っているときだ。

 さらにイルハは、タークォンを忘れてみせるという宣言もしていた。

 普段には考えられない己の言動を振り返り、イルハは楽しくなって来る。


 シーラはいつも自分を変えた。

 それは、どこまで続くのだろう。


 もちろんイルハが無断欠勤をすることなどはあり得ず、王子からはすでに許可を得ているのだけれど。

 許可どころか、王子の指令を受けて特別任務中だ。結局イルハは、海にあってもタークォンを忘れていないし、自分でもそれが無理だと分かっている。


 シーラは自室ではない方の扉を開けて部屋に入ると、暗闇の中で手探りもせずに引き出しに手を掛けた。

 部屋の中には月明りがほとんど届いていないのに、何故位置が分かるのか。

 シーラはその引き出しから何かを取り出すと、シュッという音を鳴らした。すぐに火が灯り、マッチを使ったことが確認出来る。


「火の魔術は使わないのですか?」


「私は好きじゃなくてね」


 マッチの小さな火に照らされ、揺れるシーラの横顔を見ていると、祭りのときが思い出された。

 しかしその穏やかな揺れはすぐに止まり、代わりに灯ったランプの火は、もっと明るくはっきりとシーラの顔を照らし出す。


 シーラは火の魔術を使わないとは言わなかった。とすれば、いずれの場合も想定出来る。ここでさらに追及しても、シーラは語らないだろう。

 今、確かなことは、『シーラは火が好きではない』ということだけだ。それはイルハが調べたことを裏付けるものであった。

 テンの部屋にランプが置かれているというところもまた、それを確信へと近付けていく。


 イルハが考えている間に、シーラは別のランプを手に取った。中から油の容器を出すと、これに浸る芯にすでに明るいランプから火を移し、また元の形に収めると、これをイルハに手渡した。


「転んだら困るから、使ってよ」


「テンの部屋に勝手に入っても良かったんですか?」


「ここは私の船だ」


 テンには部屋を貸しているということか。誰が部屋を使っていようと、あくまで船の所有権はシーラにあると、イルハは理解する。


「二つあればいい?」


「それほど明るくある必要もないでしょう」


「それもそうだね。じゃあ、お酒を取りに行こう」


 船の大まかな構造は、前の船と変わらない。シーラが甲板にしゃがみ、床に手を置くと、その部分の床板がふわっと浮かび上がった。前は手で開いていたが、今宵は魔術を使うことに躊躇がない。


 二人は梯子を下りて、甲板下の貯蔵庫に移動した。


「いいお酒は隠してあってね」


 シーラは何もない壁に手を触れる。するとその壁の板が外れ、宙を舞った。

 開いた壁の中には緩衝材が詰まっていて、シーラはそれを取ると、ぽいっと後ろに投げ捨てた。それもひとつではなく、次々に手に取って投げていく。

 イルハはこの船が荒れる一因を知った。

 緩衝材の奥からは黒っぽい瓶が現れる。


「この船には、こういった秘密が沢山あるのですね?」


「さぁ、どうかな」


 シーラは笑いながら言って、取り出した瓶をイルハに手渡した。


「これもイルハが好きだと思うんだ」


「あなたの好きなお酒でいいですよ」


「私も好きに飲むよ。器がないから、そのまま瓶で飲んでね」


 シーラはまた別の瓶を手に取った。


「運びますよ」


「その必要はないよ」


 瓶が浮かび、宙に漂う。気付けばシーラが持っていたはずのランプも後ろに浮かんでいた。


 それからもシーラは貯蔵庫の棚を漁った。木箱に入った缶詰を次々と手に取って、浮かべていく。


「明後日まで缶詰で耐えられる?」


 耐えられないなら、今すぐ送り返してあげよう。

 イルハには、そのように聞こえた。だから笑って返す。


「あなたの暮らしぶりを体験出来て嬉しいですね」


「イルハからしたら、缶詰も面白いかもね」


「缶詰を食べることがですか?」


「国によって詰めるものが違うし、味付けもまったく違っていてね。食べ比べるだけでも楽しいんだ」


 そういえば、異国の缶詰など食べたことがあっただろうか。

 そもそもイルハは、普段缶詰の食品を口にする機会もなく、タークォンで生産された缶詰にも疎かった。


「肉や果物の缶詰もあるんだよ。獣の肉だけど、食べられる?」


「食べたことはありませんが、食べてみたいですね」


 タークォンの料理は、魚介類と野菜が中心だ。牧場はあったが、鳥の卵や山羊のミルクは食しても、獣肉を食べる習慣はない。


 缶詰から世界を知ることも出来るのか。イルハには感動的な気付きであるが、シーラは何でもないというように、また次の木箱を漁ったりしながら、あらゆるものを浮かべていた。

 こんなに食べるつもりなのか、それとも明後日の分まで用意しているのか。いずれにせよ、このようなことをしていたら、船はすぐに荒れるだろうとイルハは思うのである。


 二人は甲板に戻ったが、シーラはそこにイルハを残して、再びテンの部屋に入って行った。

 戻って来たシーラと共に、イルハの元に毛布が飛んで来る。


「夜の海は冷えるから、使ってよ」


「どうしてテンの部屋からなんです?」


「私の部屋のは汚いでしょう?」


 すでにリタが片付けていたはずだ。何故使っていないのに、汚れるのか。


「あなたの部屋を見てもいいですか?」


 了承を得て、シーラの部屋の扉を開ける。嫌な匂いもないし、部屋は整然としていた。リタが片付けてあったから、毛布なども綺麗に畳まれて、ハンモックの上に重ねてある。これでどうして汚いことになるのだろう。


「あぁ、そうだった。リタが綺麗にしてくれていたんだね」


 後ろから顔を出したシーラがぼんやりと言った。

 偽りでも何でもなく、ただ忘れていただけだと知って、イルハの体から力が抜ける。

 それで気付く。これからどう話そうかと、肩に力が入り過ぎていたことを。


 もっと気楽に語り合いたい。せっかく海の上にあるのだから。

 そうだ、タークォンの自分ではない。それが戯言であったとしても、今だけはお互いの立場を忘れて、ありのままに語り合えるように。


 良い意味で気を緩めたイルハは、シーラと共に向かい合った。汚れることなど気にせず、シーラと同じように甲板に腰を下ろし、肩には毛布を掛けた。


 これが本当のはじまりだ。


 何のはじまりなのかイルハにも分からなかったのに、唐突に浮かんだその考えにイルハは深く納得していた。


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