48.古い馴染み
「今日はお付き合いいただきまして、ありがとうございます。本当に助かりました」
「お礼をされる覚えはないね」
小さな体には大き過ぎる豪華なベッドで眠るアンナを隣室に残して、シーラとヨタは窓辺に置かれたテーブルを囲み、ベリー酒を酌み交わしていた。
「だけど本当に外遊しているとは思わなかったよ。今頃血でも吐いていそうだ」
「それに耐えられているのも、これが最初で最後であるからでしょう」
シーラは頷く。
アンナが外の世界を観る機会など、もうないかもしれない。モンセント王国の現国王も、即位してからは外に出たことがないのではないか。
「他の国ではちゃんと出来ていた?」
「えぇ、ご立派でしたよ」
「それを聞いて安心したよ。いつもこうだったらどうしようかと思った」
「それは私も困りますなぁ」
「タークォンはいつまでだっけ?」
「ご存知なのでは?」
「アンナの予定なんか、知らないよ」
ヨタはあえて見せつけるように口角を上げてから言った。
「明後日には経つ予定です」
明日も付き合えと、泣きながら懇願したアンナを思い、シーラは優しく微笑む。
「明後日か。さて、どうしようかな」
「この国にあられますと、困りますなぁ」
「もう出たことにしておいてよ。先に次の外遊先に行ったと言ってもいいね。あとでいくらでも叱られるからさ」
「申し訳ありませんが、そうさせて頂きましょう」
ヨタは老齢らしく、とてもゆったりと笑う。
「この国も長く?」
「三度目だよ」
「こちらの皆さまはご存知で?」
「何も知らないことになっているね」
「ご存知なのですね?」
「どうかな。王子とも偶然知り合ったはずなんだけど」
ヨタはまた穏やかに笑った。
「王子殿と偶然知り合うとは。相変わらず面白いことをなさっておいでで」
「王子が変わっているんだよ」
「確かにこちらの王子殿も、面白い御方に違いありませんな」
シーラは微笑むと、「さて、そろそろ帰ろうかな。ヨタにも会えて良かったよ。ありがとう」と言って立ち上がる。
「どちらにお帰りで?」
「さぁね」
「帰るところが沢山おありのようですな」
「そんなことは言っていないよ。それより今夜はここに泊まったことにしておいてよ。それで朝になったら消えていた。それで行こう」
「この国は監視があるようですなぁ。王子殿はなかなか厳しい御方で?」
「あれは王子とは関係ないね」
「それではこちらの国王殿でしょうか?」
「国王とも関係ないと思うよ」
「はて。そのようなことがあり得ましょうか?」
「この世界にあり得ないことなんてあるの?」
シーラが意味深に言えば、ヨタは穏やかな顔で頷いた。
ヨタも見送ろうと立ち上がったのだが、あろうことかシーラは窓枠に手を掛けた。
「そちらからお帰りですかな?」
「そりゃあ、楽な方を取るよ」
シーラが窓を押し開くと、生温い風が部屋に舞い込んで来る。
「タークォンは暖かいですなぁ」
「夏の国としては涼しい方だけどね」
「ユメリエンなどは暑いどころではないそうですね」
「モンセントからすれば、暑いだろうね」
シーラは一度顔を出して、窓の外を確認した。
王宮の隣に建つ迎賓館の三階である。広い庭には街灯がないせいか、上も下も真っ暗闇だ。昼間はあれだけ晴れていたというのに、分厚い雲が月も星も隠してしまっている。
そのせいか余計に静けさを感じる夜だ。
とは言っても、法が厳しいおかげで、タークォンの夜に外で騒ぐものはない。
レンスター邸宅で夜に音楽を楽しむことが出来たのも、広い土地を保有しているからに違いなかった。大きな家の一室でいくら音楽を奏でようと、中庭を越えて通りに届く頃には、ほんのりと漂うくらいの音になる。耳に優しい音になったそれに、警備兵たちは余計に癒されていた。
しかしこれがたとえば、庶民の家々が密集する地域で行われていたら、誰かが警備兵に苦情を言って、大事になっていただろう。イルハの家だから、誰も何も言えないというところもあった。
「もう行くよ。アンナによろしくね」
「最後にお聞きしても宜しいでしょうか?」
「聞くだけならね」
「西の要となるのは、この国に違いありませんかな?」
シーラはわざとらしいほど大きな声で笑った。窓から夜の街へと広がったその声も、すぐに闇が消し去っていく。
「そんなことは知らないね」
言ったシーラはさらに笑った。海にあるときらしい、歌うような笑い方だ。
「まだ決まっておらぬと?」
「私に聞いたって無意味だ」
「そうでしょうかな?」
ピタッと笑い声を止めたシーラは、真っ直ぐにヨタを見据える。
「今日はしつこいね?」
「不穏な噂がいくつも入るようになりましたからなぁ」
「さすがモンセントだ。情報が早いね」
「いつも呑気にしていられるように、どの者も必至に御座いますぞ」
「本当に面白い国だね。頑張る理由が変わっているし、頑張りたいのか、頑張りたくないのか、さっぱり分からない」
「おかげさまで、いつまでも飽きない国に御座います」
シーラは飛び出そうと窓の桟に右足を乗せたが、考えるところがあったようでそのまま振り向いた。
「忠告くらいしておこうか。この間、フリントンが来ていたよ」
「心得ておりますとも。大事な次期女王陛下ですから、精鋭を連れて参りました」
「陸でどんな精鋭を揃えても、海では過信しないことだね」
「それも心得ておりますぞ」
シーラは夜の闇へと顔を戻した。
「明日は付き合わないよ。頑張って」
「此度のこと。心より御礼申し上げます」
「お礼をされる覚えはないと言ったよ。それじゃあ、良い旅を!」
声が聞こえたときには、シーラの姿が消えていた。
それでもヨタは、窓の外に広がる闇に向かって、しばらくの間深々と頭を下げていた。




