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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第一章 はじまりの歌

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40.水滴は波紋に変わる


 王子の執務室に、今日もイルハは足繁く通うのだ。

 王子はイルハがわざわざ仕事を増やして、シーラに会いに来ているのではないかと、もう信じて疑わないが、そのイルハがまたしても驚くことを言い出した。


「殿下、シーラを妻にします」


「は?」


「ご協力いただけないでしょうか?」


「…どうした?」


「決めたのでご報告とお願いに参りました」


「……お前、近頃凄いな」


 王子はちらと奥を見やった。シーラが書類を浮かしていて、テンはその手伝いを行っている。テンも何かしたいと願ったからだ。


「次は二十の五だよ。次は三十一の十二」


 王子たちには、テンの声だけが届く。

 テンが手渡した書類を、シーラが魔術で浮かび上がらせて、指定の棚に仕舞っているのだが、シーラは集中しているのだろう。声も出さずに、次々とテンから受け取った書類を飛ばしていて、イルハが現れたことにも気付いていない様子だ。

 テンも随分と夢中でこれを行っていて、声がする王子たちの方を振り返ることもなかった。

 仕事熱心な二人に、王子も感心している。


「お前がそう言うからには、勝算があるんだな?」


「海に出ない選択肢はないようですね」


 王子は頷いた。


「シーラにその気はあると思っていいな?」


「私の勝手な想いではそうなります」


 イルハは淡々と、「それから書類をお持ちしました。こちらは…」とついでのように仕事の話を進める。

 王子はよく笑った。


 仕事の話もそこそこに、二人はまた元の話題に戻る。


「俺の妻も気に入ったからな。あんな面白いものを手放すなと言われている」


「有難いお言葉ですね」


「あれだけ他国の事情を知っているとなれば、それだけで王宮で囲いたい人材だ」


 イルハもこれに深く同意した。

 毎夜続く楽しい時間に、多くの情報を得られていたからだ。

 シーラをこの国に留めるために、タークォンとしては十分な理由があった。あとはシーラ側の問題である。


「しかもあいつは、それぞれに知り合いがいるようだな?あれは使えるぜ」


「外交官の役は困りますが」


「そうだろうな。あいつはそのまま逃げちまう。それなら、逃げないようにすればいい」


「お連れすると?」


「そうだ。俺が行くときに付き合わせる」


「ならば私もお伴致しましょう」


 王子はとても愉快な気分だった。

 このようなイルハは、子どもの頃以来である。イルハとて、昔は子どもらしいときがあったのだ。


「これからどういう算段だ?」


「まず我が家の使用人夫妻が、あの二人を養子にしたいと申しておりまして。海に出る出ない以前に、これを受け入れさせたいと。そうすればこの国は、二人の帰る場所になりましょう」


「テンの方も、なかなかしぶとそうだぞ」


「祖国に強い想い入れがあるようですね」


「国を亡くせば、そうなろうな」


 国を亡くす、というところは想像しか出来ない。二人にとって、この国ははじめからあり、そしておそらく、自身が終わるときまで存在しているだろう。戦争を知らぬ国ではないが、今のタークォンは安定し、危ういところからは離れている。西側の諸国は基本的に平和主義であった。


「調べはついているな?」


「予測でしかありませんので、控えさせてください」


「俺に協力を願ったんじゃないのか?」


「それ以外でお願いします」


「お前…本当に凄いな」


「そうでしょうか?」


 イルハの悪びれるところがない清々しい態度に、王子も悪い感じを受けない。むしろ今までのどのイルハより、今の彼を好んでいる。


「凄いのはあの小娘か。さて、昼食に行くがどうする?」


「私は仕事がありますので」


「そこは断るのか?」


「早く帰れなくなるでしょう」


「仕事ももっと上手くやれ。お前は抱え過ぎだぞ。シーラ、テン、休憩するぞ!昼飯だ!」


 シーラとテンはたった今浮かんでいる書類を棚に収めたのち、王子たちの元にやって来た。


「今日はイルハも一緒なの?」


「いえ。私は仕事がありますから」


「イルハは食べながら仕事をするの?」


「あまり昼食は取りませんね」


「駄目だよ、イルハ!食べないと体に悪いんだから!」


 シーラに言われると、とても複雑な気持ちになるイルハであった。

 あれは体を気遣う娘の船と言えるだろうか?イルハの脳裏には、かつて見た船の荒れ様が浮かんでいた。


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