46.異国の姫君
「よろしくお願いしますわ」
堂々と頭を下げた少女はまだ十二歳。淡い水色のドレスを纏い、美しくまとめられた髪には姫らしいティアラが乗っていた。
モンセント王国第一王女、アンナ・モンレイトだ。
モンセント王国の軍船がタークォンのふ頭に着いてから、すでに三日目である。
初日は歓迎式典が行われて、その夜は晩餐会も催された。
翌日は国交や貿易協定に関する会議が行われ、姫には少々難しい話が続いた。もちろん話を進めたのは、姫と共にやって来た伴の者たちだ。
それで今日は、姫がタークォンを観光する日である。
今日の観光の責任者は王子だ。
イルハやトニーヨは、官職としての立場ではなく、王子の側近としてこれに付き合っている。
現王の側近である老齢の役人たちは、この面倒な役回りも堂々と拒絶して、あちらが次期女王であれば、こちらも次期国王となられる御方とその関係者が良かろうと、王子たちにすべてを押し付けた。何事も経験だ、若い者らの学びの場になろう、と言った男もあった。
イルハなど澄ました顔でこれに同意したし、トニーヨも目上の者に反する精神を持ち得ていなかったので有難く彼らの言葉を受け取ったが、彼らの主君である王子は不快さを隠そうともせず、年老いた役人たちを睨み付けていた。
「あいつらはだから駄目なんだ。あいつらがいる限り、この国は変わらねぇ」
「俺の代は違うぞ。俺はこの国を変える」
「お前たちはそのつもりでいろ!」
執務室に戻った王子は、側近たちを前に声を荒げた。
これをまた、イルハは澄ました顔で聞き流すのである。
対照的だったのはトニーヨで、王子の言葉ひとつひとつに神妙な顔で頷いた。
トニーヨは真面目な男だから、王子が本気でこの国を変えようとしているのだと信じていた。
もちろん王子は本気であるが、言うだけでは何も変わらないことをイルハは知っていて、今は真剣に受け取らないようにしている。
そう出来る立場になったとき。そのときこそ、イルハが本気で王子の言葉を受け取るときだ。
イルハはそのときのために、これまで準備をして来たはずだった。しかしシーラと出会ってから、それが色々と変わりつつある。
まだ彼はそのことにはっきりと気付いてはいないだろう。
王子もまた、何も気付いておらず、いつものように何も出来ない苛立ちを側近たちにぶつけるのであった。
さて、観光だ。
軍船に乗って来た全員を連れて観光するわけにもいかず。モンセント側もそれを承知していて、姫と僅かな従者がこれに参加した。
それでもタークォンは、このために馬車を十台も並べている。
前から五台目の馬車の後部座席に、王子と姫が並んで座った。
先頭の運転手横の席には、トニーヨが乗り込んだ。警備省副長官の彼には適当な席だろう。
それから間となる二列目に、イルハと、老齢の男が座った。姫の従者で、名をヨタと言う。
「石ばかりですのね」
「我が国は岩山からよく石が採れましてね」
馬車の中には、姫と王子の声だけが響いた。
当然、イルハたちは振り返らず、二人の顔を見ようともしない。国によって礼儀は様々であるが、女王の居ないタークォンでは、女性の王族の顔を目にする機会などまずなかった。
王子のように、妃を連れ回す奇怪な者でもない限り、王族の女性は後宮から出て来ない。たまに王女などの降嫁はあるが、それでも顔を見られるのは、夫となる者とその家の者たちだけであろう。その降嫁した王女はまた、その家の奥にあって、外には出て来ないのだから。
そういう事情があって、イルハもトニーヨもなるべく姫の顔を見ないようにしている。
一方のモンセントには、そのような慣習がないのだろう。タークォンの面々もそれは理解していた。
姫が堂々と顔を晒して外に出ているのだから、当然だ。
そうは言っても、イルハたちに根付いた慣習を簡単には変えられない。タークォンの男たちの多くは、この姫がやって来てからずっと、目のやり場に困っていた。
一行は街の外に広がる広大な畑を目指している。姫がこれを見たいと言ったからだ。
時期に国を統べる者として、他国の農業に関心を向けることは有意義なことであろう。
王子も幼い姫に感心したところである。
続く馬車の行列に、街行く者たちは皆一様に足を止めて頭を下げた。王家の紋章入りの馬車であることもさることながら、今この国に誰が来ているかを皆が知らされていたからだ。
どの馬車に誰が乗っているか分からずとも、高貴な者たちがそこにいることを民たちは知っていた。だからすべての馬車が過ぎ行くまで、どの人も頭を下げている。
それは突然だった。
五台目の馬車が大通りを曲がったところで、何かに視界を奪われた。窓の外が桃色に染まる。
それが強風に舞う、花びらであることに気付くまで、運転手も時間を要したくらいだ。それで自ずと馬車の速度が落とされた。
「まぁ、綺麗だわ」
自然と皆の視線は、舞う花弁を追い掛け、外へ向かった。
この通りでも皆が一様に足を止めて、頭を下げている。そんな中、頭を下げぬ者があれば、目立つに決まっていよう。
この国らしい服を身に纏う娘と少年は、この国らしからず、空に舞う花弁を見上げていた。
しかも娘は、黄色い花束を胸に抱いている。姫の視線はここに奪われた。
「シーラ!」
イルハが思わず振り返った。失礼も忘れて姫の顔を凝視していたのは、トニーヨも同じだった。
「ヨタ、シーラよ!」
「姫様、落ち着いてくだされ。見間違いでは御座いませんか?」
老齢の男が振り返り言うも、姫の興奮は止まらない。
「いいえ、間違いないわ!テンもいたもの!ねぇ、王子殿。少し止めて頂けないかしら?知り合いがいたのよ」
いくら馬車がゆったりとした速度で進んでいたとしても、歩くよりずっと早いのだ。
馬車はシーラたちの前をあっさり過ぎ去って、二人からどんどん離れている。しかも馬車は急には止まらない。
「お願いよ、王子殿。少しでいいわ」
姫に懇願されるまでもなく、王子にこれを断るつもりはなかった。
「おい、トニーヨ。止めてくれ。計画を変える」
「はい?」
「少し待つよう、他の馬車にも連絡しておけ」
トニーヨに意見など言えるわけがない。
馬車が止まると、王子と姫は連れ立って外に出た。
観光経路に重点的に配備されていた警備兵たちは、出て来た二人に何事かと騒いでいる。
王子は堂々たる態度だった。顔を隠さないのは、普段とは違い、王子らしい服装を身に纏っていたからだ。民たちが頭を下げる姿を見れば、その理由もよく分かるだろう。
ヨタが降りるのは、少々遅かった。
アンナはもう走り出している。
警備兵たちは異国の姫を相手にどうすることも出来ず、皆一様に下を向いて姿を見ないようにした。これで警備が出来るのか、王子は呆れながら周りを見渡す。
「シーラ!」
シーラは花束をテンに預けると、飛び込むアンナを慣れた様子で抱き上げた。
すでに花吹雪は止んでいる。
「久しぶりだねぇ。こんなところで、どうしたの?」
「久しぶりじゃないわよ!」
アンナは高い声で怒鳴った。
遅れて王子とイルハがやって来る。共に続いたヨタは、頭を押さえていた。
テンはいつもの表情の乏しい顔で、シーラとアンナを見ている。
「何をしていたのよ!」
「いつも海にあったよ」
「そうじゃないわ!約束はどうしたかと聞いているの!」
「約束って?」
せっかくの美しいドレスも乱れているが、アンナは気にもしていない。抱えられたままシーラの頬をつねってから、また怒鳴った。
「んもう!外遊に付き合ってって言ったじゃないの!」
「約束した覚えはないなぁ」
「したじゃないの!迎えに来てちょうだいと言ったはずよ!」
「覚えていないね」
「酷いわ!もういいわよ!降ろしてちょうだい!」
シーラの手で地に下ろされたアンナは、隣のテンを睨み付けた。
「あなたにも言ったじゃない。私が外遊に行く前にシーラを戻してって!」
「そうだっけ?」
「んもう!役に立たないんだから!あなたは飲んでいなかったでしょう!」
「そんな前のことは忘れちゃったよ」
「駄目よ、シーラ。こんな子を乗組員にするなら、私を乗せて!」
「前に乗せてあげたでしょう?」
「堤防から外に出てくれなかったじゃないの!」
「アンナを乗せて、大海には行けないね」
「どうしてよ!」
「何度も説明したはずだよ」
「それならどうしてテンはいいの!おかしいじゃない!」
姫の怒りの矛先は、再びテンへと向かった。
「あなたは何をしたの?どうやって、シーラの船に乗っているのか、教えてちょうだい!」
「俺は別に何も」
「んもう!役に立たないんだから!」
シーラは乾いた笑い声を上げた。その声はよく空に抜けていく。
花を散らした風は収まり、気味が悪いほどに凪いでいた。
「アンナはどこの国にあっても変わらないね」
シーラはテンから黄色い花束を受け取ると、これをアンナの前に差し出した。
「まぁ、落ち着いてよ、お姫様。これをどうぞ」
「まぁ!綺麗だわ!頂けるの?」
「お姫様のために用意しておいたんだ」
「別の人にやるつもりだったくせに」
ぼそっとテンが言えば、シーラはにこっと笑って誤魔化すのだ。テンを怒ることもしない。
「私のためじゃないじゃない!」
「ごめんって。あとで何か買ってあげるよ」
「物で誤魔化されないわよ!」
テンは鬱陶しそうに、アンナを横目で見やった。
アンナを前にすると感情を隠せないのだろうか。
「んもう、分かったわ。シーラ、一緒に帰りましょう!」
「帰るってどこに?」
「モンセントに決まっているわ!ねぇ、ヨタ。もう帰っていいわね?」
この老いたヨタという男は、長く姫の世話をしてきた。
だから姫の我がままなど当に慣れてはいるが、さて、ここは異国の地だ。彼は酷く疲弊した顔で言った。
「姫様。タークォンの皆さまの前ですぞ。約束をお忘れですか?」
「お父様なんて知らないわ!シーラの方が大事よ!」
シーラがようやくイルハを見やった。
二人はそれぞれの視線にどんな想いを重ねているのか。
イルハはいつもよりずっと厳しい視線で、シーラを見ている。仕事のときと同種のものだ。
「王家の知り合いなんて、いないんじゃなかったか?」
イルハが発言を控えていることを悟った王子は、代わりに聞いた。
「そんなことは言っていないね」
「何で隠した?」
シーラが答える前に、姫が騒ぎ出す。
「まぁ、なぁに?こちらの王子殿とも知り合いなの?王家の知り合いなんて、私とお父様だけだと思ったわ!」
「俺もそう思っていたぜ、お姫様」
王子の口調が変わったことを、ヨタも気付いた。安堵した表情を見せて、頭を下げる。
「さて、シーラ。その辺のことは、今からゆっくりと聞かせて貰おうか?」
「今からって?」
「手伝いをして貰おう。付き合えるな?」
シーラの視線はテンに向かう。王子は理解して、「テンも手伝え」と言った。
「どうする、テン?」
「俺は嫌だね」
「礼なら弾むぜ?」
「ほら、テン。王子がこう言っているよ」
「…嫌だけど別にいいよ」
「テンは照れ屋さんなんだから!」
シーラはテンの赤毛をいつもの通り撫で回した。
アンナが横でむっとしていると、シーラの視線がアンナに戻る。
シーラはとても優しい顔で笑って見せた。
「次はアンナに聞こう。王子がこう言っているけど、どうしたい?」
「どういうことかしら?」
「今日の観光はシーラとテンにも付き合わせる。それでどうだ、お姫様」
トニーヨがぎょっとした顔をしているが、王子は気にもしない。
「素晴らしいわ!ヨタ、帰るのは辞めよ!」
ヨタは右手で胸を押さえると、姫に向かい頭を下げた。姫というより、その前にある王子に礼を伝えたかったのかもしれない。ヨタの体は姫と王子の間を向いていた。
トニーヨはますます分からなくなる。この娘と少年は何者なのか。
トニーヨの困惑に構う者が居るはずもなく、シーラとテンはアンナと同じ馬車に乗り込むことになった。




