43.自由の概念
タークォンの夜の街を、王子とイルハが並び歩いている。
「妃殿下がお待ちでは?」
「いいじゃねぇか。たまには」
わざわざ王子は法務省に顔を出して、帰るイルハを掴まえた。
今日は昼間にあんなことがあったから、イルハも王子も午後は警備省への対応に追われることになった。最も可哀想だったのは、トニーヨであるけれど。彼はまだ王宮に残り仕事をしている。
そういうことだから、イルハは先にシーラとテンを帰すことにした。
それも馬車に乗せ、運転手にはくれぐれも途中で降ろさず、家まで正しく送り届けるようにと念を押して。
先の男たちがまたシーラたちと接触するかもしれない。シーラにとってそれは悪いことではないかもしれないが、今この状況でシーラを海の者たちに近付けたくはなかった。
「警備省がピリピリしていますよ。仕事を増やさぬ方が宜しいのでは?」
今日のような日こそ、大人しく後宮に居て欲しいものだと、イルハは思う。
「少しくらいいいだろうよ。邪魔をせずに帰る…と今は思っているぜ」
イルハは嫌味のように深いため息を漏らした。
昼間の男たちに会ってから、あまり機嫌が良くない。気晴らしに、シーラと共に朝まで音楽を楽しみたいのではないか。今日の王子からは、そんな感じを受ける。
というのも、明日は休日なのだ。王宮の仕事はない。だからこそ、トニーヨはこんなに遅くまで仕事を続けている。たとえ自分が休みであろうと、警備兵たちは休日の街を守っているのだから、今のうちに細かい指示をしておかないと、トニーヨは休日に呼び出されることになってしまうのだ。
「何だ?嫌そうだな?」
「滅相も御座いません。せめて馬車をお使いになられては?」
「歩きてぇ気分なんだ」
「やぁ、王子様。イルハ殿」
警備省はこの休日も忙しくなることが決まった。
このように知らぬ男を、王子に近付けてしまうのだから。しかも誰も駆け寄っても来ない。
つまりこの男の存在に、王子をひそかに警護する警備兵たちも気付いていないということだ。王子専属の警備兵など、能力の高い者が採用されているというのに。
これは警備省にとやかく言って収まる問題ではないと、イルハはもう気付いていたが、だからと言ってこのままうやむやにすべき問題でもない。タークォンとして急ぎ対策を講じなければ。
しかしイルハがこれを出来るかと言えば、まだ彼はそこまでの権威がないのであった。王子もまた然り。だから機嫌が悪くなる。
二人の足が自然に止まった。
この男をレンスター邸宅に連れ帰るわけにはいかない。
「君、本当の王子様だろう?」
「だったらどうする?」
「どうもしないね。僕にとってはただの人だ」
「それは有難いな」
王子もイルハも、フリントンという男から、シーラと同類のものを感じ取っていた。
国を持たず、海に生きる者独特の、身分を知らぬ生き方だ。
「さっきは僕にもっと聞きたいことがあったのではないかな?」
「なんだ?わざわざ話に来たのか?」
「まさか。僕はそういうことをしないよ」
「それでは何の話をしに参られたのですか?」
「僕の大切な人を、大切にしてくれてとても嬉しいんだけれどね。そろそろ距離を置いて貰えないかなぁ?」
「それはお前が決めることじゃねぇな」
王子は軽く突っ撥ねたが、それでもフリントンは何も気にしていないというように笑っている。
タークォンの街を照らす明るい街灯は、フリントンの変わらぬ微笑を二人に見せ付けていた。
それでもまだ、周りにある警備兵たちはフリントンに気付かない。
明るいところでこのように足を止めて語っているというのに?どうなっているのだろう。
「君たちは陸で待たされる方が辛いと思っていないかい?海には海の辛さがあってね。陸での楽しい思い出ほど、足枷になるものはないんだ」
「俺たちが足枷になっていると?」
「そうだとも。君たちの存在はシーラにとって重荷でしかない」
「それは有難いな。俺たちは足枷になりたいんだ」
「どうせならもっと重たい荷になりましょう」
王子もイルハも、突然現れてシーラを語る男に、むっとしているところはあった。
「そんなにあの子を困らせたいのかい?」
「それを決めるのはシーラだろうよ。お前から聞いて、身を引く理由にはならねぇな!」
「困ったなぁ。僕が大事に大事に育てた子だから、こんなところで変な虫が付いても困るんだけど」
「それも知らねぇな。大体そんなに大事な女なら、一人にさせておくものか?」
「それは陸の価値観というものだね。僕に彼女が決めたことをとやかく言う権利はない」
「そうやって放っておいて、死に掛けたんだろうよ」
「それは違うね。僕が守って来たから、シーラは生きている」
つらつらと語るフリントンを前に、何故かイルハは笑っていた。
王子はその顔があまりに珍しく、奇怪でもあって、イルハの横顔を凝視する。
「あなたがシーラを守ってくださったことには感謝しますよ」
「君に感謝をされる理由もないね。僕がシーラを愛しているから、そうしただけだ」
「いえいえ。おかげで私は元気なシーラに会うことが出来ました。初回でも、二度目でもなく、シーラと会って三度目であなたに会えたことも光栄なことです。おかげでシーラをこの国に留めようという決意を、さらに強固なものに出来ましたから」
「そうやって陸の価値観を押し付けられても、あの子が困るだけだよ」
「シーラが困るというのも、あなたの考えでしょう。シーラが困るというなら、困らなくすれば済む話です。あなたが知らない、陸で暮らす素晴らしさを感じて貰えばいい」
「僕らは自由を好むから、陸では暮らせない。シーラに余計なものを押し付けないでやってくれないかい?」
「あなたの方こそ、陸で暮らすと自由がなくなるという狭量な考えを押し付けて、シーラから選択の自由を奪っているのではありませんか?そもそも自由とは何でしょうか?自由と感じるかどうか、それは個人の主観であって、そうなれば海か陸かという問題は大きなところにはないと考えることも出来ますね。心が自由にあれば、どこにあっても人は自由に生きられると言えます」
フリントンはイルハの瞳を真っ直ぐに見据えた。
海の底まで探ろうとするような厄介な視線だな、とイルハは感じる。
「君、面白いね」
フリントンはにこっと笑ったけれど、イルハはさらに言った。
「すでにお聞きしていると思いますが、この国では来訪者が魔術を使うことは違法です。来訪登録の書類にも多くの虚偽記載があるようですが、無事に船を出せるといいですね」
フリントンはさらに笑った。
「うん。面白いね。確かにシーラが気に入りそうだ。でもね、シーラは必ず海に出るよ。それも近いうちにね」
言ったフリントンの姿が、突然消えた。
「おい、イルハ」
王子は力強い声で続ける。
「シーラを港から出すな。理由は俺が気に入ったからだ。あらゆる権力をやるから、必ずこの国に留めろ」
「御意」
「あいつらも捕えろよ」
「もちろん手配していますが、難しいでしょう」
「何?」
「彼らを捕らえるには、こちらも魔術を使わねばなりません。大事になりますが?」
「とっとと追い出せ」
すでにフリントンはこの港を出ようとしているだろう。イルハはそのために伝えたのだから。彼らには一個所に長居出来ない事情がある。




